1-5
「おおお……」
その時、部屋の中にいた付喪神たちは全員、このギターに視線を集めていた。彼らにとっては、とても物珍しいのだろうか。
「素晴らしい、素晴らしい卵さんだ……!」
水蓮が感動を湛えた表情で言った。
「卵さん、ってまた」
具詩は体をビクッと震わせた。
――また出た。謎の単語、卵さん!
今回は、明らかにこのギターに対して口にしているようなのだ。しかし、これは卵さんという名前のギターではもちろんない。
「このギター、卵さんじゃ無くて」
「あの、弾いていただけますか。音色を聞かせてほしいんです」
シルクの純白の手袋をはめた手で、耳を澄ますような仕草をしてバジルが言った。
「あ、はい」
こんなに演奏を急かされたのは初めてだ。妙に嬉しくなりながらも、具詩はジャズ・レモネード・オン・ザ・ロックを弾き始めた。
付喪神たちは、目を閉じて本当に真剣に曲に聞き入っていた。
具詩はひたすら驚いていた。ライブハウスの、客一人埋めることの出来なかった自分が、どうしてこうも付喪神を感動させることが出来るのだろうか、と。
付喪神たちの心地よさそうな表情に、こちらもうっとりしていた、その時。
「お〜い、悪いんだけどちょっと静かにしてくれねえ」
ツゲがぼんやり具詩に視線を合わせながら言った。
「し、静かに?」
いったん曲を止めろと言うことだろうか、と具詩は口を閉じ、ギターを弾く手を止めた。すると、
「止めないでください!」
シャムが言った。一体どうして欲しいのだろう、と頭を抱えていると、
「歌うのを止めて、ギターだけにしてくれないか」
水蓮が言った。
つまり、ツゲは具詩に歌を止めろと言って、シャムは具詩にギターを止めるのは止めろと言ったのだ。ややこしい注文だ。
具詩はそれに従って、ただギターだけを曲の最後まで弾ききった。
付喪神たちはその演奏に惜しみない拍手を送った。
「いやー、本当に素晴らしい、卵さん」
「そうですね。惚れ惚れする音でした。生で聞けるなんて贅沢です」
「歌はいまいちだったけどなー」
「あの!」
感想を各々自分勝手に述べている付喪神たちに、びしっと手を上げて具詩は言った。
「卵さんって何ですか!?」
いい加減、この疑問を解消しないことには落ち着かないのだ。
「付喪神の卵のことだ」
水蓮があっさりと答えた。
「さっきから卵って言ってますけど……この部屋のどこにも卵なんてないじゃないですか」
少しだけ苛立ちの色がある声で、具詩は言った。
本当にこの部屋に卵なんてない。もしあの甲冑の甲木の下に埋まっているよ、と言い返されたのなら諦めるけども。
「いいえ、そこにいますよ。まだ出来たばかりの卵ですが」
バジルがギターの中央を指差した。
「えっ」
まさか虫の卵でも産み付けられたんじゃないか、とゾクゾク震えながらギターを掲げて見た。
「いえいえ、おそらく具詩さんにはまだ見えないはずですよ? 付喪神の卵が人間に見えたことは無いんです」
シャムが優しい口調で言った。
「見えないだけで、あるってことですよね」
「そうだ。このギターは何年も人の手によって大事にされてきたのだろう。もう三十年先か、もっと先か。卵は立派な付喪神になるだろう」
水蓮が説明に付け加えた。
「俺のギターに付喪神が……!」
具詩は目を見開いてギターを舐めるように見た。もとから大事にしてきたはずのギターが余計愛おしくなったような気がした。これは、売るわけにはいかないな、と思い直した。
「そうそう。だから卵さんの息遣いを感じるギターの演奏は凄く好きだけど、具詩の唄は聞いてられなかったんだよ」
辛らつなことをツゲがさらっと口にした。
「うっ」
具詩はかなりの痛手を負った。確かに歌には自信が無かったが、歌うのを止めてくれ、というほどでもないじゃないか、と叫びたくなった。
「しかし、卵さんが宿ったギターの音と、具詩が作ったという曲の旋律は見事に合っている」
水蓮がフォローするつもりなのか、曲そのものを褒めてくれた。
「ほ、本当ですか」
半信半疑で具詩が訊き返すと、
「あぁ。これは……もしかするかもしれん」
水蓮が意味深に言った。
「そうですね。もしかすると希望、かもしれません」
「歌には期待できねえけどな」
「ぼ、僕は歌も良いと思いましたけど」
他の付喪神たちが水蓮の言葉に続いた。
「もしかするとか希望とか、なんの話をしてるんですか?」
具詩は不思議そうな表情を浮かべて訊き返した。
「決まっている」水蓮がガッと力強く具詩の肩を握る。「この付喪神世界が再び栄華を極めるための鍵が、具詩、お前なのだ」
「は、はああっ!?」
具詩は小鼻を膨らませて後退した。
そもそも付喪神世界って、そんな話は聞いていない。
つまり、ぐにゃっとして見えたあのガラスのケースに吸い込まれた結果、辿り着いてしまったここは、付喪神世界ということなのだ。
しかし、六畳一間程度しかない質素なつくり。付喪神の世界、と呼ぶにはいくらなんでも庶民的すぎる。
「驚くのも無理はない。この付喪神世界は、誕生した時からこの姿だったわけではない」
水蓮が説明を始める。具詩はそれを真剣に耳を傾けて聞いた。
「かつて店にはあふれるほど数多くの古道具が並び、ガラスを通して入れる、ここ付喪神世界にも大勢の神たちが暮らしていた」
「へええ」
具詩は地面に座ったまま、前のめりに聞いた。
「付喪神たちの力を合わせて、この付喪神世界を形成していたわけだが……古道具が一つ、一つ、人に売り渡されていくたびに、この世界からも付喪神は減っていった」
水蓮の話に、他の付喪神は胸を打たれているようだった。シャムにいたってはうっすらと瞳に涙を浮かべ、胸を抑え込むようにしている。
「人間の世界より遥かに壮大だったはずの付喪神世界は、力が足りなくなるにつれて崩壊していった。その結果が、これだ」
水蓮が長い腕を広げて、この六畳一間の狭い場所を指示した。
――これが、付喪神世界の成れの果て……?
確かに、人間が暮らすのでさえ少し窮屈な間取りだ。六人の付喪神が住むには、あまりにも狭いだろう。壮大で、立派な付喪神世界をかつて見ていたのなら、なおのことそうだろう。なんだか具詩は自分の胸まで締め付けられるような気がした。
「そうだったんですね」
「それで、だ」水蓮が腕を広げたままくるっと回転する。「ここまで話したら、もう具詩、お前のするべきことが分かるな?」
「えっ……」
具詩は視線を泳がせて考えた。
この話は、悲しいエンディングで終わりではなかったのだろうか。もう、失われた付喪神世界は取り戻せない、と。どうにかしてあげたい、という親切はあるが、ただの貧乏バンドマンに何が出来ると思われているのか。話の最初に、付喪神世界を再び栄華をもたらす鍵がどうとか、そんなことを水蓮は言っていた。ハッとした表情で、
「まさか俺の部屋に付喪神世界を移すとか、再構築するとか、そんなの無理ですからね!」
具詩は念を押すように言った。
「そんなことは頼まん」
きっぱりと水蓮に言い放たれる。
「じゃあ、俺のするべきことって何ですか?」
具詩は眉根に皺を寄せて訊いた。
「――世界を作り上げるだけの強力な力を持つ、小道具たちを探して集めるのだ」
「無理!」
水蓮の言葉に、具詩は顔の前に大きくバツを作って、かぶりを振った。
「無理って、やってみないと分からないじゃないですか」
バジルが言った。
「そうだよ、軟弱者があ」
ツゲが具詩にびしっと指を差した。
「頼みます、手伝ってくださいませ」
具詩はここに来て初めて甲冑の甲木の声を聞いた。
「絶対、出来る」
甲木の横で相変わらず寝転がったまま双六が言った。
「だ、そうだが。どうする具詩?」
水蓮がぐっと顔を近付けて具詩に問いかける。