3-1
笑い声を不快だと思うことはそうない。
しかしそれが、薄気味悪い笑い声だった場合は話が別だ。
「うふふふふ、ふふっ」
「な、何か用ですか」
具詩は古道具店・菊夜堂に朝九時に出勤していた。古道具屋に入って、菊美に挨拶を終え、商品の点検をしていた時のことである。
表の郵便受けのあたりをガチャガチャといじくりまわしているかのような音に驚き、具詩は外へ飛び出した。
するとそこにいたのは、郵便配達員でもなく、新聞屋でもなく、セールスでもなく、本当に普通のOLだった。グレーの制服に身を包んだ背が高い女性が、古道具屋の郵便受けに何かを入れようとしているのだ。しかも、不気味な笑い声もセットでときた。
具詩はへらへらと笑い続けている彼女を茫然と見つめた。そしてようやく放った第一声が、何か用ですか、だった。具詩はもちろん、ポストを介さず人の家に直接何かを届けたことはない。この女性の行動に、具詩は心底困惑していいた。
「うふふ、手紙書いたからあ、あっはっは」
「手紙ですか?」
具詩は女性の手元をじっと見た。確かにそこには、紙が握られているが、封筒でなければハガキでもない。どちらかといえば、大きめのメモ用紙に見える。
「うっふ、手紙」
「あ、はい。分かったんで、もう大丈夫です」
具詩は女性に帰り道を指示した。
女性は笑い声を止めることもなく、ぺこりと頭を下げて帰っていった。朝の九時、どこで働いているのかは分からないが、彼女は会社に遅刻するのではないかと思った。わざわざ出勤前に、古道具屋の郵便受けに手紙を持って来るなど、到底理解できない。
具詩はおそるおそる、郵便受けの中を開いた。そこには、彼女の手の中で握りしめられていたらしい、くしゃりと縮こまった状態の紙が置いてあった。具詩はその紙を取って、くるくる裏返しながら眺めた。当然といえば当然なのだが、どこにも消印は付いていない。
――消印を付けられると不都合だから、直に届けに来たのか?
具詩は訝しみながらその紙を開いてみた。
「えっ?」
その紙に書かれていた文字は、具詩の予想だにしなかったものだった。てっきり、脅迫文か、それに近い内容が書いてあると思っていたのだが、そんなものとは180度違う内容だった。
「えーと……この前のいちごとパンケーキのけんか、おもしろかった。つくもがみ世界、はいってやってもいい、さがしにこい」
具詩はぶつぶつと声に出してその紙に書かれていることをなぞった。
「これ、あの女性が書いた文章なのか?」
具詩は顎に手を当てて首を傾げた。
あのへらへらと笑っていた女性の姿が脳裏に焼き付いている。変な人だなあ、という感想を抱いたが、どうもこの文面とあの女性がつながらない。この文面、どう考えても子供が書き記したものだろう。難しい漢字、付喪神という漢字はまだしも、面白い、とか探す、とか細かいところまでひらがなになっている。それに、文章の作りも何となく稚拙だ。
――でもこれ、人間の子供じゃないよな。
付喪神世界に入ってやってもいい、ということは手紙を書いたのは付喪神のはず。祖の付喪神が、おそらくあの女性に手紙を託したのだろう。不気味なほどに笑い続けている理由は解明できないが、おおかたの推理は合っている気がする。
具詩は少し状況が飲みこめてきたので、気を緩ませて、手紙の続きを読んだ。
「さがしにこい。ほうらいどおりでひとつだけ、あまざけでパンをつくってるみせ。ぐーたこい」
「俺ご指名かよ……」
具詩は爪先で唇の上をかいた。いきなり文章に登場してきた自分の名前にビックリする。
この文章を書いたと思わしき子供は、どうやらカフェで豆黒を捕まえようと苦戦していた場面を見ていたようだ。それが面白かったから、付喪神世界に入ってやってもいいと、かなり上から目線で言われている。
「菊美さん、俺ちょっと付喪神世界でこれ、みんなに見せてきます!」
具詩は古道具屋の中に戻り、菊美に紙を開いてみせた。
「えぇ、これは?」
菊美は目を細めて紙を見た。しかし、読めなかったのか、老眼鏡を取りに店の奥に行った。しばらくすると老眼鏡をかけた菊美が紙をまじまじと見つめた。
「たぶん、付喪神が書いたものだと思うんです」
「まぁ」菊美がぱちん、と顔の前で手を合わせた。「それじゃ、この方は付喪神世界に来てくれるのね」
「はぁ、でもなんか豆黒と同じ匂いがします……」
具詩はげっそりして言った。
豆黒と同じで、この手紙の付喪神も、捕まえてほしい灯って良そうな気配がプンプンする。
またあんな大変な思いをしないと、ダメなのかと思うと妙に疲れてくる気がする。
「いってらっしゃい」
「はーい」
菊美から手紙を返されると、具詩はガラスのショーケースの前に立った。
具詩は体感で三十秒後、付喪神世界に到着した。
そこに広がっていた光景はこの前と大きく変化していた。六畳一間に押し入れ、それしかないスペースに、付喪神たちがひしめき合うような状態だったはずだが、今現在、それが改善しているのだ。
六畳一間だったはずの間取りに、ロフトのような浮いている空間が継ぎ足されている。相変わらず六畳ほどの畳のスペースは健在だが、その上に宙に浮いた木製の階段が出来でいる。その階段の先にロフトは繋がるようにあって、押し入れにいたはずの、力尽きた付喪神たちがそっくり移っているように見えた。
「これって、もしかして豆黒のおかげで?」
具詩は目を皿のようにしながら、板張りのロフトの端っこに腰かけ、足をぶらぶらさせている豆黒に問いかけた。
「そうなんじゃないですか。ま、この前の狭さと比べるとかなりマシになりましたね」
「そっか。あれ、丹治さんは?」
具詩は背伸びをしてロフトを覗き込むようにして見た。部屋の押し入れは全開になっているが、そこに丹治の姿は見えず、普通の押し入れと同様に布団が収納してあった。
「あそこの一番奥に移動した」
水蓮が言った。
ロフトの一番奥、小さな付喪神たちに覆われて見えないが、そこに丹治はいるらしいことが分かって、具詩はほっとした。それにしても、丹治の身体は基本的に他の付喪神たちが群がっている。とても好かれている、ということなのだろうか。
「こんなに広くなったんなら、また新しく付喪神が増えても問題ないよな」
具詩は頬を緩ませて言った。
「ふぅむ? どういうことだ?」
「これ見てほしいんだけど」具詩は手紙を広げるとみんなの前に差し出す。「この付喪神世界に入りたい……じゃなくて入ってやってもいい、って内容」
「んー?」
付喪神たちはぴょん、と軽々しく跳んで、手紙の前に集まった。甲木と双六だけを除いて。
「すっげー、あれを見てたやつがいたんだな」
「順調に付喪神が増えていきそうですね」ツゲとシャムは嬉々として言った。
「これは、郵便受けに届いたもの?」バジルが訊いた。
「それがさ、へらへら笑ってる女の人が、さっき郵便受けにこの手紙を入れてて」
具詩が言うと、みんなの表情が一気に曇った。何かそれおかしくない? というような表情だ。
「子供の文章のようだな」水蓮が手紙から目をそらさずに言った。
「あ、そうそう。ひらがなで書いてるしね」
「文章を考えたのは子供だろうが、筆記したのは大人だろう。それが笑っている女性だったのかどうかまでは分からん」
「大人が書いた……?」
具詩は再び手紙の文章に焦点を絞った。言われてみれば、確かに大人びた筆跡だ。オレンジ色のインクで書かれているので、その溌溂とした印象にひっぱられ、子供が書いたに違いないと思ってしまった。
しかし、色を抜きにして文字の形に注目してみれば、カクカクとしつつも均整の取れた文字で、知性を感じる。大人にしか書けない文字だろう。
これは水蓮の推理に分があるな、と具詩は唸った。
「じゃあ、付喪神とあの女性が手を組んでる?」
「いや、付喪神の力で操られているのではないか」
「なるほど」
「それで、どうするんです? 僕は人が増えない方が、広々としてて助かるんですけど」
豆黒がふう、とため息をつきながら言った。
「人数を絞って行くことにしよう」
水蓮が人差し指を立てて言った。
具詩はこくりと頷いて同意した。結局、具詩と水蓮とバジルで行くことになった。新しく作り替えられたこの付喪神世界を、どの程度の力で維持できるのか、まだ未知数だ。念のために付喪神たちを多めに残すことにして、具詩たちは外に出た。




