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2話 家族のかたち その8

「ねえ、ミラちゃん」ゆり子が呼びかけた。

「むむ? なんだね」未来ちゃんが仁王立ちのまま答えた。

「わたし、ミラちゃんの素顔を見てみたいわ」

「ぬっ……。なっ、なにを言っているのだねっ!」

 いきなりのゆり子の要求に、未来ちゃんは甲冑の足を後ずさりさせた。一歩、二歩下がり、がしゃ、がしゃ、と物々しい足音が鳴った。

 三人の間に風が吹いた。

 ゆり子の毛先にかけられた緩いウェーブが、ふわっ、となびき、さくらのミドルヘアも、視界をさえぎるようにほおをくすぐったのだが、甲冑はピクリとも動かなかった。

 それにしてもこの甲冑。一向に、さくらの目には馴染なじむ気配がない。

 田舎にある一軒家。

 さくらの家とは、どちらかというと田舎には似つかわしくないような、やや西洋風の素朴な家だった。薄くベージュ色に染められた外壁と、オレンジ色の瓦が特徴的である。

 しかし、いくら洒落しゃれた感じのする家であろうとも、この、物々しい甲冑とはひとつも合うような気配がしないのだ。

「……だめかしら?」

 とゆり子が、せがむような口調で言った。

「わっ、我は正体不明の魔女だ。よって正体を明かすわけにはいかんのだ」

「……そう。わたし、あなたともお友達になりたいのに。残念だわ」

「なっ、と、友達とな?」

「そう。友達なら、素顔を見せ合うものでしょう?」

「そっ、そそっ、そんなこともあるような……ないような……でもでも……」

 未来ちゃんの声が尻すぼみに消えていった。

 内田ゆり子が、どういうつもりでそういうことを言いだしたのか。さくらにはまったく分からないのだが、単純に彼女の『好奇心』がそうさせているような気がした。

「ちょっとだけ。ね?」

「ううっ、こ、これはぼくの魔力の……なんだっけ。……そんな感じだから、ええと――」

 ゆり子がじわじわとつめ寄り、未来ちゃんは、玄関の柱へと向けて、おどおどと後退していく。

 さくらの目には、甲冑がなじまないままではあるのだが、先ほどよりも心に余裕をもって、二人のやりとりを見ることができるようになってきた。

 するとあらためて驚かされるのは、内田ゆり子の人間性だ。

 こんなにも積極的せっきょくてきな一面を持っているなどとは、予想もできないことだった。出会ったばかりの不審人物に対しても、怖気づくこともなく迫っていく。

 というよりは、先ほどから驚かされてばかりである。悲鳴をあげれば飛んできてくれたし、色々なフォローも入れてくれた。

 対する未来ちゃんの様子も、やはり面白い。

 ゆり子に追い詰められれば追い詰められるほど、みるみると『素の未来ちゃん』に戻っていくようなのだ。もしかすると先ほどの、「心配しなくていい」という言葉も、信じてしまって問題ないかもしれない。

「あ……あう……だ、だめです……」と、ついに未来ちゃんは、甲冑の両手でバンザイをした。

 降伏のポーズ。

 完全に、素の未来ちゃんの口調にもどってしまっていた。

「残念ね。諦めるわ」

 と、あっさりゆり子は足を止めた。

「え……そ、そう……?」

 きょとんとして未来ちゃんが答える。

「ええ。嫌がることはしたくないもの」

「……そ、そうか、そうかっ、はは、え、英断だ!」

「そうかしら?」

「そうともさっ!」

「ふふっ」

「ははっ、はははっ!」

 再び「おかしな状態」の未来ちゃんに戻ってしまったようだが、どうやらこの調子なら、ゆり子が言う通りなのだろう。心配する必要などはない。

 さくらがほっ、と一息つくと、カラスが遠くのほうで、かぁ、かぁ、かぁ、と三回鳴いた。まるで、サッカーの試合終了を告げるホイッスルのようだった。

 いつのまにか薄暗うすぐらくなっていて、草の匂いのする、のどかな風が吹くようになっていた。

「あっ、ミラちゃん。私すごいもの見つけちゃったわ」突然ゆり子が言った。

「うん? な、なにを見つけたのだ?」

 未来ちゃんは、不思議そうに首をかしげながら応じた。ヘルメットの部分が、ぐん、と傾いた。

「ほら。ミラちゃんの足元に、金塊きんかいが落ちている」

 ぶっ、

 とさくらは噴きだした。

 ゆり子が何をしようとしているのかを瞬時に悟ってしまったのだ。彼女はどうやら、素顔を見ることを諦めてはいないようだった。

 だが、まさかそんな古典的こてんてきな方法で――、

「えっ、どこ?」

 未来ちゃんは完全に騙されていた。

「……うーん、……よく見えないよ」と言いながらしゃがみこみ、きょろきょろと地面を見てまさぐりはじめた。

 間髪入れずに、ゆり子は魔手ましゅを伸ばした。

 素早くヘルメットを両手でつかみ、「えい」と声をあげながら、一気にヘルメットを持ち上げようとして――、


 次の瞬間、明らかに失敗したのが、さくらには分かった。


 一瞬だけ、未来ちゃんの首筋が見えるところまで、ヘルメットは浮き上がった。

 しかし、手がすっぽ抜けてしまったのだ。

 ゆり子の両手はバンザイの状態になったが、結局、持ちあがらなかった。「引っかかって上手く持ち上がらなかったのだろう」と、さくらは予想した。

「……あれっ?」

 ゆり子が驚いた声をあげると、すぐに異変に気がついた未来ちゃんが「うわああっ!」と叫びながら後ろへジャンプ。すると玄関の柱に衝突した。ごわーん、と間の抜けた音が立った。

 わたわた、と慌ただしく体勢を整えて、

「あっ、そ、そうだあ!」

 と未来ちゃんは、急に焦ったような口調で、「わっ、我は、突然でいきなりの急用を思いだしたぞおっ!」と高らかに言った。

「そ、それではな、ま、また来るぞ、わはっ、わははーっ」

 言い切る前に、背中を向けて走り出していた。

 がちゃ、がちゃ、がちゃ、音を立てながら軽快に走って裏庭のほうへとまわりこんで行き、姿が見えなくなってしまった。きっと裏庭から外にでて、『自分の家』に戻るつもりなのだろう。

 あっというまの逃走だった。

「あはは、あすのさんと同じようなこと言ってる」

 さくらが苦笑いで言った。

 ゆり子は、無言だった。

「ねえゆり子ちゃん。今のはあすのさんと違って、みえみえの嘘だよね」振り向いて言った。

 返事はない。

 ゆり子の視線は、裏庭のほうを見たままだった。ヘルメットを持とうとした手も、バンザイの状態で硬まっている。ちょっとだけ間抜けなポーズだ。緩くウェーブのかかった毛先と、学生服の膝丈スカートが、緩やかな風になびいていた。

「……どうかしたの?」

 さくらが訊ねると、ゆり子は、ゆっくりと棒立ちの姿勢になった。そして口を開き、

「……なるほど。明日乃さんも未来ちゃんも、姉妹そろって本当に面白いわね」

 しみじみと言った。

 その「なるほど」、「面白い」、という言葉は、さくらには意味深に聞こえた。未来ちゃんの人間性だとか、一連のやりとりとかではなく、なにか新しい事に気がついてしまったような響きがある。そんな感じがした。

「えっと、うん。面白いよね?」

 ちょっとだけ不思議な声で、さくらが同意した。

「さくらちゃん」

「なに?」

「あの甲冑って、何キログラムくらいあると思う?」

「え?」

 突然訊かれて、さくらは返事に困った。きょとんとした顔を浮かべてしまったが、ゆり子はじーっと返事がくるのを待っている。

 どういうつもりで質問をしてきたのか、意図はまったく分からないが、さくらは思いついたまま答えることにした。

「……三、四キロもないんじゃないかなぁ。未来ちゃん、すごく軽快に動いていたし」

「そうね。私もそう思う」

 ゆり子が肯定した。

 そして、お話は終わりだとばかりに、「さて、わたしは帰るね」と切りだした。ずいぶんといきなりだったが、さくらはすぐに応じた。

「あっ、う、うん。ゆり子ちゃん。来てくれてありがとう」

「どういたしまして」

 二人は顔を合わせて笑った。さくらは申し訳なさそうに、ゆり子は穏やかに。

 そして――、

 突然ゆり子が、ハッ、とした。

 なにかを思いだしたような顔で、ズバッ、と素早く後ろをふり返り、自分の自転車を見た。

 さくらの視線もつられて向いた。

 それは地面に横倒しになっていた。すぐ側にはお茶の入ったペットボトルが転がり、中身の詰まったコンビニのビニール袋が、地面に落ちていた。

 さくらの胸に、罪悪感ざいあくかんが押し寄せた。

 中の無事を確認してみるべきだろうと思った瞬間――、

 さくらのとなり疾風しっぷうが発生。

 ゆり子が新幹線のようなスピードで近づいて行き、ビニール袋を回収。ペットボトルも拾い、ビニール袋を胸に抱き、自転車を起こしてしまった。

 あっという間の出来事だった。

 さくらが驚いて目をぱちくりとさせると――、

「さっ、さくらちゃんっ」

「……うん?」

 背中を向けたままのゆり子が、焦った声で呼びかけてきた。長く、毛先のほうにかけて緩くウェーブのかかっている髪が、表情を隠したままだった。ビニール袋も、胸に隠すようにして持っている。

「さくらちゃん、いま、なにかおかしなもの……見た……?」

「へっ? お、おかしなもの? ううん。別に……なにも」

「そ、そう……かしら?」

 どうやらあのビニール袋の中には、「見られたらまずい何かがある」ということは、さすがのさくらでも気がついた。詮索せんさくするつもりはないのだが、なにか少しでも駄目になってしまったものがあったのならば、弁償べんしょうするつもりだった。

「えっと中身、大丈夫だった?」

「……うっ、うん。三つとも全部、大丈夫だったわ。そ、それじゃ、わたし帰るからね」

「えっ、あっ」

 さくらが何か考える間もなく、ゆり子は自転車にまたがり、気まずそうな顔を向けて「バイバイ」と言ってきた。

「あの、ゆり子ちゃんっ、いろいろ助けてくれて本当にありがとう」

「いいの。楽しかったわ」

 ゆり子はペダルを踏み、自転車を進ませながらくるっと反転。ビニール袋をハンドルに下げた。後ろをふり返り――、

「またね、さくらちゃん」

 なぜかほっとしたような表情を浮かべながら、手のひらをみせて小さく振った。さくらも応じて、手を振りながら笑顔で挨拶をした。

 それからゆり子は、トマト、きゅうりが瑞々しく育っている畑と、民家の壁に挟まれた狭い道を、がたがたと自転車を揺らしながら四車線があるほうへとまっすぐ進んで行った。

 背中が小さくなるまで見送り、さくらはぼそっと呟く。

「三つとも全部、大丈夫……って言ってたけど。あれで全部だったのか」

 さくらには見えてしまっていた。

 袋の外へと飛び出してしまったものと、袋の中にあったもの。

『お茶の入ったペットボトル』

『たらこがたっぷりと入ったお弁当』

『たらこと野菜のスパゲティ』

 その映像が、鮮明に蘇ってしまった。

 ――あれ?

 ――そもそも、どうしてお弁当なんか買ったんだろう。誰が食べるんだろう……。

 そんな疑問がわいた次の瞬間、さくらの頭の中では不思議なことが起きた。

 ゆり子にまつわる今日の思い出がいっせいに蘇り、彼女の『お弁当』にまつわる不思議な行動のすべてが、パズルのピースのように当てはまり、『疑問ぎもん』は『理解りかい』へといたった。思考を超えた悟りの状態である。

 つい先ほどの、焦っていた理由も分かってしまった。

「なるほど……そうか。私が、コンビニのお弁当なんかだめだよ、なんて言っちゃったから……隠していたんだ」

 どちらかというとさくらは、人の心の動きには鈍感なほうだった。しかし、今日ばかりはなぜか、ゆり子にまつわる『食事の事情』を、すぐに理解できてしまった。

 さくらの胸が、ちくちくと痛んだ。

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