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2話 家族のかたち その2

 突然発生したそのトラブルによって、さくらの頭は真っ白になった。


「……へっ?」


 と間の抜けた声をあげることしかできなかった。当然、廊下を通りかかった少女――毒舌・内田ゆり子のことも、一瞬で忘れてしまった。

 それよりも今、目の前でアホ面をして倒れている『立浪(たつなみ)たち』のほうが問題である。立浪と、もう一人の男子生徒。

「……ど、どうしたの? 大丈夫?」

 とさくらが声をかけると、

「ああ……、バカは怪我しないっていうから、大丈夫だよ」

 と(あおい)が答えた。

 呆れたような顔をしながらも彼女は、「やれやれ」と口に出して言いながら立浪を助け起こした。

 立浪は、

「う……うらんでやる……覚えてろさくら……」

 などと怨念(おんねん)の込められた声で言いながら、涙目で見つめてきた。

 ちなみにさくらは、下敷きになった男子生徒を助け起こしたのだが――、

「な、なんだかわからんけど覚えてろ、さくら……」

 などと言われてしまった。

 さくらにはなんのことかはさっぱり分からないが、後ずさりした。

「えっ、わ、私……?」

「あー、いいのいいの。さーちゃんには関係ないから。こいつ『ら』バカ共の奇行は、今に始まったことじゃないでしょ?」

「うーん。それもそうだね……」

 葵とさくらが、うんうん、と納得したように頷くと、

 がくっ、

 立浪と男子生徒が、同時にうなだれた。

「俺『ら』だってよ。俺らの普段の行いって、そんなに悪いかな……」

「おい……今回おれは巻き込まれただけだぞ」

「……すまん」

「……同情するけどな」

「ありがとよ」

 二人で妙なところで共感しあっている。

 そこでようやくさくらは、ゆり子のことを思いだして――、

「あっ!」

 と慌てて廊下を振り向いたが、すでに彼女の姿は見えなくなっていた。

 ――あぁ、居なくなっちゃった……。

 ――お話したいこと、いっぱいあったんだけどなぁ。

 残念な気持ちになってしまった。「追いかけちゃおうかな」などとも考えたが、チャイムが鳴ってしまったのであきらめた。

 なんとなくそのことが引っかかってしまい、授業中はつい、ゆり子のことばかりを考えてしまう。

 ――ゆり子ちゃん。支部長にだけは毒舌がすごかったなぁ。

 ――絵本のときは、ずいぶんと過激な発想をする子だったなぁ。

 ――毒もあるけど、可愛くて上品なところだけは、ずっと一貫して崩れない子だったよなぁ。

 と、そんな考え事のおかげでウトウトと眠ってしまうことはなかったのだが、結局、午前中の授業は集中することができなかった。





 昼休みになるとさくらは、職員室に訪れた。

 バイト先で渡された紙を学校に提出しなければならなかったのだが、それとは別にもう一つ、担任に伝えておくことがあったのだ。

 部活動についてである。

 さくらのような学生は、PRF研究所でバイトをすることになった場合、所属している学校で『ボランティアをするような部活動』をすることになっているようなのだ。

 もちろん強制ではないのだが、そういう『決まり』になっているらしかった。

 そのPRF研究所の支部長にとっても、どうしてこういう決まりがあるのかは具体的に知らないようだった。「校長なら知っていると思うから、訊いてみたら?」とも言っていたのだが、さくらにしてみればそこらへんの理由は別にどうでもよかった。

 ボランティアをする部活動。とくに断る理由もない。

 それどころかむしろ「楽しそうかも」などと思っていたのだ。

 それに――、

 姉の言葉。


『部活に熱中してみるとかも、いい経験になるよ』


 それを思い出していたのだ。

 だから今回は、バイト先でもらってきた書類を、担任たんにんに提出し、そのついでに「部活をやりますよ」という意思を伝えるために職員室を訪れたのだ。


 だが、


「ああ、さくらちゃんはPRF研究所でバイトをすることになったのね?」

「はい。そうです。私、ボランティアをしている部活動にも参加するつもりなので、それを伝えに来ました」

「ふうん……? ボランティア部にも参加するつもりなの? なんだか急に活動的になったわね」

「え? あ、はい」

 四〇代になる女の担任は、職員室の隅っこにある自分の席に座りながら、不思議そうにしながらさくらの表情を覗き込んできた。

 提出した紙を受け取るなり、「ご苦労様。話は以上かしら?」と言わんばかりの雰囲気だった。

 ――あれっ? ……なにか変だな。

 さくらはなにか、担任の反応がおかしいような気がした。

 妙に話がかみあっていないというか――違和感があるのだ。

「うん? どうしたの?」

 と担任が不思議そうな顔で訊ねてくる。

「あれ? えっと。私、ボランティア部? みたいなところに参加するっていうことを伝えに来たんですけど」

「……あっ」

 担任は、なにかに気がついたというように声をあげてから、視線を天井のほうに向けてなにかを考えはじめた。

 そして、

「……そういうば校長が、たしかそんなことを言っていたような気がするわね」と呟いた。

 なにかを思いだそうとする担任。

 その傍らで、さくらは立ちつくしてしまったが、すぐに違和感いわかんの正体に気がついた。

 ――あ、そうか。これに関しては、先生もよく知らないのか。

 PRF研究所に入った人間は、ボランティア部にも所属する。これは社会常識みたいなものなのかなと思っていたが、どうやらそういう訳でもないようだった。ローカルルールみたいなものなのだろう。 

「さくらちゃん」

 と呼びかけられて、さくらはびくっ、とした。

 眠気もあったせいだろう、いつの間にか意識がぼんやりとしていた。

「――はっ、はい」

「この件はわたしもよく分からないから、校長先生に訊いてみましょう。でも今日は居ないみたいだから、保留ね」

「わ、わかりました」





 さくらは職員室を出た。

 ぼんやりと歩いて、教室に戻ろうとを進める。

 時刻はまだ昼休みになったばかりである。

 ジャージを着ては体育館へ遊びに行く生徒、友だちと連れ立って建物を出て行く生徒とすれ違いながら、さくらは廊下を歩いた。

「だめだ……やっぱり眠いな……」

 まぶたが重い。

 足どりも重い。

 なんとなく立ち止まり、窓から外を覗いてみた。

 学校の敷地のなかにある常緑樹じょうりょくじゅの先には、緑の田んぼが広がっていた。遠くのほうの小道では、小さな軽トラックがのろのろと進んでいるところだった。

 窓から、ふわ、っと風が入ってきた。

 涼しかった。

 午前中から気温はどんどん上がっているようだったのだ。風はとても気持ちがよかった。

 さくらは、一時間目の授業中に感じていたあの心地良い『潮風のようなもの』を思い出してしまった。

 つい、ぼんやり景色を見てしまう。

 どうしようもなく眠いのだ。

 いますぐにでもこの場所で、横になって眠りたいくらいの心境だった。しかし、さすがにここではだめだ。せめて保健室だ。

「……あ、そうか。保健室。それがいいかも」

 昼休みが終わるまで、あと二〇分。

 たった二〇分だけでも横になっていれば、こんな眠気も回復するはずだろう、と考えたのだ。

 目的地変更。

 さくらはUターンをして、廊下の奥を目指して歩く。

 その矢先に――、

 廊下の先を、とてとて、と小さな歩幅で歩いている、上品そうな女の子――内田ゆり子を発見した。

 彼女は自分と同じ色のスカート、ブラウスを着て、おそらくクラスメイトであろう女子二人と一緒に、三人で廊下を歩いているところだった。


「あああああああああああっ!」


 と、さくらが大声をあげる。

 廊下の二〇メートルほど離れたところにいた内田ゆり子含む三人は、びくうっ! と反応。

 まるで猛獣もうじゅうにでも狙われてしまった小動物のように縮こまってしまう。――だがさくらは、そんな怯えている様子にはまったく気がつかず、ずんずんと歩いて接近する。

 ゆり子の隣にいた女子が、口を開く。

「なっ……なにっ、なにか来るっ」

「あれって先輩? でも私たち、なにかした?」

 三人組のうち二人は怯えるばかりだったが、ゆり子だけがその正体に気がついた。

「あっ……」

 ゆり子は、「さくらちゃんだ」と言おうとして口を開きかけたが、それよりも先にさくらが言う。


「ゆり子ちゃん、ずっと会いたかったんだよおおおっ!」


 ようやく会えたことに嬉しくて、さくらは思わず大きな声を出してしまった。

「え?」

「え?」

「……えっ?」

 三人は、目を丸くした。

 廊下を歩いていた何人かの生徒たちも、足を止めてさくらとゆり子を見ていた。

 呆気にとられている三人の元へと小走りでやってきて――、さくらはゆり子の手を掴んだ。そして元気よく思いをぶつけてしまう。

「せっかくゆり子ちゃんに会えたと思ったのに見失っちゃって、追いかけようとしたんだけど追いかけられなくて! 私、ずっとゆり子ちゃんのことばかり考えていたの! もうね、ずっと会いたかったの。授業とか全然手につかなかったんだから!」

「はっ……、はいっ? さ、さくらちゃん、いきなり……っていうかこの学校の……」

 さすがのゆり子も色々な驚きにいっぺんに襲われたのだろうか、動揺どうようして目を丸くした。

 身体も硬直こうちょくしてしまい、ゆるくウェーブのかかった髪の先まで、カチコチに凍りついてしまったかのように動かない。

 もっと驚いているのは、周りのみんなだ。

 ゆり子と一緒にいた二人の女子が、目くばせをし合う。

 廊下を通りかかった男子生徒、女子生徒も、きょとんとしていた。

 しかし、さくらは気がつかない。

 興奮して、いまにも抱き付きそうなくらいに嬉々としてゆり子の手を握り、上下に振る。

 たまらずに口を開いたのは、ゆり子の隣にいる女子だった。

「あ……あの、さくら先輩、ですよね……?」

「え? ……私が先輩? っていうことは、三人は一年生だったんだ?」

 さくらが驚いて訊ねると、その子達は、うん、と頷いた。

 ――っていうことは、ゆり子ちゃんって、うちの学校の後輩だったんだ。ぜんぜん知らなかった!

 と、内心で色々な驚きに襲われていると――、

「あ……あの……さくら先輩」

 ゆり子の隣にいた女子が、恐る恐る言う。

「さくら先輩と、ゆり子って……ひょっとして、なにかすごい関係なんですか……」

「……えっ?」

「き、禁断の関係だとか……」

「……」

「……」

 さくらがその質問の意図をするまでの、わずかな時間。

 その一瞬の間には、よく分からない、形容けいようのしようもない、微妙な時間が流れてしまった。

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