3-6
「そうです」
エミルが頬に手を添えながら、しおらしく答えた。
「くっくっく、それはそれは」
水蓮が機嫌良さそうに笑みを浮かべた。
人間と狐の恋。それは珍しいものでもないのかもしれない。なおさら、狐世界と人間の世界の境界が曖昧になる、古都・甘栗の神社においては。
もちろん、エミルが人間の男と結婚するなんて、そんな大げさな話はしていない。ただ狐の嫁入りも、夢物語でもなかったんだなあ、と具詩はしみじみ感じる。
「よし、四君子の内の一つ、梅の花を土産にするとよい」
水蓮は瞬きをする間もなく、手の中に花をたっぷりとつけた紅梅の枝を一つ出現させた。
「凄い! 秋なのに梅があるのですか? 梅は春に咲くとばかり……」
エミルが満面の笑みで問いかけた。
「そうだ。付喪神の手にかかれば、季節の境目のなにもかもが曖昧になる」
水蓮は言った。
具詩たちは幸せそうなエミルの後ろ姿を見送った。
そして、具詩の脳裏に浮かぶのは、丹治と菊美のことだった。
付喪神と人間が恋をした場合は、どうなのだろう。紙にしたためた四色の文字が、最終的にオレンジだけになってしまった、あの狐の女性と同じ結果になるのだろうか。
――最後には、全て喜びになる?
菊美と丹治が迎える未来は、どんな色なのだろう、と具詩は考えた。
丹治とは、会ったこともない。知っていることはほとんどない。けれど、自分の力を使い切り、目を覚ませなくなるまで頑張った人だと知っている。
そしてそんな人が、菊美の夫なのだ。ほんわりと優しい雰囲気の菊美となんとなくお似合いのカップルだったんじゃないかと、勝手に具詩は想像する。
――丹治さんと菊美さんの未来は、俺達にかかっている?
水蓮は付喪神世界を完全に復活させれば、丹治が目を覚ますと言っていた。もちろん具詩もそれを信じ切っている。これから幾人もの付喪神を、あの付喪神世界に招き入れていけば、変わっていくのだろうか。
「それじゃ、行こうか。付喪神世界に」
具詩はサインの目の前に手を差しだした。サインは具詩の手に、玉虫色の不思議なインクに満ちたインク壺を渡した。
具詩たちはサインを連れて、菊美の待っている古道具店に帰った。
「ただいま戻りましたー」
「えぇ、あらおかえりなさい。貴方は……?」
古道具店の扉を開けると、待ちくたびれたような表情の菊美がこちらに来る。
そして見慣れないサインの姿を、キラキラと期待を込めた瞳で見つめていた。
「サイン。インク壺の付喪神」
いえーい、とサインはピースをしてみせた。具詩はサインの宿っているインク壺を菊美に見せた。
「まぁ、凄いインクだわ」
古道具なら大抵のものは見慣れているであろう菊美も、かなり珍しがっていた。それもそのはず、狐世界にずっと置いてあった品なのだ。一般の店に流通したこともないはずだ。もっとも、サインのインク壺が普通に販売されていたら、物珍しくすぐに買い手がつくだろうから、具詩とは出会えなかったかもしれない。
「それじゃ、サインを連れて付喪神世界に行きますね」
具詩はガラスのショーケースの前に立った。胸はドキドキとしていた。サインを招き入れた付喪神世界は、一体どういう変化をするのだろう。
サインが付喪神世界の中央に立つと、変化が起きた。
六畳一間にロフトを足したような空間。そこにさらに、ロフトの数が増えたのだ。宙に浮く空間は二つになり、螺旋階段が出現した。しかも、かなりスペースが大きい。
「おお~」
さすがの変化に、部屋で待っていた付喪神たちもぱちぱちと拍手を送る。浮いている二つの空間に、あの力尽きた小さな付喪神たちがこぞって入り込んでいった。
「へぇ、結構広いんだ」
サインが螺旋階段の一段目から跳躍し、空中で回転しながら言った。
「いや、元はもっと狭かったんだよ。サイン」
「俺狭いのも大丈夫だけど」
「そうとは言わず、この空間をこの広さのまま維持することに努めて頂けると、助かります」
バジルが言った。
「うん。まぁ、いいよ」
サインがロフトの床の上を滑りながら答えた。サインなら、他の付喪神たちとも上手くやるだろう、と安心して、具詩は水蓮に言った。
「悪いんだけど、外に出してくれる?」
「あぁ」
水蓮が具詩の肩を軽くたたいた。次の瞬間、具詩はガラスショーケースの外に立っていた。すると、菊美がサインの宿っているインク壺を興味深く見つめていた。
「たぶん、かなり珍しいものですよね」
「えぇ、えぇ見たことないですね」
「そのインク使っても減らないらしいんです。サインが言ってたんですけど」
「本当?」
信じられない、という表情で訊き返された。
「さあ……俺は使ってないですけど、菊美さん試してみたらどうですか?」
「あら、悪いわあ……」
菊美が控えめに顔の前で手を振った。
「大丈夫だと思いますよ。俺、そろそろ帰りますね」
「えぇ、今日はどうもありがとう」
菊美と別れ、具詩は電車の到着する時間を気にしながら駅へと向かった。
翌日、具詩はいつものように朝の九時に古道具店に来ていた。
「あれ、開いてない」
具詩が古道具店のドアを開けようとしたところ、鍵がかかっていることに気付く。
いつもならとっくに菊美が鍵を開けておいてくれる時間だ。
「菊美さーん」
「おはよう、具詩」
戸を開けて出てきたのは、菊美ではなく水蓮だった。あれ、と思いながら具詩は店の中に入った。
「今日はどうしたの?」
「しっ、ああいうわけで」
水蓮が指し示した先を目で追った。店の奥、テーブルの上に突っ伏して寝ている菊美の姿が見えた。
――これは珍しい。
具詩と水蓮は忍び足で彼女の方へと近付いた。する
と、机の上にはサインが宿っている玉虫色のインク瓶が置いてあった。
「結局、試しに使ってみたのかな……」
覗き込むようにして見ると、菊美の顔の下には一枚の紙があった。紙にはただ一文だけ。
――お互い色々あったけど、近いうちにまた会いましょう。
喜怒哀楽の四色でグラデーションのようになっていた文字は、一瞬で全て変化した。
オレンジ色へと変わり、そのメッセージを主張していた。
お互い色々あったけど、近いうちにまた会いましょう、丹治。
オレンジ色は太陽のように燃えていた。




