【プロローグ:色のない森と白い狐】
その森には、色がなかった。
草も、空も、風すらも、すべてが淡い墨色に沈んでいる。
鮮やかさというものが、最初から存在しなかったかのように。
ただ、ひとつだけ――白い狐の姿だけが、そこに確かにあった。
狐の名は、りと。
白銀の毛並みは、闇に溶けるどころか、その存在を際立たせる。
彼はじっと森を見つめ、風の音に耳を澄ませていた。
「……また、色が消えていくんだね」
誰に語るでもなく、静かにそう呟いた。
この世界は、もう長く“色”を失っていた。
かつてはすべてのものが鮮やかで、命は踊り、風は笑っていた。
だが今、この森に笑いはなく、音も、香りも、温度すら曖昧だった。
世界の線が、塗りつぶされるように消えていく。
それを止めることができるのは、“外の世界”から来る者だけ。
――“彩術師”。
色の力を持ち、この森に彩りをもたらす者。
それは、祈りと導きによってのみ、この地へと招かれる。
「そろそろだと思ったんだ……この気配……」
りとは、瞳を細める。
森の奥、空間がざわめく。空気がねじれ、闇の奥に光の点が浮かび上がる。
やがて、ぽっかりと“穴”が開いた。
そこから――誰かが、落ちてくる音がした。
「……来たね。今度こそ、本物だといいけど」
白狐は静かに立ち上がる。
その瞳に、かすかな期待と、ほんの少しの寂しさを宿して。