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「そう、そう。何通も手紙くれただろ」
「まぁね。カフェで喧嘩してたの面白かったから、どんな奴かなーと思って。だけどよく見てみると、あんた冴えないね」
「ぐっ……」
具詩は胸を抑え込んだ。冴えない男と言われることが、こんなに傷つくとは知らなかった。
「俺の名前はサイン。付喪神世界、行ってやってもいい。探しに来い」
楽しそうに笑って、サイン、と名乗った付喪神は姿を消した。
「逃げた。……水蓮、力を使えば簡単に捕まえられたんじゃないの?」
「それはそうだが、豆黒よりは融通が効きそうだ。しばらく鬼ごっこをしていれば、勝手に満足して付喪神世界に来てくれそうだ。力を浪費するまでもない」
水蓮はそう言って、肩をすくめた。力を使って手早く捕まえるか、時間がかかっても力の消費ゼロで捕まえるか、それなら後者の方がいい。具詩もそれには反論できなかった。
その時、さっきまで全力疾走していた子供が突然具詩の前に現れた。ルンルン、という効果音が付くようなスキップで、手には紙を握りしめている。
来た、と具詩は思った。
「お兄ちゃん、これ手紙書いたよ!」
「うん、ありがとう」
具詩は子供の背に合わせて身を屈め、手紙を受け取った。手紙は手汗で少し湿っていた。開いた紙の中には、黄色いインクで文字が書かれていた。外で読むには、かなり読み辛い色だった。
「さいごだ。ぐーた、きつねがよめにいく神社、さがしにこい」
書かれている文章は相変わらず幼く、また今回は字も子供の字だった。
「偉いね、手紙書いてくれてありがと」
具詩は子供の頭を撫でて微笑んだ。
「へへ。バイバイ」
鼻の下をこすって、子供は具詩の前から走って去っていった。
「狐が嫁入りをする神社、ですか。そうなるとシンプルに狐嫁神社が最後の場所、と考えれば大丈夫そうですね」
バジルが言った。
「それは近くにある?」
「いや、結構ここから離れてますよ。僕たちなら、そんなに移動も大変じゃないのですが」
「俺歩くの疲れたし……バスか電車でお願いしたいです」
具詩は首をぐるんと回して、庭を後にして、さっきのマップが張ってある看板のところまで戻った。
「狐嫁神社は……」
具詩がマップの上で指をさ迷わせていると、水蓮の指が差し出された。
「ここだ」
その場所は確かにこの純粋神社から離れている。バスでおよそ三十分、とマップには記されていた。三十分、今までの移動時間を考えるとかなり長い。蓬莱通りのパン屋から冬寺、そこからまた純粋神社へと、徒歩で十分もかからなかった。それがいきなり、バスで三十分かかるのだ。
――この狐嫁神社には、何か深い意味があるんじゃないか?
具詩はそう勘繰った。もしかすると、サインはその神社にまつわる何かの付喪神なのかもしれない。
具詩は純粋神社を出て、バス停に立った。時刻は午後四時半。秋風は冷たくなり、吸い込む息は冷たくて、思わずぶるっとするほどだった。今年の夏が信じられないほどの猛暑だったこともあり、その落差に体が吃驚しているようだ。
しばらくそこに立っているとバスが来た。
具詩はバスに乗り込んだ。水蓮もバジルも他の乗客には見えない。二人が立っているので、具詩も少し込み入ったバスの車内で立っていた。
ライブハウスとはどんどん離れて、馴染みのない景色が窓の外に広がっている。
具詩が六年前、大学に入った当初、ここから電車で何駅か離れた場所に部屋を借りた理由、それはひとえに金の問題だった。具詩が部屋を借りた場所は学生街で、古都という人気の立地にもかかわらず、割安で部屋を借りられたのだ。学校も近いし、ライブハウスも近くにあるし、具詩には好都合だった。
バンド活動が軌道に乗るのでは、と期待して就活をさぼり、結局何もないまま大学は卒業してしまった。その後に、集中して打ち込んできたバンド活動も、あの日の無人ライブで終結した。そのため、具詩はこのあたりを観光したことが一度もないのだ。
地元は他県なので、本当にテレビで見たことあるような有名な場所しか知らない。この土地の古道具屋で働くのだから、これからはもっと土地勘を持たないとな、と具詩はぼんやり考える。
「具詩、ボタンを押してくれ」
水蓮が具詩に話し掛け、具詩はハッとした。頷いて、赤い停車ボタンを押す。次は狐嫁神社前、次止まります、という女性のアナウンス音声が流れると具詩はほっとした。うっかり回想に耽って通り過ぎてしまうところだった。
「ありがとうございました」
小銭で乗車賃を一人分だけ払うと、具詩はバスから降りた。日がかなり西に傾いていて、影が濃く差している坂道が目前に見えた。観光客用に立っている看板には、堂々と大きい字で、狐嫁神社この先直進、と書かれている。
具詩は坂道を登り始めた。不思議と、観光客は下ってくる人はいるのだが、登っていく人はいない。もしかすると、参拝時間が終わっているのだろうか。
「もう門が閉じてるのかもね」
具詩が呟くと、
「そうだな。しかし、サインはそんなことは承知で俺達を呼んでいるのだろう」
トントン、と軽く地面を蹴りながら軽々しく水蓮は坂を上っていく。
「そうかも」
具詩は頷き、正面を向いて坂道を登り切った。坂の頂点には朱色の鳥居が立っていた。その鳥居はいくつも連なっている。鳥居をくぐると、そこは階段の一段目だった。坂道を終えた後の足に、階段はきつい。しかし弱音を吐いている暇もなく、具詩は階段を登る。
赤い鳥居が隙間なく立っているこの空間は、閉塞感があるのだが不思議と心が落ち着く。
黄昏の時間帯、朱色の鳥居と鳥居の隙間からは黒っぽい西日が差していた。
最初のうちは、降りてくる参拝客とすれ違い、会釈などしたりしていたが、徐々にそんな機会もなくなった。
やはりもう参拝時間が終わっているのだろうな、と思う。
「――?」
階段の一番上、具詩は門の前に置いてある看板を見た。そこには、参拝時間五時まで、ときっちり記されている。具詩が純粋神社近くのバス停にいたのが四時半ごろ。そこからバスで三十分かかった上に、ここまで到達するまで歩きの時間がある。五時は優に超えているはずだ。
「門を閉める人が忘れてるのかな」
門をまたぎながら呟く。左右を見渡してみるが、誰もいる様子が無い。
「具詩、右の方だ。見えるか?」
水蓮が右の方を指差して訊いた。右を向いて、具詩は吃驚する。赤提灯を手にした着物姿の女性たちがぞろぞろと草葉の陰から出現し、こちらに歩いてくる。もしかすると、寺の行事のために、参拝時間が終わっていても、今日はまだ門が開いているのだろうか。
その考えを水蓮が、
「あれは、人ではない。狐の妖怪だ」
と言う言葉で打ち消した。
「狐の妖怪?」
「人間に上手く化けてはいるが、正体はおおかた狐の小妖怪だろう」
「ふーん」
具詩の横を赤提灯を持った、大柄の花柄の着物を纏った女性が感情のない顔のまま通り過ぎていった。別に、具詩たちに見られていることは、気にしていないらしい。
狐の妖怪、と言われたが、どうしても具詩には人間の女性にしか見えなかった。
「いらっしゃい」
その声に反応して前を向き直すと、そこには赤提灯を持ったサインが立っていた。
「やっと見つけた」
具詩は一気に足に疲れを感じた。坂道に階段に、これで見つからなかったら骨折り損のくたびれ儲けだった。
「安心してよ。ここを最後にするし、付喪神世界に行ってやってもいい、って言葉も嘘じゃない」
「良かった」
具詩は水蓮とバジルを交互に見て、安心しきった笑みを見せた。サインを連れて帰ったら、ツゲもシャムも、甲木も双六も、何より菊美が喜ぶだろう。豆黒がどう思うかと言うのは、まだ分からないが。
「何でここに呼んだかって言うと、まぁ聞いて欲しかっただけなんだけど」
「何を?」
「身の上話だよ」
サインはあっけらかんと言った。見た目は子供なのに、身の上話を聞いてくれ、だなんてやはり中身は付喪神なのだな、と思った。
「この狐嫁神社がサインの身の上話と関係があるんですか?」
バジルが訊いた。
「俺が生まれた経緯とかには全く関係ない。だけど……」サインが意味深に間を置いて言う。「俺にとっては大事な場所なんだよ」
「ふぅむ、それでは話を聞かせてもらいたい」
「うん。狐の嫁入りって知ってる?」
サインは首を傾げた。
「天気雨のことだよな。晴れてる日に雨が降ったりする」
「正解、そういう意味で使う言葉だよ。だけど、本当に狐が嫁に行くってときの話をするよ」
具詩は話の続きを促すように頷いた。
「この鳥居は、化け狐の住んでいる世界と、人間の世界を繋げてしまうことがあるんだ。境目が曖昧になってて」
「さっきも狐の女の人が提灯持って歩いてたね」
「そう。ここではそんなに珍しいことじゃないんだ。人間の姿に化けた狐が、甘栗の街に繰り出して、本当に人間みたいに夜を過ごすんだ」
「へぇえ」
それは興味深いな、と思った。すれ違う人の誰かが、もしかすると人間に化けた狐の可能性があるということだ。
「逆もあって、人間が化け狐の世界に迷い込んだり、意図的に入りこんだりもある」




