5-4
「私考えたんです。どうしたら来てくれるのかなって……答えが、これだったんです」
少女はまた指差した。その先には水滴がある。具詩は首を傾げざるを得ない。どうしてこれが、答えになるのだろう。
「可愛い急須で、まぁあの、可愛いお茶道具を使えば、写真でも撮りにきてくれるかなって思ったんですけど、まさか書道の道具だとは思わなくて」
「何かそれはすいません」
具詩は何故か申し訳なさを感じた。友人たちは夢にも思っていないだろう。煎茶部の友人が、まさか自分たちのために七万二千円をはたいて、急須と間違えて書道道具を購入していることなど。むしろ想像がついていたら怖いくらいのものだが。
――約束を守らない友人のために、よくそこまで出来るなあ。
具詩もバンドのメンバーに気前よく金を出していたために、あまり人のことはとやかく言えないが、そう思った。
「これを急須にするってのは、ダメなんですかね」
不安そうな表情で少女は訊いた。具詩は微妙そうな顔で、まじまじと水滴を見つめた。これでは、ほんの少ししか茶を作れないだろう。
「いいんじゃ……」
いいんじゃないかな、と具詩が口にしようとしたところ、少女の背後に立っている水蓮と目が合う。両手をクロスさせてばってんを作っている。止めてくれ、ということだろうか。付喪神に止めろといわれては、強行するのは気が引ける。今まで水しか入れられてこなかった道具だ。煮えたぎった湯を投入する場合、どうなるか保証はできない。
「それは、止めておきましょう」
具詩は渋々、少女にノーを出した。少女は分かりやすくがっくりうなだれた。返品作業をして七万二千円が戻ってくることに一切の興味がないらしい。普通なら。変な買い物しちゃったけど、お金が戻ってきてラッキー、となるところだろう。
「どうしたら、来てくれるんだろ」
「それは悩みますね」
具詩はぎこちなく笑ってやり過ごそうとした。高校生女子の友好関係に、同答えを出すべきなのか、具詩には全く分からなかった。しかし、少女は見逃してはくれない。
「どうしたら?」
ひええ、と具詩は内心で悲鳴を上げた。いきなり現れたジャジーに絡まれた時のことを思い出す。その時よりはましだが、ちんぷんかんぷんなのだ。
「誕生日プレゼントとかも、私が上げても、あっちは返してくれなかったりするし……逆に約束を守れなかったりすると、怒るくせに」
少女は堰を切ったように話しだす。後半になると、怒りを思い出したのか、力強く言葉を吐き出す。
「ま、まぁまぁ落ち着いて。とりあえず、そういう友達のために七万二千は高いですよ。本当に」
「なんとなく、そんな気がしてきました」
「じゃあ、返品作業してもいいですか?」
ようやく一件落着、話を打ち切れたな、と具詩は安堵していた。しかし、この少女は想像通りに行動しなかった。
「いえ、私が私のために使うことにします。返品しません」
「そうなんですか?」
具詩は自然と目を開きながら驚いた。友達のためは止めて、自分のために。それは正しいことだと思うけれど、これが急須ではなく書道道具だという点を忘れてしまったのだろうか。
「書道を趣味にすればいいんです。そうすれば親も納得してくれると思うし」
「ど、どうでしょうねえ」
具詩が困っていると、ふわりと目の前で水滴が浮き上がるのが見えた。なんと、水蓮が自分の宿っている道具である、水滴を持ち上げて、すたすたと歩いて行くではないか。
――何してるんだよ! 水蓮が見えていないこの子からしてみれば、超常現象だよ!
具詩の焦りなど知ったことか、と水蓮は歩みを止めず、ガラスケースの中、付喪神世界へと入って行ってしまった。水蓮とともに、水滴も視界から消えてしまった。
まさか、また少女に持ち帰りされることを避けたつもりなのだろうか。少女が持ち主となってから一週間、水蓮はホームシックにでもかかったのだろうか。
――付喪神のホームシックって。
具詩は自分で自分に突っ込んだ。
「今の、何ですか」
少女が鼻の横をピクピク痙攣させながら言った。具詩はどう答えるべきか迷った挙句、白状することにした。
「本当に、驚かせてゴメンなさい。実は貴方の買った水滴、という道具には憑いてるんです」
「え……」
「付喪神って言う、人に大事にされた物に宿る精霊がいて」
少女は具詩の説明を聞いても、理解が及ばないようだった。自分が逆の立場でも、はいそうですか、とはならない。この少女の反応は正解だ。
「その付喪神が今ちょっと、道具を持っていってしまいまして」
「アニメで見たことあります、付喪神」
「なら良かった」
少女の言葉にほっとした。付喪神についてピンと来ないと、話が進まないだろう。
「いたずら好きの付喪神がいるんですか?」
興味深そうに少女は訊いた。
「あー、何というべきか……」
水蓮は決して悪戯好きなタイプではない。おそらく少女の脳内には、子供の姿をした、元気いっぱいの付喪神の姿が想起されているのだろう。それがまさか、植物柄の着物を着た、長身の男を想像してください、と言われても困惑するだろう。しかもその付喪神がホームシックに陥っているなど、なおさら意味不明だと思われるのがオチだ。
「そうですね。いたずら好きで。道具を持って行ってしまいましたが」
ここは一つ偽ることにした。
「くすくす」
少女は怖がる素振りも見せず、含み笑いをした。やはりというべきか、具詩の想定していた反応と異なる。てっきりそんな道具嫌だ、いらない、と切り捨てられると思ったのに。
「それ、やっぱり欲しいです。なんか楽しそう」
「嫌じゃないんですか?」
「はい」
あっけらかんと少女が答えるので、具詩は付喪神世界に水連を迎えに行くことにした。そもそも、一度売られてしまったのだ。気持ちは分かるが、諦めるのが筋だろう。
「あの、ちょっと驚かせるかもしれませんが、そこで待っててください」
不思議そうな表情をする少女を置いて、具詩はガラスショーケースを介して、付喪神世界へと入った。
「あ、具詩」
「はああ……?」
付喪神世界の畳の上に立って、具詩は眉を曇らせて周りを見渡した。いつもと光景が違うのだ。付喪神世界の光景がおかしくなるのは、いつものことかもしれない。しかし、目前に広がる光景のおかしさは、いつもと種類が異なるのだ。水蓮が自分の道具、水滴を持ったまま、ウロウロと付喪神世界を徘徊している。
少女から逃げてまで、何をやっているのだろう。
「水蓮、何やってるんだよ。床が濡れるだろ」
水蓮は、水滴という自分の道具を傾けて、いつの間にか中に補充されている水を床に無遠慮にかけ流している。この奇異な行動も、ホームシックと関係があるのだろうか。
「その点については問題ない。見ろ、濡れてはいないではないか」
水蓮に促され、具詩は床を確認する。たしかに、水に濡れた様子は無い。どうしてだろう、と疑問を抱いていたその時。
畳にいたみんなも、浮いた空間に腰を下ろしていたみんなも、何かの力に引っ張られるように移動していく。
「何で、何でこんなことに?」
みんな平然とした表情で、次から次へと移動させられていく。透明の手が付喪神たちの首根を掴みあげ、等間隔に並べて行っているようだった。
「ふぅむ、調整が大事なのではないか。一番、ちょうど良いように、な」
水蓮が満足げな表情を浮かべて言った。
「なんか、何であの子の前から逃げたのかとか、色々訊きたいことはあるんだけど……まず、今の移動は何?」
具詩は迷うことなくその質問を一番にチョイスした。
「こうやって俺の宿っている水滴を部屋の床に満たす。そうすると、その部屋にいる、それぞれが、最も居心地の良い場所に移動させられる」
「居心地のいい場所……?」
甲木と双六は畳の端に寄り掛かるような体勢で、バジルはギターのすぐ横、豆黒は浮いた空間の端にいて、丹治は宙にぷかぷか浮いている。
「居心地のいい場所はそれぞれ違うだろう。それをくみ取り、部屋での位置をちょうどよく調整するのだ」
「それって……」
「具詩が察している通り。墨の濃さを一番ちょうど良い具合に調整する、という性質を持つ水滴という道具に宿った、俺らしい力だろう」
「いや」具詩はかぶりを振る。「それって……の後に続けたかった言葉は、いつもそんなことしてるの? だったんだけど」
具詩は何も察していなかった。
「いつもしている」
「水蓮がちょっといねえだけで、何か過ごしづらかったよな」
ツゲが床に頬杖ついて言った。分かる、分かる、とみんな口々に同意した。
「そう……なの?」
別に自分が一番居心地のいい位置を選んで移動すればいいだけの話に思えるが、そんな単純でもないのだろうか。
「人との距離の兼ね合いって難しいものだよね。なかなか上手くいかない」
バジルが肩をすくめた。
「いつも水連殿が調整してくれていたのですよ。しかし、いなくなってみるとそのありがたみが身に沁みますな」
「そっか」
具詩は納得した。初めは今より、ずっと狭かった。六人もの付喪神を一つの空間にぎゅうぎゅうに押し込んでいたのだ。そこに生じるであろう居心地の悪さを、常に解消していたのは水蓮だったのだ。地味な能力かもしれないが、大事なことだと思う。
――人と人の距離をちょうどよく、か。
メンバーに金を貸し続けてしまった具詩は、うっかり人を近くに招き入れすぎたのかもしれない、とここに来て反省じみた気分になった。
「おっと、雑談してる場合じゃない。水蓮、なんでいきなり道具もっていなくなったの?」
具詩はようやく本題を思い出した。具詩は古道具屋の店員としてあの少女に水滴を持ち帰ってあげないといけないのだ。




