偽物の色、本物の願い
焚き火の灯りが、静かに揺れていた。
たぬみちは湯呑を見つめたまま、ぽつりと口を開いた。
「……ほんまはな。最初はワイらも、色が消えてしもた理由なんて、知る由もなかったんや」
その声は、さっきまでの飄々とした調子とは違っていた。
柔らかくて、どこか奥に沈んだ響きがある。
「ある日突然、世界から色が抜けた。
花も、空も、子どもらの笑顔さえも……まるで墨で塗りつぶしたみたいやった。
みんな怖がったで。自分の色がなくなったら、自分が誰かも分からんなる、ってな」
焚き火の光が、たぬみちの目の奥を照らす。
その視線は、過去のどこかを見ていた。
「それでも、ワイは信じたんや。“色”っちゅうもんは、目に見えるもんだけやないってな。
せやから……変化の術を使ってでも、残したかった。せめて子どもらには“世界にはまだ色がある”って思わせたかったんや」
悠真は黙って、それを聞いていた。
「……でも、誰にもそれを伝えたことはない。
色が偽物やって分かったら、それすら壊れてまう気がしてな。
――せやから、ワイは今日まで、ここにとどまってる。たとえ偽物でも、守りたい“ほんまの色”があるさかい」
たぬみちは、焚き火の光に目を細めた。
悠真はその言葉を胸の奥で受け止めていた。
彼のいた世界でも、“本物”と“偽物”は、いつも曖昧だった。
占い師として働いていた時、当たるも八卦。当たらなくても「救われた」と言われることがあった。
自分の言葉が、誰かを支えているのかどうか、分からないまま。
「……クロ、りと」
そっと二人の名を呼ぶと、クロが隣に、りとは背後に立つ。
「何?」
「この世界に、本当の色を取り戻せたら……たぬみちさんも、笑えるのかな」
「たぬきに笑顔が似合うかはさておき、あの人、ずっとここに縛られてるように見えるね」
クロの声は淡々としていたが、どこか優しかった。
悠真は少し息を吸い、静かに決意を口にした。
「俺、やっぱり……行きたい。もっとこの世界を知りたい。
どうして色が消えたのか、どうすれば戻せるのか。――自分の目で、確かめたい」
それは、占いの結果でも、他人の意見でもない。
初めて、自分の中から湧き上がった“想い”だった。
――そして翌朝。
準備を整えた三人の前に、たぬみちが現れた。
肩に木の葉を一枚乗せて、どこか寂しそうに笑っていた。
「どないや? 森の外にも、まだ行く気はあるんか?」
「はい。俺、自分の目で確かめたいんです。この世界の“色”のこと」
「……せやかて、お前さんは、まだなんも分かってへんのになぁ。
ま、けど――それが若さってやつやな」
たぬみちはふっと笑い、懐から小さな木札を取り出す。
そこには不思議な紋様が刻まれていた。
「これ、持っていき。森を越える道で、きっと必要になるさかい。
ワイからの“応援”や。偽物の色でも、願いが詰まっとるんやで」
悠真はそれを両手で受け取った。
たぬきたちが見送る中、三人は再び森へと歩き出す。
その時――誰も気づかなかった。
悠真のマントの裾に、小さな何かがしがみついていることを。
もふっとした手足。震える丸い背中。
どれだけ息を潜めても、しっぽの先がときどき“ぽこっ”と出ていた。
けれど、クロもりとも、それに気づく様子はなかった。
ただ一人、たぬみちだけが静かに目を細めていた。
「……まったく、あかんたれが。
けどまあ、あいつなりに“色”を見に行くんやろな」
そうつぶやいて微笑んだその横顔には、少しの寂しさと、確かな願いが宿っていた。
足元で、木の葉がふわりと色づいて舞った。
――ほんの、かすかな“色”が、そこにあった。