加害者のいないイジメの被害者にされた話 ~何故そうなった~
まず始めに、「イジメ」というテーマな点から、不快な思いをされる恐れがあります。
不安のある方は自己判断でお願いします。
便宜上「イジメ」と表現していますが、個人的にはイジメは犯罪だと思っています。
実話ですが、身バレ防止の為にささやかなフェイクを入れる事をご了承下さい。
若かりし頃の作者の生活態度があまり宜しくなかった事を知られるのを承知で綴りました。
私は子供の頃、やられたら倍返しする気の強い性格だった。
そんな私が学年を巻き込んだイジメ問題の被害者にされた事がある。
中学生の頃の話だ。
当時父はサラリーマンで、仕事柄少しばかり怖い職種の人物と関わる事が多かった。
大手企業の闇部分を受け持っていたらしく、客に部下もろとも車で拉致される事もあったらしい。
そして仕事とは別件で裁判を掛け持ちしていた。
今にして思えばその頃の父のストレスは相当のものだっただろう。
父は暴力こそ無かったものの毎日怒鳴りちらし、母は呆け始めた祖母の介護でてんてこ舞い。
手が回らず家の中はゴミ屋敷。
夜中まで怒声、暴言が飛び交うかなりギスギスした環境だった。
多感な年頃だった私は自宅内で怯えて過ごす子供になってしまった。
ストレスで急激に太り、今より背が低かったにも関わらず体重は今より十キロ近く重かった。
中学一年の冬、とうとう私のストレスは限界突破し、何故か集団行動がとれなくなってしまった。
当然、中学校は制服通学である。
その時点で苦痛。
授業が始まれば全員席について黒板に向かう。
その時点で吐き気。
朝礼で全校生徒が整列する。
二回失神。
しかし私の性格はかなり雑だった。
すぐに「嫌なら行かなきゃ良いや」と開き直る。
そして父も雑だった。
「赤点取らなきゃ良い。平均をキープ出来るなら好きにしろ」
こうして無駄に堂々とした登校拒否児童が爆誕した。
しかし学校側は納得しない。
毎朝電話で呼び出されては不登校の理由を聞かれ、たまに職員室に登校すると不登校の理由を聞かれる。
私はその度に「皆と同じ行動が出来なくて辛いから行かない」と答えていた。
教師陣はそれをイジメが原因だと断定し、その度に私は違うと否定した。
家の環境が悪いからストレスでこうなったといくら説明しても納得されない。
「家が嫌なら学校に来る筈だ」
「誰にも言わないから本当の理由を教えてくれ」
「大丈夫、先生は味方だ」
大袈裟でも何でもなく、卒業するまで本当に毎日言われ続けた。
情報漏洩を恐れる父からは強く口止めされていた為、家庭の詳細を教師に伝える訳にもいかない。
私のストレスは更に加速し、ついに爆発してしまった。
中学二年の時、確かに私のクラスではイジメがあった。
私はあまり知らなかったのだが、被害者のAさんは当時の言葉で言う所の少し知恵遅れな子だった。
Aさんの名誉の為に詳しくは書かないが、完全に犯罪な内容のイジメが普通に行われていたらしい。(当時の友人談)
それを職員室で暴露してしまった。
チクりだと目をつけられるのは少し怖かったが、ありもしないイジメの犯人探しをされるより、本当に困っている子を助けてやって欲しいと思ったのだ。
それは私なりに勇気を出した発言……のハズだった。
Aさんの話をした瞬間、静まり返る職員室。
そして何故か担任と副担任、一年の頃の担任、学年主任は機嫌を損ねたようで、より一層厳しく追及されてしまう事となる。
「今はお前の話をしてるんだ!」
「Aさんは関係ないだろう」
「それともAさんをイジメてる奴が犯人か!?」
「それともお前の友達が、実はイジメてるのか」
「本当は誰に何をされたんだ。それとも何か言われたのか!? 無視でもされたのか?」
(以降、無限ループ)
何 故 そ う な っ た 。
そもそも私は別の意味で浮いており、イジメられる気配すら無かった。
にも関わらず、教師陣は私がイジメのせいで学校に来られない生徒だと決めつけていた。
その中学はその辺一帯では一番真面目な学校で、多少元気な生徒はいたが、不良は全然いなかった。
当時の私は集団に合わせられない反動を拗らせており、校内で唯一髪を染め、短いスカートでルーズソックスを履き、朝から他校の不登校生とつるんでゲームセンターに行く……とやりたい放題であった。
しかも「全く同じ行動を取らなくて済む」という理由から、林間学校や体育祭、文化祭、修学旅行などのお祭り行事は全力参戦する……
要は協調性のない馬鹿だった為、他の生徒からは不良では? と引かれていたのだ。
サボり魔だと陰口位なら叩かれていたかもしれないが、私が話しかけるとクラスメイトは必ず返してくれていたし、無視もハブも無い。
特定のグループに属して居なかった為、割りと色んな子達と仲良くしていた。
休日は普通に遊んでいたし、少なくとも私はイジメられたと感じた事は一度もなかった。
そんなある日、事件は起きた。
久しぶりに職員室に登校した際、今で言う所の「お嬢様タイプの愛され系女子」に絡まれたのだ。
内容はうろ覚えだが、要約すると「噂によると授業も出ないでサボってる暇人らしいじゃん? 帰りに私の鞄持ってよぉ」という物だった。
可愛い子だったが普通にお断りである。
すると彼女は何を思ったか突然「彩葉さんが怒ったぁ~」と大勢の男子の前で泣き出したのだ。
彼女の誤算は周囲の男子が「いや断るのは当然だろ」と誰も味方しなかった事である。
後で知った話だが、彼女は教師陣の対応から、私がイジメられて少しグレただけの気弱なデブだと思ったらしい。
たぶんパシリにでも使おうと思ったのだろう。
ここで私も彼女も想定外の事が起こる。
なんと泣く彼女を見た他の生徒が教師を呼んでしまったのだ。
職員室が近かったのも災いした。
適当にやり過ごそうにも、周りの正義感に溢れる男子達の証言で、私が絡まれた事がバレてしまった。
一斉にイジメの犯人として目を付けられる彼女。(名前不明)
私が「いやマジでさっき初めて話した人だし」と言っても教師陣は聞く耳を持たず、彼女にドギツい説教をする。
流石に気の毒だったので本当にイジメられてないと念を押すと「報復を恐れているのか」「勇気を出して立ち向かうのよ」などと悪化した。
彼女の容疑は何とか晴れたが、教師陣の変なやる気スイッチが押されてしまったらしい。
私が他校の友人と遊んでいる間に、学年集会が開かれた。(幼馴染み談)
内容はイジメは良くないという物だったが、それはイジメに耐えて通学しているAさんに関してではなく、明らかに私に対しての物だったそうだ。
「イジメのせいで学校に来られない人の気持ちを考えましょう」
「誰が学校に来られないようにしているのか、コッソリで良いから教えるように」
「誰とは言わないが、皆が安心して登校出来る学校にしましょう」
と、このように、何故か教師陣は気味が悪い程に私の味方をしていた。
当然、Aさんをイジメてる生徒は我関せずである。
私を知る生徒は全員、私をイジメる奴が居ないのは知っていたと思う。
むしろ何故Aさんに触れないのか多くの者が内心で不思議がっていたそうだ。(友人談)
Aさんのイジメは全く解決しようとする気配はない。
教師陣はどう見てもふてぶてしい態度の私を嫌に庇おうとする。
その大人達の不自然さが本当に不気味だった。
と、ここまであれこれ書いたが、結局私自身もAさんに対しては何もしていない。
とんだ卑怯者である。
その後中学を卒業し、出席日数が圧倒的に足りなかった私は県内ワーストクラスの高校に進学した。
中学の担任が最後に言った「高校ではイジメなんかに負けるなよ。本当のお前は弱くなんかないんだ。もっと強くなれ!」等々の言葉は今思い出すだけでもイラッとする。
真に強いのは不登校にならなかったAさんだと最後っ屁のつもりで嫌味を返すと、担任は「何故そこでAさん?」と半笑いで首を傾げていた。
たぶん、しらばっくれていたんだと思う。
入学した高校は九々すら怪しい子がゴロゴロ居る学校で、援交やオヤジ狩り等が流行っていた。
恐ろしい時代である。
結局その高校は倫理観が合わず一年足らずで転校してしまった。
しかし悪いことばかりではない。
丁度その頃、家庭内環境が大きく改善した。
私のストレスは急に消え、良くも悪くもすっかり元気になる。
ダイエットもしていないのに体重が十キロ落ち、背も伸びた。
新たな高校は人数が少なく、私服でかなりユルい学校だった。
イジメも犯罪も一切ない。
先生は全員優しく、話をしっかりと聞いてくれる。
いつの間にか私は集団行動が出来るようになっていた。
必死で勉強し地元の大学に進学出来たのはその高校の先生達のお陰である。これが恩師というものか。
そこから更に時は流れ、中学の同窓会の話になる。
成人式の後、私は深く考えずに同窓会に参加した。
招待されていた教師の中には二、三年時の担任達が居り「皆大きくなったなぁ、ちゃんと覚えてるぞ!」などと言い合っていた。
彼等は私の所にもやって来たが、私が誰だか分からなかったらしい。
大分痩せたのだから無理もない話である。
「誰だっけ?」と申し訳なさそうな元担任に名乗ると、彼等はそれはもう本当に驚いた様子だった。
あまりに酷く驚くので、ちょっと失礼すぎると周りが引いていた程だ。
彼等は「うわぁ変わったなぁ」だの「苦労したんだなぁ」だのと好き勝手言っていた。
精神的に一番苦労したのは中学生の時だった為、この時点でかなりイラついた。
そんな時、同じ大学だったらしい同級生が余計な事を喋ってしまった。
「彩葉さん、うちの大学の〇〇会(高校で言う所の生徒会のような物)に入ってるんですよ」
「学部のパンフレットのモデル(複数人居る)もやってるんですよ」
それを聞いた元担任達は大袈裟に感動してみせた。
「あのイジメられっ子が、過去を乗り越え、相手を見返す為に頑張ってここまで成長したんだね」という事を声高らかに言われ、一瞬、周りが静かになった。
私が「あ゛?」と怒ったのを察した友人達が「いやいや、今だから言うけど、本当にイジメなんてなかったですよ」とフォローを入れてくれたが、元担任達には届かなかった。
それ所か「イジメはなぁ、やった側は忘れても、やられた方は覚えているんだぞ!」などと友人に絡み出す始末。
言ってる事は間違ってないだろうが、腹は立つ。
恥ずかしい話だが、当時かなりイキがっていた私は酒が入っていた事もあり、かなりキレてしまった。
場を白けさせてしまった事は申し訳なかったと、今でも心底反省している。
それでも彼等は「忘れたい過去があっても、それは無かった事にはならない」だの「どんなに辛くても、過去を受け入れないと、本当の強さは手に入らない」だのと熱く語っていた。
何を言っても通じない人間がいるのだとこの時改めて実感した。
その日の帰り際、全く見覚えのない教師から声をかけられた。
気まずそうに私に頭を下げる彼は、他のクラスの担任だったらしい。
彼は私がイジメにあってない事を理解していたと言う。
しかしそれを言うと「問題を揉み消そうとする酷い教師」と思われる為に言えなかったと謝られた。
その人曰く「本当にイジメられて苦しんでる人間が、あんなに率先して学校行事に参加する筈がない」との事。
ちなみに彼はAさんのイジメも把握していたが、他の教師がタブー扱いしていた為何も出来なかったという。
Aさんの事を相当悔いている様子だった。
かなり複雑ではあったが、私の言い分を信じてくれていた教師が居た事に関してはとても嬉しかった。
もう良いや、嫌な事(主に元担任達)は忘れよう──
もう二度と関わる事は無いだろう──
そう思っていた。
大学卒業後、社会人となった私の自宅に一本の電話がかかる。
相手は中二の時の担任だった。
どうやら電話番号を誰かに聞いたらしい。
「何の用すか」と既に喧嘩腰の私に、元担任は泣きながら謝罪し始める。
流石に驚いていると、相手は「お前の苦しみに気付いてやれなかった事を今でも後悔してる」だの「辛かったな」などと一方的に捲し立ててきた。
話によるとその元担任は、最近になってイジメ被害者の会のような物に所属したという。
そこで登校拒否児童の心に寄り添う何たらかんたらを学んでいるとの事だった。
要は、守れなかった私に対する罪悪感が今もある、イジメを無くせなかった自分をどうか許して欲しいという電話であった。
ウザさと怒りはあったが、ここまで来ると狂気じみた恐ろしさを感じてしまう。
私は丁寧に「本当にイジメはなく、家庭内環境が悪くて鬱状態だった。嫌な事をされた事はないし、同級生を加害者のように言わないで欲しい」と順を追って長々と説明した。
多分一時間位話したと思う。
すると電話の向こうからすすり泣く声が再開される。
元担任は悲し気に「記憶をねじ曲げる程、嫌な思いをしたのか……」と呟くではないか。
なんという事だ。
あまりの話の通じなさに恐怖し、私は「もう気にしてないし、今幸せだから二度と電話しないで下さい」とだけ言って受話器を置いた。
一度だけ謝罪の手紙が届いたが、内容は言わずもがなである。
何度か引っ越しをしていたのでどうやって住所を知ったのかは不明だが、返事は書かなかった。
それ以降の約十年、何の音沙汰もない。
以上が私の「加害者の居ないイジメの被害者にされた話」の全容である。
何故彼等があそこまで頑なに私や両親、友人や周りの生徒達の話を信じなかったのかは分からない。
そうまでして私をイジメの被害者にする意味も分からない。
何故Aさんがタブー扱いされていたのかも謎のままだ。
分からない事だらけだが、これだけははっきり言いたい。
子供の話はちゃんと聞いて欲しい、という事だ。
何を言っても信じて貰えないというのはかなり子供の心を抉るのだ。
さて、無理やりだがまとめに入る。
傍観者側に居た私が言っても説得力は無いと思うが、出来る事ならイジメなどこの世から無くなれば良いと思っている。
これは今も昔も変わらない本心だ。
教室でポツンとしていたAさんの寂しそうな姿は忘れられない。
それに、私も一歩間違えば第二のAさんになっていたかもしれないのだ。
イジメ問題は誰にでも関係のある、身近な問題だという事を忘れてはならない。
せめて本当にイジメ問題で苦しんでいる子供が、少しでも救われる環境が広がる事を心から願う。
自分の黒歴史暴露。
何か問題あるようでしたらお手柔らかにご指摘お願いします……
追記。
タイトルちょっと弄り本文一部修正ました。