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具詩と水蓮は再び蓬莱通りを歩き出した。
「そうだな。やはり付喪神は物を大事に使ってこそ生まれる存在。このコーヒーミルを使ってみるのがいいだろな」
「おぉー」具詩は感嘆の息を漏らす。「じゃあさ、コーヒー豆買って、やってみようか」
「それがいい」
具詩と水蓮は蓬莱通りの入り口に一番近いところにあった、チェーン店のコーヒーショップに足を踏み入れた。そこで、一番高い豆を購入した。もちろん、コーヒー豆を挽きましょうか、というバリスタの申し出を断って、素の豆の状態のままにしてもらった。
具詩と水蓮はそそくさとこれ以降の寄り道もせず、菊美の店に帰った。
「おかえりなさい。えぇ、何か買ってきたんですか?」
菊美が具詩の抱えているものを見ると問いかけた。
「はい。これが付喪神の宿ったコーヒーミルで、こっちはコーヒー豆です」
「そうね。確かにそこに付喪神様が居る感じがするわ」
「菊美さんには分かるんですね」
「そのうち、具詩さんにも分かるようになりますよ、えぇ」菊美はニコニコと笑う。「それじゃ、コーヒーでお茶にするようね」
「あっ、はい。コーヒーミルって一回分でどのくらいのコーヒーが作れるんだろう……」
具詩は包みを剥がしながら首を傾げた。なんせ、コーヒーの豆を自分で砕いたことも、ドリップして淹れたこともない。付喪神六人と大人が二人、その分量のコーヒーを確保するためには、どれほどのコーヒー豆を砕けばいいのか、皆目見当もつかない。
「まずは使うことが目的なのだから、あまり深く考えなくてよいのではないか」
「そうだね」
具詩は店の奥に下がり、そこに置いてあるテーブルの上にコーヒーミルを置いた。そして買ってきたコーヒー豆を手の平をくぼませたスペースにさらさらと落とした。
コーヒーミルの上の部分を外す。
すると、ぱらぱらと、前の人が使った名残だろうか。そこに付着していたらしい、古く、しけたコーヒーの粉がぱらぱらと落ちた。
具詩は豆をミルの中に流し入れた。再び上部分を嵌め直し、具詩はミルの一番上に付いているハンドルをぐるぐると回した。
「結構固いんだなあ」
回転させていると、コーヒー豆がすれていく音が聞こえる。ハンドルの部分は割と力を込めないと回しづらく、これを何回も繰り返したら相当腕が疲れるのではないかと思った。しばらくすると、ハンドルに手ごたえが全くなくなった。
「終わったようだな」
水蓮の言葉に頷き、具詩はミルの下部分、引き出しになっているところを引いた。そこには粗っぽく粉砕されたコーヒーの粉が出来上がっていた。
「それで、これをまたフィルターの上に入れて、その上からお湯、か」
一杯のコーヒーを淹れるのも大変なことなんだな、と具詩は生きていて初めて知った。
「お湯を沸かしてきましょうか、えぇ」
「お願いします」
のんびりと菊美と具詩が話していると、突然水蓮が険しい顔つきになって言った。
「まずい! 付喪神が逃げていくぞ!」
「えっ」
目を見開いてキョロキョロと周りを見る。ふと視界の端に、足のほうがぼんやりと透けている、ウェイトレス風の黒い服を着た男性の姿が見えた。あれが、このコーヒーミルの付喪神なのだろうか、と思っていると、けらけらとあざけるような笑い声が店内に反響した。
「これ、コーヒーミルの付喪神が笑ってるの?」
「そうだ。おっと、蓬莱通りのほうに行くつもりらしいぞ」
水蓮は状況を理解したのか、落ち着き払った様子でドアの方向を指差した。
「蓬莱通りに……って、そっちに行ったら何が起こるの?」
「言っただろう。付喪神によっては、幻惑、つまり不思議な世界を見せる者もいる、と」
「蓬莱通りがパニックになる!」
「そうかもしれんな」
具詩は水蓮を連れてバタバタと店の外に飛び出して行った。
「あら、まぁあ」
呑気な菊美の声が聞こえた後に、
「おいっ、大丈夫か! 俺も助太刀するぜ!」
「僕も行きます!」
ツゲとシャムの声が聞こえ、
「着いて、行く」
ロボットのような口調で話す、双六の声が耳に入った。
「みんな、付喪神世界から出て平気なのか!?」
具詩はギョッとしながら後ろを振り返った。あの付喪神世界を、維持しているはずの付喪神たちが外に出てしまっては、崩壊するのではないかと不安だった。
「だから急げ! 早く戻らないと、付喪神世界が壊れちまうからなっ」
ツゲが走りながら叫んだ。
「わ、分かった。急いで追いかけよう」
具詩と水蓮を先頭に、付喪神たちが蓬莱通りをだだっと駆けていった。もちろん、通行人には見えるはずもなく、ただ具詩が一人で走っているだけにしか見えない。
水蓮の姿が、多くの通行人の体を透過して進んでいく。
「あっち、もっと向こう。入口の方だな」
水蓮が顔色一つ変えないままで、蓬莱通りの入り口の方を指示した。さっき行ったばかりの古道具店と、チェーンのコーヒーショップがあるところだ。
――もしかして、元の古道具店に帰りたいのかな?
コーヒーミルの付喪神に、そんな疑問を抱きながら具詩は走り続けた。
「待て、様子がおかしい」
水蓮が具詩の前に腕を差し出して、これ以上進もうとするのを制止した。
「おかしい、って?」
「この店は、確かこんな見た目では無かったような気がするのだが」
水蓮が違和感を持ったのは、右に見えている和菓子屋のことだった。具詩は和菓子屋の見た目など、全く覚えているはずはなかった。それにもかかわらず、和菓子屋の中が徹底的におかしくなってしまっていることはすぐに分かった。
「何か、店の中が明らかにスカスカになってる……よね?」
具詩は同意を求めようと振り向いた。水蓮のほかに、ツゲとシャムの姿を確認できたが、双六の姿がない。あれ、と思っていると、かなり離れた場所から双六がせっせと苦しそうに走ってくるのが見える。
「双六、大丈夫?」
「頭、重い。走るのは、しんどい」
それを言うならお留守番の方が良かったんじゃ、という言葉が喉の奥にまでこみあげてくるが、具詩はそれをぐっと飲みこんだ。
「そうだな、ガラスのショーケースが無くなっているな」
話を本題に引き戻すように、水蓮が和菓子屋の中でおかしくなっている点を指摘した。
「そう。それもコーヒーミルの付喪神のせいなのかな……」
「分からん。とりあえず、見にいくとしよう」
水蓮を先頭にして、具詩たちは和菓子屋の中に入っていった。ガラスのショーケースはすっかりなくなっていて、代わりにその場所には麻のような素材の布が敷かれていた。
その布は、地面に直に置いてあった。布の上に、和菓子屋の店員らしき人物が食べ物を並べていた。いくら布越しとはいえ、地面に食べ物を並べるなんて、店としてまずい。
具詩は正面の目を疑うような光景にあっけにとられた。
「何が起きているのか、さっぱりだぜ……」
具詩の心境を代弁するかのようにツゲが呟いた。
「あの、どうして地面に置いているんですか?」
具詩はこちらに背を向けて黙々と食べ物を並べ続けている店員に、こわごわと訊いた。
すると店員は顔を上げて、
「こうしたら、見やすくて喜ばれるかと思いまして」
と悪びれる様子もなく、ごく自然に言った。
「見やすいかもしれませんけど、地面って問題になりませんか?」
「うーん、木の台なんかがあると良いんですけどね」
「き、木の台? そんな物を使わなくても、ここにガラスのケースがあったと思うんですけど……」
「ガラス?」
店員は眉根を寄せて訊き返す。そんな単語は初めて聞いた、というような表情だ。
一体この和菓子屋はどうなっているのだろう。あったはずのガラスケースが消え、何故か店員は木の台を欲しがっている。
「具詩、これ見ろ!」
ツゲが麻のような布をバシッと手で叩いて、大きな声で言った。
「これ、和菓子じゃない……」
具詩は急いでさっとしゃがみこみ、その布の上に規則正しく並べられている物を見つめた。それは、具詩の想像していた和菓子とは全くもって違うものだった。和菓子と言えば、表面が艶々した栗鹿の子、黒糖饅頭、カラフルな練り切り、よもぎ団子、甘納豆なんてものが想像されるが、そこに並んでいたのはもっとシンプルなものだった。
「木の実?」
具詩はその一つを拾い上げた。確かに、具詩の指の間に挟み込まれたそれは、とても硬く、揺らしてみるとカラカラと中から音がする。くるみと似た種類の木の実のように感じられた。和菓子屋に木の実がむき出しのまま販売されているところは、具詩は今まで見たことが無い。
「あっ、お手を触れませんよう」
店員が焦った表情で具詩に言った。
「すいません!」具詩は急いで謝ると訊いた。「あの、どうして木の実をここで売っているんですか……?」
「お菓子として売ってるんですよ」
「お菓子? 和菓子屋の?」
「はい!」迷うこともなく店員は答えた。具詩は怪訝そうな表情で木の実を置いた。
すると、甘い香りが具詩の鼻腔をかすめた。
「なんか、ちょっと甘い香りがする」
「具詩さん、こっちです!」
シャムが具詩に、甘い匂いのする方向を示した。どうやら店の奥の、暖簾が垂れさがった先から漂ってきているらしい。
「なんだろう」
具詩と付喪神たちはぞろぞろと店の奥の方へと向かっていった。のれんをまくって見てみると、囲炉裏のような物を二人の店員が囲うように座っていた。