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「申し遅れたな。俺の名前は四君子水蓮だ。握手でもするか? いや、握手だ」
植物柄の着物の男が、具詩の前に手を差し出した。具詩はその手をおそるおそる握る。
「珍しい名前ですね。名字が四君子?」
具詩が訊くと、握った手を上下にブンブン振りながら四君子水蓮、と名乗った男は答えた。
「名字ではない。称号とでも言おうか、まぁ、名字ではない」
「称号ですか」
称号ってなんだろうな、と具詩は考えた。バンドで言うパート割りと同じではないだろうか。ギター・具詩! というようのとは、やはり違うよなと考えを打ち切る。
「あぁ、四君子の四とは四種類の植物、そして君子とは立派な人、ということだ」
「はぁ」
「この四種類の植物は、まるで君子のように素晴らしい、という意味が、四君子という言葉には込められている」
水蓮は自分の着物を腰の部分から広げるようにして具詩に見せた。着物には、蘭、竹、菊、梅と、確かに四種類の植物が描かれている。しかし、この四種がどうして君子と一致するのかが分からない。
「蘭には仄かな気品と香りがある。君子のようだ。竹には冬に負けないで真っ直ぐ伸びる力強さがある。君子のようだ。菊は寒くとも綺麗に咲く。君子のようだ。梅には雪の中で咲く強さがある、それは?」
水蓮が具詩をちらっと見て訊いた。
「君子のようだ」
「よく分かってるではないか」
「いや、今のは誘導があって」
「よく分かってるではないか?」
「え、ええ……」
具詩は水蓮の気迫に完全に押し負かされた。
「あの、何でそんなに四君子にこだわるんですか?」
具詩は素朴な疑問を口にした。
「それはもちろん、俺が四君子、つまり四種類の植物が描かれた焼き物の、付喪神だからに決まっているではないか」
「へぇ……んん?」
具詩は水蓮の答えを頭の中で反芻した。
四種類の植物が描かれた焼き物、まぁそんなのも世の中にはあるのだろう。だが問題は次だ。焼き物の付喪神、とは一体どういうことだろう。確か、人間が大事に使い続け、百年ほど時間が経過した物に宿る精霊、という意味だったはずだ。
「貴方が、付喪神?」
具詩は知らず知らずのうちに水蓮に指を差して訊いていた。
「そうだ。四君子水蓮は付喪神だ」
水蓮はゆっくりと、具詩の脳裏に刻み付けるように言った。何度その単語を聞いても、具詩にはしっくりこなかった。百歩譲って彼が付喪神だとしても、見えるのはおかしいんじゃないかと思う。まさかあのコロッケ屋の女性もグルになって、売れないバンドマンを騙しているのではないか、と疑心暗鬼になった。
「信じられないようだな。しかし見ただろう? この世界に辿り着くことが出来たのだから」
「見たって、何を」
「ガラスショーケースの中にあっただろう」
「あ! 急須だ!」
具詩は手をポンと叩いて叫んだ。確かに、あのガラスショーケースの中に、四種類の植物が描かれた、雰囲気のある急須が飾ってあった。
「きゅ、急須ではない!」
水蓮がムキになって否定した。
「急須、にしては確かに小さすぎると思いましたけど……でもあの形状で他に選択肢なんてありますかね」
「あれは、四君子柄の“水滴”というのだ!」
「水滴、って雫のことでしょう」
いちいち水蓮の言うことに食って掛かるので、まるで自分が理屈っぽい人間になったような気がして嫌になった。バンドマンたる者、もっとフィーリングで人とコミュニケーションが取れるようになりたい。
――あっ、相手人じゃない。付喪神だ!
脳内にピコンという音が聞こえた。こんなこと閃いてどうする。
「そういう意味もあるが、水滴っていう名前の道具がある。硯に墨をすった時に、濃さを調整するために水を足したりするだろう、ほら習字の時とかに」
「そう、だったかもしれません」
具詩は自分の昔のこと、小学生の時の記憶を引っ張り出した。教室の片隅で半紙と硯と重りを並べて、墨をズリズリ摺っていた。その墨が濃くなったときどうするか、具詩は濃いまま文字を書いていた。
「やっぱり、違いました」
「おい! 今の間は一体何だったのだ……」
「脳内で習字してたんんですよ。でも、俺には墨を薄めた記憶がありませんでした。俺はとびっきり濃い墨を作って文字を書いて、その後汚れた手をハンドソープで洗うのが好きだったんです」
「それは、どうしてだ?」
困惑した表情を浮かべて水蓮が訊いた。
「だって、手が汚れきった時の方が達成感あるじゃないですか」
「ふぅむ……」
水蓮は変なため息を出した後、押し黙ってしまった。もしかして水滴という習字道具を知らなかったことが気に障ったのだろうか、と思い、
「あのもうちゃんと覚えました。水蓮さんは七宝焼きの、あの水滴という道具の付喪神様ですよね」
まだ初対面同然なのだから、四君子と呼ぶ方が正しい気もしたが、それは称号だと言うことなので、具詩は水蓮、と彼のことを呼んだ。
それにちゃんと、ガラスケースの中の水滴には七宝焼き、と札が付けられていたことも律儀に思い出し、付け加えて言った。
「いかにも」
えっへん、と水蓮は笑った。
「一方、僕は人間です」
「知っている」
「そうですよね……えっと、こちらの方は?」
具詩は視線を貴族風の男に切り替えた。
「僕はフランス製のオペラグラスの付喪神。名前はバジルです」
「フランスのアンティークにも付喪神ですか。なるほど……」
具詩は少し意外だった。
付喪神とは、日本の小道具に対してだけ宿るものではないのか、と。和服を着ていて、透けながら浮いている幽霊のような存在、それが具詩の付喪神のイメージだった。
「俺はツゲ製の将棋駒の付喪神だ」
玉、という木片が頭部に張り付いた少年が言った。それに続いて、
「僕はシャムツゲ製の将棋駒の付喪神です。シャムって呼んでください」
王、という木片が頭部に張り付いた少年が言った。ツゲは灰色の甚平を着ていて、シャムは紺色の甚平を着ている。どちらも色が違うのと、木片に記された文字の内容が違うだけで、目鼻立ちはそっくりだった。こうなると、見分けるのも一苦労だな、と思う。
「よろしくお願いします」
曲を聞いてくれる人、いや付喪神たちに対して、具詩は恭しく頭を下げた。
「ちなみに、この二人のことも教えよう」
水蓮が地面にしゃがみこんで、まだ床に寝転がっている二人に目線を合わせた。
「あっ、はい」
「こっちの甲冑を着ている方が甲木、反対側に寝ている方が双六という」
「甲木さんと、双六さん……」
具詩はさっき見た、古道具屋の店内を思い返す。
双眼鏡は見落としていたが、水滴も、ツゲの将棋駒も店内に並べられていた。それに甲冑もあった。そうなると、この場にいる全員の付喪神には、それぞれ一つ店内の対応する品があるはずなのだ。双六、という名を持つ彼は、一体何に宿った付喪神なのか、答えは火を見るより明らかだった。
「双六さんは双六に宿った付喪神、ですよね」
当然のことのように具詩は訊いた。すると双六は半身を重々しそうに起こして、
「違う」
と短く言った。
「違う?」
「双六は、明治期に作られた計算機に宿っている」
水蓮が教えてくれた。
「そうなんですか」
どうやら必ずしも名前から推測できるわけではないらしい。そういえば古い計算機も、古道具屋の店内に並んでいた。
「二人は体と頭が重くて、いちいち起き上がると疲れるので寝ているが……気にしないで演奏をしてくれ」
水蓮が言った。
確かに、甲冑を身に纏った甲木は、チラチラとこちらに視線を送ってきて、何か挨拶でもしようとしているようだった。突然の来訪に、不機嫌でふて寝をしているわけではなく、純粋に甲冑が重くて起き上がれないらしい。
――脱げばいいんじゃない?
甲冑の付喪神である以上、そう簡単な話でもないのか、と具詩は苦っぽく笑った。
「頭が重いんですか?」
体が重い、の意味は分かったが、双六の体はほっそりとしていて、忍者のような服は、とても身軽そうで動きやすそうに見える。頭が重いと言われても、双六の頭には後ろで短く纏められた髪の束があるだけだ。
「あぁ。双六の頭そのものが計算機のようになっていて、我々と比べられないくらいの重量だ」
「分かりました。気にしないで、演奏させて頂きます」
水蓮の解答になるほど、と頷く。具詩はここに来て、ようやくコロッケのパックとギターのケースを地面に置いた。すると、床に寝ている二人が少し窮屈そうになってしまった。気にするな、と言われたので、ケースからギターを取り出して、地面に胡坐をかいて座った。
1960年代製の自慢のジャズマスターだ。