4-6
「アーク!? どうしたんだよ、急に……」
「これがいけないのではありませんか?」
甲木がアークの口の中から青々しい花の茎を引き抜いた。
「毒か?」
眉をしかめて水蓮が呟いた。甲木が手の内からぽろり、とその茎を地面に落とした。
「花に毒なんかないんじゃないの?」
茎の先端には赤茶けた色の花が付いていた。花びらの一枚一枚がこれまた大きく、全て萎びていた。
「トリカブトやジギタリスという花を知らぬか。毒花とは意外に多いものだ」
四君子、四種の植物の柄を好んでいるだけあって、詳しいのだろうか。水蓮がそう言いながらアークの横に屈みこんだ。
「吐かせるほかあるまい」
水蓮はアークの腹を容赦なく押そうとしたその瞬間。アークの姿が恐竜から元通り、細身の男性の姿へと切り替わった。
「大丈夫?」
病人のように真白になった肌のアークを覗き込み、具詩は訊いた。
「ごめん、昔と同じことしちゃった」
アークは弱弱しい声で答えた。
「昔って?」
「恐竜の時、変な草食べて、お腹壊して死んだんだ」
「へぇえ……」
具詩は答えに困った。その変な草がどんなものだったかは知らないが、花の茎をがぶりと食べるのだから、やはりそんなに賢くはないのだな、と思った。
この様子だと、丹治に力をあげてくれ、というのは無理な頼みだ。諦めるしかないか、と具詩はがっくり肩を落とした。
「まずい、また来ましたぞ」
甲木の声に反応して周りを見渡す。視界の端に、黒い艶髪の付喪神の姿が見えた。懲りずにまたちょっかいをかけに来たようだ。
「ここは、正面突破で抜けるしかない! 具詩、登れるか?」
水蓮が竹を指差して訊いた。具詩は大丈夫、と頷いた。今度は甲木が丹治を背負い、水蓮がアークを背負った。それぞれ、必死に竹を登った。すると、具詩は背中を何かに掴みあげられ、一気に上昇する。
――うーわ、捕まえられた。顔近すぎ……。
具詩の目前に、巨大な付喪神がいる。他の付喪神は、今大変な状況なのだ。自分がやるしかない、と具詩は構えを取った。デコピンの体勢だ。
「えいやー!」
「きゃあああ」
具詩は渾身の力を指先に込めて、付喪神のおでこにデコピンを見舞った。おでこが弱点なのかどうかは分からないが、付喪神はのけ反った。次の瞬間、グレーの靄がすっきりと晴れ、花瓶世界はがらがらと音を立てて崩れた。
――うわああっ。
この花瓶世界に入ってしまった時と同じ、叫び声は打ち消されてしまった。気がついたら、具詩たちは博物館の通路の端に呆然として立ち尽くしていた。
「やっと、出てこれたのか」
「アーク、大丈夫か」
水蓮が臨時展示のコーナーの一画にある、深紅のソファの上にアークを寝かせた。アークは苦しそうに口を開く。
「あれ、僕の宿ってる化石取ってきて……あれを削って飲めば治るから」
具詩は急いで探しに行った。
展示場所の中央あたりに、勝倉院に保管してあった、アマグリトプスの化石、用途は漢方薬、というものを見つけた。アマグリトプスの再現写真を確認する。それは、さっき見たばかりの恐竜姿のアークと一致する。
――とっさに駆けて来たけど、どうやって取り出すんだ!?
展示ショーケースの中に手を突っ込もうとしたら通報されるだろうし、かといって係員に頼みこんでも無理だろう。
そう悩んでいる具詩の横に、水蓮がスッと立った。
「具詩、あれを取ってくるが、展示品の一つが無くなったと騒ぎになっては困る。そうだな?」
「う、うん」
「係員も客も、この展示品から目をそらしている必要がある」
「そうだね」
「具詩、周りの客の注意を引きつけろ。一分でいい」
水蓮は凛とした表情で言った。
あ、少年漫画でこの展開見たことある、既視感がある、と具詩は思った。
「それではいくぞ」
「ちょっと心の準備がまだ……!」
具詩の制止も聞かず、水蓮はやすやすと展示ケースの中へと入って行く。水蓮が展示品として大事に扱われてきたであろう、化石に触れた瞬間。具詩は心を決めた。
「みなさん! こちらをご覧ください! アマグリトプスの動きを実演させて頂きます。えーと、はい、参ります!」
具詩は勇気を振り絞り、斜め掛けの鞄をかなぐり捨てて大きな声で叫んだ。
非常口のグリーンライトの下に立っている係員も、展示ケースの前を通りがかった客たちも、何事かと具詩を見つめた。
まだ不審者として警備員に捕まえられる気配は無い。具詩は深く膝を曲げ、手をヒラヒラさせながら、様々な化石の前を闊歩した。
カンブリア紀、デボン紀、ジュラ紀、白亜紀、生命の進化を証明する化石たちの前を、アマグリトプスを演じながら具詩が駆ける。最初こそあっけに取られていた客も、そのうち馬鹿にするような笑いを漏らした。
「ねぇ、あれさ、芸人さんの物まねに似てるよね~?」
「ティラノー? めっちゃウケる。あっは」
具詩にスマートフォンが向けられる。
「ノーテーキング、フォト! ノーテーキング、ムービー!」
一分はまだか、と具詩は薄れゆく自意識の中で感じていた。
係員がこちらに焦った表情で向かってくる、その横で具詩は水連が化石を元の場所に戻しているのを確認した。
「ごめんなさい、お騒がせしました」
具詩は平静を装って、その場から逃げるように立ち去った。その場にいた人たちは、そんな具詩をただ呆然と見つめ続けていた。
「逃げるぞ、具詩」
具詩が走っていると、丹治を背負った水蓮と甲木とアークの姿があった。
「元気になったの!?」
「うん、なんかごめん。あとありがと」
アークは心底申し訳なさそうに謝った。
「どうする、丹治に力を与えるのは今度にするか?」
「平気。ただ博物館からはかなり離れた方が良いと思うけど」
具詩たちは走りながら会話を交わした。背後を振り返ると、警備員が追いかけてきている。完全に不審者扱いだ。
「さて、具詩殿。どこまで参りますか? 甲冑が重いので、出来ればあまり走りとうのうございます」
「前から思ってたんだけど、甲冑脱げよな!」
具詩たちは立ち止るに止まれず、走り続けた。
ようやく普通に歩くようになったのは、博物館から蓬莱通りの方へとかなり近づいたころだった。
「この様子だとまた付喪神世界に行くのか? 振り出しじゃないか……」
「いや、別に付喪神世界まで行かなくとも丹治を復活させられるけど」
「んー」
アークの言葉に具詩は考えこんだ。丹治が目を覚ます瞬間、出来れば菊美はそばにいたいだろう。
「古道具屋まで行こう」
具詩の言葉に全員が頷いた。
「あら、あらおかえりなさい」
古道具屋の扉を開けると、そわそわと落ち着かない様子の菊美がいた。まだ眠ったままの丹治を見て、少し落胆した様子だった。
「色々あって結局戻ってきちゃいました。今から、アークに丹治さんの目を覚ましてもらいます」
「えぇっ?」
意外そうな表情で菊美が目を開いた。
「それじゃ」
水蓮が丹治を床に寝かせた。その横にアークが屈みこみ、丹治の額に手を当てた。額の上から、白色の柔らかな光が現れ、部屋の壁に反射していた。
「丹治、さん」
次の瞬間、丹治の身体を覆っていた青い膜がはじけ飛び、ゆっくりと丹治の瞳が開かれようとしているのが見えた。ぴくぴくと、目の下が痙攣している。
「丹治――!」
すでに涙でびしょ濡れになっている菊美が、床に膝をついて丹治を抱き締めた。
丹治は半身を起こして、その端正な唇を動かした。
「菊美、久しぶりだな。……随分、老けたんじゃないかあ」
菊美は丹治の胸元に鼻を押し付けて泣いていた。ぽんぽん、とまるで子供をあやすように、丹治は菊美の白く染まった頭を撫でた。
具詩たちはその二人の様子を遠巻きに見つめていた。
ふと、閉め忘れていた扉から風が吹き込み、店の奥から一枚の紙をぐるんぐるんと巻きあげた。その紙は古道具店の床を滑り、具詩の足元の前で止まった。
「手紙……」
具詩はその紙を拾い上げて、中を読んだ。そこには、菊美がこの前記していたメッセージがそのままあった。
――お互い色々あったけど、近いうちにまた会いましょう。
オレンジ一色、喜びの色を浮かばせていたその文字は、また変わっていた。
今度は喜怒哀楽、その四色をまるでせわしないイルミネーションのように、絶えずその光彩を変化させていた。
メッセージは変わっていないのに、不思議と既視感が無かった。
何もかも新しくなっていく、そんな予感がする。
菊美と丹治、抱き合う二人の胸の内を、このインクは知っているのかもしれない。
具詩は紙を握りしめ、にこやかに微笑んだ。




