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やり直し、開幕

 蝉の喧騒が煩わしくなってきた夏。

 俺はダラダラと汗を流しながら、満員になった電車の奥へと追いやられていた。

 職場までは三駅ほどなので、今までは歩いて通勤していたのだが、30代も後半になると、今までできていた事が不思議な事にできなくなってしまった。

 できなくなったというのは語弊があるが、息切れがしやすくなった、疲れるなど……要は体力が落ちたということ。

 歩くことが面倒になったから電車に乗っているのだが、この時間帯は非常に混んでいる。別の意味で体力を使ってしまう。

「次は四ノ宮駅、お降りの際は足元にご注意ください。またお荷物、お忘れなきようお願い致します」

 車内アナウンスが天井のスピーカーから流れる。

 後二駅。それを乗り越える事ができれば、この狭苦しく且つ汗臭い空間から脱出することが叶う。

 鞄を肩掛けから、抱きかかえる様に持ち直していると、電車が先刻アナウンスしていた駅に停留した。プシューという音と共に、自分が立っている方向とは逆の扉が勢いよく開け放たれる。

 案の定そこから大量の人が、激しく流れる川の如く、今にも破裂しそうな満員の車内に押しかけてくる。

 左右から揉みくちゃにされ、気がつけば車内の隅の方まで流されていた。最悪な事に、周りを肥満体型の人間でガッチリと固められている。

 何これ? 罰ゲーム?

 汗臭さと熱気で、目眩がしてくる。

 1秒でも早くこの場から出たい。その文言だけが脳内を埋め尽くす。

 ポケットに入れているハンカチで鼻の部分を覆うように抑え、臭いを緩和させようと努力するが、布の隙間から何故かニンニクの臭いが入ってくる。

 前方付近から臭ってきている。恐らく今しがた乗車してきた誰かが、朝っぱらからニンニクの入った料理を食したのだろう。

 朝からニンニク入ってる料理なんか食べてんじゃねぇよ。殺す気か?

 イライラしながら、強くハンカチを抑える。

 そうこうしていると、天井のスピーカーからガチャッと音が聞こえ、聞き慣れた声が耳に入ってくる。

「次は三賀大鳳(みつがおおとり)駅、大山江(おおやまえ)に向かわれるお客様はお乗り換え下さい。またお忘れ物、無きようお願い致します」

 長いようで短かった。再び車内に、次の停留先をアナウンスする声が流れる。

 ここを乗り越えれば、後一駅。頑張れ俺。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


 数分もしないうちに、アナウンスのあった駅に停留した。幸いな事に、周りを固められていた肥満体型の人間が此処の駅で降りて行った。

 心なしか、ニンニクの臭いもなくなった気がする。

 ため息をつきながら、内心で助かったと思っていると、入れ替わるように車内に【あるもの】が入ってくる。

「目の不自由な旦那様が乗られます。申し訳御座いませんが、道を空けて頂き、席をお譲り下さい」

 乗車してきたのは、杖をついたヨボヨボの爺さんと、それを介護するように道を先導するロボットだった。

 見慣れた光景ではあるけど、最近増えたよな。

 満員だった電車内部は、現在の駅で殆どの人が降りてしまったらしく、周りを見渡すとチラホラとロボットの姿が確認できる。

 2032年になってから、加速的にロボット開発が進み、今では外でロボットを見ない日はないくらいに発展した。

 かくいう俺は二足歩行を主としている、ロボット開発の仕事に就いているわけだが。

 電車の扉が閉まり、再び動き出す。

 そんな他愛ないことを考えていると、視界に制服を着込んだ、数人の男女が楽しげに談笑している姿が映る。


「今日の一限目ってなんだっけ?」

「数学」

「マジか! 俺、課題のプリントやってねぇわ。すまんが写せてくれ!」

「あんたさ〜、毎度毎度同じことしてんじゃないわよ!」

「この埋め合わせは、今度飯を奢るから、だからお願いします!」


 そんな会話が前方で繰り広げられ、それとは別に、吊り革でカップルと思しき生徒がイチャイチャとしている。

 先ほどの駅で乗ってきたのだろう。確か、母校が近くにあったっけ。殆ど行ってなかったけど。

 楽しげにしている姿や、仲睦まじくイチャイチャしているのを見ていると眩しすぎて目が潰れそうだ。

 そんな光景を見て、思わず嘆息してしまう。

 学生はいいよな。青春している姿を見ると、羨ましくなってくる。

 あの頃、しっかり学校行って青春したかったな。主に恋愛を。

 この歳になってから【あの頃に戻ってやり直したい】その言葉が脳裏を過ることが多くなってきた。

 実際、高校はそこそこ頭の良いところに合格したが、高校生活三年間の殆どを引き籠り、自宅で親父の仕事の手伝いだったり、ロボットの研究に時間を費やしていた。

 まあ、引き篭もりの原因は親父なのだが。

 学校に通うよりも、面白そうなことを俺に教えてくる。結果的に好奇心旺盛な俺はそれに吊られて、一緒になって作業に没頭する。

 気づいた頃には二十代になってて、流石に驚いた。好きなものに没頭していると、時間って早く経過するように感じるんだな。

 世間一般では、青春なんて誰もが経験した事のある人生最大のビッグイベント。

 俺はそのイベントに参加した事が一度もない。

 ということで、青春の二文字がない人生を今まで送ってきた。

 あの時にちゃんと学校に通っていたらな〜とか、彼女を作って青春を謳歌したかったなとか、今更思っている訳だ。

 現在、独身。高校の時に恋愛なんかしていたら何かが変わっていたのだろうか?

 実につまらない高校生活――というかこの場合は、引き籠り生活の方が正しいか。

 そういった人生を送っていたので、眼前で繰り広げられる輝かしい光景と、その時の自分を突き合わせると溜息しか出ない。

 あの時分の俺を叱責出来るのであれば、そうしたいくらいだ。

 ちゃんと学校行って青春しろ! とか、今しか出来ないことがあるから、その時間を無駄にしてんじゃねぇよとか言ってやりたい。

 まあ、こんな事を思ってても、どうにもならないのが現実。俺はその事実を受け入れなければいけない。

 何も意味をなさない事を考えつつ、腕時計に目を移すと、後数分で目的地である駅に停留するのが分かった。

 さて、職場に着いたら、指示書やら諸々の書いてきた書類を提出しないと。

 仕事をしていると、忙しくて恋愛なんてしている暇なんてない。

 余裕のある人間はいいよな。主に学生とかな!


「――ん?」


 ガタンガタンと走っていた電車の音が、急に聞こえなくなった気がする。辺りをしきりに見渡すが、何か様子が可笑しい。

 あれ? 駅に着いたのか?

 それにしては、停留するアナウンスなど流れておらず。

 また、電車の扉が開いているという訳でもない。

 それと、眼前に広がる風景に違和感を覚える。

 色がない。

 俺は三度、目を擦ってみたが、その見える景色は変わることはなかった。


「あのぉ〜……すみませ~ん」


 前方で談笑を繰り広げていた学生に声をかけるが、石のように固まったまま、声に反応してくれない。

 車内にいる、他の乗客も同じような状態になっているのが確認できる。

 夢でも見ているのか? 否、そんなはずはない。朝起きて、身支度を済ませてから電車に乗ったのはハッキリと覚えている。

 その時は、こんな不気味な出来事は一切なかった。

 鞄を抱きかかえたまま、俺は隣の車両へ移動する。

 扉を引いて入るが、そこに広がる光景も同じようなもの。

 遂に頭が可笑しくなったかと思ったところで、前方にフワフワとモヤのようなものが、宙に浮かんでいるのが目に入る。


「まぁ、ビビるのも無理ないって感じだよな!」


 モヤから低めの声が聞こえ、俺は思わずその場に尻もちをついてしまう。


「流石に驚かせすぎたな」


 そのモヤが光り輝くと、中からタキシード姿で顎鬚を生やした、壮年の小人が挨拶をする素振りで登場した。


「どうも~俺の名前は、ドルドっていう。まぁあれだ、悩める人間の願いを叶えるために現れた悪魔だ」


 いきなりの状況に理解が追い付かない。どうなっている? なんだあの小さいおっさんは。

 周りの風景は未だ変わらず、色が無い灰色の世界に、色のついたドルドというおっさんがニコリと微笑む。


「ちょっと待って、どうなっているんだ? この状況は何? 何なのこの色のない空間は?」

「おっと、そうだった。俺としたことが挨拶だけじゃ、相手に伝わらんよな」


 ゴホンとわざとらしい咳払いをする。


「順番に説明すると、この今の状況は、俺の力で時を止めている。何故そうするのかは、俺の姿を見られたくないのと、会話を聞かれなくするため」


 軽快に喋りだすが、内容が殆ど頭に入ってこない。現実離れした光景を目の当たりにして、平然といれる奴なんて何処にもいない。


「信じられないという顔をしているみたいだけど、これは現実に起こっていることだからな。試しに頬っぺた抓ってみるか?」


 そう言いながら、おっさんが俺の頬っぺたを在らぬ方向へ捩じる。


「いってぇよ! 何すんだよ!」

「そんなに怒らないでね? でも、これで分かったと思うが」


 ドルドとかいうおっさんの言う通り、これは現実に今、起こっていることなのだと実感する。


「はぁ~……で、何で俺の前に現れたんだよ? さっき悪魔って言ってたけど、俺死ぬの?」

「悪魔は悪魔だけど、そんなに酷いことをする悪魔じゃねぇ。さっきも言ったけど、悩める人間の願いを叶えに来た」

「悪魔が悩める人間の願いを叶えるなんて可笑しな話だな。というか、悩んでいたりすることなんて無い気がする」

「お前さん、願ったよな? あの頃に戻ってやり直したい……ってな」

「あ――」


 そう言われたら、そうかもしれない。四六時中そのような事を考えていた。てか、さっきも考えてたわ。


「簡潔に、そして簡単に説明すると、俺がその願いを叶えてやる。やり直しを」


 宙で仁王立ちをして、ドヤ顔を披露するドルドが鼻息を荒くする。決まったと言わんばかりの面持ち。

 でもその台詞に、俺は驚きと共に、何かワクワクするようなものが心の中にあった。


「悪魔が天使のようなことをするんだな。もしも、もしもやり直すことができるのであれば、俺は――」

「まぁ待て、まだ説明は終わってねぇ。このやり直し、俺がお前さんを過去に飛ばすわけだが、これにはいくつかの条件がある。一応悪魔だからな」


 言葉を遮られ、ドルドはニヤリと口角を吊り上げて、三本の指を立たせた。


「条件?」


 悪魔が条件を出すというのだから、それはかなりヤバいものなのだろう。俺は高鳴る鼓動を拳で抑えつつ、ドルドの言葉を待った。


「条件は三つ。一つ目、過去で女と付き合うことができなかったらゲームオーバー。俺はお前さんの魂を頂く。ゲームオーバーにならないには、恋愛をして彼女を作り、そして――キスをするところまでできればお前さんは死なない」

「マジかよ……」


 予想の斜め上を突いてくる条件。悪魔だから魂取られるんだろうなと予測はしていたが、そうならないための方法がキスをするところまでって、ハードルが高すぎる。

 まぁ、イージーモードでやり直しはさせてくれんよな。難易度が高いのは仕方ないことなのかもしれない。


「二つ目。簡単にできない為に、色々とトラブルを設けている。どんなものなのかはお楽しみ」


 ただでさえ、一つ目の条件で阿鼻叫喚しているというのに、更にトラブルを設けるって鬼なのかな? いや、悪魔か。


「そして最後の三つ目」


 その言葉を発した後、ドルドが不気味な笑みを零す。何かとてつもなく嫌な予感がする。


「やり直しをスタートするのは、2012年の春。つまり――高校三年から卒業するまでの一年間で、事を成さなければいけない!」

「ちょっと待ってくれ。一年間で? そんなの無茶すぎるだろ」


 有意義に三年間の時間があるのであればまだしも、一年間でというのは難易度がハードを通り越してベリーハードだ。なんだったらウルトラかもしれない。


「そう言うのだったら、辞退するか? まぁ話を聞いてしまった以上、ここで止めるのであれば、お前さんの魂は問答無用で頂くが」


 話を聞いた時点で、俺に選択肢など一つも存在しなかった。まんまとドルドの策略に嵌められたということだ。


「……わかった。その条件を承諾した上で、俺はそのやり直しを受ける」


 半ば強引に契約書にハンコを押させられた気分だ。八方塞がりを打開するにはこうするより他ない。


「そう言ってくれると思っていたぞ」


 ニッコリと微笑む姿を見ていると、モヤモヤとした気分になってくる。


「で、これからどうするんだ?」


 溜息交じりに尋ねると、よくぞ聞いてくれたといったような、大袈裟な動作をした後、片手を上げた。


「今から30秒後に、お前さんを過去に転移させる」

「え……早くない? まだ心の準備というものがだな――」

「善は急げと言うだろ? 俺はすぐに行動に移す」


 先程、やり直しします! と表明したばかり。間髪入れない行動に、俺は驚きを隠せないでいた。


「もっと前準備とかあるんじゃないの? 儀式の魔法陣を描かなきゃいけないとかさ」

「そんなもんは無い! さぁ転移を開始するぞ!」


 即答かよ。駄目だコイツ、マイペース過ぎる。


「あぁ、因みにやり直しスタートしたら、俺は不測の事態以外は一切応答しないからよろしくね」

「え――? 分からない事とかあったらどうするんだよ!」

「そこに関してはマニュアルあるから読んどいてくれ」


 ポイッと何処からか知らないが、A4サイズの紙を数枚投げてきた。

 コイツ、詳しい説明とかの諸々を放棄しやがったな。

 悪魔か! てか、悪魔なんだよな!


「ではでは、頑張ってやり直しを満喫してくれ。生きたお前さんに会えることを楽しみにしていたり、していなかったり」

「どっちだよ!?」


 その叫びが車内に響き渡ったところで、俺は光に包まれた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



暑苦しい……

 目が覚めると、視界には見慣れた天井の姿があった。

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