表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/20

静かに始まる生活

 春がやってきた。最近の春は全然暖かくないのだが、まだ冬が居候しているのか?


 高校一年生になった俺は煎餅布団の中で目を覚ます。元気よく布団から飛び出し、部屋を見渡した。ここだけ昭和に取り残されたような雰囲気のある和室は今日も時に刻んでいた。


 洗面所に移動し、歯を磨く。凍えそうなほどの冷たい水で顔を洗えば眠気なんて吹き飛ぶ。


 朝ご飯は、袋から取り出した食パン一枚だけ。最初の方は辛かったし味はほとんどしないけどこれが美味しいと思えるほどこの暮らしも板についてきた。


 食べ終われば、寝巻から制服に着替えて登校するまでの時間を座りながら待っていた。その間、暇だったため俺はテレビをつける。天気予報によると、今朝の気温は6℃らしい。だとしたらこのぴかぴかな制服を着ていてもこの寒さを乗り切るには心細いな。


「何か、家の中まで寒くなってきた。暖房でもつけよ」


 しばらく掃除もされてないであろうエアコンを起動させる。だが十分くらい使用しても、部屋はほとんど暖かくなることはなかったし、腐敗臭のようなものが漂ってきた。こんなものを永遠と浴びれば病気になりそうだったためすぐに電源を落とす。


「………引っ越そうかな」


 この家は築九十年以上経っている古びたワンケーのアパートだ。住んでいるのは俺と大家だけ。それ以外の部屋も随時入居者を募集しているそうだが、約三十年間一向に現れなかったらしい。


 そりゃそうだ。この家は事故物件なのだから。


「うぅぅぅぅぅ」という呻き声が夜中に聞こえたり、たまに明らかに変な音が鳴ったりする。それ自体は何もおかしなことはない。それが解決することはないのだからそこに視点を向けても意味のないことなのだ。


 問題は、大家がこの家の管理をまるでしていないことの方だ。


 入居者を募集しているくせして、俺と大家が住んでいる部屋以外は窓ガラスがついておらず、段ボールで補強されているだけ。それに部屋と部屋の間にある壁に穴が空いていて、家として機能していない。それなのにもかかわらず、大家は直す気が一切ないようだ。


 ついでに言うと、キッチンと部屋を隔てるガラス戸のガラスは全て割れてしまっていたため、入居日と同時に外した。そのため現在はワンルームにランクが下がったが値段はそのままだ。


 だが、気にしなければ何も問題はない。


「そうだ。問題は気にしなければ些細なことになる」


 家賃が破格であるし、色々都合が良いため大抵のことは我慢できる。


 するとアラームが鳴り、スマホを取り出して時間を見ると既に七時。もう出発しないと電車に乗り遅れて遅刻してしまう。入学したばかりなのに、遅刻してそれが癖になってしまってはいけない。


 スニーカーを履いて小さい声で、いってきます。呟いて玄関のドアを開けた。いつも「いってらっしゃい」と返ってこないことを心から願っている。


 凍え死にそうな気温の中を早歩きで駆け抜けると、十分もかからずに最寄り駅に着き、どう見ても定員オーバーしている満員電車に乗り込んだ。


 俺が通う私立京璃(きょうり)高校というのは、偏差値七十以上の名門高校だ。入学試験を好成績で通過すれば学費が免除になるということだったのでそこを選んだ。勉強が得意というのは何かと得だな。まあ、俺は免除の対象にならなかったけどね。


 だがそんなことよりもこの満員電車は本当に俺を悩ませる。


 狭くて、暑苦しい。世の大人たちはこの苦行を定年までやり遂げるというのか。腕を動かすことすら難しい姿勢のまま揺られること三十分、最寄り駅に着いた。


 降りてすぐに深呼吸。新鮮で冷たい空気を肺に入れるのがルーティーンになった。駅から歩いて数分の所に京璃高校はある。


 同じ制服を着た人たちがちらほらいるが、大抵が楽しそうに友人と登校している。ハッキリ言って羨ましい。目から血の涙が出てきそうだ。


 友達を作るには何から始めればいいのだ。気がついたら周囲は皆友達を作っていて、いつの間にか俺は孤立していた。


 おかしい。同じラインからスタートしたはずなのにもう差がついている。


 高校こそは‼と意気込んでいたのに、もう失敗してしまった。


「絶望……だな」


 この世界に希望があるのはほんの一部だけで、残りはまあまあな生活を送っていくのだ。それを俺は幸せだと錯覚していくのだろう。


 ────いや、まだ何も終わっていない。差がほんの少しあるだけ。


 俺は高校生活を満喫するって決めたのだ。始まったばかりで何をくよくよしているのだ俺よ。友達が出来ないくらいでこんなに落ち込むのは阿呆だ。



 なんて考えているうちに学校に着いてしまった。感情がジェットコースターのようになったせいで疲れを感じる。


星光(ほしひかり)』と書かれた下駄箱に靴を入れ、上履きを履く。


 教室に行くと、ある女子生徒の周りが賑やかになっていた。


「ねえねえ、朝比奈さん。朝比奈のお家ってどんな柔軟剤を使っているの?」


「髪の毛サラサラ~。ほんとに綺麗な髪の毛で羨ましいなぁ」


 女子からの人気が非常に高く、その容姿や美意識に興味津々だ。いつものようにそれを横目に俺は席に座った。確かに彼女の姿かたちは誰が見ても完璧と言うほど仕上がっている。同じ高校生とは思いたくはない。


 俺だけではなく、他の男子生徒も彼女のことをチラチラと見ている。あわよくばお近づきになりたいと思っている奴が大半って所だな。


 しかし、女子たちが男の手を汚らわしいとでも見なしているかのようなガードの高さのせいで、男子どもは会話すらさせて貰えていない。


「いえいえ。柔軟剤もシャンプーもドラックストアでも売っているものを使っておりますし、特別なことはしていませんよ」


 クスクスと口元を手で押さえながら、優しい顔で笑う。



 朝比奈宙(あさひなそら)。それが彼女の名前だ。



 父は日本人で母はアメリカ人のハーフと自己紹介の時に言っていた。


 誰もが振り返って二度見してしまうような、黄金色の長い髪の毛。レースカーテン越しに透けて見える空みたいな薄い水色の瞳。制服の上からでも分かるような日本人離れした起伏ある身体。


 さらに性格もまるで聖人のように良い。朝比奈は委員会を決める時、誰もやりたらなかった学級委員に自ら立候補した。周りは拍手喝采でクラス全員の心を完璧に射止めていた。


 女子たちが男を遠ざける理由も分かる。


 しかもこれで勉強もできるそうで、入学式の際に朝比奈が新入生代表の挨拶をしていた。入学試験で主席の人が担当するということだったが、何もかもを持っていてもはや怖い。


 誰に対しても敬語を使い、育ちの良さが周囲との一線を画していた。


 完全無欠という言葉を初めて使ったのはここだけの話だ。


 そんな彼女を見ることをやめて、窓側席の特権を使って外の景色を眺めることに徹する。あんなのをずっと見ていれば嫉妬で気が狂ってしまう。窓側の一番後ろという最高の当たり席なのだが、外の景色に飽きてしまったらもうお終いだ。


 だから最悪一人。可能ならば二人。上手くいって三人。友達が欲しい。


「お前ら席に着け」


 勢いよく教室のドアを開けそう言い放った教師に驚いた生徒たちは、一目散に自席に戻っていく。教壇に立った教師が朝比奈に目配せする。


「朝比奈、号令を頼む」


「はい。起立、気を付け、礼!」


「「「おはようございます!」」」


 可愛らしい声は皆を活気づけたようで、眠たそうだった奴らも元気よく挨拶をした。


「よし、まずは出席を確認する」


 眼鏡を掛けスーツをびしっと決めている女性の教師は、出席簿を片手に名前を呼び始める。


「朝比奈宙」


「はいっ」


 あんな子と友達になれたらいいなあと密かに思いつつ、名前が呼ばれるのを待った。


「星光」


「はい」


 俺の名前が呼ばれると、教卓前の席に座る朝比奈がチラッとこちらを向いたが直ぐに前を見た。



 刹那的だが、後ろから見ていたのがバレたような気がした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ