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3話 もう笑うしかありません その3

 ――うっそぉ……、中学一年生って、こんなに子どもっぽかったっけ。


 というのが、中学二年生の大月さくらが、校舎こうしゃの二階にやってきたときの感想だった。

 七月五日。

 とくにイベントがあるわけでもないような、火曜日の昼休み。

 一年生の教室がある二階は、わいわいがやがや、わーわーきゃーきゃーと、まるで小学校かなにかを彷彿ほうふつとさせるような喧噪けんそうにつつまれていた。

「ぎゃはははは!」

 と一年一組から盛大な笑い声がして、廊下にいるさくらは、びくっ、と驚いた。

 そして恐る恐る――とてもではないが上級生らしからぬおびえた表情で――教室をのぞきこんだ。

 まず目についたのが、六人の男子生徒たちだった。一つの机を囲むようにしてイスに座り、興奮こうふんした様子でトランプで遊んでいる。

 いや、トランプを出し合っているのは、そのうち二人だけだ。ビリを決めるための戦いなのだろう。

 やがて片方の男子が「くらえやああ!」と叫びながら、三枚のカードを、ビシッ! と机に叩きつけ、もう片方の男子が「うそだろおっ!」と悲鳴ひめいをはりあげた。

 決着がついたらしい。

 勝ったほうの男子が「罰ゲームやれやあ!」と指さし、負けた方が「クソがあああっ!」と悲痛ひつう絶叫ぜっきょう

 とりまきが爆笑。

 近くにいた女子生徒が、「うるせっつーの!」と指摘したが、その声は面白そうに笑っていた。

 誰もが、どことなく浮ついていた。

 いくつかの机をならべ、話に花を咲かせている女子生徒たちは、「あはは」と緩んだような笑顔を浮かべ、ふわふわと動くカーテンのすぐ側では、男子たちが大げさなジェスチャーを交えながら、鼻息を荒くしてなにかを語り合っている。

 ――おかしい。

 みんなで幻覚作用げんかくさようのあるキノコでも食べてしまったのだろうか、集団食中毒なのだろうか――、などと、さくらはかなり失礼なことと考えていたのだが、

 ふいに、

「夏休みは絶対に――」

 という言葉が聞こえた。そして続けて、キャンプがどうとか、釣りがどうとか、祭りがどうとかいう話し声がした。

 ――あぁ、そういうことか。

 とさくらは納得した。

 クラス全体がどことなく浮き立っているのはおそらく、担任あたりから、夏休みの話題を聞いてしまったためなのだろう。たしかにもう二週間もすれば、長い長い連休がはじまってしまうのだ。いつの間にか『こんな会話』をする時期になってしまったのだ。

 廊下で突っ立ったままのさくらは、ぼーっと見守り続けてしまったが、やがて、ハッ、となにかに気がついた。

 遊びに来たわけではない。目的があるのだ。


 ――『内田ゆり子』を探し出す。


 そのために、一年生がいるフロアへとやって来ているのだ。

 のんびりとしていたら昼休みが終わってしまうかもしれない。さくらはあらためて、きょろきょろと教室の中を見て――、

「一組にはいないか」

 と呟き、廊下を歩き出した。

 そうやって、二組、三組と、順々に見ていったが、彼女の姿は見当たらないようだった。そして最後の四組にさしかかったときのこと。一人の女子生徒が中から出て来た。

 さくらはとっさに声をかける。

「あっ、あの」

「はい? なんでしょう」

 と、ほがらかに応じてくれた。

「私、二年の大月さくらって言います。内田ゆり子ちゃん、っていう女の子を探しているんだけど……」

「あっ、あの子はですね――」

 ハキハキとした口調で説明してくれた。

 内田ゆり子は一組に所属しょぞくしている。そこにいないようだったら『お仕事中』かもしれない。もしかしたら五時間目がはじまるころにならないと帰ってこない可能性がある。

 そんな説明を受け、

「……あ、そういえば昨日も、お仕事中だって言ってたっけな」

 と、さくらは今さら思い出した。

 一年生の女子生徒は、

「なにか伝言はありますか? 伝えておきますので」と申し出てくれた。

 一瞬だけ、頼もうかどうか悩んでしまったが、あくまでもさくらの用件とは、『遊び事』なのだ。

「ううん、ぜんぜん大したことではないから、自分で伝えてみるね。ありがとう」

「はい。どういたしまして」

 礼をいって、さくらはその場をあとにした。


 さくらが次にやってきたのは、一階、職員室前しょくいんしつまえだった。

 昨日はここに、お仕事中の内田ゆり子が通りかかったのだ。

 もしかしたら今日も出会えるかもしれない。長々とお喋りをするようなことはできないかもしれないが、「放課後にちょっとお話をしたい」くらいのことならば伝えられるはずだ――、と、あわ期待きたいしながら立ち止まり、さくらは廊下の窓際まどぎわに、そっ、と背中を寄せた。

「……」

 誰の姿も見えない。

 誰の声も――、いや、生徒たちの喧噪けんそうはわずかに聞こえてくるのだが、この付近は静かなものである。

 そもそもこの一帯は、喧噪けんそうとは無縁むえんのフロアだ。

 職員室のすぐ隣には、事務室じむしつ会議室かいぎしつ、来客用の応対室おうたいしつなどが並んでいるため、ここに近寄る生徒たちはみな、自然と声を小さくしてしまうものなのだ。

 だからこそ昨日、この付近でさくらが、「あーっ! ゆり子ちゃん! ずっと会いたかったんだよおお」などという大声を張りあげてしまったことは……、

 大失態だいしったいだった。

 うつむいて、反省。

 どうにも自分は、なにかに夢中になると周りが見えなくなってしまうことがあるらしい。――というのが、最近の、さくらなりの自己分析じこぶんせきだ。

 さくらは人から注目されることが苦手だが、意図いともせずに注目を集めてしまうということが、たびたびあるのだ。

 もしかすると自分は、周りからひどくおかしい人間だと認識にんしきされているのではないだろうか。だからあおいはいつも、自分を見てけらけら笑い転げているのではないだろうか。

 そんなことを考えてしまうと、

 ――あぁ、そうか、なるほど……。

 と、納得した。

 自分でも気がつかないうちに、色々なところで失敗を重ねているに違いないのだ。思い当たることが多すぎる。

 かあぁ、っと顔が赤くなったのを感じた。

 はぁ……、と熱い吐息といきが口かられてしまった。

「せめて、ゆり子ちゃんにだけは……」

 ゆり子ちゃんにだけは、『まともな人間』だと認識にんしきされるように振舞ふるまおう。

 そう心に決めた。

「うん。頑張ろう……」と一人で頷く。

 すると――、

 さくらのすぐ側で、なぜか、息を飲むような人の気配があった。

 ハッ、として顔を上げると――、

 大きな段ボール箱を抱えた、見知らぬ二人の女子生徒がいた。

 二人はなぜか、「あっ、見つかっちゃった!」とでも言わんばかりに焦った表情になり、一瞬だけ目を泳がせ――、平静をとりつくろった。

 半そでのブラウス、膝丈ひざたけのスカート。

 そのうちの一人は、ショートカットに白のヘアピンをした、どことなく人懐ひとなつこそうな感じのする女の子だった。

「あっ、さ、さくら先輩だっ!」

 と、今になって気がついたとばかりに、少しだけわざとらしい声色こわいろで言った。

 するともう片方が、

「あっ、ほ、ほんとうだ」と続けた。

 長い髪を側頭部そくとうぶでハーフアップにしている、どことなく落ち着いた感じのする女の子だった。

 二人が誰なのか、すぐには分からなかったのだが――、やがて、気がついた。

 つい昨日、内田ゆり子と一緒に、この廊下を歩いていた一年生だ。

「あ……、昨日ここで会った……」

「はいっ、そうです。こんにちは」

 とショートカットのほうが元気よく言い、段ボールを持ったままの体勢で、小さくおじぎをした。

「さくら先輩、こんにちは」とハーフアップの女の子も、同じように段ボールを抱えながら、人の良さそうな笑顔を浮かべた。

 すでに二人からは、ぎこちなさが消えていた。

「あっ、こ、こんにちは」

 さくらも小さくおじぎをして挨拶をすると、ショートカットのほうが、ハキハキとした口調で、

「あの、私、昨日は失礼なことを訊いちゃって、スミマセンでした」

 と謝った。

「し、失礼なこと……?」

「あの、えっと、『さくら先輩って、ゆり子と、とんでもない関係なんですか?』なんて……」

「う、ううんべつに、なんとも思ってないから」

「そうですか! よかったです」

 彼女は安心したように、屈託くったくのない笑顔になった。そして、心の中を覗き込もうとするばかりに好奇心にあふれた大きな瞳を、パチパチとしばたたかせて――、

「もしかして今日も、ゆり子のこと、探していたんですか?」

 と、いきなり核心かくしん

 さくらは思わず、尻込しりごみしてしまった。

「え……あ……、うん。そうなの」

「でもゆり子って、今日は私たちと一緒じゃないんです」

「あれ? そうなんだ」

「はい。あの子は昨日、私たちの手伝いをしてくれていただけなんです。だから今日は一緒じゃなくて。えっと、ゆり子って『ボランティア部』なんですけれど、その日によってはどこにいるのかも違うので――」

 ボランティア部。

 さくらはその言葉を聞いて、

 ――あっ!

 と、思い出した。

 自分のバイト先――PRF研究所。その支部長が言っていたのだ。


『PRF研究所でバイトをする学生は、所属しょぞくしている学校で、ボランティア部に入る』


 そのような決まりがあるのだ、と。

 強制ではないのだが、さくらは興味をもち、それに所属するつもりでいた。

 そしてよくよく考えてみれば、内田ゆり子も同じところでバイトをしている学生なのだ。立場は同じだ。ならば彼女も学校で、ボランティア部に所属している可能性が充分にあるということだったのだ。

 ショートカットの子が喋り終わると、補足ほそくだとばかりに、髪の毛をハーフアップにしている子が口を開いた。

「今日はたぶん、ゆり子は『二階の食堂』で働いているとおもいます。ですけれど、ちょうどこのタイミングだったら、もしかしたら手が空いているかもしれないです」

「てことは、今だったら、少しくらいはお話できるのかな?」

「はい。たぶん。ご飯を食べているかもしれないので、テーブルを探してみるといいかもしれないです」

「わかった。じゃあ、そこに行ってみるね。どうもありがとう」

「どういたしまして」

 にっこりとほほ笑む二人に対し、さくらは、深々と頭を下げた。




 そうして、さくらが小走りで廊下をすすみ、階段をのぼって行ったのを見送り――、

「……」

「……」

 二人は、パチパチとまばたきをしながら、目を合わせていた。

 沈黙ちんもくやぶったのは、ショートカットの子だった。

「……ねぇ」

「……うん?」

「あれってやっぱり……『恋する乙女の吐息』ってやつなのでは……」

「ま、まぁ……、違うとは言えないかな……」

 ハーフアップの子も、否定しきれなかった。

 二人の脳裏のうりよみがえるのは、顔を赤くしてうつむき、廊下で一人立ちつくしながら、なにやらもじもじとした様子で誰かを待っていた先輩。

 二年生の大月さくら。

 つやのあるため息を漏らしていた。

 実際のところ、大月さくらは自分自身の性格せいかくとか性質せいしつについて考えをめぐらし、変人なのかもしれないことを自覚し、恥じ入っていただけなのだが――、

 この、二人の目にはそうは映らなかった。

 なにせ、昨日の今日だったのだから。

「しかもさ、『ゆり子』がどうとか、『頑張ろう』とかって呟いていたし……」

「う、うん……」

「決定的なのは、『あれ』だよね? 見た?」

「うん。見たよ。なにかの『決意』が伝わってきた」

「……」

「……」

 顔を向け合いながら、しばし沈黙。

 ほどなくして、ショートカットのほうが目をキラキラさせて断言する。

「これはぜったいに、『今日中に告白するぞ』って感じだよ!」

 すると髪をハーフアップにしているほうが、苦笑くしょう

「どうしてそこで嬉しそうに目を輝かせるのはわからないけど……、でも」

「でも、ありえるよねっ?」

「うーん……、ありえない……、とは、言いきれないかも」

「下手したら、もうすでに『ただならぬ関係』になっているのかも」

「……うーん。ありえない……とは言い切れない……かなぁ」

 おかしな認識にんしきが、二人のあいだで共有されていた。

 それは完全に、途方とほうもないくらいにぶっとんでいる誤解ごかいなのだが、ショートカットの子はとくに、わくわくと胸を弾ませていた。

「ねぇ、さくら先輩のあと、つけようよ」と提案。

 すると、ハーフアップのほうは目を半分にして、

「……だっ、だめよ。なにばかなこと言ってるの」とたしなめた。

「むぅ。そうだよね。のぞきなんて悪趣味あくしゅみだもんね」

「いや……実のところ私も興味があるんだけど……」

「じゃあっ!」

「私たちだって仕事中だし」

「むうぅ!」

 段ボール箱を両手でかかえた二人は、しかし、しばらく動きだせずに呆然ぼうぜんと立ち尽くしていた。



 ☆



 食堂は、学校の二階にある。

 いや、『食堂しょくどう』というよりは、『給食堂きゅうしょくどう』というほうが適切かもしれない。

 お弁当を持参じさんしてこない生徒を対象たいしょうにして、食事を提供ていきょうしているような場所なのだ。

 広い空間だ。

 四人掛けのテーブルが三〇台ほど並べられ、天井が高く、壁はほとんど一面がガラス張りになっている。太陽の光をたくさんとりこんでいる明るい食堂なのだ。

 よって、夏は暑くなる。

 日よけの大きなスクリーンを内側うちがわかららしているのだが、それでも若干暑くなってしまうため、やんわりと冷房がかけられている。

 そこそこ快適な場所になってはいるのだが、現在、食事をしている生徒はたったの二〇名ほどしかいなかった。

 昼休みがはじまってから時間が経っているというのもあるし、そもそも、学校に在籍ざいせきしている生徒たちは、ほとんどがお弁当を持ってやってくるため、食堂を利用している生徒自体、少ないのだ。


 だからさくらは、『彼女の姿』を、すぐに見つけることができた。


 多くのテーブルが並んでいるうちの、一番奥の席だった。

 全体的にほっそりとした、端整たんせいな顔つきの、大人びた雰囲気ふんいきを持っている少女が、そこに座っていた。

 彼女の髪は鎖骨さこつのあたりまで伸び、ほおのあたりにはゆるいウェーブがかけられている。

 少しだけ眠そうな瞳をしているのだが、それが彼女にとってのデフォルトなのだろう。だらしのない感じのする朝の『真緒まお』みたいな瞳ではなく、どこかの令嬢れいじょうのような落ち着いた瞳なのだ。

 とてもではないが、一年生には見えないような少女。

 内田ゆり子。

 教職員きょうしょくいんたち好んで使っている奥のテーブルに、彼女は一人で座り、一枚の、お盆のような大皿に盛られたご飯を、いそいそと食べているところだった。

 思わずさくらは、

 ああっ、いたっ!

 などと大声を出しそうになってしまったが、さすがに自制じせいした。二、三人でグループを作って食事をしている学生の隣を、なるべくゆっくりと歩き、ゆり子に近づく。

 その気配に、内田ゆり子も気がついた。

 彼女は顔を上げて、

「……あっ、さくらちゃん」

 と、少しだけ驚いたように言った。

「うん。あの、こんにちは。お仕事中なんだよね? お邪魔じゃましてごめん」

 さくらは足を止めて、謝った。

 ひょっとすると内田ゆり子は、「どうかしたの? 暇人ひまじんさくらちゃん」みたいに『毒舌どくぜつ』をふるまってくるかも――、などという可能性もあったのだが、

 ゆり子は、首を横に振って応じた。

「ううん。ちょっとくらいなら大丈夫です……、いえ大丈夫よ。ぜんぜん」

 思わず敬語けいごが出てしまったようだったが、ゆり子は気恥きはずかしそうに言い直した。

 さくらの強い希望で、「敬語けいごなんてやめて普通ふつうに話そう」ということになっていたのだが、こうやって自然と敬語が飛び出してきてしまうあたり、まだまだ心には『距離きょり』があるのだろう。

 心に距離があるからこそ――、毒舌はふるわない。

 心に距離があるからこそ――、さくらは、ひどく『感心』してしまった。

 というのも、内田ゆり子は優れて良い人間であるということが、あらためて証明しょうめいされてしまったのだ。

 昨日のことだ。

 悲鳴を上げてしまったさくらの元に、自転車で、猛スピードで駆けつけてきてくれたのがこの一年生、内田ゆり子なのだ。

 血相を変えて。我が身をかえりみず。『心に距離のある人間』を助けるために。

 さくらはますます、内田ゆり子に好感を覚えた。

「やっぱりすごい子だ……」

 と、思わず独りごと。

 大月さくらの、この『しつけの悪い口』に比べれば、もしかしたら内田ゆり子の『毒舌』は可愛いものなのかもしれなかった。なぜならばさくらは、独りごとを言ってしまったことに、自分自身で気がついていないのだ。

「へっ?」

 とゆり子がきょとんとして、

「え?」

 とさくらも目を丸くしてしまったのだから、始末しまつに悪い。

「……」

「……」

 お互いに沈黙。

「……と、とにかく、座って?」

 とゆり子が対面の席を、手で示した。

「あ、うん。ありがとう。じゃあちょっとだけ」

 と言いながらさくらは、プラスチック製のイスを引いて、座る。

 白いテーブルの上には、大きな四角いお皿がある。一見するとただのぼんのようでもあるのだが、くぼみがあり、そこにご飯やおかずが収まるような仕組みになっているようだった。

 鳥のから揚げ、キャベツの千切り、煮物にものなどが見えた。

「えっとね」

 と、先に口を開いたのはゆり子だった。

「うん?」

「もしかすると支部長あたりに、『ボランティア部に入りなさい』なんて言われちゃったのかもしれないけど、まったく強制きょうせいじゃないから、無視してくれてもいいのよ? だいたい、あれは支部長が決めたことじゃなくって、ボンクラじぃさんが勝手に決めたことで――」

 ボンクラじぃさん。

 誰のことかは分からなかった。

 校長、もしくは支部長よりも偉い人のことだろうか、と見当をつけるのと同時に、さくらは胸中きょうちゅうで、「で、でたぁーっ! 毒舌・内田ゆり子だぁーっ!」などと、うれしげに叫んでしまった。

「あっ、う、ううん! 今日は『それ』についてじゃないのっ」

「そう?」

 ゆり子はご飯を口に運び、もぐもぐと咀嚼そしゃくしながら――、不思議そうな目を向けた。

 たしかにさくらは後々、この『ボランティア部』に参加するつもりでいる。色々と訊いてみたいところではあるのだが――、いまはそれが目的ではない。

「あのね、ゆり子ちゃんに、うちに遊びに来てほしいなって考えているの。今日」

「今日? さくらちゃんの家に、遊びに?」

 とゆり子は、もぐもぐと動かす口元を隠すように手をあて、反復した。

「うん。おねえちゃんと、『未来ちゃん』と、みんなでカレーを作って食べようって話になっているんだけど、ぜひ、ゆり子ちゃんにも来てほしくて」

「へえ? なんだか楽しげね」

「うんっ。ちょっと帰りは遅くなっちゃうと思うんだけど、なんなら泊まっていってもいいし――、っていうか未来ちゃんもお泊りだし。だから――」

「フフッ」といきなり、ゆり子は小さく笑った。

 きっと、『未来ちゃん』という名前を聞いて、昨日の一幕ひとまくを思い出してしまったのだろう。

 たしかにあれは、衝撃的しょうげきてきな出会いだった。さくらにとっても。

「……でも」

 とゆり子は、少しだけ迷いのある顔つきになってしまい、たずねる。

「……どうして、わたしを誘ってくれたの?」

「えっ?」

「いやその……、なんとなく、どうして『わたしなんか』に声をかけてくれたのかなぁ……なんて。気になって」

 ゆり子の視線しせんは、ちら、と自分のご飯へと向いた。

 そのまま箸を伸ばし、からあげをつまんで――、口へと運んだ。もぐもぐと咀嚼そしゃくするが、顔を上げられずに、自分のお皿をじっと見ているようだった。

 ――あれっ?

 と、さくらは小首こくびをかしげた。

 もしかすると内田ゆり子は、自己評価じこひょうかみたいなものがとんでもなく低いのではないだろうか。などと一瞬考えてしまったが、さくらの直感は「そういうことではない」と否定していた。

 きっと、

 内田ゆり子は、『コンビニのお弁当』のことを気にしているのだ。

 あのお弁当を、見られてしまったのかもしれないと。だからこそ自分にご飯のお誘いをしているのではないかと。もしかすると、邪推じゃすいしてしまっているのかもしれない。

 ならば内田ゆり子にとって、自分を誘ってくれた『理由』は大切なことなのだろう。

 たしかにさくらは、そういう『余計なおせっかい』みたいなことも、ほんのすこしだけ考えてしまっている。

 コンビニのお弁当なんか食べてほしくない――、とは本心でもあるのだが、いちいち言うべきではないだろう。

 それよりももっと、単純に、楽しみなのだ。

 まるで家族のように、『食卓で』、『大勢で』、『ご飯を食べる』ことが。考えただけでわくわくとしてしまうほどに、楽しみなのだ。

 なによりもさくらは、内田ゆり子と、もっと仲良くなりたいと考えていた。

 困っているときには即妙そくみょうのフォローを入れてくれたり、悲鳴ひめいをあげてしまえば飛んできてくれるほどの、とてもではないが年下とは思えないほどの内田ゆり子の『人間性』に、さくらは感嘆かんたんし、敬愛けいあいの念さえ抱いてしまっているのだ。

「私っ、ゆ――」

 私、ゆり子ちゃんことを尊敬そんけいしているから、仲良くなりたくて!

 と、そんなことを言いかけて、さくらはいったん口を閉じた。

「ゆ?」

「あっ、いや……」

 いくらなんでも野暮やぼったすぎる。

 これから友人関係を築きたいと考えている相手に対して、その言い回しはあまりに無骨ぶこつ。仰々しいにもほどがある。――だから自分は空気が読めないんだ、と内心で反省して、言い直す。

「私はゆり子ちゃんが好きだから」

 するとゆり子、

 ごふっ、

 と軽く噴飯ふんぱん。米粒が二つ、飛んだ。

「わっ……、ど、どうしたの?」

 とさくらが驚いて呼びかけるが、ゆり子は、ごほ、ごほ、と口元に手をあてて咳き込んでしまった。なんとなくさくらの脳裏のうりでは、支部長――マリンちゃんがお茶を噴きだしてしまった映像が蘇った。

「もっ、もうっ、さくらちゃん」

「あ……え……?」

「いくらなんでも、いきなりすぎるわよ……」

「あ、あれ……、これでも大げさだったのかな……」

 どうやら自分は、空気を読んだりとか、そくした言葉を選んだりとか、そういうことをする能力がいちじるしくけているのだな、とあらためて思い知らされた。

 さくらが内心で反省していると、

 どこからか小さな声がした。

 まるでひそひそ話をするときのような、小さな声で、


「よっ、予想どおりとはいえすごい展開だわぁ……」


 ゆり子は、その声に気がついた様子がなかった。少しだけ顔を赤らめながら、お箸をすすめている。

 だがさくらの耳には、ギリギリ届いていた。

 ――あれ? 今の声はなんだろう?

 と思い、さくらはきょろきょろと辺りを見るが、付近のテーブルには人がいなかった。

 一〇メートルほど離れた席には、一人の男子生徒が座って本を読んでいるようなのだが、彼ではないだろう。さきほどの声は、どちらかというと男子ではなく、女子の声だった。

 さくらは、肩ごしに後ろを見た。

 真後ろの席。

 真っ白のテーブルの上には、『段ボール箱が二つ』置いてあるだけで、やはり人の気配などはない。

 誰もいない。

 ――ん?

 段ボール箱が、二つ。さっきまであったかな? などと一瞬疑問になったが、

「さくらちゃん」

 とゆり子が言った。さくらは正面に向きなおり、

「うん?」

「……わたし、今日はおじいちゃんから『あるものを受け取る約束』をしているの」

「あ……。そうなんだ?」

「だから、その、ゆっくりとは出来ないかもしれないけれど……、お邪魔してもいいかしら?」

「おおおっ、も、もちろん!」

 断られてしまう、と予想していたために、さくらはとたんに喜んだ。両手をパチンと合わせて、「よかったぁ!」と安堵あんど歓喜かんきのいりまじった声をあげた。


「うんうん、よかったねぇ」


 と、またしてもどこからか声がした。しかも、「しっ、声でかすぎっ」ととがめるような声も続いた。

 さくらは、ふたたび後ろをふり返った。

 誰もいない。

 後ろの席には、段ボール箱が二つ並んで置いてあるだけだ。

 気のせいか、その段ボール箱が、「やべっ!」と驚いたような気配があったのだが……、そんな訳はないだろう。段ボール箱が驚くはずもない。

 段ボール箱が……、驚くはずが……、

「ところでさくらちゃん、わたしがここに居るってことを、どうやって知ったの?」

 いきなりゆり子が、質問した。

 さくらは、正面に向きなおり、

「うん? 一年生の女の子が教えてくれたんだよ。昨日、ゆり子ちゃんと一緒に歩いていた二人」

「そう。やっぱりあの二人に、会ってきたのね」

「分かるの?」

「……あー、うん。まあ、分かるわよ」

 と、ゆり子は引きつったような薄笑うすわらいを浮かべながら、おかしな口調で返事をした。

 まるで、中学生だったら掛け算が分からなくてどうするのよ、とでも言わんばかりの、わずかばかりに皮肉ひにくがこめられたような口調。

 その意味は、さくらには分からなかった。

「……それから、もう一つ、気になるんだけど」

「なに?」

「さくらちゃんのその腕。そのラクガキは、なんて書いてあるの?」

「あっ」

 さくらは、腕時計でも確認するかのような仕草しぐさで、自分の左手のこうを見る。

 黒いペンで、でかでかと、

 ――『放課後までに、絶対、ゆり子』

 と書いてある。

「あ……あはは……、私、忘れっぽいから、こうやってメモしてたんだ。ゆり子ちゃんを招待しょうたいすることを忘れちゃわないように」

「しかも油性ペンで?」

「……う、うん。これしかなかったし」

 さくらは気恥しくなり、左手で頭をさすった。

 ゆり子はなにかに納得できたように、ふっ、と小さく噴きだして笑った。そして、またしても意味の分からないことを言う。

「あの二人は、だから誤解しているのかしら……」

「……うん? なんのこと?」

「さっき出会った『あの二人』はね、放課後までに、さくらちゃんは、絶対にゆり子に告白する――、なんて勘違いをしているかもしれないわ」

「……へ? こ、告白っ?」

 ゆり子が、なにを言っているのかは分からなかった。

「念のために訊いておくけど、さくらちゃんがわたしのところに来たのは、わたしに愛の告白をするためじゃないのよね?」

「……ぜっ、全然違うよ! そんなんじゃないよ!」

 さくらは顔の前で片手を、ぶんぶんと振りながら答えた。

「だそうですよ、つばきちゃん、すみれちゃん」

 と――、

 ゆり子は、さくらの背中のほうに声をかけた。

 直後、

「どっきんこーっ!」

 と、おどろいたにしては冗談じょうだんにもほどがあるようなセリフとともに、段ボールのすぐそばで、がさっ、と人が動く気配があった。


 段ボールの影から顔を出した二人は、「えー、あはは、ごめんなさい」と軽い感じで謝った。

 さくらは、唖然。

 結局のところ、二人のすっとんきょうな誤解は正されたようだったが、なぜか、ショートカットのほう――つばきちゃんは、残念そうな顔つきをしていたようだった。さくらに対してなにか個人的なコメントを送りたいようでもあったのだが、ゆり子が、じとーっ、と冷たくも鋭い視線を投げかけていると、

「あ、あははーっ、そ、それじゃあお仕事があるのでーっ!」

 と言いながら立ち上がり、髪の毛をハーフアップにしているほうの子――すみれちゃんも、「そ、それじゃあわたしもっ!」と続き、二人で段ボール箱を抱え、バタバタと去って行った。

 さくらは、ぽかーんとしながらその背中を見つめ……、

 ゆり子は、はぁ、とため息をついた。

「……まったくもう、どうしてそんな『ありえない誤解』ができるのかしら」

「……あはは。やっぱり、私の態度がおかしかったからじゃないかな」

「たとえおかしかったとしても、そんな誤解になるわけがないじゃない……」

「うーん。そうか。……そうだよね、私はまともだよね?」

 さくらは安心したように吐息をついた。

 ひょっとすると、自分が『変人』だから、あの二人に誤解を与えてしまったのではないだろうか。そんなことを考えてしまったのだ。

「……」

「……」

 しかし、「まともだよね?」というさくらの問いかけに対し、ゆり子の返事はなかった。

 お箸をゆっくりと動かし、からあげに、ぷすっ、と突き刺し、口へと運ぶ。

 視線しせんをななめ上のほうに向けながら、もぐもぐと、なにかを考えるようにしてしばらくのあいだ咀嚼そしゃくした。

 ごくん、と飲みこんでから、

「さくらちゃん」

「うん?」

「さくらちゃんはすごくまともだけれど……」

「まとも、だけれど?」

 一拍の間を置いて、ゆり子は面白そうな顔つきになり、

「意外と、ちょっとだけ、――どんくさいところはあるのかも」と言いながら、ふっ、と噴きだして笑った。

「うっ……、そ、そうなのか……」

 どんくさい。

 さくらの人生において、そんなことを言われてしまうのは初めてのことだった。とろくさいとか、のろまとかならば、言われたことがあったかもしれないのだが。

 ――あ、同じ意味か。

「と、とにかくそれじゃあっ」

 さくらは、強引に話を戻した。

 長話をしてしまったかもしれない。お話をまとめて、この場を離れようとしたのだ。

「ゆり子ちゃん、今日はうちに来てくれるんだよね?」

「うん。ぜひ、お邪魔したいわ。カレーを作るのよね? わたしも楽しみ」

 その言葉に、さくらもパッと笑顔になった。テーブルに身を乗り出すほどの勢いで喋る。

「うんうん! 皆で作ったら絶対たのしいよ!」

「そうね。皆で作るごはんって、絶対においしいわよね」

「そうそう! おねえちゃんと未来ちゃんと、四人で役割分担して!」

「そうね、コンビニのお弁当ばっかりじゃ身体に悪いし」

「そうそう! たらこのお弁当ばっかりじゃ栄養がかたよるし!」

「ふふっ」

 とゆり子が突然笑い、

「はっ!」

 とさくらが、しまった! とばかりに慌てて、両手で口を隠した。

 若干カマをかけられたようでもあるのだが、もはやさくらはみずから、喋らなくてもいいようなことを喋ってしまっていた。

 後悔するのと同時に、かなり驚いた。

 ゆり子は昨日、あんなにも必死になって、コンビニのお弁当――たらこのお弁当――を買っていたことを隠していたようだったため、さくらも気づかなかったふり、見なかったふりをしようと決め込んでいたのだが――、

 ゆり子のほうからその話題を出してきたのだ。

「なあんだ。やっぱりさくらちゃん、『アレ』、見ちゃっていたんだ」

 とくにゆり子は、気を悪くした様子もなく、恥ずかしがるような様子もなく、かといって諦観ていかんめいたものが見えるわけでもない、常態じょうたいの口調で言った。

「あ……うん、ごめん、実はあれ、見えちゃったんだ……」

 バツの悪い思いで、さくらはうつむきながら報告した。

「もしかして、だからこそわたしのことを、カレーに誘ってくれたの?」

「――っ」

 さくらは、答えに詰まってしまった。

 たしかにそういった気持ちも、わずかばかりあった。

 余計なお世話。おせっかい。ありがた迷惑かもしれない気持ちを、ゆり子へと向けていたことを否定できない。

「私は――」

 さくらは一瞬、ごまかそうかと思った。

 そんなことは全然ないよ、と言おうとした。

 だがなぜか、ゆり子にだけは嘘が通じないような気がしてやめた。

「たしかに、昨日はそんなことも考えちゃった」

 ちら、とゆり子を見た。

 泰然たいぜんとしたゆり子は、お箸でキャベツをつまみ、口へと運んでいた。

「私はゆり子ちゃんのことが好きだから、コンビニのお弁当なんて食べて欲しくないって、確かに、少しだけおせっかいなことも思っちゃったけど、だけど、いまはそんなことはどうでもよくて、私は、私が楽しみだから誘いたいの。それから、お料理仲間が欲しいなぁ、なんていう下心もあるにはあるけど……」

「うん」

 とゆり子が一言返事をしてから、ごくん、とキャベツをのみ込んだ。

「……うん。ありがとう。意地悪なことを訊いちゃって、ごめんなさい」

 と、むしろゆり子のほうがバツの悪い顔になってしまい、謝った。

「う、ううん、ぜんぜんっ!」

 内心でほっと一息をついたさくらに対し、ゆり子はなんとなくスッキリとしたような口調で、

「まさか『あのお弁当』、見られていたとは思わなかったわ」

「あはは……、地面に落ちちゃったときに、ちら、って」

「次は、もっとうまく隠すことにするわ」

「えっ、ま、まだ隠すつもりなの?」

「冗談よ。隠さずに食べるから」

 さくらはおかしさにこらえきれず、ぶっ、と噴きだして笑った。

 ゆり子も無邪気むじゃきに笑った。

 しばらく顔を合わせながら、お互いに声をあげて――、

「でも、……そうね」

 とゆり子が言い、お箸を皿の上に乗せた。

 いつの間にかお皿は、空っぽになっていた。

「ごちそうさま。――ええとね、さくらちゃん」

「なに?」

「さくらちゃんは、『支部長』のこと、好き?」

「えっ?」

 突然の質問に、さくらは目を白黒とさせてしまった。

 まさかここで、いきなり支部長――マリンちゃんの話題が出るなどとは、かけらも予想のできないことだった。

 しかもその質問が、好きかどうか、とは。

「好きか嫌いかで言ったら、どっち?」

「好き!」

 とさくらは、明快めいかいに答えた。「だってすっごく可愛よね? 声がすごくかん高いところも面白いし、髪はサラサラでお人形みたいだし、ちょっとおどおどしているとこなんか小動物みたい」

 するとゆり子は、「なるほど……」と小さな声でつぶやき、何かを考えるようにして、視線を横に向けた。

「……」

「……」

 互いに沈黙。

 いや、ゆり子は沈黙ちんもくというよりは、沈思黙考ちんしもっこう

 人差し指をくの字にして、唇にあてがいながら、なにかを慎重しんちょう検討けんとうしているような雰囲気を見せた。

「ど、どうかしたの……?」

 と、さくらが訊ねると。

「ううん。なんでもない。なんでもないんだけど、いつかさくらちゃんに、『協力』してもらおうかなって思って」

「協力? なんでも手伝うよ。もしかしてマリンちゃんのこと?」

「あ……、まあ、そうなんだけど」

「え、なに?」と、さくらはまた身を乗り出した。問い詰めるかのような勢いで、「まさかマリンちゃん、困っていることでもあるの?」

 ゆり子は、両手を前にむけながら、

「あ。大丈夫よ。少なくとも今はマリンちゃん、なんにも困っていないから。たぶん」

「たぶん?」

 こくり、とゆり子は頷いた。

 しかしさくらは、なんとなく釈然しゃくぜんとしない。

「うーん……、でもなんだか不安……、マリンちゃん、大丈夫なの?」

「……あっ」

 ゆり子は、そうだ、と何か思い出したように、言う。

「さくらちゃん、明日の水曜日。昼休みは、暇?」

「うん? 暇だよ」

「じゃあ、明日のこの時間、また『この席』に来てもらっても良いかしら」

「え? いいけど、なにかあるの?」

「――ふふっ」

 さくらが訊ねると、ゆり子はなにやらイタズラでも思いついたような子どものような顔つきになり、楽しげに言う。

「マリンちゃんに関する、秘密の作戦会議をしましょう」

「ひみつの……さくせんかいぎ……ってなに」

「さぁー。秘密なの」

「なにそれ」

「秘密」

 ニヤリ、と楽しげに喋るゆり子に、さくらもこらえきれずに笑った。

 きっと、『秘密』という言葉には、人のいたずら心をくすぐるような作用があるに違いない――、と、さくらは感じた。

 とにかくこうして、さくらは、ゆり子の招待に成功できただけではなく、もう一つの『楽しみな予定』を脳内スケジュールに加えることができたのだった。



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