第68話 アドルフの焦り、メルの企み
「いよいよ、あと少しでロマルク帝国の本営のあるベルンだ。諸君、神兵の力を思い知らせろ!」
アドルフの言葉に、神兵の少年少女達はうなずく。彼らは7、8才の弱年ながら、戦闘力ではそこらの軍人に負けない実力を持っている。しかし、かつての神兵に実力では遠く及ばないでいた。アドルフが外に向けて発信し続けたのは、虚像に過ぎない。そうしなければ、神兵計画は再び頓挫する憂き目にあうと彼も知っていたからだ。
「ドラーム帝国の興廃はこの戦いにかかっている。皇帝の首をあげろ! もはや我らに退路は無い、前進あるのみだ」
熱烈な弁舌をふるうアドルフを冷ややかな目で見つめる女性がいた。長い黒髪に眼鏡をかけ、白衣をまとう女。そのお腹は大きく膨らみ、臨月に近かった。メル=シュナイダー博士。神兵計画の技術責任者であり、エルザらを作り上げた主謀者でもある。
「勇壮な言葉だな。命令無視で立場も危ういと言うのに。まあ、私は研究が出来れば良い。アドルフ。貴様との間に出来た子も順調に育っている。私の計算が間違っていなければ、エルザに勝る神兵が産まれるだろう。もはや、貴様は用済みだ」
全く情愛のこもらない言葉。アドルフとの関係は利用し、利用されるだけに過ぎない。今回、彼に付いてきたのも神兵の仕上がり具合を確かめに来たからである。10年前と違い、資金も人材も覚束ない中での神兵の育成は苦労した。たが、ようやく華々しい機会が巡って来たのだ。見届ける価値はある。
「姉様、進軍準備が出来ました。しかし、よろしいのですか? あの女を巻き込んで。正直、すぐにでも射殺したいのですが」
そう言って現れたのは、ナーシャ=シュナイダー中尉だった。アドルフの副官たる彼女はメルの妹にして、神兵の1人である。最も第1世代の中では能力が低く、廃棄されそうになった。しかし、メルの妹という事で何とか生き残り、軍人としての道を選んで今に至っている。
「気持ちは分からんでも無いが、今は止めておけ。あの女には主犯になってもらわねばならん。だが、皮肉な事にイザベッラ=エマヌエールは不妊症なのだ。どうあがいても妊娠出来ん」
イザベッラとメル達が出会ったのは、マルスという港町であった。ここはドラーム帝国の対岸にあたる場所であり、オイゲンやアドルフ達が上陸した場所でもある。そこでメルとイザベッラは話し合い、利害が一致した。こうして、2人はレオナルドを誘拐する作戦を共同で行う事になる。
メルはレオナルドの身柄を利用し、エルザ達の動きを封じる為に。イザベッラはレオナルドの子を宿す為にだ。ところが、イザベッラの体をメルが調べた結果、子宮に排卵障害がある事が判明。その事を本人には未だに伝えてはいない。
「今までの悪行の報いですか? しかし、彼女もしぶといですね。船から脱出した後、海流に流されて定置網漁のブイに引っ掛かっていたなんて。漁船に助けられる所といい、悪運が強いと言うか」
もう1人引っ掛かっていたらしいが、発見した時には既に亡くなっていたようだ。さんざん、わがまま姫に振り回された末の死。老侍従マリオ=ベルリーニの死に顔は、不思議と穏やかだったらしい。
「悪運だけで生き残るとは大したものだよ。さて、ナーシャ。お前の任務はレオナルドの子を宿し、産む事だ。そうすれば、イダルデ王国の後継者に神兵の血をひく者がなれる可能性がある。成功すれば、今回の任務が失敗しても軍上層部は私達を処断出来なくなるだろう。イダルデ王国復活の手駒が出来るのだからな。ここに強制発情剤と排卵促進剤がある。持っていくがいい」
メルが渡す薬品を手にするのをためらうナーシャ。自分自身が納得している訳では無かった。あくまでも姉の保身が最優先された策に、嫌気が差しているのが現実だ。悩み苦しんでいる妹をメルは叱りつける。
「ナーシャ! 危うく廃棄処分されそうになったお前を救ったのは誰だ。姉である私だろう。今こそ、恩を返すべき時だと思うがな」
「‥‥分かりました。任務を必ず成功させて見せます」
敬礼し、去っていくナーシャを見て、メルは1人つぶやく。
「後は運だな。ナーシャを生かしていて正解だった。このままだと私も粛清されかねん。頼んだぞ、不肖の妹よ」
帝国歴1856年5月16日深夜。ロマルク皇帝暗殺を目指し、神兵達は動き出す。だが、それはロマルク側に筒抜けの状態であった。彼らの近くにいた影の騎士の諜報員が、通信機片手に報告する。影の騎士専用の極秘回線であり、ドラーム帝国でも傍受が出来ないと言われる代物だ。
「こちら、カラスより鷲へ。ネズミは餌に食いついた。狩人達に準備を請う。なお、王冠に手を掛けるネズミあり。注意されたし」
「こちら、鷲。了解した。狩人の準備は出来た。王冠は箱にしまってある。安心されたし。以上、通信終わり」
ナーシャ「姉様にしろ、アドルフにしろ、人を利用するだけよね。どうして、好きでもない男の子供を産まねばならないの。はあ、イザベッラ姫もいるし、どうしたものかしら」
あの世にて‥‥
マリオ『ようやく、イザベッラ姫から解放された!! 苦節20年、長かったですぞ。あっ、涙が出てきましたな。イダルデ王国の復興を見れなかったのは残念ですがね。さて、私は速やかに退場しましょう。レオナルド様、イダルデを頼みましたぞ!」




