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「本当に見えてないの?」
具詩は心配そうに横を歩く水蓮に訊いた。
具詩と水蓮は今、連れ立って蓬莱通りの入り口側にある、別の古道具店に足を運んでいた。その理由は、数日前に約束をした、付喪神世界を終わらせないために、新たな付喪神を連れてくるためだった。別の古道具店で、強い力を持つ付喪神の宿った古道具を見繕い、それを菊美の店に持ち帰るつもりなのだ。
水蓮は具詩に、付喪神の宿った古道具は、普通のそれとは違うからすぐに分かるようになる、と言っていたが、具詩はまだ半信半疑だった。
この蓬莱通りを水蓮と並んで歩いているが、もちろん具詩には隣の水蓮の姿がありありと見えている。ところが、水蓮が言うところによれば、自分の姿は具詩と菊美以外の人間には見えないようにしているというのだ。
「見えていない。現に、すれ違った誰も俺に注目していないではないか」
「それはそうだけど……」
具詩は歩みを止めぬまま周りをキョロキョロと見渡す。
水蓮は四種類の植物柄の着物に、不思議な髪色のポニーテールという風貌だ。これが人目を引かぬ方がおかしい。すれ違う人の誰も、こちらに目を奪われていないところを考えると、確かに水蓮の姿は他人の目には映り込まないようになっているらしい。
「そんなことより、力の強い付喪神に会うかもしれないのだ。心の準備でもしておいた方がいいのではないか」
水蓮はニッと笑って具詩に言った。
「心の準備……そんなのが必要なの?」
「ふぅむ、力の強い付喪神は人を幻惑することもある」
「げ、幻惑?」
「不思議な世界を見せたりすることだ」
「そんなのはもう、見たけどね……」
不思議な世界、その単語を聞いて具詩はあの六畳一間の付喪神世界を思い出していた。あれよりへんてこな世界は、そうないんじゃないかと思う。
具詩は蓬莱通りを左右に視線を動かしてみた。
古都の通り、といっても蓬莱通りは人通りの多い、繁華街のような場所だ。歴史ある菓子屋や呉服屋、骨董屋、和小物やなどもたくさん軒を連ねてはいるが、その間に現代的な店だってちゃんとあるのだ。
不動産屋もあるし、運動靴屋もあるし、フライパン屋なんてものもある。
この通りからもう少し離れた場所には、具詩が無人ライブをしたライブハウスも、ギターショップもある。必ずしも、古都に存在している通り道が時代に順応していないなんてことはありえない。雰囲気だって、和洋折衷。和菓子屋と洋菓子屋が、オセロの白黒のようにランダムな模様で配置されている部分もある。
「凄い人が並んでる」
具詩は一軒のカフェに目を止めた。レンガ風の外壁から、丸くくりぬかれた窓がいくつもあけられていて、そこから緑と赤紫の植物が絡み合うように見えている。その窓の下で開け放たれた両開きのドアは、くすんだ赤色で、次から次へと若い女性客を吸い込んでいく。ドアの向こうに少しだけ見えた店内の景色は、外装の印象と同じになるように統一されていた。
ラベンダー色のベロア素材のソファが向かい合わせのように並んでいる。そのソファは猫脚のデザインでゆったりと床に設置してある。大勢の女性が店の中で、きゃあきゃあ笑っているところを見てみると、そこには三段のチョコレートファウンテンが置いてあった。
「こんなところをレトロカフェ、とでも言うのだろうな」
水蓮が店の中を覗き込むようにして言った。
「いい匂いがするね」
具詩はスン、と鼻を鳴らした。店の中から漂う、焙煎された挽きたてのコーヒー豆の香りが、とてもいい香りだった。その匂いに包まれると、なんだか体がほわりと温かくなる気配がする。
「具詩、浸っている場合ではない。急いで新たな付喪神を探すと言ったではないか」
「ごめん、ごめん」
具詩は女性客の立ち並ぶ店の前を足早に通り過ぎた。
具詩は自分が借りている部屋からライブハウスまでは何回か行ったことがあったのだが、観光客に混じってこの蓬莱通りを眺め歩いたことは今までなかった。ここに来て、蓬莱通りを色々見て歩くのが新鮮に感じられて、目的をうっかり忘れてしまいそうになる。
カフェを通り過ぎると、メガネ屋、化粧品店、和菓子屋店があった。その先に見えて来た曲がり角を一つ曲がった先に、別の古道具店はあった。
菊美の古道具店の雰囲気とは少し異なり、細い針金で作られた看板から分かるように、繊細で洗練された店を意識しているようだ。
「こんにちは」
「邪魔するぞ」
具詩と水蓮は、木製の扉を開いて言った。からんからん、と木製のドアの上部に取り付けられたベルが軽やかに鳴った。
「いらっしゃいませ」
店員は水色のエプロンを下げ、愛想の良い笑みを湛えて挨拶を返した。
具詩は水蓮と店員を交互に見た。
「どうも」
「? どうも」
具詩がまた挨拶をすると、店員は不思議そうな表情を浮かべた。
具詩には、この店員が水蓮の姿を見ることが出来るのかどうかが気にかかった。
「見えていないだろう。この店員は、まだ古道具たちと心を通わせてはいないようだ」
水蓮が言った。
「心を通わせる?」
「そうだ。古道具だって、付喪神だって、誰にでも心を開くわけではない」
「でも、それってさ」具詩は自分を指差して訊く。「水蓮達は俺に心を許したって意味? だって最初から姿見えてたと思うんだけど」
「付喪神世界は自分の家みたいなものなんだから、姿を見せたままでいるのは当然だろう」
「それもそうか」
「お、お客様」
店員が目を開いてあからさまに動揺している。
「あっ」
具詩はハッとした。
店員には水蓮の姿も声も分からないのだから、今の会話は全て具詩の独り言に聞こえていた筈だ。
――は、恥ずかしすぎる……。
そもそも、菊美の店から出た時から、ずっと具詩は独り言状態だったのだ。蓬莱通りを闊歩している間中、まわりの通行人にはハンズフリーで誰かと電話しているとでも思われていたのだろうか。何故か全然、注目を浴びていなかった。
変な客だと思われただろうな、と赤面しながら具詩は古道具を並べられた棚の前に立った。恥ずかしさを打ち消すように、熱心に商品を見つめた。
いろんな商品の並んだ棚を眺めていくと、気になるものがあった。
「コーヒーミル?」
具詩は身を屈めて、棚の中央に飾ってあった商品に手を伸ばした。コーヒーミル、という文字の記された小さな札が垂れ下げられていた。具詩にはコーヒーミルの意味がよく分からなかった。ただ、さっき通りがかったカフェから漂ってきた匂いと、全く同じ匂いがこのコーヒーミルから漂ってきたので、そこに心惹かれたのだった。
「そうです。壊れてないので、実際にコーヒー豆を挽くことも出来るんですよ」
具詩の横に立って、店員が説明をした。
「なるほど。コーヒーの豆を潰す機械か」
具詩はこくこくと頷いた。
「19世紀に作られて、使われていたものです。色に味わいがあって良いと思いませんか」
店員は説明を続けた。具詩はコーヒーミルをしげしげ見つめた。色はモスグリーンで、その塗装もところどころ剥がれていたりする。
確かにそんなところに味がある。自分でもコーヒー豆を買ってくれさえすれば、あのカフェと同じように香り高いコーヒーを淹れることが出来るのだろうか、と思った。
「具詩、よく分かっているではないか」
水蓮が腕を組んで、神妙な面持ちで言った。
「何が?」
具詩は今度こそ店員に怪しまれないように小さな声で訊き返した。
「そのコーヒーミルには、強力な付喪神が宿っている」
「ほっ、本当に!」
具詩は思わず驚愕の声を上げた。
もちろん具詩は、付喪神の気配を感じ取って、このコーヒーミルを手にしたわけではない。偶然、気になって手を伸ばしただけだ。
「こんなに早く見つけられるなんて!」
具詩がキラキラと目を輝かせて言った。
すると、店員がビクッとした後に、怪訝そうな表情へと変わる。
「す、すいません」
具詩は顔を真っ赤にしてぺこりと頭を下げた。
「具詩、それを買って帰るぞ」
水蓮の言葉に具詩は無言で頷いた。
「あの、これ下さい」
具詩はしゃきっと背筋を伸ばして、モスグリーンの深い色合いのコーヒーミルを指差した。
「はい、かしこまりました」
店員は営業スマイルでそのコーヒーミルを包んでくれる。
レジの前に立って、具詩は支払いを済ませた。包んでもらったコーヒーミルを抱え込むようにして持ち、具詩は水蓮と店の外に出た。
「ありがとうございました、またお越しくださいませ」
「ありがとうございます。……これ、本当に付喪神がいるの?」
具詩は水蓮に小声で訊いた。
「あぁ。まだ姿を見せる気はないらしいが、きっと付喪神世界に招き入れれば来てくれるはずだ」
「そっか、どうしたら姿を見せてくれるんだろ」