白狐と黒猫
目を開けた瞬間、世界が墨絵のように滲んで見えた。
空は灰色、木々も灰色、風すら色を忘れたように沈黙している。
その中に、自分ひとりだけが浮かんでいるような感覚。
「……ここ、どこだ……?」
榊 悠真はゆっくりと身体を起こし、周囲を見渡す。
感触は生々しく、呼吸もできている。夢なら――これは、妙に現実的すぎた。
足元の草を指でなぞると、かすかに冷たい。
なのに、感情だけがどこかぼんやりとしていて、心が自分に追いついてこない。
「……来たんだね」
その声は、すぐ背後から落ちてきた。
ひやりとした音色。
やわらかくも、どこか諦めを含んだような、静かな声だった。
振り返ると、そこにいたのは――白い狐だった。
まるで白墨で描かれたような、透けるほど白い毛並み。
細い体つきに、伏せられた金の瞳。
その狐は、確かに“言葉”を話していた。
「君が……“彩術師”なんだね」
言葉の一つ一つが、森の沈黙に溶け込んでいく。
悠真は戸惑いを隠せず、狐から目を離せなかった。
――否、離せなかったのは、狐の“眼差し”だった。
空虚でありながら、どこかに寄り添うような、
まるでずっと待ち続けていた者だけが持つ、静かな優しさ。
「えっと……誰?」
「ぼくは“りと”。この森の精霊……みたいなもの」
そこに、もうひとつの声が割り込んだ。
「そして! 僕が“クロ”!」
「いや〜、やっと来てくれたね、彩術師くん。ずっとヒマだったんだよね、この森」
木の影から飛び出してきたのは、艶やかな黒猫。
その動きは軽やかで、声には妙なハリがあった。
「クロ……?」
「そう! 黒猫のクロ。名前が単純で悪かったな?」
「いや、別に……」
「あはは、でもびっくりしてるでしょ? 狐が喋るわ、猫が名乗るわ、世界はグレーだわ!」
黒猫のクロは、青年のように流暢に喋るが、やたらと表情がコロコロ変わる。
人懐っこいようで、何かを試しているような目。
その隣で、りとはまたひとつ深く息をつき、静かに語りかけた。
「この世界は“色”を失った。
だから……君を、呼んだんだよ。
――“彩術師”として」
その言葉に、悠真の胸が妙な熱を持ち始めた。
聞き慣れないはずの言葉なのに、どこか、深く馴染んでくる。
「……俺に、何ができるの?」
「色を描いてほしい。
君の中にある色で、この世界を――もう一度、塗りなおして」
りとの金の瞳が、ゆらりと揺れた。
それは祈りのようで、どこか、諦めに似た期待だった。
「そういうわけで、よろしく! 彩術師さん!」
クロがひょいと悠真の肩に飛び乗る。
そして、悠真の指先に、ほのかに“色”が滲んだ。
――それは、ほんの一瞬だけ咲いた、桃色の花のような光だった。