表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/43

迷いの者

 音はだんだんと近づいてくる。

 ザザッ、ジジジ……まるで世界の裏側で何かが擦れ合うような、耳にざらつく気味の悪い音。

 空気がどんよりと重く、色のない風が森を撫でる。


 クロは低く唸り声を上げながら、悠真の前に立ちはだかる。

 「なにか来る……こいつ、ただの森の生き物じゃないよ」

 その目は闇の奥を捉えようと鋭く光っていた。


 ぽんたは怯えたように耳を伏せながらも、小さな木製のコマを取り出し、そっと地面に置く。

 コマはぽんたの手を離れた瞬間、小さく震えながらゆっくりと回り始めた。

 風もないのに回るその姿は、まるで魔除けのようだった。


 「……ぽんた、それ……」

 「おばあちゃんにもらってん……こういう時、使えって……」


 悠真がふと視線を向けると、りとの姿がすでに変わっていた。

 人間のようなシルエットに、白銀の髪と揺れる尻尾。

 静かに目を細めながら、ゆらりと前へ出る。

 その背中には、どこか神聖さと畏れが同居していた。


 「りと……お前、人の形になれるのか……?」

 「“色”を扱うには、この形の方が都合が良い。あやつも、ただの迷いではない……」


 そして、空間が割れた。

 森の奥の闇がめくれ、その向こうから、もやのような黒い影が浮かび上がる。

 まるで樹の精霊のなれの果てのようなその存在は、まとわりつくような紫煙とともに、じわりと近づいてくる。

 その歩みと共に、周囲の色がゆっくりと抜け落ちていくのだった。

 「――あれは、“色を喰らう者”」


 ぽつりと、りとが呟いた。


 その声に、ぽんたもクロも動きを止めた。

 “色を喰らう者”――名前だけで寒気がする。

 それは森の者たちが伝え聞く、おとぎ話のような存在。

 心の色が濁った時、現れてはその者の「記憶の色」を奪っていくという。


 「けど……なんで今……?」

 ぽんたの声がかすれる。


 「この子らの“色”が強すぎたのかもしれん……あれは濃い色を好む」

 りとの声も、どこか張り詰めていた。


 悠真は筆を握る手が止まらない。

 震え、汗ばみ、息が詰まる。

 だが、心の奥底で、なにかが灯っていた。

 ――色を、奪わせたくない。


 「俺……描けるかな……」

 震える声で呟く悠真に、ぽんたが飛びついた。


 「描いて!悠真!あんたの色は、あたしらを笑顔にしてくれたやんか!」

 「そうだよ、あの時も、どら焼きだって……」クロがそっと言葉を添える。

 「お前の“赤”は……あたたかかった。今のままでも、十分戦える」りとが静かに頷いた。


 迷いの者が手を伸ばしてくる。

 その手はどこか、寂しげで哀しみに満ちていた。


 悠真は筆を構える。

 ――これは、色を塗るための筆。

 けれど今は、守るための筆でもある。


 そして、空を裂くように、一筆。

 赤が、蒼が、金が、紫が――

 悠真の想いが、記憶が、祈りが、空間に描かれる。

 色は形となって、迷いの者に向かって弾け飛んだ。

迷いの者は、あり得ないというように口を開けている。

 「抵抗」――その概念すらなかったかのような反応だった。


 「悠真!ヤツの核を狙うんだ!」

 りとの声が鋭く空気を切る。

 その指先が示すのは、迷いの者の胸元――色が歪んでゆらめく一点。


 クロが風のように駆ける。

 「さっきの花の色、返してもらうよっ!」

 その言葉と同時に迷いの者の腹部へ一閃。鋭い蹴りがめり込み、巨体がわずかに傾いた。


 その隙を逃さず、ぽんたが小さなコマを高く放つ。

 「いっけぇー!!」

 小さな光を帯びたコマは、回転しながらまるで意思を持つかのように迷いの者の肩をかすめる。

 ふらつく巨体。


 「今や!悠真ぁぁっ!!」ぽんたの叫びが森に響いた。


 悠真は筆を強く握りしめる。

 空気が、揺れる。

 描くのは、強い想い。

 自分の中にある「怒り」と「哀しみ」、そして――「守りたい」気持ち。


 「色よ――俺に応えろ!」


 筆先が閃光のように走る。

 真紅の線が迷いの者の胸元へ一直線に伸び、光となって突き刺さった。


 ――ドン。


 音が遅れて響いた。

 核が砕けるような音。

 迷いの者の体がぼやけ始める。

 そして、風に散るように、ひとひら、ひとひらと溶けていった。


 灰色だった空間に、赤が、青が、金が――じんわりと戻ってくる。

 咲き誇っていたはずの花々が、再びその色を取り戻し始めた。

 「出来た……ちゃんと出来て良かった……」


 力が抜けたように膝から崩れ落ちる悠真。

 その身体をそっと支えたのは、クロだった。


 「お疲れ様、悠真。」

 小さな声。けれどその声は、迷いと不安でいっぱいだった悠真の心に、じんわりとしみていく。


 クロの毛並みは柔らかく、あたたかかった。

 怖かった、と思う暇もなかったのに、今になって涙が出そうになる。

 あたたかい。ここにいていいのかもしれないと思える。


 ふと、悠真はりとを見上げた。


 「色が強すぎた、って……言ってたけど……」


 りとは頷いた。

 その姿は人型のまま、けれどどこか神秘的な気配をまとっていた。


 「うむ。わしら――この世界の“色持ち”たちは、存在そのものが“想い”の塊なのじゃ。

  楽しい、嬉しい、美味しい、愛しい……そうした想いが“色”になる。」


 りとの声は淡々としているのに、どこか優しい。


 「だがの。色が強すぎれば、それを持たぬ者には“眩しすぎる”のだ。

  迷いの者のように、何も見えず、何も感じず、ただ暗闇の中にいる者にはな。

  色は、時に――痛いのだ。」


 悠真は、胸の奥がぎゅっと締めつけられる気がした。


 「何にも出来ない明日が怖い。

  未来なんていらない。絶望しかない――それが“色を喰う者”の正体じゃ。」


 「……でも、」とぽんたが小さく呟く。


 「でもな? どら焼きは、美味しかったで?

  あれだけでも、生きててええなって思えるんや。ほんのちょっとでも色があるなら――それで、ええやんか。」


 ぽんたの目が、いつになく真剣だった。


 「……それでいい、か。」

 悠真はそっと呟いて、クロの毛並みに顔をうずめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ