1話 初仕事は盗み聞き? 了
当然のことながらその血なまぐさいストーリーは、さくらの強い反対があって却下された。
「もうっ、これは絵本なんだよっ? いい? 絵本を作っているの。ちっちゃい子どもが読むための本を作っているんだよ。だから――」
さくらはそうやって真緒たちを叱りながら、絵本を描くにあたって、いくつかの『約束ごと』を作った。
その約束ごとの内容とは――、
一つ――、登場キャラクターは、全員デフォルメ化すること。
二つ――、毒物や毒ガスは使用しない。
三つ――、襲撃・暗殺などの物騒な展開も禁止。
四つ――、鼻血を含む、すべての出血表現も禁止。
五つ――、心があたたまるお話にすること。
先ほどまでさくらは、暴力表現に関して「勧善懲悪ものだったら、少しくらいの暴力シーンはあってもおかしくないはずだ」と思っていたのだが、二人の様子を考慮すると「いっそのことないほうがいい!」と思い直していた。
「ええええっ、きびしすぎるよお。表現の自由がああ」
と真緒が反論。
「自由に作った結果、おねえちゃんが作る絵本は『真っ赤』になっちゃうんでしょうっ?」
「だっ、だってえ、キーワードのなかに『悪い鬼』っていう言葉があるでしょう、だからこれを使うと、どうしても出血・噴血――」
「だめって言ったらだめなのっ!」
「ひぃっ」
この日、まさにさくらは『鬼』だった。
さすがの支部長もポカーンとして見守っていた。
だが、そんな鬼のさくらの監修のもとで――二時間ほどをかけ――ほのぼのとしたストーリーが完成してしまった。
さくらたちが作った絵本のストーリーとは、次のようである。
むかしむかし、大きな山のふもとに、小さな村がありました。
たくさんのお米を作っているので、おいしいご飯・おだんごを、たくさん作れます。
しかし、村に住んでいるのは、おじいさんやおばあさんばかり。腰が痛いせいで、田んぼの雑草をとったり、沢山のお米を収穫するのが大変でした。
そこで、山に住んでいる三頭の動物が、田んぼのお手伝いをしてくれるようになりました。
うまさん。やぎさん。いのししさんです。
三頭の動物は、いっしょうけんめいに働きます。
田んぼの雑草をむしゃむしゃと食べたり、お米を背中に乗せて運んだりしました。
村人たちは、大喜びです。
「ありがとう。さあ、お礼に、大きなおだんごをあげよう。みんなで食べなさい」
村人たちはお礼として、三頭の動物に、三つの大きなだんごを与えました。すると動物たちは、嬉しそうに口にだんごをくわえて、山へもって帰っていきました。
それから動物たちは、毎日、お手伝いをしてくれるようになりました。よろこんだ村人たちは、お礼として大きなおだんごを、毎日あげました。
そんな日々がつづいていた、ある日のことです。
おじいさんやおばあさんは、大きな山のてっぺんに、たくさんの桃の木が生えているのを見つけました。
そして動物たちに、こう言います。
「うまさん、やぎさん、いのししさん。あの山に生えている桃を、とってきてくれないかい? とってきてくれたら、また大きなだんごを与えよう」
三頭の動物は、嬉しそうにうなずきました。
そうして動物たちは、大きな山のてっぺんまで登り、たくさんの桃を収穫して、村に帰ってきました。
村人はおおよろこびです。
「ありがとうね。おかげで、おいしい桃を食べられるよ。さあ、お礼に大きなおだんごをあげよう。みんなで食べなさい」
動物たちは、だんごを口にくわえて、山へと帰っていきました。
それからは、毎日のように、村人は動物たちにお願いをして、桃をとってきてもらうようになりました。
そんな、ある日のことです。
動物たちは、お腹をすかせて苦しそうにしていました。
いったいどういうことなのでしょう。
毎日だんごを沢山食べているはずなのに、お腹をすかせて苦しそうにしていることは、不思議でした。
しかし、村人たちは、おいしい桃を食べたくて仕方がありません。だから動物たちに、こう言います。
「動物さんたちや。また、桃をとってきてくれるかい? お礼には、もっともっと大きなだんごをあげるから」
動物たちは頷きました。
そして、うまさん、やぎさん、いのししさんは山へ登っていきます。
おじいさんやおばあさんたちは、どうしてあんなにお腹をすかせているのかが不思議だったので、一人の男の子に、動物たちのあとをつけさせることにしました。
「ぼうや、あの動物のあとをつけて、様子をみてきてくれるかい?」
「うん。わかった。どうぶつたちには見つからないように、ようすを見てくればいいんだね」
男の子は、三頭の動物のあとをつけます。
うまさん、やぎさん、いのししさんは、お腹をすかせて苦しそうにしながら、山に登っていきました。
そうして、やまのてっぺんに到着しました。
やまのてっぺんには、たくさんの鬼がすんでいました。
鬼たちは、ちょっとだけ困ったような顔をして、動物たちに話しかけていました。
「やれやれ、また俺たちの桃を持って行ってしまうのか? 仕方ない。その代わりに、まただんごを持ってきてくれよ」
動物たちは頷いて、桃を収穫して、山をおりて行きました。
「やれやれ」
と、鬼たちは呆れたような顔をしていました。
男の子は、鬼たちに話しかけてみることにしました。
「このももの木は、おにさんたちが育てているんですか?」
「そうなんだよ。ぼうず、これは俺たちの桃だ。俺たちは、この山を降りることができないんだ。だから、この桃を食べて生きているんだ」
「どうして、山を下りられないんですか?」
「俺たちは、みんな足が悪いんだ。足が悪い鬼なんだ。だから山を降りることも、登ることも出来ないんだ。だから、この桃を食べて生きているんだよ。――でも今は、毎日だんごを食べている。動物たちが持ってきてくれるおおきなだんごを食べて、生きているんだ」
なんということでしょうか。
村人たちは、鬼の大切な桃を、毎日のように盗ってしまっていたのです。
つまり――
村人たちは、毎日桃を食べて、
鬼たちは、毎日だんごを食べて、
動物たちは、なにも食べられなかったのです。
「そうか。どうぶつたちがおなかを空かせていたのは、そういうことだったんだ」
男の子は、急いで山をおりました。そして、今知ってしまったことをすべて、村人たちに教えてあげました。
村人たちも、びっくりしました。
みんなで動物たちに謝りました。
「だからきみたち動物は、お腹を空かせて苦しそうにしていたんだね。本当にごめんなさい」
村人たちは、たくさんのおだんごを、動物たちに与えました。
動物たちがおなかいっぱいになると、村人たちは、こう言います。
「動物さんたちや。お願いがあるんだ。もういちど山に登って、鬼さんたちに、このおだんごを渡しに行ってくれるかい? いままで、勝手に桃を食べてしまったことを、謝りたいんだ」
動物たちは、嬉しそうに、沢山のだんごをもって山に登っていきました。
それからは、村人たちと、動物たち、足の悪い鬼たちは、みんな仲良しになりました。
仲良しになったので、鬼たちは桃をおすそわけして、村人はおだんごをおすそわけをするようになります。それを運ぶのは、一人の男の子と、三頭の動物たちです。
やがて男の子と動物たちは、「もも太郎・おだんご動物」というあだ名で呼ばれることになりました。
みんなで助け合って、幸せに、長生きができました。
めでたしめでたし。
「……」
「……」
真緒とゆり子は、感心したような顔でさくらを見つめた。
さくらは、二人のワークデスクの間で大きな紙をひろげ、そのストーリーを書ききった。ふう、とため息をついて言う。
「……これで、『おじいさんとおばあさん』、『男の子』、『三つのだんご』『三頭の動物』、『たくさんの悪い鬼』というキーワード、全部つかえたよね?」
さくらのひたいからは、汗の滴が、つう、と落ちてくる。
真緒が、ちら、とそれを見ながら言う。
「うん。見事だよ。ゆり子ちゃんと二人だけじゃ、こうはならなかった」
「そうね……残念ながら私たちだけじゃ、『悪い鬼』っていうからには、『悪い事をする鬼』としか受け止められなかったわ」
二人はストーリーに納得がいったようだった。
しかし、監修したさくら本人が、納得いかないようだった。
「あ……あの、でも……」
「どうしたの? さくらちゃん」ゆり子が不思議そうに訊いた。
「これってたしか、勧善懲悪の物語でしたよね?」
「そういえばそうね」
「でも、私たちが今作ったこのお話は、全然そういうのじゃないですよね……」
「そうねぇ」
二人が困ったような顔をしていると、支部長が口をひらいた。
「ううん。それでいきましょう」
「えっ、い、いいんですか?」
さくらが驚いて、支部長を見た。
支部長は慌てて目を逸らしてしまうが、あさってのほうを見ながら、九官鳥のように高いトーンの声で言う。
「いいのいいの。とにかくゆり子、そのストーリーをもとに絵を描いてちょうだい。まお、翻訳をよろしく」
「分かりました」
「はいよ!」
二人が返事をして、そのあいだに挟まれているさくらが、とりのこされたように立ちつくした。
ゆり子は、机のなかから画用紙とクレヨンを取り出して、下書きもなしにイラストを描きはじめた。
山、村――。あっという間に描かれていく。
真緒は、ノートパソコンを開いて、いまのストーリーを……見たこともないどこかの国の言語に翻訳しはじめた。
さくらは色々と驚いて、ぽかーんとしてしまったが――。
ここにいても邪魔になるだろうと思い直し、支部長の机に行った。
「さくらちゃん。よくまとめてくれたわ。ありがとう」
「あ……でも、私……」
さくらは、ここまでやれという指示などは、一切出されていなかった。
あくまでも支部長から出された指示とは、「二人の様子を見ていること」ということである。だから勝手に仕事に割って入ってしまったことは――、あるいみ暴走だった。
さくらはバツの悪い表情をうかべていたのだが、支部長は柔らかい声をかけてくれる。
「そんな変な顔はしなくていいわよ」
「でも、このストーリーは、たしか勧善懲悪のストーリーだった気がしました……。だからこれは、古代人が作ったような絵本とは、まったく別のお話になってしまっているはずです」
「ううん。それでもいいの。というか、そのほうがいい」
「え? そのほうが、いいんですか?」
支部長は、優しくほほ笑んだ。(ただし目線は合わせない)
キーボードを激しくたたく音、クレヨンを高速で動かす音などが、ただひたすらに部屋のなかに響いていた。
窓の外は、いつの間にかぼんやりと薄暗くなってきていた。庭を囲むように立っている木々はざわざわと音を立て、遠くのほうの田んぼの稲も、ゆらゆらと動いていた。
支部長は、さくらが近寄ってきてからというもの急に汗をかきはじめて、白いポロシャツの胸のあたりをつまんでバサバサとやりはじめた。
そんなに暑いかなあ、とさくらが疑問に感じたところで、支部長が口を開く。
「……まあ、その理由についてはたいした意味もないんだけど、あとでゆっくり話しましょう。それよりいまは――」
支部長は、一枚の書類を取り出した。
「あなたにはもう一つ、同じような感じのお仕事をお願いするわ」
「はっ、はい」
「いまと同じような感じで、やってちょうだい」
「……分かりました」
さくらがその書類を受け取って、見る。その紙には、支部長の手書きの字で色々なことが書いてあった。
――あ、これ、支部長がリーディングで読み取った情報だ。
とすぐに分かった。
『罠にひっかかってしまった』、『助けられて感謝』、『雪』、『おじいさんとおばあさん』、『編み物』という言葉が描かれていた。それから、支部長が描いたような、なにか変なイラストが描いてある。
――う、うわっ。
――はっきりいって、下手くそな絵だ。
それは、プテラノドンだか、もしくはカマキリだかよく分からないような、怪鳥のような生き物のイラストだった。その生き物が、なにやら機械みたいなものを操作しているようなのだが、これはピアノでも弾いている姿なのだろうか。あまりにも絵が下手くそで分からない。しかもその生き物からは、マンガのような吹き出しのセリフが出ていて、「見てしまったのね」と書かれている。
するとこれは歌詞なのかもしれない。
怪鳥は歌っているのだ。
だとするならば後に続くセリフは「見てしまったのね。だったら生かして帰す訳にはならないわ」だろう。なんて狂気に満ちた歌なのだろうか。
しかも、最近どこかであったようなセリフだ。
――まあ、そんなわけないんだろうけどね……。
「さくらちゃん、なにか言いたいことがありそうね……」
と、支部長が決まりの悪い顔で言う。さくらの表情を読んでしまったのだろう。
「えっ? こ、個性的なイラストだなって思っただけです」
「そう……。ま、まあ、とにかく、席にすわって、さっきみたいな感じですすめてちょうだい……」
「わ、分かりました」
こころなしかしょんぼりとしている支部長のもとを後にして、さくらは席に戻ろうとすると――、
ぼそっと、ゆり子の声。
「下手くそ」
「こ、こらっ、ゆり子、見てもいないくせに言うなっ!」
支部長が、ばん、と机をたたいた。
☆
その日、真緒とさくらのバイトは、一九時で終わった。
「採用か不採用については、心配しなくていいわ。あなたが決めて良い。ただ一つ誤解をされないように言っておくけど……、ここはあくまでも、絵本の製作所ではないからね? もっと色々やるんだから」
そんなことを支部長が言った。
なんにせよ支部長としては、OKサインを出してくれたということらしい。さくらは「このお仕事をやりたいです!」と答えた。
「分かったわ。じゃあ、この書類を家で書いてきてね」
と、何枚かの紙を渡された。
「は、はい! 書いてきます!」
「じゃあ、さくらちゃん。次の出勤は来週の日曜日ね。週に一回だもんね? 今日と同じくらいの時間に来てちょうだい。それから学校の担任に――」
と、なにか色々な指示をうけた。
さくらはその後、休憩としてすこし茶を飲み、仕事場に現れた夫婦らしき二人にも挨拶をしてから、さくらと真緒は建物を出た。
石の階段をおりながら、真緒が言う。
「さくら、テキパキやってたねえ。私さあ、まるで支部長に指示をだされているような気分だったよ」
「そうかな? でも私、絵が描けるわけでもないし、おねえちゃんや、ゆり子ちゃんみたいに翻訳ができる訳でもないし……」
さくらは自信もなく、呟くように言った。
石の階段には、その足元のあたりを照らすようなライトが、ぽつぽつと置かれていた。
ライトは無線式でエネルギーを供給されているために、電線などはない。
ぼんやりと照らされた階段を降りきると、真緒が言う。
「やっぱり私とゆり子ちゃんの二人じゃあ、どうしても『ああいうストーリー』になっちゃうみたいだしねぇ」
「うっ……」
ああいうストーリー。
さくらは思いだしてしまった。
『肉弾戦――』
『爪と牙が交叉して――』
一瞬で気分が悪くなった。
さくらの顔が、真っ青になる。
「……お、おねえちゃん、その話はもうやめよう……」
「そうだね! そんなことより、晩御飯の――焼肉のお話だよ!」
「……そういえば、そんなお話をしていたね」
「そうだよ! スーパーに寄って、お肉を買わなきゃ!」
真緒がうきうきとしながら自転車にのって、さくらもそれを見ながら自転車にまたがった。
なんとなく――、
なんとなくではあるが、さくらは今、『肉』という言葉を聞きたくはなかった。
その言葉を聞くと、どうしてもあの血なまぐさい絵本を思いだしてしまうのだ。
――ううっ、軽率に焼肉なんて言うんじゃなかった……。でも、おねえちゃん、ずっと楽しみにしていたっぽいしなぁ……。いまさらやめようなんて、言えないしなぁ……。
真緒が自転車を発進させた。
さくらも続く。
「みーのっ、はちのす、せんまいっ、ぎあらっ」
真緒の口から、例の『牛の内臓らしき歌』が飛び出してきた。
さくらの顔色が、ますます悪くなる。
「お、おねえちゃん……、や、やっぱり今日は……」
「なあに?」
真緒の目が、キラキラと輝いていた。本当に焼肉が楽しみなのだろう。
さくらは諦観のにじんだ表情で、
「……なんでもない」




