2話 家族のかたち その7
さくらの家は、コンビニのすぐ側にある。
西日がますます眩しくなりつつある夕方、ゆり子と「バイバイ」をしてから、さくらは自転車にまたがって、残りの帰路を進んでいた。
雑草がぼうぼうと生え、石がごろごろと地面に埋もれている狭い道は、自転車を走らせていると、ガタゴトという振動が伝わってきてちょっとだけ不快だった。
だがそんな道も、ほんの少しの辛抱だ。
すぐに家の敷地に入り――、
「えっ、なっ、なんだあれ」
思わず口にしてしまった。
家に到着した途端、おかしなものを見つけてしまったのだ。
それは玄関先に置いてあった。銀色にぎらぎらと輝く、なんだかよく分からない大きな物体。というよりはガラクタだろうか。
「だれがあんなものを……。おねえちゃんかな……」
不審に思いながらも、さくらは自転車に乗ったまま、車庫の中へと入っていった。
車庫とは言っても車が無いために、がらんとした空間が空いている。のこぎりやスコップ、くわ、ハンマーなどの工具・農具が並んでいる奥のほうに、自転車をとめた。
鞄を持って車庫を出ると、さくらは銀色のガラクタへと近づいて行った。
「……うそでしょ」
我が目を疑うとは、まさにこのことだろう。さくらは目をパチパチとしばたたかせてしまった。あまりに呆気にとられてしまい、手に持っていた鞄を落としそうになってしまった。
ガラクタなどではなかった。
だがなぜ、ここに、こんなものが置いてあるのか、さくらにはまったく分からなくて困惑してしまった。
銀色の甲冑。
別名、プレートメイル。
全身を覆うタイプのものだ。さくらは映画で見たことがあった。
これを身に着けた人間は、頭の先から足の先までの全身を、すっぽりと覆い隠して肌の露出をなくしてしまうのだ。どの方向からの『攻撃』にも備えられるように、金属のプレートを何枚も、何枚も、全方向に向けて重ねられている鎧なのだ。
そんな鎧――甲冑が、なぜか玄関先に、体育座りのような姿勢で置いてあった。
太陽の光を横から浴び、ぎらぎらと輝いているその姿は、見ようによっては美しいのかもしれないが、ただひたすら異様だった。
「……」
さくらは絶句して、しばらく見つめてしまった。
西暦一五〇〇年の頃、ヨーロッパで使われたタイプの甲冑だったが、さくらにはそこまでの知識はなかった。
甲冑にまつわる詳細も、ここに置かれている理由も、さくらにはまったく分からないのだが、だだひとつだけハッキリと言えることがある。
――これ、博物館に置かれるべきものだよね。
――こんなすごいもの、玄関先に、ぽつんと置かれるべきじゃないよ。
すぐ近くで、ニイニイゼミが、ジイィィ、と鳴きはじめた。のどかな音に、さくらの気持ちが少しだけ和んだ。
「……これって、……重いのかなあ」
的外れな疑問だったが、混乱から立ち直れないさくらにとっては、それを確かめてみるくらいのことが精いっぱいだった。
体育座りの甲冑へ、横から近付いた。
頭部を持ち上げてみようとして、さくらが両手を伸ばすと――、
いきなり甲冑が動いた。
首のあたりが、ぐるんっと回転して――、頭部が、さくらのほうを向いた。
「ひっ――」
頭部は、フルフェイスになっているために中の顔は分からない。だが、そのヘルメットの細い隙間から、ぎょろっ、と瞳が動いたのが見えた。
視線が交わり――、
さくらは絶叫した。
鼓膜がやぶれてしまうほどの、鬼気迫る絶叫だった。大気が震え、付近の窓がびりびりと振動し、カラスが慌てて飛び立った。
さくらの手の中にあったはずの鞄は、無意識のまま勢いよく放たれ――甲冑のヘルメットに直撃。
「あいたっ」
という少女のような愛らしい声は、さくらの耳にはとどかなかった。すでに地面を蹴り、猛ダッシュでその場を離れ――、
「ま、待って! さくらおねえちゃん!」
その声は、今度こそはっきりと聞きとることができた。
「えっ?」
走る足を緩めて、立ち止まり――、さくらは後ろをふり返った。
甲冑は、玄関先でがちゃがちゃと音を立てながら、いそいそ立ち上がっているところだった。
素顔は見えないが、その声、その呼び方をする人間を、さくらは知っている。
――いま、さくらおねえちゃんって言った?
――もしかして、中身って……。
「あっ、やっ、ええと、とっ……お、驚いているよう、だな?」
甲冑はさくらのほうを見ながら、中からくぐもったような声をあげた。
「え……うん。……すごく……心臓バクバクだし……」さくらが心臓をおさえながら返事をした。
「……帰りが遅いから、うっかり眠っちゃって……あっ、と、とにかく、これ以上ないくらいに、さ、最高の登場を飾れたようだっ」
「……」
「はっ、は、はっ、はははははーっ!」
甲冑は、腰に両手を当てながら、芝居のかかった口調で笑い始めた。
その声でようやく、中の人物が誰なのかが、さくらは確信を持った。
小学六年生の未来ちゃんだ。
つい先ほど、女子高生の明日乃が「二、三日預かって欲しい」と言っていた、彼女の妹だ。
だが、つっこみどころが多すぎて、どこからどう話をきりこめばいいのかが分からない。軽い頭痛を覚えた。
未来ちゃんの身長とは、さくらよりも四、五センチ低い程度だ。
現在、その甲冑のせいでやや大きく見える――ような気がするのだが、サイズ感が非常に悪い。まるで、子どもが頑張って背広を着込んでいるみたいで、滑稽だ。
そしてどうやら、あれは金属のたぐいではないようだ。
プラスチックだか樹脂だかは分からないが、作り物だ。もしも金属だったら、未来ちゃんがあんなに軽々と着こなせるわけがない。
そこまでのことは理解した。
だが――、
一つだけ、逆立ちしても分からないような謎があった。
小学六年生の、未来ちゃん。
彼女は、自己表現が苦手で、内気で、大人しい女の子だった。
どこでこんな甲冑を手に入れたのかは分からないが、こんなものを自ら『装備』するような女の子ではないはずなのだ。
突然、別の女の、焦ったような声がした。
「さくらちゃんっ! なにかあったのっ!」
内田ゆり子の声だった。
さくらが後ろを振り返ると、先ほど別れたばかりの中学一年生、ゆり子が、血相を変えて自転車でつっこんできた。
急ブレーキをかけると、タイヤが砂利の上で、がががっ、と音を立てて滑った。ゆり子はそのままの勢いで自転車を飛び降りた。
がしゃん、と音をたてて横倒しになった自転車のかごから、買い物のビニール袋が転がった。中からお茶の入ったペットボトルが一つだけ飛び出した。
――あ、結局コンビニで買い物したんだ?
という場違いな疑問が、一瞬だけさくらの脳裏で閃いた。
「な……なにこれ……」ゆり子が言った。
銀色の甲冑に気がついたらしい。ゆり子は、さくらの隣で硬直した。
――あっ!
――私が悲鳴をあげちゃったから、来てくれたんだ!
さくらは慌てて口を開く。
「ゆっ、ゆり子ちゃん、あのね、この中に入っている人もね、怪しくなんかないの。さっき一緒にお話をしたあすのさんの妹で、みら――」
「そっ、そうっ! わっ、我こそがミラ!」
さくらの説明を遮り、甲冑が声を張り上げた。
「わっ、我はっ、世界中の正義をこよなく愛し、はびこる悪はもれなくぶったぎる。――高次元世界からはるばるやってきた謎につつまれたエスパー美少女! その名も『ミラ』、ここに参上!」
まるで練習してきたかのような自己紹介をし、ポーズをとった。
右拳は天をつくようにまっすぐにあげて、左手は腰に。なぜか足は、――がにまた。
「ミ……ミラ……ちゃん?」
とゆり子が、やや警戒を解きながらも、迷いのある口調で言った。
さくらは、天地がひっくりかえったような感覚を覚えていた。めまいがして倒れてしまうかとさえ思った。
――未来ちゃんが、おかしくなった。
三年ほど前、未来ちゃんは引っ越しをしてきて以来、さくら姉妹にはこれでもかというほどに懐いてしまい、無垢な瞳、人見知りのするような声で「さくらおねーちゃん……、まおねーちゃん……」と静かに呼びかけてくるような、お人形さんみたいな女の子だった。
慣れてくると彼女は、だんだんと活発な気質も現れるようになってきたのだが、基本的に彼女は、おしとやかな感じのする子だった。
はずだった。
その彼女がなぜ、急に、こんなことをしているのだろうか。
大人しい未来ちゃんを知っているだけに、さくらの混乱は非常に深かった。悲鳴を聞きつけてやってきてくれたゆり子のためにも、なにか説明してやらなければと思うのだが、頭の中は一向にまとまらない。
とにかく会話だ、と思い、
「みら――」
みらいちゃん、とさくらがもう一度呼びかけようとした瞬間に、
「そっ、そう! 我はミラ! こ、高次元世界からはるばるやってきた謎に包まれた魔女である! ハアッハッハ!」
「……あの、……未来ちゃんだよね?」
「むっ! むうっ……い、いくぶんかんちがいをしているようだから教えてあげよう。我はミラ。世界中にあふれる美しいものをもれなく愛し、醜きものは遅疑なくぶったぎる。――高次元世界からはるばるやってきた魔女である!」
と、両手を腰にあてて、偉そうに言いきった。
さくらは呆然としながら、
「へ、へぇ……、そうなんだ……」
「うむ。我は魔女だから、体重もわずか一四キロしかないぞ!」
体重がわずか一四キロ。
白菜が一つで二キロだから、ちょうど七個ぶんだなぁ……。ああ、台所のお漬け物、そろそろ味がしみこんだかなぁ……。と、さくらは天を仰ぎながら、現実逃避をはじめてしまった。
「なるほど……これが、明日乃さんの妹」
ゆり子が呟いた。
内田ゆり子は、未来ちゃんの過去の姿を知らない。
だからこそ、すぐに状況に適応してしまったのだろう。言葉を失ってしまったさくらの代わりになって喋る。
「その魔女が、どうして甲冑を着ているの?」
「これか。話せば長くなるのだがな。簡単に説明すると、うちのがっこ……じゃない。闇社会のボスが、我の能力を認めて与えてくれたものなのだ。『これを使いこなせるのは世界でもあなただけだ』とな。これは魔力の増幅器でしかないが、我がこれを装備することで宇宙と繋がり――」
「なるほど――」
ゆり子は、完全に落ち着きを取り戻していた。意味不明なことを喋り続ける未来ちゃんの言葉に、うんうん、と頷いていた。
「……もう一つ、質問をしていいかしら?」ゆり子が訊いた。
「なんでも答えよう」ミラが応じた。
「どうして未来ちゃんは、そんな格好でここに現れたの?」
「ちっ、ちがっ、我は未来ちゃんなどではない! ミラだ! 世界中のスイーツをこよなく愛し、台所でサツマイモをぶったぎる魔女だ! 高次元世界からはるばる甘いものを食べにやってきたのだ!」
「……なるほど。よく分からないけど、まあ、分かったわ。ありがとう」
「ふふん。れっ、礼には及ばんよ」
「……つまりミラちゃん、あなたはその魔女の姿を、さくらちゃんに披露しにきただけなのよね」
「そういうことだ。少々刺激が強かったみたいだがな」
「……ふふっ」
「ハハハッ」
二人は顔を合わせて笑った。
さくらには、目の前で起きている光景が不思議でしょうがなかった。
――あれっ、
――あれええっ……?
いつの間にか二人は、すっかりと打ち解けているようだ。
さくらは、ゆり子の横顔を眺めた。
彼女は、いつものような品のある、ちょっとだけ眠そうな眼差しに戻っていた。楽しそうに甲冑とお喋りをしている。
その様子を見ていると、さくらは「いまだに状況になじめない自分のほうがおかしいのだろうか?」と疑問になってしまい、だしぬけに冷静になった。
ほどなくすると、ゆり子がその視線に気がついて、にこっ、と穏やかにほほ笑みかけてきた。彼女の眼差しは「ほら、未来ちゃんとお話をしてあげなさいよ」とハッキリ訴えているかのようだった。
さくらは、言い表せないような気持ちになっていまった。
「――そ、それじゃあさ、ミラちゃんは」
と、立ち直ったさくらが言う。
「なんだね?」
未来ちゃんは首だけを動かして、仁王立ちのまま応じた。
「わざわざ、その姿をみせるためだけに、私の家にやってきてくれたんだね」
「いかにも」
さきほどの会話をくりかえしただけだったが、ようやくまともな会話を交わすことができた。
さくらは、こっそりと安心したように吐息をついた。さて何を話そうかと頭を巡らしてみると、すぐに明日乃との約束を思いだした。
「ねえミラちゃん、あすのさんから何か言われてる?」
「……むむ? 何かとは」
「今日は、『さくらちゃんの家に泊まりなさい』みたいなこと」
「……え? ……ううん。ぼくは別になにも聞いて……はっ!」
一瞬だけ『素の未来ちゃん』が現れたようだったが、驚いたような声をあげて、言葉をのみ込んでしまった。
「我はミラ! あすねえちゃんの事なんか知らないし、喋ったこともないのだ!」
ばたばたと慌てて手をさまよわせながら、未来ちゃんは声を張りあげた。
さくらはそんな様子も気にせずに、話をすすめてみる。
「そうかぁ。未来ちゃんは聞いていなかったのか。とにかくね、そういうお話になっていたの。あすのさん、また忙しくなっちゃったみたいだからさ」
「そ……そうなの? じゃあ……また今日、さくらおねえちゃんの家に、泊まりに行ってもいいの?」
と、うきうきした声で未来ちゃんが訊いた。
「うん! もちろん! 今日だけじゃなくて、明日も、たぶん明後日も――」
「あっ!」
と、再び未来ちゃんは驚き、話をさえぎった。
「しっ、知らないぞ! 我はミラ! あすねえちゃんとは誰だねっ、だいたい我は――」
「……」
なかなか話が進まない。
さくらはいろいろなことに困ってしまった。
――もしかして未来ちゃんは、一生こんな感じになってしまうのだろうか。もう、あの大人しい未来ちゃんは、かえってこないのだろうか。
そんなことを考えてしまい、さくらは不安顔になってしまうと、悩みを見透かしたかのように、ゆり子がぼそっと言う。
「……心配しなくていいわよ。設定だし」
「え?」
安心させようとする口調だった。
どういう意味で「心配しなくていい」のかは分からないが、どうやらゆり子は、こういう状態の人間のことをよく知っているようだった。
ゆり子は、一本指を唇のところに当てて、
(せっ――てい)
と口を動かしてから、楽しそうに笑った。
さくらにはなんのことか分からなかったが、ゆり子は確信を持っているようだった。




