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1.転移

前回の続きです。

「ただいまぁ…」


 バイトから帰った私は、至って普通の表情で家に入った。

 さっきまで人肉を食べることを妄想していたなんて少しも感じさせないように。

 母がどたどたと足音を立てて出迎える。くわっと眼をむき出して、きゅぅっと黒目が小さくなった気持ち悪い顔で、怒っている。


「アカ!今何時だと思ってるの!?毎回毎回!いつも言ってるのに門限過ぎてるじゃない!」


 鈴木家の門限は夜10時だ。今は10時5分。5分遅刻だ。


「あーもーうるさいな」

「うるさいなじゃないでしょ!なんで毎回言ってるのに守れないの!?」


 5分くらいいいじゃないか。まあでも母が心配しているのも分かる。

 母のキンキン声と目つきがあまりにも気持ち悪くて嫌になる。私は母の顔を見ることは諦めて、お腹の辺りを見ていた。


「ごめんなさい。次からは気をつけるから。」

「そう言って何回遅刻するの!?出かける前にお母さんが早く帰ってきなさいって言い忘れたから帰ってこなかったの!?」

「いや別にそういうわけじゃないよ」


 あー。めんどくさいな。私が悪いのはわかるけどさっさと切り上げてくれないかな。

 母のお腹の辺りを見ながら、ここにナイフを突き刺してグリッと手首を捻ったらどんな感触だろうと思う。


「ごめんなさい。ほんとに次からは気をつける。ごめんなさい。」

「そう言って何回も何回も!!バカにしてるの!?」


 はぁ…いい加減にしてくれないかな。ほんとに次からは気をつけるって。

 暫く母の説教は続いたが、なんとか区切りがついたのを見計らって私は2階の自室へ逃げた。


「アカ!風呂入りなさい!!」


 あーやっと逃げられたと思ったのにな。母のキンキン声が飛んでくる。とはいえもう就寝時刻の夜11時まで時間が無い。

 私はパジャマを持って階段を降りると、服を脱いでお風呂に入った。


「ふぅ…」


 やっぱりお風呂はいい。1人になれる。誰にも邪魔されない。


 私は、ふと1人でどこかへふらっといなくなってしまいたくなるときがある。どこか知らない遠くへ。……ただの現実逃避かもしれない。

 今日はいつもならバイトが終わってノンストップで自転車を走らせて帰るところを、途中で止まったり速度を落としたりしながら帰ってきた。


 だから遅くなってしまったのだ。

 なんとなくすぐに家に帰りたくはなかった。

 1人きりの夜をふらふらしていたかった。


「あー。どっか行きたいな……」


 湯船に浸かったまま、己の手の甲を見る。

 柔らかそうだった。


 かぷっ。


 少し歯型が付く程度に噛んでみる。

 柔らかい。でも手に生えたムダ毛が舌触りを悪くしている。

 もし人の肉を食べる時がきたら、ちゃんと皮を剥ぐか毛を剃るかしないと美味しくないかもしれない。


 リビングから母と妹の話す声が聞こえてくる。また私のことを愚痴っているようだった。うるさい。


 私は5人家族だ。私と、妹と弟。それに父と母。

 父は単身赴任で家にはいないけど、週末にはたまに帰ってくる。


 まあ、家族のことはどうでもいいや。小さい頃からどこか心の中で冷めている部分があった私は、素直に甘えたり抱きついたりすることも兄弟に比べると多くなく、家族とは縁が薄かった。


 今私は19歳。来年お酒が飲めるようになったらこんな窮屈な家庭でのストレスもお酒で忘れられるのだろうか。


 まだ母と妹が話をしている声が聞こえてくる。

 うるさい。耳がザワザワするような不快感だ。


 また私は己の手の甲を噛みながら、ブクブクブク、と湯船に顔まで沈めた。


 ブクブクブク。


 これで外の音は何も聞こえない。

 完全に1人だった。

 心地よい。


 私は小さい頃水泳を習っていたこともあってか、割と長く息を止めていられる。水泳の先生と息止めの時間を競ったら勝ってしまったくらいだ。

 そのおかげでこの時間を長く楽しめる。それはとても嬉しいことだ。習い事に行かせてくれた母には感謝せねば。


「ああ、どっかふらっと居なくなりたいな」


 ザバッと湯船から顔を出して息継ぎし、そんなことを呟く。


 ブクブクブク。


 また湯船に顔を沈めた私は、サッと血の気が引くのを感じた。


 湯船の底が消えていく。


 湯船の底が凄いスピードでボロボロと崩れていく。


 その先に見えるのは墨汁で塗りつぶしたような真っ暗な闇。そこに湯船の欠片が吸い込まれていく。欠片はどこまでも落ちていきそうだった。


 すぐに強い水の渦が発生して、抵抗しようと湯船の端を掴んだ私も、呆気なくそこに吸い込まれてしまう。


 明らかな異常事態に焦った表情をしつつも、

 もうちょっと鍛えておけばよかったかなと、どこか冷静に事を静観している自分がいた。


 中学からずっと文化部だったし、運動は嫌いなので鍛えるのはやだなー。


 そんなどうでもいいことを思いながら、私の意識は暗転した。

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