狙うもの、狙われるもの
一時間ほどすると、階段を上ってくる足音が聞こえてきました。すると、ラナは目をぱちっと開け、起き上がりました。眠りについていても、いつどこで命を狙われるか分からない身ですから、足音など、普段聞きなれない音を聞けば、すぐに身体が反応するよう出来てきました。
「おはようございます、ラナ。気分の程は、いかがですか?」
「うぃ……よく寝た」
「そのようで」
そして、トントン……と、ドアのノック音が聞こえてきました。
「夕餉の準備が整いました。よろしければ、一階の食堂へお越しください」
シサの声でした。ほっとした僕たちは、顔を見合わせると扉の方に顔を向け、応えました。
「ありがとうございます。直ぐに行きます」
シサは扉を開けることはなく、一階へ下りて行きました。その直ぐ後を追うように、僕たちもベッドから降り、一階へと向かいました。木造立てで、ところどころ床が軋む音がしました。
食堂へ行くと、シサの母君でしょう。華奢で髪はウェーブのかかっている、目尻にはしわのある女性が、招き入れてくださいました。エプロン姿のお二方は、とても可愛らしく、女性らしく見えました。
「娘を助けてくださったそうで、ありがとうございました。私は、シサの母、シーラよ」
「シーラさんですか。いえ、こちらの方こそ助けられました。実は、ちょうど宿を探していたところだったので。さらには、このような御もてなしを……ありがとうございます」
僕が頭を下げると、シサは慌てて「とんでもない」と訂正を入れました。
「これは当たり前のことです。ほんのささやかなお礼ではありますが、一生懸命作りましたので、どうぞ、温かいうちに料理を召し上がってください」
テーブルには、パンにスープ、サラダにボリュームあるお肉。そして、郷土料理のように見える山菜の和え物が並んでいました。
「ケーキも焼いてみました。食事が終わりましたら、お持ちしますね」
「すっげぇ! これ、みんな食っていいのか!?」
ラナは、目をキラキラと輝かせながらシサとシーラさんに目を向けて、訊ねました。どう見ても、ふたりでは食べ切れそうにはないほどの量です。これをすべて平らげようとしているのでしょうか。確かにお腹は空いていますが、それは無理でしょう。
「ラナ……。シーラさん、シサさん。おふたりもご一緒しませんか? 僕たちふたりで食べていても、いつもの光景になってしまいますし。皆さんで食べた方が、きっとより美味しくいただけますよ」
「そうだな! みんなで食おう!」
するとラナは、シサの手を掴んで席まで案内しました。いきなり手を掴まれたシサは、びっくりしていましいたが、ラナの無邪気さに押され、嫌そうな顔はしていませんでした。
「言葉遣いは悪いが、可愛い女の子だねぇ」
「あ……いえ、ラナは男性ですよ、シーラさん」
すぐさま訂正を入れると、シーラさんは驚きの表情で僕を見ました。
「てっきり女の子かと思っていたよ。男性って、いくつぐらいの子なんだい?」
「二十歳だ!」
シサを席に座らせたラナが、半ば怒るようにそう叫ぶと、シーラさんは更に驚いた顔をして見せました。背丈も低く、声変わりもしていない。どう見ても女の子にしか見えないラナが男、さらには成人しているとは、誰も思わないのでしょう。立ち寄る村ではよくこのやり取りは見られるため、僕の中では日常化しています。それでも、何度見ても飽きないほど、ラナが可愛く見えました。
「おや、坊やかと思っていたよ。可愛い顔して……銀髪銀目のお兄さんに、緑の……瞳?」
シーラさんが不思議そうにラナの顔を覗き込みました。すると、ラナは大きな瞳をぱちっと開けたまま、口元だけ笑って見せました。
「緑の瞳……気持ち悪いか?」
その問いかけに、シーラさんもシサも、答えることはありませんでした。まるで無かったかのことのように、食事を勧めて来たのです。これもまた、よくある光景のひとつでした。そのため、ラナは気にしていない様子で椅子に座ると、もぐもぐと食べたいものから順に食べ始めました。
「リオ、どうした? 食べないのか?」
「そうですよ、リオスさん。冷めてしまいますよ?」
「……そうですね」
目を伏せて、僕も席に着きました。シーラさんも、シサも悪いひとではありません。緑の瞳というものに、慣れていないだけです。けれども、こういう対応はいつ見てもいい気分にはなれません。
「いただきます」
ラナが気にしていないように振舞っているのに、僕が気分を害した顔をしていては、こうして御もてなしをしてくださっている宿主にも申し訳ないですし、ラナのように気丈に振舞いました。ラナは何事も無かったかのように、ひたすら食事を進めていました。
「温かい料理をこうして口にするのは、久しぶりなんですよ」
「そんなにも長旅を?」
「えぇ……パレナの街を出てから、ムズ地方の山を抜けて此処まで歩いてきましたから。食料も底をつく寸でのところでした」
僕はこの重苦しい空気を変えようと、話を振りました。
パレナの街は栄えていて、そこで食料を出来るだけ買いだめしておいた為、ここまで歩いて来ることが出来ましたが、ムズの山の獣道は、体力を大変削られるものでした。ベッドで眠るということだって、約一ヶ月ぶりの事となります。村に寄ろうと思えば、途中で下山し、ケレット地方へ歩いていった方が早かったのですが、訳あって、あえて険しい道を選んで来ました。
「パレナって……あんな遠い街からひたすら歩いてきたのかい? お兄さんはともかく、そっちの坊や、よく歩けたものだ」
「坊やじゃねぇ、ラナだ!」
タンっと机を叩いて立ち上がると、ラナはむっとした表情でシーラさんを見ました。心底怒っているように見えて、これは単に駄々をこねる子どもみたいなもので、特別気にする必要が無いことを僕は知っています。
「失礼したねぇ。ラナくん、道中獣に襲われはしなかったのかい?」
「俺、腕っぷしには自信あっから」
そういうと、再び食事を進めるラナなので、先ほどの坊や扱いされたことは、もう頭には無いのでしょう。ムッとしても、それを引きずらないのはラナのいいところのひとつです。普通のひとなら後々まで根に持つようなことでも、ラナは切り替えが早く次のことに専念するのです。どちらかといえば、僕は前者の根に持つタイプのため、ラナを見習わなければと思うのですが、長年の癖というものは、抜けませんね。それでも昔と比べれば、ラナの影響を受けて性格が丸くなったと自負しているのですが……。
「リオスさんは強そうですわ」
シサが僕の前に置いてあったグラスに、赤ワインを注いでくださいました。お酒は特別好きな訳ではありませんし、いざと言うとき酔っていては剣の扱いに支障が出る可能性があるため、それを口にしようか躊躇いました。
「ラナさん、あなたもお飲みになりますか? この村で採れたぶどうで作られた赤ワインです」
ラナが成人しているとは、まだ信用していないのか、僕のグラスには何も言わずに注がれたワインを、ラナにはどうするかを訊ねていました。
「さんきゅー。でも、酒はやめとく。リオは飲んでいーぞ」
「えっ……?」
僕は、その言葉を聞いてラナの顔を見ました。しかし、ラナは僕の視線には気づいていないふりをして、食事をやめませんでした。
「せっかくなんだから、リオ、たまには酒でも飲めって」
「……分かりました。いただきますね、シサさん」
そう言い、まずはグラスを口元に持ってくると、いきなりは飲まずに、香りを嗅いでみました。美食家というわけではありませんが、これは念のためです。ラナがこれだけ食事をしているのですから、ワインにだけ毒が含まれているとも考えにくいところでしたが、用心するのが癖になってしまっているようです。
香りに異常がないことを確かめてから、僕はそれを一滴、口に含みました。僕の実家のある村でも、実はワインが作られている為、それなりに赤ワインは飲みなれているつもりでしたが、こちらのワインは僕のところのものより、日に当たっていないのか、渋みのあるものでした。これはこれで、癖になりそうな味です。
「いかがですか?」
「程よい渋みがたまらないですね」
そういうと、シサはにこりと微笑み満足そうにしていました。シーラさんは、新たに焼きたてのパンを運んでくると、僕の肩に手を置きました。
「あんた、いい男だねぇ。うちのシサの婿にならないかい?」
嫁をもらうとか、婿に入るとか。僕の頭の中にはありませんでした。今するべきことは、この世界を昔のような平穏で安全な国に戻すため、レジスタンスを成功させること。それ以外は興味を持っていませんでした。
「ありがたいお話ではありますが、やるべきことがありますので、ご遠慮いたしますよ」
そして、にこりと微笑みパンをいただきました。
「それは残念だ。そっちの坊やは……宿主には向かなさそうだしねぇ」
その視線の先には、お腹が満たされ眠くなったのでしょう。机にうつ伏せになって、安らかな寝息を立てて眠っていました。
「すみません。行儀がなっていなくて……ですが」
僕は立ち上がり、自分の着ている上着を脱ぎ、それをラナに掛けてあげると、シーラさんとシサに視線を移しました。
「このまま、寝かせてあげてもよろしいでしょうか。疲れているんだと思います」
「勿論、構わないよ」
シーラさんは笑顔でそう応えてくださいました。僕はまた、一口ワインを含んでから、お礼を告げました。
しばらく僕らは談笑しながら、夕餉を終えました。ラナはすっかり眠りの奥底についていたので、起こさないよう抱きかかえると、そのまま二階の僕たちの部屋へと運びました。ベッドに寝かせ、布団を掛けると、むにゃむにゃと寝言を言いながら、寝返りを打っていました。それでも起きる気配が無かったので、僕も壁側のベッドに横になり、眠りにつきました。
久しぶりのシーツの感触は心地よく、お酒も回っているからか、すぐに眠れました。
「……てめぇっ!」
「……?」
大柄な男が、俺の顔を見るといきなり襲いかかってきた。着いたばかりの小さな村は、平穏な空気をかもし出していたが、この男はこの村の者ではないのだろうか。とりあえず、振りかぶってきた男の拳を交わすと、俺は剣を抜いて男の腕に向けて切っ先を振り下ろした。すると、鋭い刃は男の腕の肉を断ち切った。
「うわぁーっ!」
「うるさい」
とどめを刺そうと、男を蹴り倒し剣の切っ先を首筋に向けたそのときだった。
「よせ!」
男のような、女のような声が、響き渡った。
気配を感じて目を覚ました僕は、嫌な予感を覚えつつ、隣で寝ているはずのラナの姿を確認しようとしました。
「ラナ!」
気づいたときには、ラナは二階から飛び降り、声の方に向かって走り出していました。それを見て、僕も後ろを追うように階段を駆け下り、宿の外に出ると、すでに遠くになっているラナの背中を探し、駆け出しました。男の悲鳴とは珍しい。何が起きているのかは、おおよそではありましたが、想像が出来ていました。
追手が来た。
角を曲がり、時計台の方へ走ると、剣の切っ先を首筋に当てられた大柄の男。その男は昼間、シサを襲っていた男に違いありませんでした。そして、その大柄男に剣を向けている男の容姿は、少年。色素の薄い茶色の髪。青の瞳を持ち、ラバースの軍服を着ている、二十歳の男。
「よせ!」
ラナの声が、夜の町に響く。
「レナ、よすんだ!」
レナン。通称、レナ。孤児であるラナの唯一の血縁者……双子の、弟でした。
「ラナン……漸く追いついた」
「あぁ。レナとはやりあいたくないから、遠回りしていたんだよ」
ラナは、レナが剣を男から退けないのを見ながら、慎重に事を運ぼうと、少しずつ近寄りつつも、レナもそれに気づかない訳はなく、男の喉に更に切っ先を近づけていました。
「ラナン。この男を助けたいなら、俺と勝負しろ」
「レナ。俺はお前とはやりあいたくない。いつだって、そう言っているだろ!」
ラナは説得を試みていましたが、これまで何度ラバースを辞めるよう言ってきたところで、説得が成功したことはありませんでした。これは、大掛かりな兄弟喧嘩です。僕が口を挟んでいいことではありませんでした。そのため僕は、男を助け出す機会をうかがいながらも、様子見の位置を保ちました。
レナは、レジスタンス「アース」を滅ぼす為の任務を課せられた、ラバースのSクラスの兵士のひとりでした。
「どうやら、お前の命は無いらしい」
「こ、殺さないでくれ……っ」
命乞いする大柄の男に向けて、容赦なく剣を振り上げ、一気に振り下ろしたその刹那……剣の軌道を変える為に、一発の銃弾が放たれました。剣の刃に命中した弾丸は、鉄で出来ているであろうその刃を粉砕すると、そのままどこかえ消えました。
何が起きたのか分からないというような目で見ているのは、この場に居る者の中では、大柄の男、ただひとりでした。
「本気を出したな、ラナン」
ラナは、剣士でもありましたが、腕の立つ銃撃士でもありました。「グレイス」という名の愛銃を左手に持ち、レナに向けたまま、その場に立っていました。
「今のうちに逃げてください」
僕が男に声をかけると、男は腰が抜けているのか、おずおずと後ずさりしながら、この場からその名の通り逃げ出すように消えました。
「さぁ、続きをしようか」
「武器もないのにか?」
男が逃げたのを見守ってから、ラナは銃を下ろし、レナに背を向けました。その行為を見てレナは、口角上げ、厭味を含めて言い放った。
「武器が無い? お前の目は節穴になったようだな」
「?」
僕とラナは同時に、レナを見ました。すると、レナの手には何か……起爆装置のような物がありました。そしてそれを何かと認識するよりも早く、ラナは銃弾で撃ち払おうとしました……が、一瞬遅く、レナはボタンを押しました。すると村の至るところで爆音が響き渡り、煙が上がりました。
「爆弾……っ!」
ラナはレナに背を向けて走り出しました。
「リオは水を!」
ラナは、燃えている家の中に飛び込んで行きました。そして、僕は消火を命じられたので、時計台の下が噴水になっていることを思い出し、そこから水を汲もうとしました。しかし、レナがそれを阻みました。
「俺と勝負しろ、ラナン! リオス!」
「そんなに闘いたいのなら、いつでも僕は相手になりますよ……この火を消し止めてからになりますが」
厭味を含めてそういうと、僕は集まってきた村人たちと共に、桶で水を汲み始めました。それをリレー方式で火災の起きている家に向かって水を掛けますが、とても追いつきません。黒い煙が燃えガって行きます。そんな中にラナや村の人が取り残されていると思うと、居ても立っても居られなくなりました。
「燃えて塵となれ」
「レナ!」
僕はきりっとした目つきで、レナを睨みました。何故、兄弟なのに……唯一の家族なのに、殺しあわなければならないのか。僕は悲しくなりました。同時に、何の罪も無い村人を巻き込んだ彼に対して、怒りを覚えました。
「あなたと言うひとは……」
僕が剣を抜こうとしたところでした。レナも指折りの剣士ではありますが、僕は負けるつもりはありませんでした。これまで、レナとの戦闘を避けてきたのは、レナがラナの弟だからです。ラナはレナのことを可愛がっていました。レナにどれだけ憎まれようと、殺されそうになっても、レナには決して手を出さなかったラナの為に、堪えてきたのです。しかし、今ならラナはこの家の中。ここでレナと戦っても、ラナに知られることはありません。
僕にとって、ラナは絶対的存在です。かつ、忠誠を誓っています。それでも、レナだけは……いつかは、倒さなければいけない敵なのですから、ラナの手ではなく、僕の手で蹴りをつけようとしたのです。
「僕が相手になります」
するとレナは、にやりと笑みを浮かべました。この言葉を、まるで待っていたかのように。
この火は、ただ単に村人を焼き滅ぼすためではなく、僕たちを本気で怒らせ、レナに決闘を挑むよう仕組まれていたのだと、漸く気づきました。
剣を抜き、レナに向かって構えました。レナは先ほど、ラナによって刃を砕かれた剣を僕の方へ向けました。
「せっかくやりあえると思ったのに……この剣ではな。またの機会にしよう」
「逃がしませんよ」
「逃がしてやってくれ」
燃え落ちそうな家から、ラナは家人を背負いながら出てきました。火傷を負っていましたが、足取りはしっかりとしています。
「……死ななかったのか。次こそは、しとめてやる」
そう言って、レナは僕たちに背を向けこの村を後にしました。炎は、やがては村全体を覆うほどの大火事になってしまいました。
「火をとにかく消さないと!」
「えぇ、分かっています……分かっていますが」
「僕に任せて」
そのときです。背後から小さく幼い声が聞こえてきました。僕とラナが同時に振り返ると、そこには、黒髪黒目の十歳くらいの少年が立っていました。黒髪黒目といえば、黒魔の特徴です。
「あなたは……」
「ウォーター」
手をかざして、言葉を発すると黒い光が結集し、そこから水が溢れ出しました。
「すげぇ! 魔術か!」
ラナが小さな少年を見て、感心していました。耳を越すぐらいまでの髪の長さで、まだ幼いからか、声変わりもしていませんでした。すっぽりと被るマントを見にまとい、火災場所を回って歩きました。
少年に頼ってばかりではいけませんので、僕は火消しを手伝い、ラナは怪我人が居ないかどうか。鎮火された家に入っては、ひとを助け出てきました。そのラナの身体は焼けどと煤で真っ黒になってきていました。
三時間ほど経過しました。やっとのことですべての火を消し去り、村人全員を、噴水前時計台広場に集め、怪我の手当てを僕とラナが中心になってはじめました。
「お前たちは疫病神だ!」
「すぐに立ち去れ!」
中には、平穏な村の生活を脅かしたと、僕たちを非難するものも居ました。けれども、シサやシーラさんが、僕たちのことを庇護してくださり、おかげで僕たちの手当てもすんなり受けてくださりました。
魔術を使って火消しを手伝ってくださった少年は、居場所に困るというような感じでひとり、おろおろとしていた様子で、それを見たラナは、いったん手を休めると、少年の方に向かって歩きました。
「さんきゅな。助かった。俺はラナ。キミは?」
「えっ……あ、あの……僕は、アトラ」
おずおずと少年は答えました。おそらくは、黒魔だから「悪魔狩り」をされると勘違いしているのでしょう。村人さえ、助けられた身であるのに、この少年を見て感謝するひとも居ましたが、殆どが怯えるものでした。レナの軍服を見て、ラバースもといい、フロート国が攻めてくるのではないかという不安にも、掻き立てられている可能性はあります。ここはすでにフロート領の村ですので、このような損害を得るべき場所ではありません。それが、僕たちが立ち寄ったが為に、被害を被ったのです。僕たちは、恨まれても仕方がありませんでした。
しかし、黒魔であるだろうこの少年は、この村人にとっては命の恩人。守られるべき存在であることに、違いはありません。
「アトっていうのか。魔術かぁ」
「え……あ、うん」
「アトは、黒魔だよな? へぇ、久しぶりに生で魔術見た。なぁ、リオ」
「そうですね」
黒魔術を扱っていた「彼」と別行動をはじめてから、しばらくが経ちます。元気にしているかどうかを、知るすべはあるにはあるのですが、向こうから伝書鳩代わりに、「フア」という青い鳥が飛ばされてこない限りは、相手の居場所、行動が読めない状態でした。
「……驚かないの?」
「ん? 何に?」
アトは、おどおどとした目で、ラナを見ていました。そんなラナの顔は先ほどまでのレナに対する怒りはどこへ置いてきたのやら、清々しい顔をしていました。そして、にこやかに笑うと、アトと同じくらいの背丈になるよう、しゃがみました。
「アト、俺たちと一緒に来ないか?」
「ラナ!」
僕はその言葉を聞いて、すぐさまラナの名前を呼びました。それはつまりは、レジスタンス「アース」に入らないか、ということだからです。確かに、僕たち剣士だけの部隊ではなく、魔術を扱える人間が居るのは心強いですし、この子はどうやら独り身のようですから、独りで旅をさせるよりは、僕たちが守りに入ってあげたほうが、安全かもしれません。ただ、今回のように、ラバース……要するに「フロート」に追われている身。もし万一捕まるようなことがあれば、この子は瞬殺されることでしょう。危険が大き過ぎます。
「このような子どもを危険に晒すのは……」
「大丈夫だって。何かあったら、俺が守る……それに」
ラナは、アトの頭を撫でながら、僕に言葉を続けました。
「言っただろ? 次の町には何かある気がするって。きっと、この出会いのことだったんだ。なんかさ、運命感じるだろ? わくわくしてきた」
その言葉を聞いて、僕はふっと溜息をもらすと、思わず自然に笑みがこぼれました。
「運命を信じるんですか? ラナは……」
「命は運ばれるものだからな」
すると、ラナはアトの頭を撫で、怪我人のところへと向かいました。薬草や消毒薬を用いて村人の手当てをはじめました。自分自身も、酷く火傷を負っているというのに、自分のことは気にせず、手当てに励みました。
「ラナさん、あなたの手当ても……」
シサがラナのところに、救急箱を持って来てくださいました。するとラナは、手で制しました。
「俺は大丈夫だ。これくらい、何とも無い」
それを聞いて、僕はふと不安がよぎりました。ラナの中で今回の一件、どのように処理しているのかと、気になったのです。しかし、ひとには触れてほしくない傷というものもあります。ラナから言い出すまでは、今、何を思っているのか。これからレナに対して、どう接していくのか。そういうことを聞くのは、やめようと思いました。
「それより、アト。俺とリオと、三人で旅をしないか?」
一通り、村人の手当てを終えると、ラナは再び勧誘をはじめました。そこまで魔術士にこだわっているというわけではないと思うのですが、ラナのいうその「運命」というものを信じているようで、ラナはどうしても、アトに一緒に来て欲しいようです。
「僕は……黒魔なんだよ」
「知ってるぞ?」
アトは、恐る恐る言葉を紡ぎだしたのに、ラナはあっさりと応えて見せました。するとアトの方が驚いて、後を続けました。
「怖くないの?」
「魔術士の仲間が居るんだ」
そういうと、アトは僕の方を見ました。おそらく、僕がその魔術士の仲間だと思ったのでしょう。直ぐに僕は、否定の意をこめて首を横に振りました。
「僕ではありませんよ。サノという仲間が居るんです。今は、別行動をしているんですけどね」
「それじゃあ、僕は居なくても……」
「なんでだ?」
ラナは、アトの頭を撫でるのをやめると、アトの小さな手を握って目をじっと見つめました。
「アトは、アトだろ? サノの代わりだとか、そういう風には思ってない。ただ単に、一緒に来てくれたら嬉しい。それだけのことだ。嫌なら、断ってくれたっていい」
アトは、迷っているようでした。
「決める権利はアトにある」
そういうと、ラナは立ち上がりました。
「ただ、俺たちについてくると、危険は伴う。今回の一件、どこまで見ていたのか知らないけど、ラバースから追われてる身だ。勿論、犠牲なんて出させたくないし、アトのことは、俺が守る」
「……どうして、僕なの?」
アトがそう訊ねるのは、当然のことでしょう。これまでの二年の旅の中で、白魔術士にも出会いましたし、黒魔術士にも出会ってきました。それでも、ラナは決して旅仲間として誘おうとはして来ませんでした。それなのに、こんな小さな子どもを引き入れようとするなんて。僕には、理解の域を超えていました。
「僕にも、聞かせてください」
「だから、運命!」
僕とアトは、二人そろって顔を見合わせました。どうやら、ラナは本当に単なる勘というもので、決めているようでした。これ以上何を言っても無駄だということを知っている僕は、ラナ側に回ることにしました。
「アト……あなたは、黒魔という立場上、フロートから狙われてきてはいませんか?」
「……」
アトは黙り込み、下を向きました。案の定だったのでしょう。フロートは、徹底的に悪魔狩りをしていましたから、このような子どもでも、見つけ次第殺そうとしてきていたのでしょう。そんな中をひとりでくぐり抜けてきたというのなら、それは素晴らしい能力です。
「アト、僕たちが守ります。僕たち、こう見えてもなかなかのやり手なんですよ」
ラナは得意気に笑みを浮かべました。
「俺がラナ。こっちはリオ」
「よろしくお願いします、アト」
僕たちの自己紹介を聞いて、逃げられないとでも思ったのでしょうか。アトは、困った表情を浮かべながらも、黒魔を受け入れてくれるひとを、これまでに出会ってこなかったのでしょう。ほのかに嬉しそうな笑みを浮かべると、ラナから差し出された手を握り、顔を上げました。
「ふたりに、ついて行くよ」
「うぃ!」
ラナは嬉しそうに笑みを浮かべると、空を見ました。夜明けが近く、そろそろ出発のときとなりそうです。この村の復旧まで手伝うべきかもしれませんが、僕たちも単に旅をしているわけでもなく、時間にゆとりがあるわけでもないため、出発を選びました。結局、久しぶりにベッドで眠ることが出来たといっても、ほんの数時間で終わってしまいました。食料調達も出来なかった為、次の街で買い込むしか他はありません。
「シサさん。シーラさん。お世話になりました。そして、村の方々。本当に、申し訳ありませんでした。ご迷惑をお掛け致しました」
「……確かに、お前たちのせいでこうなった」
村長と思われる老人が、僕たちの前に出てそう告げました。
「しかし、あの少年はラバースの軍服を着ておった。その気になれば、この村の被害はもっと出ていたのであろう」
これ以上の被害というものは、おそらくは無かったと思います。僕もラナも、そこまではさせません。それより、ここまで多くの倒壊が出てしまったことを、本当に申し訳なく思いました。ラナの胸にも、その言葉は強く刺さっていることでしょう。
「悪かった。すべて、俺のせいだ」
「ラナ、あなただけのせいでは……」
そういいかけて、僕は言葉をやめました。こんな言葉でラナが癒される訳は無く、むしろ、庇護されれば余計に傷つくと思ったのです。
「なぁ……ひとつだけ、頼みがあるんだ」
「何かな?」
長く伸びた髭を触りながら、村長はラナを見ていました。
「ここに、黒魔の子どもが来たとは、言わないで欲しいんだ。もし万一、この先ラバースやレイアスの兵士が来ても、ここへ立ち寄ったのは、俺とリオだけだと言って欲しいんだ」
「何ゆえに?」
ラナはとても真面目な顔で応対していました。
「護りたいからだ。アトを……悪魔狩りなんて、させやしない」
その言葉を聞いて、アトは目をまるくしていました。そして、ラナの方を見ながら嬉しそうに微笑みました。村長は、しばし間を空けてから、うなずいていました。
「その黒魔の子にも、助けられた恩がある。内密にしよう。よいな、みなの衆」
集められていた村人たちは、結束力がありました。村長の言葉に頷き、賛同の意を表明してくださいました。
もしかしたら、ラナの目的はこれだったのかもしれません。悪魔……いえ、黒魔狩りを少しずつ失くす為に、第一歩を、きっかけを、作ろうとしたのかもしれません。
「ありがとな! さてと……行くか!」
ラナが剣を背負って、出発の声をかけたときでした。
「リオスさん」
背後から、シサが声をかけてきました。手にはふっくらとした布袋がありました。
「夕餉のパンの残りなんですけれども……よろしければ、持っていってください。次の街までの、足しにしてください」
「よろしいんですか?」
シサは嬉しそうに微笑み、その袋を僕に手渡してくださいました。ご好意をありがたく受け取った僕は、頭を下げお礼を言うと、先陣切って歩き出したラナの後に続いて、歩きはじめました。勿論、アトも一緒です。
こうして、長かった二人旅に新たな仲間が加わり、三人の新たな旅がはじまることになりました。