自覚と芽生えのとき
助けられていたのは、俺の方だった。
そんなこと、誰かに言われなくとも分かっている。
ただ、そのことが俺の矜持の高さが許さなかったんだ。
俺は、ラナンに助けられている。
俺は、こころからラナンを恨んでいる訳ではないんだ……本当は。
ひとり、俺だけをラバースに残して出て行ったラナン。
そして、レジスタンス「アース」なんてものを作った、ラナンを……恨んだだけ。
そう。
俺はただ、兄弟喧嘩をしているだけなんだ。
そんなダサいこと、周りのラバース兵に見つかっては恥ずかしい。
だから俺は、全力でラナンを倒そうとしてきた。
けれども、力の差は歴然。
殺そうと思えば殺せたのは、いつだって、ラナンの方だった。
今回は、俺の属するラバース最高位Sクラスの副隊長、ゼルヴィスが任を任された。
ラナンは、どうなるのであろうか……。
心臓が、バクバク鳴っている。
昔からこうなのです。ラナは、レナが少しでも悪く言われると、目の色が変わり、少々乱暴になるのでした。一卵性の双子。ラナにとってレナは、もうひとりの自分のような、大切な存在なのです。レナにとってのラナの存在は、残念ながらそうとは言えないようなのですが……実際のところは、当人にしか分からないこと。ただ、先の戦いでは間違いなく、レナは本気でラナを殺そうとしているように見えました。
「へぇ、さっきもそうやったが、お前みたいな能天気でも、ちゃんと怒った顔も出来るんやなぁ」
ゼルはラナを見下すように言いました。それに腹を立てたのは、やはり僕とアトでした。
「ラナを悪く言うな!」
アトは両手を前に突き出し、黒魔術の呪文を唱えようとしました。それを制したのは先ほどから部屋の中で事の次第を見ていましたヤイでした。ヤイはアクアリームでの出来事を知っています。直接見ては居なかったようなのですが、僕やアトから話を聞いて、知っているのです。ラナはアトが黒魔術士であることを隠し通すために、たったひとりで何十人もの兵士を相手にしていたという事実を……。
「アト、ラナに任せるんだよ」
そう言って、アトの肩に手を置きました。するとラナとゼルは、お互いの間合いを詰めはじめました。
「……行くで!」
先に仕掛けたのは、ゼルでした。ゼルの剣技は基本通りに従った無駄のないものであり、かなりの腕と洞察力がなければ交わすことは困難でした……が、ラナはやはり、いとも簡単にゼルの剣を振り払ってしまうのです。
「今度は俺の番だ!」
ラナの剣技には言うなれば型というものがありません。剣を向ける相手によって、基本通りの型で応戦したり、基本をまったく無視した動きをしたりと、変えてくるのです。ラナは柄を長く持ち、ゼルに向かって剣で襲い掛かっていました。その切っ先は、ゼルの急所を突く訳でもなく、端から見ると、ただ無茶苦茶に剣を振り回しているかのように思われました。相手になっているゼルからしたら、それはもう、なめられているとでも思ったのでしょう。呆れた表情でラナに一気に詰め寄りました。
「がっかりや。何やこの剣捌きは。やっぱお前は最下位クラスの落ちこぼれや!」
ゼルの剣がラナの急所を狙って襲い掛かりました。しかしラナは笑みを浮かべていました。そしてゼルの剣を後ろに飛びのき回避すると、瞬時に斬り込みに出ました。
「何や!?」
慌てて受け止めようとしたゼルでしたが、ラナの動きはゼルの目測よりも速く、鋭いものでした。ラナの剣がゼルをついに捕らえたのです。
「くっ……!」
ゼルはいったんラナとの間に距離を置きました。
「何や、何で避けられへん!?」
ゼルは焦っているようにも見えました。肩に軽く、傷を負ったようですが、ラナはまだまだ、本気を出しているようには見えません。むしろ、手を抜いているように僕には見えました。
「お前は俺には勝てない」
ラナは剣をグッと持ち、ゼルにかざして見せました。
「何でさっきの一振りを交わせなかったか、分かるか? お前が俺の剣の間合いを勘違いしているからだ」
「そんなはずあるか!」
すぐさま反論したゼルは、怒りに任せて剣を床に突き刺しました。
「俺はさっきのお前のでたらめ撃ちで、全てを読んだんや! 目測を誤る訳がない!」
ラナは頷いていました。
「そう。その読んだものが、そもそも間違っているから、避けられないんだ」
「何やと……」
ゼルは分からない……というような顔をしていました。それを見て、別にラナは馬鹿にしているつもりではないのでしょうが、笑みを浮かべていました。
「まだ分からないのか? ほら、この柄のところを見ろって。俺はさっきまで、ここを握っていたんだ」
そう言い、ラナは柄の一番下を握って見せました。種明かしです。それを見て、ゼルはようやく自分のミスに気づいたようでした。
「そうか……柄の握る位置を変えて、剣の長さを長く感じさせ、最後の一撃は柄を短く持ち、俺の読みより速く攻撃出来るように仕向けたんやな……」
その様子を、アトは目をまるくして見つめていました。ますますラナに尊敬の眼差しを向けているようです。
「……リザート様の言うとおりや。お前はただの最下位クラスの兵士やない。そして、馬鹿でもない」
ラナは照れながら頭をかきました。
「それは言いすぎさ」
「そうです。ラナは少し抜けている所がありますからね」
僕がクスクスと笑いながら言いました。その言葉にラナは、プッと頬を膨らませて可愛らしく怒っていました。
「リオ、そいつぁねぇだろ……」
ラナは不服そうでした。
急に子どもっぽいラナに戻ったその様子を見て、ゼルはもう一度、「ラナン」という男を見直したいと思ったようです。ゼルはこれまで、ラナとは命令もきちんとこなせない、ラバースを裏切った不届き者だと思っていたようです。しかし何となく、ラナは自分が思っていたよりもしっかりとしていて、何よりも強いと、このとき初めて感じたはずです。
剣士なら、剣を交えなければ分からないこともあり、剣を交えれば分かることもあるのです。
一件落着したと思いました……そのときです。外から女性の悲鳴が聞こえてきました。
「悲鳴だ!」
ラナは廊下の窓を開け、躊躇せず二階から外へと飛び降りました。それを見て驚いたのは、ラナという者の性格が未だつかみきれていないゼルでした。そんなゼルのことを尻目に、僕もラナの後を続くよう、窓から飛び降り、外の世界へと繰り出しました。
「止めてください……」
大きな布を頭から被り、顔を隠している少女は、弱弱しく自分を取り囲む男たちに言いました。
「へぇ、可愛い声だなぁ。さぞかし顔も綺麗なんだろうなぁ」
そういうと、男は少女の顔を隠している布を無理やり取ろうとしました。少女はそれを拒みます。
「嫌です、止めてください」
「いいじゃねぇか!」
「よくねぇ!」
少年のような声が響くと同時、男は頭に回し蹴りを喰らい、脳震盪を起こしかけ、足元がふらふらとしていました。その隙に、声の持ち主ラナは、少女の前に出ました。
「くそっ……何すんだ、このガキが!」
「誰がガキだってぇ!?」
男の鉄拳を、ラナはいとも簡単に避けてしまい、さらにはかかと落としを決め、男を地に伏せました。勝ち誇ることもなく、ラナは単に、「ガキ」ではないことを証明出来たことだけに満足すると、ようやく追いついた僕の存在に気づいて、手を上げて挨拶を交わしました。
「早かったですね、片付けるのが」
「リオこそ、見ていたくせに……そこで」
「おや、バレていましたか?」
同じくらいのタイミングで外に飛び出した為、僕もとっくにこの現場に居合わせていましたが、僕まででしゃばることはないと思い、家の物陰に身を潜めていたのです。
「あ、あの……ありがとうございました。おかげで、助かりました」
ひとり取り残された少女は、どうしていいのか分からないといった様子で、とりあえず、僕たちに頭を下げて来ました。
「いや、いいって、いいって。えっと、無事でよかったな」
そのとき、背後からゼルの声がしました。ゼルも、ラナ、そして僕の後を追って、ここまで来ていたようです。
「ラナン」
ラナはゼルの方を向きました。
「もう一度出直してくるわ。アンタのこと、もっと調べる必要が、あるみたいやでな」
「いやぁ、もう来なくても……」
ゼルは笑って手を振って、ラバース宿舎へと帰っていきました。その様子を、ラナは優しい目で見送っていました。そこに、ゆっくりと僕が歩み寄りました。
「一件落着ですね」
僕は、流石です……というような顔で言いました。するとラナは、片付いたものはゼルのことか、この男のことか、どちらだろうと疑問に思ったような顔をしてみせました。
「あぁ、ゼルの件ですよ。この男なんて、あなたの敵じゃないですからね」
「まぁな。あったりまえじゃん」
僕とラナのやり取りを見ていた少女は、困った表情で身の置き場を探しているように伺えました。
「どうしたんです? もう大丈夫ですよ?」
僕が声をかけても、少女はまだ黙っていて、そこを動こうとはしませんでした。それを見て、ラナが不意に声をかけました。
「……ひょっとして、行く宛てがないのか?」
少女はこくりと頷くと、少し戸惑った様子でマントを深々と被っていました。それを見たラナは僕の目をじっと見て、ラナが今何を考えているのかを、僕に悟れと訴えかけてきました。それを僕はしっかりと受け止め、深く頷きました。それを見て、ラナはにぱっと笑みを浮かべました。
「なぁ、俺たち、旅をしてるんだけど、よかったら一緒に来ないか?」
布のせいで顔がよく見えなかったけれども、少女はその言葉に少なからず驚いているようでした。それはそうでしょう。会って間もない、お互いに名前すら満足に知らない者が、いきなり共に旅をしようだなんて、普通ではありえませんからね。
返事が返ってこないところを見ると、ラナは少女の顔を覗き込むようにして、言葉を発しました。
「嫌か?」
「……あの」
少女が口をようやく開きました。
「……よろしくお願いします」
小さな声でした。そして、その言葉と同時に頭に被せていたマントを取りました。すると、美しい金髪に青い瞳が見え、長い髪の毛をポニーテールにし、その髪は紫のリボンで結んでいました。整った顔立ちは、美系というよりは可愛らしい感じで、まだ幼さとあどけなさを残した表情をしていました。
そんな少女を目の前にしたラナには、異変が起きていました。このような反応を見せたラナを、僕は見たことがありませんでした。まるで、その少女の瞳に吸い込まれるかのように、ただただ立ち尽くしていて、今のラナは隙だらけだったのです。鼓動が高鳴り、胸が熱くなるような感じなのでしょう。
僕には分かりました。
ラナは、一目惚れをしている。
「私は、ルカナと申します」
その言葉で、ラナは我に返りました。
「あ、えっと……俺はラナ。こっちがリオ」
少女ルカナは、優しく微笑みました。その微笑みは、まるで天使のようでした。
不穏な空気が流れる中、髭を生やした短髪の男が玉座の間に腰を下ろしていた。それも、かなり不機嫌そうに……。
「クランツェよ……ラバースは一体何をやっている」
「すみません、陛下。例の男がなかなか捕らえられないのです」
「元ラバース傭兵の男か。全くもって、目障りだ。即刻始末せよ」
「……お言葉ですが、なぜ陛下はあの男にこだわるのですか?」
「お前は主君に刃向かうのか?」
「いえ、失礼致しました」
そのときである。後方から低く冷たい声が響いてきた。その男は長身で、髪が逆立っている。気の強そうな、二十代半ば頃の者である。
「お待ちください、陛下。その命令を私共にも下していただけませんか?」
上座に座っていた男はにやりとした。
「レイアスか……よかろう。ジンレート、やってみるがよい」
「御意」
ジンレート。
フロートの誇る魔術士部隊「レイアス」の隊長である。