3-3
「付喪神、どこにいるんだろう」
「ふぅむ、本堂にいると考えるのが妥当ではないだろうか」
水蓮が腕を組んで言った。ちょうど目前に本堂が見えていることだし、と具詩は歩き出した。本堂に靴を脱いで上がる。ひんやりとした木の板の感触を足裏に感じながら、具詩は本堂の中へと進んでいく。
「これは……」
本堂の中央に、黄金色の菩薩の像があった。息を飲みながら具詩はその菩薩を見つめていた。菩薩は決してそこから動くことは無いのだが、何もかも見透かされてしまうような、不思議な気持ちになりながら、具詩はそこに佇んでいた。菩薩の置いてある場所の両脇には、階段があった。関係者が掃除か何かのために使うものだろうか。階段の傾斜は信じられないほど強く、パッと見ではもう直角なんじゃないかとすら感じる。
――俺、絶対あの階段上ろうとしたら転ぶだろうな。
具詩はその階段を使って作業をする人がいるとしたら、相当凄いことだと思った。じっくりその階段に目を奪われていると、その階段の一番から足がにょきっと見えた。
「お寺の人かな」
そう思ったのだが、徐々に見えてくるその姿に首を傾げる。お坊さんが着用しているイメージのある袈裟ではないようなのだ。かといって、どんな服と形容するのも難しい。足にぐるぐると布を巻き付けたかのような、独創的な服を身に纏った人物が、傾斜の強い階段を、何度も降りては登り、往復しているのだ。
「あれも、この冬寺の何らかの道具の付喪神だろう」
水蓮が感心しつつ言った。
「そっか!」
具詩は手をポンと叩いた。物を大事にし続けて百年程度で生まれてくる精霊が付喪神なのだ。この冬寺でも、色々な道具が昔から大事にされ続けてきているであろうことは想像に難くない。具詩は階段をせわしなく移動している付喪神と目が合うと、ぺこりと会釈をした。階段にいる付喪神は、優し気な笑みを浮かべて会釈を返した。じーん、と具詩は胸を打たれた。今更ながら、付喪神が生まれるまでの、百年という時間がどれほど長いものか、理解できたような気がしたのだ。
「おー……」
よくよく周りを見てみると、参拝客と一緒に、付喪神らしき人物の姿が散見される。具詩に姿を見せてくれている理由は分からない。水蓮とバジルという付喪神を二人も連れているから、信用に値すると判断され、心を開いてくれているのかもしれない。
具詩がそんな状況に頬を綻ばせていると、明らかに毛色の違う人影を見つけた。
茶色の髪の毛はくせ毛っぽくとげとげしていて、その髪に縁どられた小さな顔には、悪戯っぽい笑みが浮かべられている。具詩は直感で、あれが手紙を寄越した付喪神だと思った。
「ちょっと待って!」
本堂の天井付近にぷかぷかと浮いていたので、具詩は背伸びして腕を伸ばした、しかし、ニヤリ、という笑みを残して、その人影は消えてしまった。
「豆黒と同じだな」
ふっと笑いながら水蓮が言った。
笑ってる場合じゃないよ、と具詩は軽くため息をついた。本堂から逃げ出してしまった付喪神を探そうと、具詩たちは本堂から外に出た。
具詩が引っかけた状態にしていた靴を履き直していたところに、激しく泣いている女性がよろよろと近付いてきた。
「ひく、ひっく、あの~」
「はい、どうしましたか?」
具詩は今度はあまり動揺していなかった。この事態が完全に予測できていたのだ。今朝、へらへらと笑う女性からの手紙、さっきは怒り狂ったパン屋の店主からの手紙、次もきっとあるだろうと構えていた。
「手紙ぃ~」
目と鼻を赤くして、しゃくりあげながら女性はポケットを漁った。
ゆっくりで大丈夫ですよ、と具詩が言っている間に、女性はポケットから手を引き抜き、手紙を取り出した。やっぱり、と具詩は目を見張った。
「書いたんですけど、ひっく」
「ありがとうございます、あとお疲れ様です」
具詩は少し申し訳なさそうな表情になって言った。付喪神のせいで彼女は感情に影響を受けているのだ。具詩たちと付喪神の関係に巻き込まれてしまったようなものだ。ぐずったままの女性から具詩は手紙を受け取った。通行人にからじろじろと嫌な視線を浴びながら、具詩は手紙を開いてみた。
すかさず手紙を持った具詩の背後に、水蓮とバジルが回り込んだ。
「つぎ、じゅんすいじんじゃのにわ。すっげーはしるやつのとこ、さがしにこい」
たどたどしい文章につられて、具詩もしたっ足らずに読みあげた。
文字の色は青色で、文字の形はやはり大人が書いたような安定感がある。
「純粋神社なら、ほんの少し歩いた先にあるではないか」
「純粋神社の庭園……までは分かりますが、すっげーはしる、とは何を指してるんですかね?」
「とりあえず、行ってみるしかないか」
泣いている女性が何事もなかったかのように平常に戻るのを確認すると、具詩たちは冬寺から出た。
車道横の道を数分歩き、純粋神社の前で立ち止まった。こげ茶色の木枠で出来ている、正門を越えて境内の端に打ち立てられているマップを確認した。
「庭園って、何か所もあるのか」
具詩は顎に手を添えて悩ましい表情を浮かべた。純粋神社には小さな日本庭園がいくつか点在しているようなのだ。一つ一つの場所が離れていて、捜索には時間がかかってしまいそうだった。
「全部を見て回るとなると、時間が気になるな。付喪神世界を長時間留守にしても、平気かどうか、まだ分からんからな」
「この前、僕と甲木だけで何時間も持ちましたから、大丈夫だとは思いますけど、絶対とは言い切れないですね」
「――?」
その時、具詩とマップが張られた看板の間をこじ開けるようにして進んでいった子供がいた。その子は半袖に半パン、秋口には少し寒そうな服を着て、快活に走り回っていた。
具詩は手紙の文面を思い出していた。すっげーはしるやつのとこ、さがしにこい。
具詩はもしかすると、と思いその子供の背中を追いかけた。
「具詩、急に走り出してどうしたのだ」
水蓮とバジルが怪訝そうな表情を浮かべて具詩の後を付いてきた。
「すっげーはしるやつ、見つけたんだよ。はっはっ……」
具詩はすぐに息が切れた。もとより体力には自信が無い。どちらかというとインドア派の人間なのだ。子供って何でこんなに元気なんだろ、と年寄りじみたことを考えながら具詩は必死に子供の背中に食らいついた。
――来た、来た、純粋神社の庭!
子供は具詩たちを導くように純粋神社の数ある庭の中の一つへと入っていった。きっとここで、付喪神が待っているはずだ、と確信していた。
具詩は子供を見失い、庭の湧水があるところで立ち止まった。
「はぁ、はぁ……付喪神は!?」
具詩は膝に手を置いて、肩を弾ませて言った。
「見当たらないですね」
バジルがオペラグラスを取り出して周りを見渡した。
具詩はその言葉を聞いて、地面に大の字になりたいような気分になった。
あんなに全力疾走したのは、高校生以来だった。しかも、高校三年生の新学期が最後だ。嫌々受けた体力測定の時以来の頑張りだったのに、無駄だったのかと肩を落とした。
「すっげーはしるやつ、ってあの子供じゃないのか」
そもそも神社という場所柄、せわしなく動くものなどないはずだ。しっとり、わびさび、ゆったり、のんびり、それが日本庭園の基本ではないか。
「どうもそうではないようだ。あれはどうだ?」
水蓮がベビーブルーの空を指差した。そこには細い雲を作りながら進んでいる飛行機が飛んでいた。
「すっげーはやい、けど走ってるって言うのかな」
具詩は目を細めて空を見上げながら思案した。飛行機が空を走っていく、なんて表現もアリだと思うけれど、あのとげとげ坊主がそんな表現を使うだろうか、と疑問だった。
「それでは、これはどうですか?」
バジルがため池の前でしゃがみこんでいった。ため池の中を覗きこんで見ると、そこには三匹のアメンボがいた。長い四本の足を器用に動かして、アメンボはすいすいと水面を滑るように進んでいく。確かに、すっげーはやい。それに走っていると表現しても差し付けない気がする。
「いた、これだ。すっげーはしるやつ」
具詩はくすりと笑った。
「……しかし、付喪神が何故か姿を見せる気配がないな」
水蓮が眉根を寄せて周りを見渡した。
そう、水蓮の指摘した通りなのだ。パン屋では布が垂れて来たし、冬寺では直に姿を見せてくれた。つまり、手紙に指定された場所に向かい、そこが正しかった場合はちゃんと迎えに来てくれるのは、間違いがないはず。
――じゃあ、すっげーはしるやつって、アメンボ以外のものってことか。
具詩は立ち上がって、庭を注意深く観察しながら歩いた。綺麗に刈り取られた木々に囲まれた湖には、丸い麩のような石がてんてんと浮かべられていた。湖の中央には渋い木の橋も架けられている。そのどちらも、すっげーはしる要素は無い。
どうしたものか、と思っていたその最中。具詩はついに発した。通り道の脇に生えた木に隠されていて分かりづらかったが、そこには電車があった。電車、と言っても昔にこの甘栗を走っていた市電――路面電車の一両が展示してあったのだ。まさかこんなものが外に剥きだしておいてあるとは具詩は思いつかなかった。
「電車! 答えは電車だろ」
具詩がそう言うと、
「ピンポーン、時間かかったけど正解をやるよ」
という声が聞こえた。その声は電車の中から聞こえていた。
「あっ、いた。とげとげ坊主」
具詩はその電車の中にいる、手紙を寄越したであろう付喪神と目が合った。
電車には小さな窓がたくさんついていて、その一つだけが開かれた状態になっていた。
「とげとげ坊主って俺のこと?」
いたずらな笑みを浮かべている付喪神に訊き返される。




