5-1
「そのペンダント、綺麗ですね」
アークが丹治に力を与え、目を覚ました丹治と菊美が再会した、そんなめでたい出来事の翌日。具詩が朝、古道具店に入ると、若々しい笑みを湛えた菊美がいた。
いつもと雰囲気が違うのが、当然といえば当然なのかもしれない。長い眠りについていた夫と、何年かぶりに再会できたのだ。うきうき心が弾むのも分かる。
しかし、何より具詩には菊美のお首元にかけられているアクセサリーが気になった。
光の反射によって赤にも緑にも見える、そんな不可思議なペンダントだ。
「これ、丹治が宿ってるもので……アンモナイトよ」
「今までつけてませんでしたね。しまってたんですか?」
「そう」菊美が微笑んで言う。「いろいろ思い出しちゃうから、箪笥にしまってたんだけど……もう、出してあげた方が良いでしょ」
「丹治さん、前と変わって無かったですか」
「えぇ、えぇ。全部、元通りになったのね」
菊美が切なそうに眉を下げた。
「あの」具詩は少し気にかかっていたことを口にする。「付喪神世界が、壊れてしまいそうになった時って、どんな感じだったんですか」
これを聞いていいのかどうか、いままで分からなかった。デリケートな話題のはずだ。付喪神世界が壊れることを防ぐために、丹治は力を使い果たした。付喪神世界に、豆黒もサインが入り、アークという特別な付喪神も訪れた。色々なことがあっても、具詩にはたった一つ、解消されない疑問があった。
――付喪神世界が崩壊するのは、いきなりのことだったのか?
もし予兆があったとしたら、事前に崩壊しないように、調整が出来たはずだと思う。水蓮たちだって、黙っていなかっただろう。丹治が復活した今、聞いてもいいのではないか、と具詩は思い切ったのだった。
「十年以上前のことだけど……その時はまだ、付喪神世界を完全に理解していたわけではなかったの。私も、丹治たちも」
「そうだったんですか」
「ただ、自分が宿っていた道具を失った付喪神たちが、安住できる家が欲しい、と私と丹治に相談してきたのよ。古道具屋を親の代から継いでる私が、信用できると思ったのかしらね……」
「初めは、あの付喪神たちの方なんだ」
具詩はふーん、と唸った。
てっきり水蓮が発起人となって、あの付喪神世界を作ったのかと思っていた。しかし、どうやら力尽きて、最初は付喪神世界の押し入れに入っていたあの、小さな付喪神たちの悲痛な願いから始まっているらしい。
「それで、この古道具屋の商品に宿ってる付喪神たちの力で、付喪神世界を作ったのよ」
「なるほど」
「ただ、その当時はお金に事欠いていたこともあって、古道具を売れるだけ売っちゃったの。そしたら古道具を買いとった人の屋敷に、ずらずらーっと付喪神たちが移動しちゃって」
「それで、崩壊しちゃったんですか?」
「えぇ」
「……崩壊するまで、全然焦らなかったんですか?」
具詩の想像では、いきなりはじけ飛ぶように世界が壊れたのではなくて、少しずつ小さくなってしまう、という感じだった。バジルや甲木も、豆黒を探した際、二人だけで世界を維持するのが大変だった、と零していた。
世界が壊れそうなことを、予期できるのではないかと、具詩は思う。
「そう、思われるわよね」
菊美が頬に手を添えて、困ったような表情を見せた。悪いことを聞いたかもしれない、と具詩はハッとした。冷汗を額にかいてしまう。そもそも、昔のことをほじくり返されて、菊美さんは内心戸惑っているかもしれない。この件について詳しく聞きたい、なんて具詩の好奇心でしかないのだ。
「いや、いや。金欠って、お金に困ってたってことですよね。それは、仕方ないと思います」
すかさず、具詩は菊美をフォローするように言った。
「やっぱり、お金って理由として大きいのかしら」
「そう、だと思いますけど」
「あ、違うのよ」菊美が穏やかな表情を浮かべた顔の前で手を振った。「丹治にとって、私が貧乏になっていくのを見るのが、心配だったのかしら、と」
「え?」
具詩はまだ菊美と丹治の話を詳しく聞いていない。どういうことだろう、と具詩は首を傾げた。
「付喪神世界が壊れそうだって、言ってくれれば良かったのに、黙ってたのよ、丹治」
「そう、だったんですか……?」
具詩は目を開いて驚く。もうこれ以上付喪神がいなくなったら、世界が壊れそうだ。そう正直に告げることを、どうして丹治は避けたのだろう。具詩にはピンと来なかった。
古道具をこれ以上売らないでくれ、と菊美に頼めば良かったのではないか。
「自分一人の力で付喪神世界の崩壊を食い止める、って思ってたみたいなの。そんなこと、出来っこないのに……」
具詩は後頭部をかいた。
その件が、菊美と丹治の間のわだかまりになるのではいか、と不安になった。いや、現にそうなっているかもしれない。
ようは、丹治が戻って来てくれて良かった、というだけの話ではないのだ。どうして一人でしょいこもうとしたの、とか、何で相談してくれなかったの、とか。菊美の心にはそんな感情が渦巻いているだろうことが、表情から分かる。
――ペンダント、ずっと仕舞ってたんだよな……。
具詩はまた菊美の首元に視線を落とす。今まで色々思い出してしまうのが辛くて、しまい込んでいたという、丹治が宿っているペンダント。それを付けている菊美は、若々しく見える。実際、内面的なことはどうなのだろう。菊美の心は、丹治が眠る前まで戻れたのだろうか。
「丹治さんは、凄い頑張り屋さん、ってことなんですね」
具詩は言った。自分でももっとマシな台詞を言うべきだと分かっていたのだが、それが口から出てこない。頑張り屋さん、で済まされる話ではないだろう、と思う。
そんな具詩の焦りも見透かしたように、菊美はただ微笑んだ。
「あの、大丈夫なんですか、これ」
具詩はガラスショーケースの前に立って、七宝焼きの水滴――つまり水蓮が宿っている焼き物を指差して言った。
「なあに?」
「いつになるかは分からないですけど、売れたりしちゃうんじゃないですかね……そしたら、付喪神世界のことでまた悩まないといけなかったりして」
具詩の不安といえば、もしかすると水蓮やバジルが売れてしまうのではないかということだった。そうすれば、水蓮は自分が宿っている道具を引き取った、その人物の家にいくのだろう。
――水連たちの宿った古道具は、並べない方がいいんじゃ……?
「水蓮たちは、確かにあの付喪神世界を気に入ってくれてるわ。だけど、ずっとそこに縛られている必要はないの」
「縛られてる?」
「あの世界を維持し続けるのもいいけど、また誰かの人生にお供するのもいいと思うの。古道具を大事にしてくれる人の元で、今よりもっと楽しいことがあるかもしれないわ」
菊美があっけらかんと言った。
「でも、付喪神世界からいなくなったら……」
「そのために、具詩さんは頑張ってくれてるんじゃないの」
具詩は考えこむような仕草を見せた。確かに、最初に水連と話したときも、同じことを言われた。水蓮がいなくなってしまった時、世界を維持できるだけの力を持つ付喪神が必要になる。そのために、具詩は頼られているのだ。
しかし、まだその時は訪れていない。誰もまだ古道具が売れていないのだ。豆黒もサインも、後から入ってきた付喪神が宿っている古道具が先に売れるかもしれない。結局、あの世界は何の保証もないのだ。菊美が古道具を全て店頭に並べる、と決めている限り。
――あれ、もしかして俺もっと頑張らないといけないのかな?
もっと多くの付喪神を引き抜いてこないと、安心する日が来ないのかもしれない、と思い始めた。菊美は、付喪神世界を巨大にするよりも、とりあえず維持できればいいと考えているようだ。
なんだか複雑な気持ちになりながら、具詩が考え込んでいたその時。古道具店の扉が開かれた。
「いらっしゃいませ」
具詩と菊美がほとんど同じタイミングで言葉を発した。扉を開いて入ってきたのは、背が小さく可憐な少女だった。具詩より少し年下、制服を着ているわけではないが、高校生に見える。量の多い黒髪を高いところでまとめていて、後頭部の髪の部分がたるんでいる。
今日は日曜日。休日にわざわざ古道具屋に一人で来たところを見ると、こういう店に入るのが趣味なのだろうか。
少女は店に入るなり、ガラスのショーケースの前に立ち止まり、じーっとその中を見つめていた。脇目もふらず、水蓮の宿ったあの水滴に目を奪われているのだ。
――渋い趣味だな。
具詩は感心した。自分が高校生の時には、古道具に微塵の興味も持ったことがない。今でこそ、古道具の良さというものが、ほんの少し理解できたが、目前で少女が夢中になっている様子を見ると圧倒される。自分よりこの子の方が、古道具の良さを分かっているんじゃないかと思った。
「それ、気になるの?」
人のよさそうな笑みで、菊美が少女に話し掛けた。
「はい、カワイーです」
「そぉお……」
そういえば、今時の若い女子は何に対しても可愛い、という言葉を使うと、具詩は情報番組で見たことがあった。この子もそのタイプだろうか。水蓮という付喪神が宿っていることを知っているからかどうかは分からないが、具詩には水滴が可愛いく見えない。
「あの、いくらですか?」
少女は菊美に問いかけた。具詩はギョッとした。まさか、購入を検討しているのだろうか。七宝焼きの書道道具にどれくらいの価値があるのか、具詩は知らない。しかし、高校生においそれと手が出せる値段ではないような気がする。具詩は菊美の答えを待った。




