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「でも」具詩は食い下がる。「気合でどうにかって問題じゃないですよ。だって古道具の目利きとか、そういう知識がないと務まりませんよね」
「大丈夫」水蓮がニッと笑う。「強い力を持つ付喪神が宿った道具は、明らかに他の道具とは違うのだ。具詩にだって、すぐに見分けがつくようになる」
「そんな、え、本当なんですか?」
具詩はまだ信じられなかった。今まで人生の内で一回も古道具に興味を示したことのない自分が、そんな大それたことが出来るのだろうか。
「それに、具詩には大きな武器がある。それだ」
水蓮が具詩の抱えているギターを指差した。
「ジャズマスターが……」
「そう。卵さんの宿ったギター。付喪神なら誰でも好きなはず。それを餌にしてどんどん強力な付喪神をこの世界へと引き入れようではないか」
「水蓮さんは、売れる気全く無いんですね?」
そう、彼らの説明によると、付喪神として自分が宿っている古道具が売れる時は、いやおうなしにこの世界から離脱しなければいけないらしいのだ。この六畳一間よりかは、古道具を買う余裕を持ち合わせた家の方が、なんだか幸せそうな気がしないでもない。
「この俺もいつかは売れてしまうだろう。その時に、俺の代わりにこの付喪神世界を支えてくれる存在が必要になる」
「この付喪神世界は、絶対になくてはいけないものですか?」
具詩は核心を付くような質問をした。多少この世界を拡張できたところで、六人の男子が満足できるほどの広さにするのは、かなり時間がかかりそうだ。
6LDKと言わずとも、神様なのだから3LDK程度は無いと失礼な気がする。
「そうだ、絶対だ」水蓮が鋭い眼光を向ける。「この世界は、この六人だけのものではない」
「えっ?」
まさか、他にもいたのだろうか。てっきり六人で一つの部屋に収まっているのかと思っていた。
「さ、こちらをご覧になってください」
バジルが押し入れの戸を一気に引いた。
「あっ」
思わず声が出てしまい、具詩は口を塞ぐ。
押し入れの中には、布団が全くなく、ほとんどのスペースが不思議な姿形をした存在で満たされていた。
何が一番驚いかって、水蓮たちが雑魚寝していたスペースよりも、遥かにゆったりとした広いスペースが押し入れの中に広がっていたことだ。
そうは言っても、悠々と生活出来るゆとりこそないのだが。
ギターを置いて立ち上がり、具詩はそこをまじまじと見つめた。
「押し入れの中にいるのも付喪神なんだけどよ、みんなこの空間を維持するだけの力が無くなっちまったんだ」
ツゲが俯きがちに言った。
まるで子供を気に掛けるかのように、具詩はツゲの顔を覗き込むようにして言った。
「そっか、力が無くなっちゃんだね」
「あぁ、押し入れの中のやつらは、もう付喪神として宿っていたはずの物が消失しちまってんだよ。壊れたとか、燃やされたとか、他にも呪われて元に戻れなくなったとか。理由は色々ある」
「……」
具詩は絶句した。
せっかく人に大事に使ってもらって、百年もの時を経て生まれ出た付喪神なのに、今は住む場所にさえ困窮している。
「物が消失した付喪神は、もうこの付喪神世界にしか居場所がないのだ。俺もいずれは……」
水蓮が先程とは打って変わって寂しげな表情になった。
具詩は決意した。
――俺がこの付喪神世界を終わらせない!
「俺、やります。付喪神が宿った古道具を集めてくればいいんですよね。でも、俺定職にも就いてないし、貯金もないし、何年かかるか分からないけど……」
具詩が将来についてこう話していると、
「待て、そのことについて、我々から提案がある」
水蓮が遮った。
「はい?」
「具詩、お前この古道具屋・菊夜堂で働けばいい」
「え、ええっ。でもそれは、あのコロッケ屋の女性にも話を聞かないといけないんじゃないですかね」
「それはそうだ」水蓮が具詩の肩に手を回した。「早速相談しに行くことにするか」
「いってらっしゃいませ、期待してますよ」
バジルがひらりと手を振った。
「この世界って出入り自由なんですか、水蓮さん」
「当然だ、行くぞ」
水蓮が肩を押すので、具詩はされるがままに前に進んで行く。
すると、あのゆらゆらガラスのゆがみが、再び正面に見えてくる。
「うーわ!」
じーっと見ていて、とさっき言われたので、今回もそうなのかと思いきや、ぐいぐいと水蓮に押され続け、ついにガラスを通り抜けて、具詩はあの古道具屋の床に立っていた。
「戻ってこれた」
茫然と具詩は周りを見渡す。
すると、左の方に、のんびりと茶を啜っている女性が見えた。
「あら、水蓮。卵さんの曲を聞けてご機嫌みたいね」
女性は優しい口調で水蓮に話し掛けた。どうやら、古道具屋の店主にとっては、付喪神が見えるのは、大前提と言うか、当たり前のことらしい。
あっさり水蓮から卵さんの曲、の真相を聞いてしまったので、今でこそすっと内容が入ってくるが、最初は本当に意味が分からなかった。
「もちろんだ。ところで菊美、相談があるのだが……」
水連がじっと女性を見つめた。初めて知ったが、コロッケ屋の店主兼古道具屋の店主は菊美というらしい。水連は彼女を呼び捨てにしているが、付喪神と店主の上下関係はどうなっているのだろう、と甚だ疑問だった。
「はい、何でしょう?」
「具詩がどうしても我々には必要なのだ。付喪神世界を終わらせないために」
水連がぺこりと頭を下げた。
するとテーブルの前に腰かけていた菊美がおもむろに立ち上がって、水連の頭の上から声を降らせた。
「えぇ、えぇ。それならば私から具詩さんにお願いしましょう。付喪神世界の存続は、誰よりも私が望んでいることなんですもの」
菊美はさっきまでの、のんびりとした口調より、少し力強い瞳と声で言った。
――誰よりも、菊美さんが付喪神世界の存続を望んでいる?
具詩はあっけに取られていた。目の前にいる菊美は、油に濡れたコロッケを売る、平凡な女性では決して無かった。
決意を湛えて、大輪の花のようにそこにいる。
「具詩さん、いくらでここにいらしてくださいます?」
「いくらって言われても……俺自給850円のバイト以外したことなくて、えっと古道具やって何時から何時までなんだろ」
いきなり菊美から金の話を持ち出され、具詩はしどろもどろになって答えた。
「それは、具詩の働きぶりを見てからでも良いんじゃないか?」
水連がポンと具詩の肩を軽く叩いた。その微弱な刺激で、ぱっと具詩は目を開いた。
「歩合、ですね! 俺それが良いかな。やる気になるし!」
「まぁでも、それでいいの?」
菊美が水連と具詩を交互に見る。
「俺、まだ力になれるか分かりませんけど、付喪神世界が本当はどんだけ大きかったのかなあ、とか見てみたい気もするし」
「ありがとう、ありがとう」
菊美さんは、何がそんなに嬉しかったのか、ほろりほろりと涙を流す。それに具太はおろおろと動き回るばかり。一体何が彼女の涙腺を刺激してしまったのか、それが分からないのだった。
「さあ、腹が減っただろう具詩。戻るぞ」
水連が具詩に言った。
「戻る?」
「コロッケを置いてきただろう」
あぁ、と納得して具詩はまたガラスのショーケースの前に立った。
そしてしばらくそこをじーっと見つめると、また吸い込まれる感覚があった。その感覚に身を委ねていた具詩はふと、切なげに微笑む菊美さんの姿が見えた。
付喪神世界に戻ってくるなり、具詩は水連に質問した。
「付喪神世界の世界の存続を、誰よりも菊美さんが願ってるってのは?」
「ふぅむ」水連は少し考える仕草を見せた後に口を開く。「少し驚かせるかもしれないが、具詩に見てもらうとするか」
「丹治のことですね?」
眉を下げてバジルが訊いた。
「そうだ。具詩、こっちに来てくれ」
具詩は水連が指し示す場所まで向かう。そこはあの、力が尽きてしまった付喪神たちが住んでいる押し入れだった。水連が押し入れの二段目にいる、たくさんの小さな付喪神たちに指でスイスイと合図を出すと、ぱあっと付喪神たちはそこからはけた。
「あっ……」
そこから現れたのは、押し入れに横たわっている綺麗な寝顔の男性だった。病的なまでに白い肌に細い体。体には全体的にうっすらと、ライトブルーのヴェールをかぶせているかのように膜が張っている。
「これは丹治という名の付喪神で、菊美の夫だ」
水連が言った。
「菊美さんの? でも、菊美さんは人間で、丹治さんは……」
具詩がそこで言葉を止めたっきり、他の付喪神の誰も言葉を続けなかった。
――あぁ、そうか。ここには、語りつくせないほどことが、あまりにも多すぎるんだ。
そうなると、口が言葉を紡ぎきることも不可能だ。人間と付喪神が夫婦だった、と一言でまとめてしまうのは簡単だけれど、それだけのはずがないのだ。
「丹治は、この付喪神世界が完全崩壊する危機に際した時、自らの力を全て世界のために使い果たし、それ以来この状態なんだ」
「そうだったんですか……」
水連たちが、どうしてもこの付喪神世界を存続させたい、と強く願う気持ちが、ひしひしと具詩にも伝わるような気がした。
「この付喪神世界が完全に元通りの姿になった時、丹治もきっと……元に戻るはずだ」
「きっとそうですね」
具詩は水連の言葉に同意するように頷いた。
「あぁ」
「丹治さん、これ菊美さんから頂いたコロッケです」
具詩はパックのコロッケを持ち上げて、押し入れ二段目の板部分にそっと置いた。
「そう、揚げてから時間が経ったコロッケを見るのが、丹治は好きだったんですよね」
バジルが言った。
――見るのが好き? ……なんだか不思議ですけれど、ちゃんとその理由、起きたら教えてくださいね。
具詩はそっと、丹治の寝顔に心の中からそう話しかけた。
ふと具詩は思い出していた。バンドメンバーを募集していた、あの掲示板に記されていた言葉を。
――世界を席巻しませんか?
世界を変えていく。
それが、人間の世界には限らなかったというだけの話だ。
待っていてほしい。いつか、付喪神世界は復活して、皆のびのびと暮らせるようになる。
「菊美さん、丹治さん。待っててください。いつかきっと……」
具詩がそう呟いたとき、付喪神の卵が宿ったジャズマスターがひとりでに音を鳴らした。
きゃあきゃあ、と付喪神たちは快活に笑った。
不思議とひとりでになったギターが怖く感じられず、具詩もあっはっは、と大きく笑った。
――付喪神たちの笑い声は、六畳一間では狭すぎる。
具詩は改めて思うのだった。