レジスタンスのはじまり
「諦めるな! 諦めなければ、人間、何だって出来るんだ!」
だから、ひとは夢を見る。
「俺を信じろ! 自分を……信じろ!」
だから僕たちは、彼を信じ……そして、自分たちを、信じ抜いた。
西暦七一二〇年。第四次世界大戦において、三十世紀程まで栄えていた科学というもの、ありとあらゆるものは滅び、そして、人類は死に絶えた。核戦争において、自らの身を滅ぼしたのだ。過去の人類というものは、生活楽に任せ、科学に頼りすぎ、そして、電力不足、資源不足を招き、自らの手法ではどうにもならない核というものに、依存し過ぎてしまったのだ。その結果がこれだ。すべては、なるべくしてなった。
地球というものは、今はない。
今あるものは、「セルヴィア」という名の神が創った、新たな世界。
ディヴァイン。
地球の後継だ。
それは、神話かもしれない。実話かもしれない。ただいえることは、その神を信仰するものは、少なくないということだ。
僕もまた、その神、セルヴィアを崇高するもののひとりだった。
「次の町まで、まだ随分とありますよ」
「えぇ~……腹減った。リオ、なんか食いもんないの?」
通称リオ。正式にはリオス。それが、僕の名前だった。銀髪銀目の中肉中背。年の頃は二十二。銀髪銀目というものは、この世界では珍しいものではあるが、僕の生まれの村では皆、この特徴を受け継いでいた。もともとは、黒髪黒目の地球でいう「日本国」という古代の国があった地域に当たるといわれている。けれども、古代語……いわゆる日本語を僕たちは話すことは無い。古代文明についての資料は無いに等しく、知っているものは皆無だった。
「食べ物と言われましても……」
僕は、食料袋を取り出すと、残りわずかな干し肉を取り出し、相手に見せました。一切れしか残っていない干し肉を見ると、背丈の低い青年は、がっくりと肩を落としました。
この少年の名はラナン。通称ラナ。年の頃は二十歳。色素の薄い茶系の髪に、色白で華奢な身体。そして、どう見ても女の子にしか見えないほどのつぶらな瞳は、どこまでも澄んだ、見たことも無い緑色をしていまます。
この容姿こそ、僕が彼と行動を共にしようと決めた、最初の決め手だったかもしれません。
この世界は広い。今まで、色々なところを旅してきましたし、色々な文献も読んで来たつもりではいましたが、瞳が緑の人間、いえ、生き物なんて、この世界には存在しなかったのです。ただ、ひとつの存在を残しては。
セルヴィア。
神の容姿は、美しく透明な肌で、緑の瞳を持っていた……と、聖書には書かれています。ただ、セルヴィアは髪さえも緑色だったと記載がありました。比べてみるとラナの髪は、ブロンド系です。やはり、神の生まれ変わりなどではないのかもしれません。それでも、他の誰よりも、神に近い存在なのではないか……と、当時荒んでいた僕のこころを動かすには、充分な要因でした。
しかし、そんなラナを神の化身だなんて思うものは少なく、むしろ異端児として扱われることが多く、人々に奇異な目で見られることなんて、ざらでした。
「食べていいですよ?」
僕はそういって、残り一切れとなった干し肉をラナに差し出しました。すると、ラナはふるふると顔を横に振り、手でそれを制しました。
「駄目だ。それはリオの分だろ?」
確かに、前の晩にラナはすでに自分の分は食べきってしまっていました。けれども、僕は特別にお腹が空いている訳でもなかったですし、ここでラナに餓死されては困るので、これくらいお安い御用だと思ったのです。
「でも、次の町まであとどれくらいかかるか、分かったものではありませんよ?」
「うぅ~……」
ラナは、頭を抱えてその場にしゃがみこみました。そろそろ日暮れが近い。このまま歩いていても、今日は次の町には辿り着けそうにありません。つまりは、食料調達が出来ないということです。僕たちは、もう何日も歩き続けていました。そして、何日も野宿を繰り返していました。ラナも、野宿に耐えられない子どもではありません。けれども、代謝がいいのか、よく食べよく眠り、よくお腹が空くのです。
「ラナ、遠慮することないですよ。僕がいいと言っているのですから」
「駄目だ」
僕も頑固な性格だと自分で思っていますが、ラナもまた、その上を行く頑固ものでした。
「ラナ……では、半分ずつ食べましょう」
僕はそういうと、手で干し肉をふたつに引き千切り、大きく切れた方をラナに差し出しました。それでも納得しないようで、首を縦には振らないラナを見て、僕は根負けし、干し肉を再び袋にしまいました。
「いいんですね? 我慢出来るんですか? 明日までまたお預けですよ?」
「うぅ……我慢する!」
僕は、くすっと笑うとラナの頭を撫でました。ラナは僕にとって、可愛い弟のような存在でもありました。僕は、大家族という訳ではありませんが、姉と小さな弟が居るので、子どもの対処法はそれなりに心得ているつもりでいました。
「ラナ、木の実でも探しに行きますか?」
「うぃ、そうだな!」
僕は再び笑みを浮かべると、山道から外れ、獣道へと歩み始めました。それに続いて、いえ、僕を追い越して、ラナは更なる獣道へと突き進んでいきました。腰に携えていた短剣を僕たちは取り出すと、歩きやすいように小枝を切り落とし、足場を固めて前に進みました。
「薬草もあれば、確保しておきたいな」
「そうですね」
「それじゃあ、俺が薬草探すから、リオはなんか今日食えそうなもん、探してくれるか?」
ラナは、もう成人済みというのに、声変わりをしておらず、子どものような高く澄んだ声で僕に指示を与えました。年齢的には僕の方がふたつ年上ですが、僕はラナに忠誠を誓っているひとりの旅人であり、剣士でしたから、ラナの指示に快く従いました。
「えぇ、分かりました」
そういうと、僕は空が橙色に染まりはじめたのを確かめると、これ以上暗くなる前に出来るだけ食料にありつけるよう、木の実やキノコなどの菌類を探して歩きました。ラナは腰をかがめて、野草に目をやり、傷口に塗れるようなものや、乾燥させて飲み薬に出来るような薬草を探して、見つけては短剣で切り落として袋に分けながら収集していました。
ラナが薬草係りの方についたのは、食料を前に走り出しそうになるからではなく、僕よりも、薬草についての知識が長けているからです。ラナは、こういう知識や武器類の知識など、様々な情報を持っていました。
それは、僕たちが「ラバース」に所属していたときよりも、ずっと前から持ち合わせた知識のようでした。
この世界は今、王国「フロート」が世界を殆ど征服している状況です。最後まで抵抗していた「クライアント」王国が破れてからは、「フロート」は誰も寄せ付けないほどの権力を手にしました。
フロートの右翼軍には「レイアス」という魔術士……それも、「神子」と呼ばれる特別な魔術士によって構成されている軍隊が聳え立っています。人数はそれほど居ませんが、魔術士部隊であるだけでも、脅威なのです。一般市民は剣術さえままならず、それを「魔術」という力で押し付けられれば、この世界で生きるものは恐怖を植え付けられるだけであり、「フロート」の言いなりと化していったのです。
神子。
魔術士には、三つの種類に分類されています。まずは、天使と歌われる「白魔術師」。傷を癒す、魔術を防御するなど、防衛力に長けている魔術師です。ただし、魔術では怪我は癒せますが、病気を癒すことは出来ないそうです。女性に多いように思われます。
そして、天使と歌われありがたがれる存在とは真逆である、通称「悪魔」と呼ばれるもの。それが「黒魔術士」です。黒魔術士は、攻撃重視であり、魔術士ならば一目で区別がつきます。容姿に特徴があり、漆黒の髪に瞳を特徴としているからです。
最後に「神子」と呼ばれる魔術士なのですが、彼らは黒魔術、白魔術、どちらも使うことの出来る、まさに神からの力を受け継いだかのように思われるほどの、圧倒的な力を秘めています。
「フロート」は、白魔術士には眼中を置いてはいません。防御力をいくらつんだところで、力の差で神子が負けるはずがないからです。ただし、黒魔術士に対しては、目くじらを立てて、捕獲……並びに、世界中に「黒魔狩り」を徹底し、見つけ次第処刑しているのです。攻撃力の高い黒魔術士が、手を取り合いフロートに楯突いたときの事態を想定してのことでしょう。
「黒魔は悪魔」
そう言い聞かせられている民は、黒髪黒瞳を見つければ、すぐさまフロートへ連絡を入れるのでした。それが黒魔だった場合、それなりの報酬が支払われるからです。
この世界に生きる一般市民は貧しい者が多いのです。そんな民にとっては、その貧しさから少しでも逃れるためにも、悪魔を振り払うためにもなる黒魔狩りとは、まさに一石二鳥のことでした。
本当のことなど、何も知らされてはいない。
黒魔術士の中には、確かにフロートを何とか滅ぼそうと考える人間も、昔は多く居たようです。しかし、今では神子によって取り押さえられ、処刑されるのが目に見えています。同じ魔術を扱うにせよ、神子の方が潜在能力は高いのです。つまりは、攻撃力も防御力も長けている神子には、黒魔術士はおろか、一般市民、剣士たち兵士が、どれだけ束になってかかっても、敵うはずはありませんでした。
黒魔術士とは、生きていてはいけない存在なのか。
そこを、今となっては誰も考えてはくれませんが、黒魔術士は生まれたときから親に疎まれ、居場所がないことが多いのが実状となっているのです。孤独を背負って生き、最終的に行き着く果てが、フロートの刑務所の中だなんて……あんまりじゃないですか。
彼らは、そっとしておけば何も危害を加えてくることはありません。それを、もっと多くの民に伝える必要がありました。
それは、僕たちが旅をしている理由の、ひとつでもあります。
正しいことを世に伝え、そして、新しい世界を築き上げる。
それこそが、僕……いえ、ラナの目指す「新たな世界」の第一歩。
「おっ……! リオ、見ろよこれ!」
「何です? ラナ」
ラナがしゃがみこんで嬉しそうに僕の顔を見るので、それを見るだけで、本当は僕だってお腹がかなり空いているというのに、それをすっかり忘れてしまうんですよね。この笑顔に、何度救われてきたことでしょう。無邪気な笑顔は、真っ直ぐに僕を見てきらきらと輝いていました。
「フィスの花が咲いてる! もうじき春だな」
「えぇ、そうですね」
僕も腰を落として、小さく青色の花弁をつけたフィスというこの地方では珍しくは無い、むしろ春を告げる有名な植物を、ラナの隣で見つめました。なぜラナが野草に詳しいのかは、定かではありませんが、その知識は頼りになるものでした。
「……」
「……ラナ?」
ふと、ラナが黙り込んだので、僕は不思議に思い声をかけました。すると、ラナはしんみりとした声で、何かを囁きました。
「えっ? 何です?」
聞き取れなかった僕は、もう一度ラナに問いかけました。しかし、ラナはいつもの優しくて暖かな笑みを浮かべるだけで、立ち上がりました。
「よいしょっと……リオ、食い物あったか?」
「……今のところ、山菜が少しとクフの実が三つ、ありましたよ」
クフの実。手のひらサイズで、とても甘い果実でした。緑色をしていますが、実はこれが最も熟れている状態で、ラナの好物のひとつでした。
「ほんとか!? クフの実があるのか、この辺は……そっか、そっか」
頭の中に記憶しているのでしょう。ラナは文字の読み書きが殆ど出来ないのです。普通ならば、親から教わるものなのですが、ラナは……孤児院の出身でした。
孤児院では、読み書きを教えないのか。
答えは、勿論教えられているはずでした。孤児院は、成人したならば出なくては行けない場所でした。そのため、孤児院に居るシスターは、預けられた子どもたちが自活出来るようにするために、読み書きを本来は教え込むはずでした。それが、義務であるとも言えます。
さらには、ラナの居た孤児院はまた特殊な孤児院で、十五歳になる少年の一部は、フロートの左翼軍、「ラバース」の候補生になる可能性があるものでした。ラナは、二歳の頃からその孤児院に居たそうで、その一部に選ばれて、「ラバース」の候補生として、国に仕えていた時期がありました。
ラバース。
それは、先にも述べましたが王国「フロート」の左翼軍でした。ただし、軍といっても右翼である「レイアス」とは違い、安い賃金で雇われている、一般市民の成り上がり……寄せ集めの傭兵組織でした。その中に魔術士はおらず、居るのは基本的には剣士でした。支給される武器は、鉄製の剣のみです。稀に、弓使いが居た為、その者には剣の代わりに弓矢が支給されていました。
一番上のクラスから順に、S、A、B、C、Dクラスとあり、その下に候補生クラスがあります。候補生は数え切れないほどいます。そしてクラスが上がるにつれて、組員数も少なくなっていました。また、各クラスには隊長と副隊長がいて、小クラスを指揮しているのです。
そのラバース全てのクラスの上には、「クランツェ」という人物が聳え立っており、クランツェだけは、戦場にも赴かない、「貴族」の地位が与えられていました。察するに、「ザレス」の従弟か何かなのでしょう。詳しい出生は、誰も知らされていません。それでも仕えるのですから、傭兵たちは賃金を得るのに必死でした。
ザレス。
それが今、この世を苦しめている悪魔の名前。フロート国の王の名前です。若かりし頃に、少年王として君臨してから、その極悪ぶりを存分に発揮し、それぞれ独立し、均衡を保ってきていた隣接国を侵略していくと、それだけでは満足をせず、大陸をも越えて、世界征服へと駒を進め始めたのです。魔術士部隊による「レイアス」と傭兵組織「ラバース」の二部隊を巧みに扱い、世界制服は、ほぼ成し遂げられたといっても過言ではないほどです。まだ、抵抗を続ける村々などもありますが、大組織相手に立ち向かえるほど、村人たちは強くありませんでした。国の兵士によって、滅ぼされていく人々が後を絶ちません。
僕とラナも二年前までは……その一端を担う、「ラバース」の兵士のひとりでした。
ラナは、「ラバース」の最下位のDクラスの隊長でした。そして僕は、ラナのもとで副長を務めていました。ラナは最下位クラスの隊長に甘んじていましたが、実力はSクラスの者でも敵わないほどの力を持っていました。どんな武器でも多彩に扱え、そして人望も厚く、Dクラスのメンバーから慕われていました。しかし、そんなラナのことを面白いとは思わないのが、上位クラスの人間だったのです。
クランツェもまた、ラナの存在を気に入らずに居たことでしょう。
クランツェとラナは二年前に、ついに決別しました。
決別してからラナは、すぐさま「ラバース」を脱退し、レジスタンスを立ち上げました。僕もそれに同行するため、ラバースをラナと共に抜け、ラナが立ち上げたレジスタンス「アース」に入りました。
僕はそのとき既に、ラナに忠誠を誓っていましたので、それは至極当然の行動でした。
ラナには、ラバース時代に作った借りもありましたし、何より、ラナの中に僕は「神」を見ていたので、この命が尽きるそのときまで、従い続けようと決めていたのです。勿論、僕が勝手にそうしているだけで、ラナに命令されているわけではありません。
お金の為に、フロートの犬であり続けていた僕を変えたのは、間違いなく、ラナの人格と存在でした。
僕だけではありません。
ここには今は居ない、別行動をとっている僕たちのもうひとりの仲間である「サノ」。
彼もまた、ラナによって大きく人生を変える事となりました。
「リオ?」
「すみません。ちょっと、昔のことを思い出していたんですよ」
ラナは、それならいいとそれ以上何かを聞いてくることはありませんでした。深く相手に踏み込んでこないのは、昔からのことです。誰かに自分について踏み込まれるのが怖いからなのか、僕も理由を聞いたことはありませんが、ラナは誰かと深く関わりあうことは、滅多にありませんでした、しかし、ラナと僕との間に仲間意識や絆はないのかと問われれば、それは「ある」と応えられるはずです。僕はラナのことを信頼していますし、ラナも僕のことは信頼してくれていると思っています。ラナと「アース」として歩み始めたのは二年の年月ですが、出会ってからは、五年の月日が流れていました。
「本格的な夜になる前に、火でもおこしましょうか。獣が現れても厄介ですしね」
僕は腰を下ろすと、小枝を集め始めました。それを見て、手早く小枝を拾い集め始めたラナからは、この二年間の旅慣れを感じました。
ラナは、権力や金銭ではなく、世界の独立化と自由を求め、弱者である民衆の先陣を切って、レジスタンスを立ち上げたのです。しかし、自分ひとりで大国を倒すことは非常に困難……いえ、不可能であることも充分に承知していたラナは、勝手についてきた僕、そして、同じくラナに忠誠を誓っているサノをはじめとし、同志を集めるためにまずは旅を始めたのです。それが、今から二年前のことになります。
「飲み水にゆとりは?」
火をおこしてからしばらくして、夕焼け空は間も無く暗い夜の世界へと変わり、煌々と照らすのは、焚き火の明かりのみとなりました。今夜の月は三日月が少し欠けているぐらい。明後日ごろ新月を迎えることでしょう。
新月の日は、ラナを休ませる必要がありました。何故かは分かりませんが、新月の夜、ラナは決まって調子を悪くしているからです。
「ラナ、聞いてもいいですか?」
「うぃ?」
ラナは、火にあたりながら横になり、眠そうに目をこすって僕の目を見ました。
「色々あるんですけど……とりあえず、どんな仲間を探しているんですか?」
かれこれ二年もの間、ひたすらに旅をしてきましたが、いくら強そうな剣豪を見つけても、ラナは見向きもせず、ただ、困っているお年寄りの荷物運びを手助けしたり、畑仕事を手伝ったりと、村人、街人たち民衆の手助けをするばかりで、「アース」の仲間に引き入れようとは決してしませんでした。
「アースのメンバーは、増やさないのですか?」
「増やすぞ?」
即答してくるラナに、疑問を覚えさらに僕は言葉を続けました。
「ですが、この二年。仲間を増やそうとはしなかったじゃないですか。結構なつわものも居たでしょう?」
「そうだな。でも、何か違うんだ」
「何か……とは?」
ラナは、焚き火に小枝を放り込みながら、僕の顔を覗き込みました。そして、何を言うわけでもなく、軽く横に首を振ると、また視線を僕から外し、炎に向けました。
「第六感っていうのか? それがさ、働かないんだよなぁ」
ぽつりとそう呟くと、ラナはすやすやと眠りにつきました。ここは山の中。いつ、獣や賊が出てきてもおかしくはありません。僕たちは、交代で仮眠をとる体制で、これまで過ごしてきました。先に寝る順番も、日々交代制です。その日の疲労度から、先に寝るかどうかを譲る場合もありますが、基本的にラナもこう見えて辛抱強いほうですし、順番どおりこれまで旅をしてきました。
「第六感……」
ラナが眠りについているため、自問するのみです。ラナがどんな仲間を求めているのか。僕も、明確には伝えられていませんでした。
すべては、ラナのみぞ知る……ですね。
パチパチ……っと、炎が枝を燃やしている中、僕は三時間ほどひとりで周りの空気の変化に気を配りながら、静かな夜を過ごしていました。すると、ラナが不意に目を開け、無駄のない仕草で起き上がりました。
「リオ、バトンタッチ」
「はい、はい」
僕はくすりと微笑みました。大体ひとの身体は三時間眠るとすっきりするものらしいです。ラナも疲れが取れたのか、先ほどより元気そうな顔で僕を見ていました。そして、食料袋の中からクフの実を取り出すと、もぐもぐと食べ始めました。僕も、まだ手をつけていなかったので、眠る前の腹ごしらえとして、焚き火に当たりながら熟したクフの実に口をつけました。舌触りはどろっとした感じで、果汁たっぷりのクフの実は、栄養補給、水分補給にはもってこいの木の実でした。
「なぁ。リオ」
「何です?」
ラナは、周りに集めておいた小枝を炎の中に適当に詰め込みながら、僕の名前を呼びました。
「次の町に、きっと居ると思うんだ」
「えっ?」
唐突にそう言い切ったラナの顔は、朗らかで、且つどこか嬉しそうな顔をしていました。眠っている間に、何かいい夢でも見たのでしょうか。予知夢というものを、僕は信じたりはしませんが、そういう類のものを、見たのかもしれませんね。ラナに関しましては、不思議なことがとても多かった為、定説を当てはめてはいけないと学んでいる僕は、ラナが嬉しそうにしている様子が微笑ましく思えました。
「きっと、居るんだ」
「そうですね」
反論する必要はありません。ラナのことを信じきっていた僕は、腹が満たされ眠気が来た為、ラナに一言告げると、仮眠を取るべく横になりました。
ラナはただじっと、剣をいつでも抜けるよう戦闘態勢を作りながら、今度は僕の睡眠を守るために、見張番をはじめました。
この夜は特に賊も現れることもなく、獣に襲われることもなく、朝日を迎えました。
「ラナ、そろそろ行きますか」
「うぃ、そうだな」
ラナは眠そうな目をしながら、顔をぱしぱしっと叩くと、気合を入れたのか、剣を背中に背負い、準備万端な格好になりました。僕も剣を腰に携えると、火元を完全に消し去っていることを確認してから、山道へ戻るために歩き始めました。
「次の町は、どんな所だろうな」
「そうですね。確か……小さな村があったと、記憶しているんですけれども」
この辺りは、フロートの拠点が置かれている城下町からは程遠く、そこまであっ旋はされていない村々が存在していました。大きな街になればなるほど、フロートの侵攻を受けている可能性が高く、小さな村ほど、貧しくはありますが、そこまでの圧力はかけられてはいないのが実情でした。
「小さな村か。そこで食料とか調達できりゃ、いいんだけどな」
結局昨晩も、少なめの山菜とクフの実のみで乗り切った僕たちですから、体力的には限界に近いものを感じていました。
ただ、ラバースで兵士をしていた頃は、これよりも過酷な状況下に置かれたこともありましたから、これくらいで死ぬとも思いはしませんでした。この程度で根を上げるようでは、フロートを倒すなんて夢のまた夢に終わります。
「あ、そだ。リオ……俺、欲しいもんがあるんだ」
「え?」
ラナがおねだりをするなんて、珍しいことでした。物欲なんて全くないように思えるほど、ラナはこれまで何かをねだることはありませんでした。食べ物に関しては、やはりお腹が空けばすぐに訴えてきますが、「腹減った」は口癖のひとつであり、そこまで欲しているわけではないということを、僕は知っています。
「何ですか?」
「うん……これこれ」
ラナは靴を指差して、ぼろぼろになっている様子を訴えてきました。
「まだ履けるかなぁ……とも思ってたんだけど、このままじゃ、いつ壊れるかわかんないなぁ~っと思ってさ」
「……そうですね。結構ガタが来ていますね」
ラナの靴は、ラナ自身が改造した特殊な靴でした。僕の履いてるブーツも、ラナが加工を施してくれているもので、山道も歩きやすく、また、兵士たちと戦うときのために、鉄を忍ばせてあるものでした。
兵士というのは、フロートの手先。レイアスとラバースのことです。ラバースを抜け、レジスタンスになり旗揚げしてから、特にラバースから追っ手が来るようになりました。刺客ですね。幾度となく剣を交えていますが、相手もなかなか諦めはしません。
それはそうでしょう。フロートは、ラナの存在を消し去りたくて仕方がないようです。異端児扱いされ続けた、特殊なDクラスの元隊長。十五歳になる歳に、孤児院にスカウトに来たラバースの兵士は、ラナを候補生ではなく、いきなりラバースの最下位とは言え、クラスの隊士のひとりとして、招きいれられたのです。その当時、僕はそのクラスの隊長を務めていたのですが、新人かつ最年少のラナの働きぶりに、最終的には魅入って、隊長の座をラナに明け渡したほどでした。
実のところ……ラナの存在を、僕も最初は疎ましく思っていました。
隊長命令は基本的に聞かず、自分で判断し行動する。
ターゲットを殺すことはなく、むしろ生かす。
そんなラナを慕う者も居ましたが、ラバースの兵士としては、それは不適格でした。
当初、フロートに忠誠を誓い、傭兵として賃金をもらうために汚い仕事も割り切ってこなしていた僕にとって、綺麗ごとばかり並べ、命令にも従わないラナと、直接ぶつかったことも幾度となくありました。ラナに対して、今思い返せば恥ずかしくなるほど、酷いことをしてしまったこともありました。
それでも、僕もラナも剣士。剣を交えたときに、ラナと分かち合い、それ以来僕はラナに忠誠を誓おうと、主を「クランツェ」から「ラナ」へと変えたのでした。
「そうだろ? ちょっとさ、戦ってる最中に靴壊れたら……と、昨晩思って。普通に旅するだけならいいんだけど」
「そうですね。食料補充と、靴を見てみましょうか」
するとラナは、僕の顔を見てにこっと笑いました。
「ありがとな! さくさくっと行こうぜ!」
「えぇ」
僕もにこやかに微笑みました。
昼過ぎ辺り。僕たちはついに、村に辿り着きました。小さな村で、地図からすると、「フェルス」という村がこの辺りに存在しているとあったので、おそらくはここがそうなのでしょう。想像していたよりは大きな村でしたが、ラナの靴を新しく買い換えられるかは分からないような村でした。
「着いたなぁ。ここが、フェルス?」
「えぇ……この地図に変更がなければ、そうだと思いますよ」
「へぇ……割と大きかったな」
ラナは、きょろきょろと辺りを見渡して、村の雰囲気を観察していました。村人たちは、質素な布で作られた服を身にまとい、武装などはせず、のんびりとした風潮に見られました。やはり、フロート兵からの直接的な制圧が、それほどないのでしょう。そんな中に僕たち、武装した旅人が突然現れたものですから、外に出ていた村人は、何事かと奇異な目で僕たちを見てきました。
「とりあえず、宿を探しましょうか。今晩はここに泊まるのでしょう?」
「おう、そのつもり。じゃあ、リオは宿を探して……俺は靴屋あるか見てくっから!」
「分かりました」
そういって、僕たちは二手に別れて歩きだそうとした……そのときでした。
「きゃー……っ!」
女性の悲鳴が聞こえてきたのです。僕が振り返り、ラナの姿を確認しようとしたときには、そこにはもうすでに、ラナの姿はありませんでした。
ラナは、悲鳴の聞こえてきた方に向かって、走り出していました。その背中を追うように、僕も走り出します。
「やめてください……っ!」
「いいから、こっちに来い!」
「やめろ!」
声変わりをしていない、ラナの強い口調が響きました。ラナは、まだ成人して間もないのではないかと思われる女性と、どこにでも居そうな不良の間に割って入り、短剣の柄に手をかけていました。
すぐに追いついた僕は、女性を匿うように横に立つと、ラナの動きを見守っていました。
「なんだ、てめぇは!」
「嫌がってるじゃないか。そこをどけ!」
ラナよりも、頭ひとつ分は軽く大きい男を前にしても、ラナは少しもひるむ様子はありませんでした。そして、相手が丸腰なところを見ると、ラナは戦闘態勢だけは崩しはしないものの、短剣からは手を離し、相手を威嚇していました。流石に、丸腰相手に武器を用いて戦うことは、正義としても卑怯だと思ったのでしょう。ラナとは、そういうひとでした。
「うるせぇ餓鬼だな。お前には関係ねぇ!」
図体の大きいその男は、拳をラナに向けて繰り出し、上から下へと振り下ろしてきました。それに対してラナは、軽やかに後ろに交わすと、繰り出されたその腕を両手で掴み、一本背負いをし、相手を投げ飛ばしました。見事に決まると、男は地面に背中から叩きつけられ落ち、何が起きたのか分からないというような顔で、身体の小さなラナを見ていました。
「まだやるなら、相手、すっけど?」
「……くそっ!」
男は、悔しそうな顔で悪態をつくと、直ぐに立ち上がりはしましたが、上手く受身を取らなかった為か、身体を痛そうにし、僕たちから逃げるようにこの場を去っていきました。
ラナは一見、女の子にしか見えません。そんなひとに、軽々とやられてしまっては、プライドが許さなかったのでしょう。それでも、やり返さず去っていったのは、勝ち目がないと思ったからのはず。力量を測れるのは、そこそこには出来る相手だったということです。もしくは、受身さえ取れないのだから、ラナのまっすぐで嘘のない瞳に睨まれ、臆したか……その後ろから、睨みを利かせながら剣の柄に手をかけていた僕に気づいたのか。とにかく、男は勝ち目がないと逃げ出していきました。
「よ、大丈夫か?」
「大丈夫ですか?」
女性は、おろおろとした目で、僕とラナの顔を交互に見ながらも、少しずつ落ち着きを取り戻すと、ぺこりと頭を下げました。
「ありがとうございました、助けてくださり……あの、この村の方ではないですよね?」
「うぃ」
「僕たちは、旅人ですよ」
僕たちは、自分たちがレジスタンスであることを、公にはしていませんでした。フロートを崇拝する者も、世の中には居るためです。下手にレジスタンスであることを知られれば、その崇拝者たちから、どんな仕打ちを受けるか分かったものではありませんでしたから。もっとも、そんな崇拝者に負けるつもりは、微塵もありませんが。何事も、穏便に……というのが、僕たちのモットーでした。
「旅人……?」
「そうそ。世の中広いから、どんなひとが居るのか、この目で見て回りたくってさ」
「どれほどの間、旅をされていらっしゃるのですか?」
女性は自分と同じくらいの背丈のラナを見て、少し驚いた表情をしながら問いかけてきました。
「……女の子、ですよね?」
首を傾げながら、ラナにそう言うものですから、ラナはすぐさま頬をぷっと膨らませて、不機嫌になってしまいました。身長が低いことは、ラナのコンプレックスのひとつでした。
「俺は男だ! それに、とっくに成人してる!」
「とっくにって……そうでもないでしょう?」
さらりとそう言うと、僕は今晩の宿を早めに探しに出かけたかった為、女性に訊ねてみることにしました。
「あなたのお名前は?」
「私はシサと言います」
「俺はラナ!」
続いて、聞かれてもいないのに、ラナは自分の名前を紹介していました。それを聞いて、くすっと笑みを浮かべてから、僕も自分の名前を名乗りました。
「僕はリオスです。シサさん。僕たちは、今晩泊まる宿を探していたのですが、どこか安い宿はありませんか? 何分、貧乏な旅人なものでして……」
すると女性は、嬉しそうな顔をして、村の中心部辺りを指差しました。
「私の家は、宿屋なんです。小さいんですけれども、お二人でしたら充分に泊まれますから。助けていただいたお礼です。食事もご用意させてください。料金は勿論、要りませんよ」
それを聞いて、僕はすぐさま訂正を入れました。見返りが欲しくて助けたわけではありません。それに、それほど大それたことはしていませんでしたので、そこまでしていただく訳にはいきません。
「ほんとか!? ラッキーだな!」
「ラナ……いけませんよ」
すぐさま歓喜の声をあげたラナを制するように、ラナの肩に手をぽんと乗せると、ラナは何がいけないのかと、不思議そうな顔をしていました。
「何でだ? タダだぞ、タダ!」
「駄目です。さぁ、行きますよ。シサさん、すみませんでした。他を探しますね」
僕たちが、シサに背を向けると、彼女は後ろから慌てて声を僕たちにかけてきました。
「ま、待ってください! 本当に、お礼がしたいんです。どうか、私の家に来てください。おもてなしをさせてください」
「……リオ、どうすんだ?」
財布を握っているのは僕でした。ラナは無駄遣いが多い……というわけではないのですが、僕の方が大人でしたので、お小遣い制にしていまして、ラナには最小限のお金を渡すことにしています。そして、残りの宿代などは僕がすべて支払っていました。このお金の出所は、ラバースで働いてきたときに貯めておいた給料に加え、立ち寄る村や街での日払いの仕事をこなして、いただいたお金になります。
「どうするって……」
ラナが泊まるつもりでいるのは、目に見えて分かっていました。そして他に宿を探そうにも、ここにご好意で泊めてくださると仰っている女性が居るのに、それをよそにして他をあたるというのも失礼ではないかと、僕も薄々思えてきて、ふーっ……と息をつくと、シサの方を向いて申し訳なさそうに応えました。
「それでは……すみません。お言葉に甘えさせていただきます」
するとシサは、嬉しそうに微笑み、「はい」と答えると、自分の家であろう方向に向かって歩き出しました。その後に続いて、僕とラナも歩き出しました。
歩いて十分程で、木造二階建ての大きくはない、こじんまりとした宿に着きました。もう少し山道を歩いていけば、大きめな街があるため、ここで寝泊りをする客人、旅人は少ないのでしょう。
「小さな宿ですみません」
「いえ、大丈夫ですよ。充分な広さです」
宿帳に名前を記入していると、ラナはきょろきょろと辺りを見渡しながら、二階が気になるらしく、階段に足をかけながらこちらを見て声をかけてきました。
「なぁ、なぁ。二階がいいんだけど、二階って空いてる?」
「そうですね……空いているのでしたら、二階をお借りしたいのですが。出来れば、外への見晴らしがいい場所が好ましいですね」
シサからしたら、意見が珍しく合致している僕たちを不思議に思ったのでしょう。しかし、特にそこを追求することはなく、宿主として対応してくださいました。
「このような小さな宿。一年を通しても、ほとんどお客さんは居ないんです。今日だって、見ての通り誰も居ません。お好きなお部屋をどうぞ使ってください」
にこやかにそう言うと、僕との手続きも済み、二階へどうぞと案内してくださいました。二階の角部屋。村の中心に、シンボルなのでしょう、時計台が確認できました。何だかんだで、夕刻を示していました。
「夕餉の準備が出来ましたら、お呼びしますね。それまで、ごゆっくりとお寛ぎください」
「ありがとうございます……しかし食事まで、本当によろしいのですか?」
「飯が食える!」
完全にご馳走になるつもりで居るラナにやや苦笑いしながらも、内心では貧乏旅行者の僕たちですから、ありがたいことはありがたいのですが……単に粋がってる男を追い払っただけで、ここまでしていただいて、良いのかどうかちょっと気になるところでした。
「遠慮しないでください。これは、助けていただいたお礼ですから」
シサはそういうと、頭を下げドアを閉め部屋の外へ出て行きました。ラナは、僕の顔を見るなりにこっと笑みを浮かべ、ふたつあるベッドのうちの窓側の方を指差していました。それが何を意味するのかは、長年の付き合いの僕にはすぐ分かりました。
「そちらがいいのでしょう? 構いませんよ、僕はどちらでも。しかし……」
窓際まで歩くと、赤く染まった夕焼け空を見上げながら、穏やかな村の雰囲気を感じ、久しぶりの室内の空気に安堵の息を吐きました。
「春が近いとはいえ、まだまだ外は肌寒かったですね」
「そうだな。部屋ん中はあったけぇや」
そういうと、ラナはベッドの上に飛び込みました。ぼふっと音を立てて柔らかなベッドに身体を沈みこませ、気持ちよさそうにすでに寝息を立てていました。こういうところを見ると、まだまだお子様ですね……と感じます。身体が小さい分、僕より疲労がたまりやすいのかもしれません。僕は、ラナの寝顔を見守りながら、隣のベッドに腰を下ろし、剣の手入れを始めました。
穏やかな時間。
それは、そう長くは続かない。