第4話 出発
言葉の主はボサボサ頭の痩せた眼鏡男だった。軍服を着ていなければ、軍人と言うより学者のように見える。そんな男が困ったようにエルザの事を話し出す。
「スタンコ軍曹は食料をより多く消費しますからな。どこに転属したか、遠く離れた帝都からでも手に取るように分かりますよ。腹ペコ死神の名は伊達じゃない」
「たくさん食べないと働けない。食べ過ぎは自分でも自覚しています」
「‥‥分かっているのなら、少しは自重してくれたまえ」
パンを食べながら、エルザは悪びれず答える。腹ペコ死神とは、敵味方共に恐れるエルザの異名である。敵からは悪魔のような戦闘力で。味方からは、鉄の胃袋を持つ大食漢として。
かつて所属した部隊で、1週間分の食料が3日で無くなる事もあったらしい。その分、並外れた功績をあげるので文句も言えず、影で泣いた軍人が数知れずと聞いている。
レオナルドは、それを指摘した士官を見て嬉しく思う。さすがは兵坦部隊の番人と呼ばれた男だ。
「貴方がグレゴール=ゼリシュ中尉ですね。デスクワークの達人と聞いています。貴族士官の数多くの不正を摘発したとか」
「確かに不正は見つけました。ですが、全て無駄でしたよ。貴族連中にとって、前線の兵士が飢え死にしようが構わんのでしょう。平民を駒と考える者が多すぎですからね。不正をした者らは釈放され、私は記録室送りです」
レオナルドの称賛をグレゴールは苦虫を噛んだように否定する。貴族達は特権を持ち、それを行使する事で罪を逃れた。何も出来なかった自分が情けないのだろう。
「そんな貴方だからこそ、私は部隊に加えたんです。不正を正し、多くの人々を救う為に。これからは、その才能を存分に生かして欲しい。全ての責任は私が持ちます」
「今まで会った事が無いですね。ここまで真剣に他人の事を考えている人は。面白そうですな。よろしくお願いします」
握手を求めるレオナルドに応じるグレゴール。盛り上がる隊員達。と、そこへ車が一台やって来て、レオナルド達の前で止まる。中から現れたのは、長い赤髪と起伏に富んだ体つきの女性であった。レオナルドを見るや、笑顔で抱き着く。
「レオ君、久しぶり~~。元気だった?」
「えーーと、アーンナ先輩? どうして、こちらへ?」
「もっと喜んでよ! アーンナ=エシェンコ大尉は本日付でレオ君の部隊副官になりました。よろしくね」
満面の笑顔で敬礼するアーンナを見て、エルザは顔をしかめた。何故なら彼女には素行面で大きな問題があるからだ。
(女性受けが非常に悪い。男に媚びを売る言動は、自分には理解不能)
エルザは数多くの隊を渡り歩いてきたが、彼女の評価は男女で大きく違う事を知った。男の隊員達は、『素敵な女性だ』と声をそろえて言う。女の隊員達は、『あざとい』『男に好かれたいだけ』と否定的だった。
そして、エルザには彼女を嫌う明確な理由がある。かつて彼女のせいで、上官が1人亡くなったからだ。嫌悪感をあらわにしたエルザはアーンナに苦言を呈する。
「エシェンコ大尉、隊長が困っています。その辺にして頂きたい。隊長、部隊の皆が今回の任務内容を知りません。任務内容を教えて頂けないでしょうか?」
「そうだな。エシェンコ大尉、離れてくれないか? 今から部隊の任務について話をするから」
「ちょっと! 誰よ、私とレオ君の邪魔をす‥‥るの‥‥は」
アーンナは、抗議の声を発した人物をにらみつけた。自分の出世と幸せの為に、是が非でも手に入れるたい優秀な後輩。その再会に水を差されたからだ。しかし、それがエルザだと気づくと慌てて表情を取り繕う。
「‥‥あら、貴女はスタンコ少尉かしら? 相変わらず化け物じみた武勲をあげているのね。でも、女を捨てすぎるのもいけないわ。お洒落をした方がいいんじゃないかしら?」
「そんなのは、私には必要ありません。誰かさんと違って、男に媚びてまで出世をしたくありませんので」
アーンナの指摘に呆れた様子で拒絶するエルザ。辺りには一触即発の空気が漂いだし、レオナルド以外の男達は逃げ腰になった。
「誰かさんって、私の事!? 貴女、私がこの部隊の‥‥」
「止めたまえ、2人とも! そして、エシェンコ大尉は離れてくれ。着任早々、いきなり争い事を起こさないで欲しいものだな。スタンコ軍曹の言うように任務について話そう。皆も聞いて欲しい。今回の任務は‥‥」
争いを止め、今回の任務を部隊に説明するレオナルド。それを見たアーンナは、反省しながらも内心ほくそ笑む。士官学校時代も優秀だったが、軍でもその優秀さは変わらないようである。スダール少将に対する蛮勇には驚いたが、こうして何も処分を受けていないのを見れば、運も強そうだ。
(レオ君、出世しそうね。有望株の男は断られるか、婚約者がいるかで付き合えなかった。以前、彼氏だった男も大した男じゃなかったし。今回は逃がさないわ。スタンコ軍曹がいるけど敵じゃない。これといった起伏も無い、痩せた女なんてねえ)
負ける要素は何も無いし、浮いた噂も聞かない。他の女性兵士も自分程には美人はいない。自信を深めたアーンナは自分の世界に浸っている中で、レオナルドは隊員達に命令を下す。
「‥‥と言う訳で、今から出発する。総員すぐに準備にかかれ!」
「「「はっ!」」」
敬礼し、隊員達は自分のすべき事をするべく走り出す。アーンナは1人取り残されてしまった。
「えっ? えーと、レオ君」
「‥‥聞いて無かったんですか、エシェンコ大尉。今から移動するから車に乗って欲しい。リブニク前線基地まで強行軍で行く。最前線の戦場ですので、色々と覚悟はして下さいね」
レオナルドの言葉に沈黙するアーンナ。すぐに笑顔を見せるも、心の中では絶叫が響き渡っていた。
(そこって、この世の地獄と言われてる戦場じゃない。いやあああ、行きたくない!)
だが、軍人の命令は絶対である。結局、アーンナは泣きながら任地へ向かう事となった。道中の指揮車の運転席でため息をつくエルザ。後部座席では、アーンナが泣き疲れて眠っている。
「‥‥本当に軍人なんですか? エシェンコ大尉殿は。戦場を怖がるなど情けなさすぎますが」
「言いたい事は分かるが堪えてくれ、スタンコ少尉。確か先輩は事務畑出身だったはずだ。数字と書類は得意だからな。ゼリシュ中尉と同じ後方支援担当だと思ってくれ」
助手席からフォローするレオナルドに、うろんな目を向けるエルザ。彼女は知っている。アーンナの実力は男達の犠牲の下に成り立っている事を。
「どうだか。フォンターナ特務大尉、彼女には気を付けて下さい。深入りすると危ないですよ」
「それは無いよ。女性は人並みに好きだが、今は恋愛などしたくない。まだ‥‥‥‥を忘れられないからね」
エルザの耳に、レオナルドが小声で言った女性の名前は聞き取れなかった。彼の辛い表情を見れば、その女性と会えなくなった事は分かる。それを見た彼女は胸を締め付けられた。
(まるで昔の私を見てるよう。悩みくらい聞いてあげようかな?)
エルザはそう思いながら、リブニクへと車を走らせるのだった。
主な隊員の年齢は以下の通り
レオナルド 20歳
エルザ 18歳
ボルフ 32歳
グレゴール 26歳
アーンナ 22歳