大切な貴方の為に
悠真は、まるで眠るように目を閉じていた。
でも、その顔はとても疲れていて――色彩に触れすぎた代償か、体温も少し低いように感じる。
「……おーい、悠真ぇ……」
そっと揺さぶるぽんたの手にも、力がない。
「起きてくれへん……どうしよう……」
ぽんたの目に大粒の涙が浮かび、みるみるうちにあふれた。
「泣くな、ぽんた」
クロが言いながらも、その尻尾の先は震えていた。
「でも、どうするのよ……この辺りには休ませてやれる場所も、村も……何もないんだよ」
「……」
りとは静かに悠真のそばに座り、その髪を一撫でしてから言った。
「水盆のまじないを使うか――それとも、召喚のまじないか……」
「呼ぶの?誰かを?」クロが訊いた。
「水盆で助けを求めれば、世界のどこかの誰かが気づいてくれるかもしれん。
けれど――誰が来るかはわからぬ。見ず知らずの者が現れる可能性もある」
ぽんたがクロの足元でくしゃっと泣きながら、
「じゃ、じゃあ……召喚は?誰かって、誰を呼べるん?」
りとは一瞬、目を伏せたあと、そっと呟いた。
「……“オモイデの人”だ。悠真の心の奥深くに強く残る者を、一時だけ呼ぶまじない。
でも、代償がある……」
「代償?」
「その人は……一度しか呼べない。二度と会えなくなるかもしれん」
森の静けさが、急に重たくなった。
クロもぽんたも黙り込む。りとは静かに悠真の額を撫でながら、そっと続けた。
「けれど、悠真がほんとうに必要としているなら……きっと、その人は来てくれる
水盆のまじないをしよう…きっとあの方が来てくれる」
その為には移動しなくては
悠真をそっと持ち上げておんぶするりと
「クロ匂いを辿って水を探してくれないか?」
りとが頼む
「はいはい!わかってるよ!」
クロが焦りを滲ませながら歩き出す
ぽんたは大粒の涙を零しながらあとをトテトテ着いてくる
やっとのことで見つけた小さな泉。
水盆のように静かに揺れる水面に、りとが手をかざし、ぽんたとクロがそっと見守る。
「…水よ、まじないに応えてくれ」
りとがそう呟いた瞬間、泉の表面に淡い光が走る。
やがて紫煙のようなものが立ちのぼり、水面に“誰か”の姿が浮かび上がった。
「……ちょっと、なんであたしがこんなトコに呼び出されてんのよ」
あの、懐かしい、少しダウナーでおかまっぽい、けれどどこか温かい声。
ぽんたが目を見開く。クロが呟く。「…誰?」
水面の中から現れたのは、紫の羽織をまとい、タバコをくゆらせる“師匠”だった。
姿はぼんやりしているのに、存在感だけが強烈にその場を支配する。
「……まったく。あの子、無理しすぎなんだから」
師匠が苦笑しながら、泉に指先を伸ばす。
その指先が水面に触れると、泉全体が淡く輝き、悠真の身体を包み込むように光が差し込んでいった――
「なんか…きつねに似てる…気がする…」
ぽんたがぽつりと呟く。涙で濡れた頬のまま、目をぱちくりさせて師匠を見つめていた。
クロもじっと師匠を見つめている。
その佇まいや声の響き、漂う紫煙。どこか、あの神社にいたきつねと重なる気配がある。
「全く困った子よねぇ? ごめんなさいねぇー」
水面から現れた師匠がため息まじりに笑う。
「突然来なくなったと思ったら、倒れてるって…あんたねぇ、心配ばかりかけないでほしいわよ、まったく」
ふわりと風が吹き、師匠の羽織が揺れる。
その笑みはどこか寂しげでもあり、嬉しそうでもあった。
「……でもまぁ、こうやって呼んでくれたってことは、まだ頼ってくれてるってことよね」
そう言いながら、師匠はそっと悠真の額に手をかざす。
「さ、起きなさい。あんたがいないと、この子たちも困っちゃうでしょ?」
指先から淡い光が差し込み、悠真の眉が微かに動いた。
夢の中。
紫煙が揺れるあの狭い部屋。
いつもの椅子に腰かけて、師匠が腕を組んでいる。
「ったくもう…この子たち、アンタがいない間ずっとアンタの話ばっかりしてたのよ?」
不満そうに言いながらも、その声はどこか安心したようで。
「迷い鳥居で拾った時からそうだったわ。アンタって、ほんとに手のかかる子」
早く起きなさい。
バイト代の分、しっかり働いてもらうからね?
ニヤニヤと笑いながら、師匠が指を鳴らす。
言いたいことが山ほどあるのに、口が動かない。
「ありがとう」も、「会えてよかった」も、全部飲み込まれてしまう。
ただただ、師匠の姿を目で追う。
胸の奥が苦しい。懐かしい匂いに包まれて、涙が滲む。
そんな悠真の心を見透かすように、師匠が静かに微笑む。
「言葉にしなくてもわかってるわよ。あたし、そういうの得意なんだから」
そしてそっと、額に触れる。
「ほら、そろそろ行きなさい。待ってる子たちがいるんでしょ?」
優しい手のひらに押されるように、意識がふっと浮き上がる——
りとの声はいつもより静かで、どこか祈るようだった。
「……師匠は、“もう会えないかもしれない”って言ってた。
水盆のまじないは強すぎる力を使うから、呼び出す代わりにその存在がこの世界から遠ざかることもある、って……」
ぽんたが息を呑む音がする。
クロは何も言わずに、ただ目を伏せたままだ。
「でもね、ちゃんと伝言をくれたんだ」
りとは、どこか懐かしむように微笑んだ。
「“あんた、やっと色が似合うようになったじゃない。次は誰かにその色を分けてあげなさい。ま、アンタならできるでしょ”」
その言葉を聞いた瞬間、悠真の胸が熱くなる。
あの夢の中で、伝えられなかった「ありがとう」がようやく届いた気がした。
頷くことしかできなかった。
涙がぽろぽろと落ちても、誰も何も言わなかった。
ただ、ぽんたがそっと悠真の手を握る。
クロがゆっくりと顔を上げて「おかえり」と小さく呟いた。
そしてりとは言う。
「師匠がいなくても、今度は俺たちが一緒に歩ける。だから行こう、悠真」
物語が、またひとつ、動き出した。




