罪な人
あの晩の彼女は一際、輝いた笑顔を振りまいてきた。その月色の髪はまるで自分の居所を見つけて貰ったかのように靡かせ、俺は何かを貰った感覚になった。
恥ずかしがっているのかと思いきや、急に悠然とした態度をとって強く抱きしめてきた時も朝比奈はいつもと違い、話した過去のことを彼女なりに飲み込んでくれた。黙っていたことは、もちろん釈然としない所があるだろう。
何でも言い合える関係と思っていたはずの友達が、一番肝心なことを内緒にしていた。それも、自分が危険に陥ってしまう可能性のある事を。
こっちの世界ではたった一つの嘘ですら命取りだ。
母親から幾らかそのような教育を施されていれば、俺がやったことの重さは彼女にとって今まで積み上げてきた信用を一気に打ち崩すようなもの。ハッキリ言ってしまえば、あの女性を助けた時に殺されていてもおかしくなかった。
どんなことがあっても、か。
それの言葉で確信した。
きっと特別なものを向けられている。俺はまだ何も与えられる人間になっていないはずなのに、どうしてこうなったのだろうか。
一旦修羅場らしきものは乗り切ったが、また一難と言ったところか。
「お前ら着席しろ」
教師が教室にやってくれば朝のホームルームが始まる。まばらに散らばっていた生徒もその合図で自席に戻り、静かに次の命令を律儀に待つ。
「まず連絡事項だが、今朝この学校に警察からの連絡があった。星」
急に名指しされ、窓の外を眺めていた俺は強制的に現実に引き戻された。教壇に視線を移せば、全ての生徒が俺に対し不審な目を向けていた。
「昨日の夜、女性が襲われていた所に颯爽と現れて凶悪犯を倒し、すぐに消えていったそうだな」
颯爽と現れたって………まるでその人が襲われるのを待っていたみたいな言い方だなおい。
「………何のことでしょうか」
「とぼけても無駄だ。監視カメラの映像にはこの学校の制服を着ている男子が映っていた。それに、事件現場の近くに住んでいるのはお前だけしかいない」
「………はい、俺です」
そう言うと、教室がざわめき出して俺のことを見る表情が面白いほど変化してくる。朝比奈は迷惑そうな顔をしている俺を見て、吹き出しそうになっているがそれがバレないように下を向いて我慢していた。
「その件に関しては褒められることだが、夜遅くに高校生が外に出ているなんて感心しないな」
「………買い物に行っていただけです。その帰りに困っている人がいたので、まあ……はい。すみません」
監視カメラの映像がある以上、もう誤魔化そうとしても無駄だ。
俺としては朝比奈と一緒にいたことがバレたくないのだが、恐らくあちら側はそれすらも把握している。ここで暴露してこないかが不安だ。
教師のほうも面倒なことは避けたいだろうし、変に刺激しなければ問題ないはず。
「まあ、普通なら指導をするべきなのだが今回は星のおかげで助かった命があるのも事実だ」
教師はちらっと朝比奈を流し見すると、再び視線を戻す。やはり俺だけのせいにすることにしたみたいだ。その判断は実に正しい。
「この後職員室に来い。警察の方からお前に渡したいものがあるそうだ」
「……分かりました」
その後、ホームルームはつつがなく終わり俺は職員室に連行された。
俺の話題で持ち切りの騒がしい職員室には数名の警察官とマイクを持った女性が一名、テレビカメラを持った男性が一名いた。そして、校長先生と担任と俺。なるほど、これはもしかしてテレビで放送されるのか?
一人の警察官が近寄ってくる。
「君が星光くんだね?」
「ええ、そうです」
「あの女性を助けてくれてありがとう。怪我はしていないかい?」
「平気です」
「そうか。今回は平気だったけど、危ないから自分から助けに行こうとはせずにまずは警察に連絡をしてね」
「そうですね。出しゃばりました」
優しい口調でそう告げてくると、後ろから謎の紙を出してきた。それを逃すまいと、男性はカメラを俺に向けてきて撮影をし始めた。
分かってはいたがまごついてしまい、貰ったことのない感謝状と書かれた紙をどうやって受け取ればいいか分からず、片手で受け取ると「もう一回いいですか?」とカメラマンに謎のやり直しをさせられる始末。再度、その紙を受け取ると校長から「受け取る瞬間にカメラを見て」と本当に理解が出来ない演技指導を受ける。
さらにその後、記念撮影の時間になれば「もっと笑って~」「人がしちゃいけない目をしてるよ!」「表情筋が停学してる!」と、最後は遠回しにバカにしているであろう言葉が飛んでくる。俺はこの校長と今後仲良くすることはないだろう。
写真撮影が終わっても解放されることはなく、インタビューの時間が始まってしまった。それが終わるころには一限が終わっていた。
長かった質問攻めが終わり疲れてぐったりしていれば朝比奈が職員室にやってきた。ひょこっと顔だけを見せて部屋全体を眺め、知り合いがいないことを慎重に確認した後こちらに歩いてくる。
「大変だったみたいですね」
外用の朝比奈は、まるで他人事のように心配してくる。
「大変……そんなもんじゃない」
「い、一体何があったのですか?」
これを経験してしまったら、二度と人助けはやらないと断言したくなる。メディアもそっとしておいてくれればいいのに、わざわざ学校まで来るなんて……。
表情筋が停学してしまうのも仕方ない。
それに裏社会出身の人間が警察から感謝状貰っちゃっているなんて……。
「俺の名誉的なあれだ」
「あ~。可愛そうですね!」
「何笑ってんだよ」
クスクスっと伏し目で笑う朝比奈のことに関してだが、特に何も言われなかった。一緒に夜遊びしていたなんて事実が広がれば、余計面倒なことになっただろう。まあ、朝比奈は何を言われても変わることはないのは俺が一番知っている。
「先に戻ってくれ」
「別に友達だってバレてもいいじゃないですか」
「……今一緒に戻れば朝比奈も事件に関係していたかもしれないって噂が立つかもしれないだろ?」
「あぁ。確かにそうですね」
手のひらにグーをポンっと落とすと、くるりと回れ右をして職員室を出ていこうとした。しかし、出口で止まるともう一度回れ右をしてこちらに戻ってくる。その異様な光景に目を疑っていると、スマホを出してQRコードを見せてきた。
「LINE。交換しませんか?」
「………っえ?」
「私たちって家にお邪魔するほど仲が良いのに連絡先知らないんですよ」
「確かに」
言い方に語弊がありすぎるが、家に招き入れている相手の連絡先も知らないというのは現代では中々考えられないな。
「さあ、交換しましょう」
「いいよ」
急かされてスマホを取り出せば、そのコードを読み込んだ。「そら」と書かれた画面が表示されれば、友達の欄の数字が0から1に増えた。
どうやら俺は誰の連絡先も知らなかったみたいだ。チラッと彼女のスマホを盗み見すると、三十九人という数の友達がいて、俺はやるせない気持ちになった。
紛らわすために可愛らしい花のアイコンを見ていると、一件のメッセージが届く。それは背中から炎が出ている熊のスタンプだったのだが、これは何かの暗示なのだろうか。解読するには時間が掛かりそうだ。
「もう。何ですかこのアイコンは」
「何って?」
「未登録のままじゃないですか」
「悪いかよ」
「それに、名前もフルネームで書かれてる」
「無個性こそ、誰よりも目立つ個性だぞ」
「言えてますね」
口元をスマホで隠して微笑まれ、こちらもどうしてか少し嬉しくなった。
「光さっ。あ………星さんもスタンプを送ってください。私だけ送ったみたいで何だか寂しいです」
「わ、分かった」
言い間違いとデレのコンビネーションで、尻込みしてしまった。場所が場所なのでやはり呼び方も気にしなくてはいけないみたいだ。
なら、あえて言いにくいことを送ることにした。
「えっと、『俺以外の男と仲良くなったか?』ってどういうことですか?」
「そのまんまだ。俺とだけ仲良かったら不自然だろ?」
未だに俺以外の男子生徒とあまり話していないみたいだ。
こんな完璧な外見を有している美少女なら、いかがわしい考えを持った男が近付いてきそうだというクラスの女子たちの意見があるため、男が連絡先を聞こうとしたりすると彼女たちからブロックが入る。そのせいで、学校で俺と朝比奈が話していれば何かあるのだと思われるため厄介なのだ。
それを解決するには、朝比奈が他の男子生徒と仲良くして俺との関係に誰も違和感をもたないようにすることが必要だ。
「むぅ~。なんですかそれ」
だが、どうやらこの考えは合点がいかないみたいで真っ白な頬がお餅のように膨らんだ。
「そんなの嫌です。私が仲良くする相手は私自身が決めます。それともなんですか、私が他の男の子と仲良くしても良いのですか?」
彼女の言っていることは一言一句正しかった。俺に都合の良いように考えてしまったせいで、朝比奈の心を踏みにじってしまった。
「ごめん朝比奈。朝比奈の気持ちを考えられてなかった」
「いいですよもう……やっぱりだめです」
「え」
「罰ゲームを受けてもらいます」
「急だな……分かった。それで、何をすればいい?」
「今日の放課後一緒にどこかへ行きましょう。昨日の続き、青春しに行くんですよ」
「そんなことでいいのか?」
「思春期真っただ中、少女と青年が学校終わりに制服で逢瀬をし時間を抱く。もちろん、星さんならこれの意味が分かりますよね?」
「あ、ああ………」
悪いが全然分からない。放課後遊ぼう、とかでいいじゃないか。
不安定な感情を弄び、まるでポエマーのように何か意味ありげに表現しだす。
罰ゲームにしては楽な部類だが、何か裏があるのだろうか。たとえそうだとしても、友達と過ごす放課後というのは初めての試みであるため、変なことをされたとしてもきっと楽しいはずだ。
「じゃあ、先戻りますね。あ、男の子との連絡先交換したのは星さんが初めてですし、今後も他の人と交換する気はないのであしからずご容赦を~」
「はいよ」
「あ、あとこの話は内密に」
「頑張るよ」
小さく手を振って出ていくのを見ていれば、俺は足を組んで考え事をする。
「この話は内密に」の意味を考える。
一体どれのことだ。
連絡先を交換したことか?それとも、今日遊びに行くことか?
どちらともとれるし、どちらでも構わないのだが叶いそうにないものだ。こういってしまうのもあれだが、朝比奈はどうやらちょっと抜けているらしい。それか、自分の世界にどっぷり浸かっていたのかも。
俺は視線がする方に顔を向けた。そこには、先ほど俺に怒涛の質問攻めをしてきたアナウンサーとカメラマンがすぐ近くに来ていた。
今までの話を聞いていたのは彼らだけではない。この職員室にいた全員が、俺たちの会話を耳にしていた。
俺を生あたたかい目で見てくる教員たちは、こちらの気苦労を一ミリも理解していないのだろうな。朝比奈がいない今、俺だけ見世物にされている状況は非常に居づらくさせてくる。
けれども二人は俺を見逃すわけでもなく、再び地獄のような時間が始まった。
「京璃高校のヒーローは、どうやら罪な人なようですね」
カメラのレンズに反射する俺の顔は随分とさっぱりしている。
にしても上手いこと言うなぁと素直に感心してしまった。