1話 初仕事は盗み聞き? その12
窓から入ってくる太陽の光が、真緒の背中を照らしていた。
彼女のロングヘアは、背後から太陽の光を浴び、肩甲骨のあたりまでキラキラと輝く清流のように伸びている。
彼女のすらっと伸びた鼻と、大きな瞳と、その髪は――、まるで一つの作品であるかのように美しく調和しているようだった。妹のさくらから見ても、それはもう「美人」としか形容のできない外観である。
ワークデスクに座っている真緒が、腕を組み、不安そうな表情をうかべながら口を開く。
「……むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが平和に暮らしていました。――なんて、こんな感じでどうだろう?」
「良いんじゃないかしら。むしろそういう感じがベストだと思う。始まりはシンプルに限るわ」
返事をしたのは、その隣に座っている少女――ゆり子である。
彼女の髪は、わずかにウェーブがかけられて鎖骨のあたりまで伸びている。頬のあたりでゆるく波打っているその髪は、日頃から丁寧なケアを受けているのだろう。太陽の光を艶やかに反射していた。
彼女のほっそりとした顎、少しだけ眠そうに細められた瞳、全体的に細い身体に、よく似合っているブルーのワンピース。
まさに彼女こそ「花」のような少女だ。名前に「ゆり」とつくだけのことはあって気品がある。
二人の対面にあるワークデスクに座っているさくらは、感心しながら見つめていた。
――おっといけない……。
――今は、しっかり二人の『お仕事』を観察していないと。
今さくらがすべきこととは、二人がどんなふうに絵本を作ろうとしているのか。その『観察』なのだ。
真緒・ゆり子の二人は現在、『絵本』を作るための相談をしているところだった。
しかも、ただの絵本ではない。
今から一五〇〇年ほど前の――世界が滅びてしまう前の日本。
そこには、子どもに読みきかせるような『絵本』が、たくさんあったはずだった。
その絵本を、数少ない『ヒント』を頼りに再生しているところなのだ。
もちろん、一五〇〇年という年月が経てば、ほとんど形のあるものなどは残っていない。ほとんどが土に還ってしまっている。
だが一部の人間は、古代の人間がつくったものを、ある程度の形をのこしたまま『遺物』として大切に保管してきたようである。
その遺物のなかには、過去に作られた絵本もあるのだが、もちろん、ほとんど原型は残っていない。普通に読むことは、まず不可能なのだ。
そこで、支部長のような人間が、『リーディング』を使うらしい。残留思念のようなものから、遺物に残された情報を読み取るようなのだ。
しかし、支部長のリーディングとは、不完全なものである。情報を断片的にしか読み取ることができないのだ。
だからこそ、こうやって二人は相談をして、支部長がリーディングに読みとった情報――数少ないヒント――を頼りに、絵本のストーリーを再生させているところなのだ。
さくらは、そんな二人を改めて観察しようとした、その矢先、
「はあ……」
「はぁ……」
二人は、同時にため息をついた。
しかも、やりきれない気持ちを大げさに伝えるかのような、わざとらしい嘆息だった。
「な……なによ! 白々しくため息なんかついて。文句でもあるのっ?」
と反応したのはもちろん支部長。ただでさえ鋭い目を三角にして、声を張りあげた。
すると真緒・ゆり子が、次々と不満を口にする。
「こんなんじゃ無理だよう。この、マリンちゃんが描いた絵だってよく分からないしさあ」
「……下手くそ。お絵かき教室にでも行ったほうがいい。幼稚園児なみのイラストだわ」
「今日はマリンちゃん、どうして手伝ってくれないのさぁ」
「……ついでに耳鼻咽頭科にも行ったほうがいい。お医者さんに見てもらうべきよ。口から超音波が漏れているわ。このコウモリ女が」
二人は不満そうに言った。
しかもゆり子にいたっては、やや汚い言葉を使う――どころではなく、もはやあれは、ただの暴言だ。
さくらは、唖然とした。
姉――真緒はともかく、ゆり子はそんなことを言うような人だとは思っていなかった。
落ち着いた感じの声色で、眠気でも我慢しているかのように喋るので「品があるな」と思っていたのだが……。ずいぶんな毒舌だった。綺麗な花には毒がある。そんな言葉が脳裏をかすめた。
「うるさい! それだけしか読み取れなかったんだから仕方ないでしょ! いいからやるのっ!」
支部長の机が、ばんっ、と叩かれる。
「……はあーい」
「……しょうがない」
二人は目を合わせて、「やれやれ」と口に出して言った。
「ヒントが少ないねぇ。どうしようゆり子ちゃん」
「そうね……。とにかく今回は二人だけでも、良いあんばいにやるしかないでしょう。正確にやる必要なんてないんだから。あまり考え込むよりは、どんどんアイディアを出して行きましょう」
支部長が、『リーディング』によって遺物から読みとることができた情報。
それは、「桃」、「おじいさんとおばあさん」、「男の子」、「三つのだんご」、「三匹の動物」、それから「たくさんの悪い鬼」であるということだった。そしてこれらは、どうやら、一つの物語になっていて、たくさんの子どもに読まれたようなのだ。そして、「勧善懲悪の物語」だということも、なんとなく分かったそうだった。
古代人ならば誰でも知っているような、有名な話、『桃太郎』である。
だが、この西暦に換算すると三五〇〇年の世界――。この世界の住民は、タイトルさえも聞いたことがなかった。
「……じゃあ、さっきの続きを聞かせて」
とゆり子が、穏やかな声で言った。「ふう」というため息に合わせて、彼女のふわっとウェーブのかかった髪が揺れた。
「うん、えっとねえ」
と真緒が、ちょっとだけ能天気な声で前置きをした。爪の先で、机をトントンと叩きながら続きを喋る。
「おじいさんは、山へ芝刈りに行きました」
「うん」
「おばあさんは、鬼を退治しに行きました」
「まって」
とゆり子は、いきなり話をさえぎった。それから渋面になって指摘する。
「……だめよ。相手は、たくさんの悪い鬼なのよ。おばあさんが退治なんかできるわけがないわ」
「だからね、強いおばあさんっていう設定にしてみたの」
「だめよそんなの。物語になっていないわ。……弱い人間が、あれこれ工夫して凶悪な鬼を倒す。これが物語の基本よ」
「わかった」と頷いて真緒は、「じゃあおばあさんの握力も三〇キロ程度にしておこう」と言った。
それから二人はうんうんと頷いた。
しかしゆり子が、ちょっとだけ不安そうな声で言う。
「でも、おばあさんの握力が三〇キロじゃ、もう絶望的ね……」
「鬼の握力は?」
「二〇〇キロにしておきましょう」
「うっへぇ……」
真緒が、アホっぽい声をだして驚いた。
お話が、いきなり変な方向に進みだしているようだった。
二人の向かい側に座っているさくらが、ぽかーんとしながら聞いていた。口の形も半開きである。思わず支部長のほうを見た。
支部長は、頭痛でもするだろうか、頭をおさえてうつむいていた。
真緒が、改めて続きを喋る。
「じゃあゆり子ちゃんの言うように、おばあさんは鬼と戦うために工夫をする。だんごを使うことにしよう」
「なぜだんご?」
「このヒントにある、『だんご』っていうのはね、ホウ酸だんごに違いないよ」
「ゴキブリやねずみ退治じゃないんだから……」
「鬼退治だよ。ホウ酸だんごをばらまくの」
真緒は腕くみをして、偉そうに言った。
ゆり子は首を横に振った。
「……悪い鬼はたくさんいるでしょう。でもだんごは、たったの三つしかないじゃない」と指摘した。
真緒はまったくひるまずに「でも、悪い鬼たちはだんごをめぐって、血みどろの争いをはじめるんだよ」
「……同士討ちでもするの?」
「そうそれ! つまりね、鬼たちは同士討ちをして、つぎつぎに倒れる。勝ち残った鬼がだんごをたべる。食中毒をおこす。全滅する」
「いくらなんでもバカすぎるでしょう……」とゆり子が半眼になった。
「だめかなあ」
「あのね、『悪い鬼』っていうのは、『頭が悪い鬼』っていう意味じゃないと思うの。そんな、ホウ酸だんごをめぐって血みどろの同士討ちなんて、ゴキブリよりもあたまが悪いじゃない。――それより間違いなく、だんごのまえにおばあさんが食べられてしまうわ」
ゆり子に反論されてしまい、真緒はちょっとだけ不満そうな顔をして言う。
「ええ……、でもさあ、鬼はおばあさんを食べたあと、だんごを食べるかもしれないじゃん。そして食中毒をおこす。全滅する」
「それ、ハッピーエンドって言えるかしら? 誰も幸せにならないじゃない。おばあさんも含めて全滅してどうするのよ」
「じゃあついでに、おじいさんもぎっくり腰で死ぬことにしよう。天国で再開して、みんな幸せ」
「ええと。どこからつっこめばいいのかしら。とにかくそれ、ハッピーエンドって言えないわよね? それよりもわたしはね、その『三つのだんご』っていうヒントは『三匹の動物』と繋がっているんだと思うわ。きっと三匹の動物を仲間にするのよ。鬼と戦うのは、それからね」
「う……ううー。そっちのほうが自然かもしれない……」
ゆり子によって訂正されたストーリーには納得したようだった。真緒は両手を伸ばし、ノートパソコンをかちゃかちゃと叩きはじめた。
簡単にメモでも取っているのだろう。
ゆり子の机の上は、いくつかの書類ケースが縦に並んでいる程度で、ほかには何も乗っていない。彼女は自分の毛先を触りながら、黙り込んでなにかを考えはじめた。
なんとなく……、
なんとなくではあるが、さくらの頭の中では「暴走する真緒」、「それをなだめるゆり子」、という二人の構図が出来上がってしまった。
「でもさぁ」
と真緒が、キーボードを叩きながら能天気な声で言うと、ゆり子が穏やかな声で反応する。
「……うん?」
「三匹の動物って言っても、なにが良いんだろうねぇ?」
「……そんなの、決まっているわ」
真緒が困ったように訊ねると、あらかじめ決めていたとでも言わんばかりに、ゆり子が自信を持って言う。
「ゴリラと」
「うん?」
「グリズリーと」
「ちょっと待って」
真緒が口を挟んだ。キーボードを叩く指も、ピタリ、と止まっていた。さすがにおかしいと思ったのだろう。
「……なに?」
「なんていうか……その、怖くない?」と、真緒が不安そうな顔つきでつっこんだ。
ゆり子は、平然とした顔つきのまま答える。
「だって、相手は鬼なのよ? 握力が二〇〇キロの鬼なの。それと戦うんだったら、このくらいはあったほうがいいと思うけど」
「うーん……でもぉ……、せめてさ、最後の一匹は草食系……、草食動物にしようよ」
「分かったわ」
ゆり子は、たいして抵抗もせずにあっさりと頷いた。
真緒もホッとしたような表情で、続きを促すように言う。
「うんうん。じゃー、ゆり子ちゃん、三匹目の動物はどうしよう?」
「バッファローね」
「そう来たか……」
「だめかしら? 悪い鬼は沢山いるのよ。いい? 沢山いるの。だからこのくらい強そうなのじゃないと戦えないと思うけど」
「そうか。それもそうだね」
あっさりと納得してしまった真緒が、かちゃかちゃと音を立ててパソコンのキーボードを叩く。
さくらは、二人の会話を聞いているうちに頭痛を覚えてしまった。
つい先ほどまでは、「暴走する真緒」、「なだめるゆり子」という構図の二人だったが、いつの間にか立場が逆転していた。
それどころではないかもしれない。
もはや、どっちも暴走している。
これは本当に絵本を作っているところなのだろうか。これで本当に、小さな子どもが読むような絵本ができあがるのだろうか。
――いや、そんな訳がない。
――この二人にまかせていたら、まともな絵本なんか、絶対にできない!
支部長が「今日はまず、盗み聞きをして」と言っていたのは、こういうところに理由があるのだろう。
この二人は、迷いもなくアイディアをポンポンと出すところまでは良いのかもしれないが、そのアイディアが問題なのだ。
「あ」と思い出したように真緒が言う。
「そういえばさ、『男の子』っていうキーワードがあるけど、まだ出ていないよね」
するとゆり子が即答。
「おばあさんは傭兵を雇うことにしましょう。男の子の」
真緒も「なるほどねぇ」などと言いながらキーボードを叩く。
――そっ、そんな訳ないでしょう。
さくらの両手が、自然と拳になっていた。
当然そんなことにはまったく気づかずに、二人の相談はズンズンと進む。
「勧善懲悪っていうからにはさあ、やっぱりどうしても戦いは避けられないもんねぇ」
と、真緒の能天気な声。
それに反応するのは、ゆり子。あくまでも穏やかな声で返事をする。
「……そうね。これは激しい肉弾戦になるわね」
「ゴリラって確か握力が千キロくらいあるんだよね」
「グリズリーの噛みつき攻撃も強力で――」
「ドスンドスンと地鳴りのような足音を立ててさぁ――」
「……爪と牙が交叉して血が――」
耳を覆いたくなるほどの最悪な描写がはじまってしまった。
あまりの鮮明な『戦闘描写』に、さくらは気分が悪くなって机に突っ伏してしまう。
「うぅ……」
と、うめき声が漏れてしまった。
支部長の机のほうからも、「うっ……」と同じような声があがった。
話に夢中になっている二人は、当然これに気がつかない。会話は苛烈をきわめ、しばらくのあいだ大きな声で相談が続いていた。
だが――、
「ねえ、ゆり子ちゃん」
「……うん?」
「私たち、絵本を作っているんだよねぇ」
「……そうね」
「……」
「……」
燃え上がるように続いていた会話だったが、急に鎮火した。二人とも冷静さを取り戻したのだろうか。
しばらく黙りこみ、ほどなくしてから真緒が言う。
「こんな『真っ赤』な絵本、……子どもが読むのかなぁ?」
「……モザイクをかければいいんじゃないかしら」
「そもそもモザイクがかかっている本を、子どもに読ませちゃだめだよね?」
「一八禁にしておけば、別に問題は……」
「……」
「……」
部屋に、完全なる沈黙が訪れた。
ほどなくして、
「……ねえ」とゆり子が切りだした。
「うん?」と真緒が応じた。
「……これじゃぜんぜんダメね」
「私もそう思う」
なにか致命的におかしなことになっていると気がついたのだろう。あたりまえである。こんな物語は、あってはならないのだ。
だからさくらは期待した。
二人が「こんなバカな物語があってたまるか」と言って、白紙に戻してくれることを。そして二人は、「ねえさくら、どんな物語にしたらいいかな」などと、自分に相談してくれることを。
そうなれば、喜んでお話に参加するつもりだった。「もう、仕方ないなあ、私もアドバイスしてあげるから」などと言って、「ごりらさん、くまさん、うしさんが、おにさんをやっつける物語にすればいいんだよ」などというアドバイスをするつもりでいた。
さくらは、そんな展開を期待した。
そして、ゆり子が奇跡のような一言を発する。
「……こんなバカな物語は、あってはならない」
「やっぱり? ゆり子ちゃんもそう思う?」
真緒も同感であるようだった。
さくらが、ぴくっ、と反応。思わずそわそわとしてしまう。ちら、と上目づかいで二人を見ながら、耳をすませることにした。
だが――、
さくらが思っているような展開にはならなかった。
「おかしいわよ。……だってこの鬼、まだなにも悪い事をしていないわ」
「そうだよねぇ? このままじゃ、おばあさんや傭兵たちが悪者になっちゃうよ」
「だからね、最初に、鬼を悪者にしておかないといけないの」
「そう、それそれ!」
二人の会話に、さくらは、
――あれ?
と不思議に思った。
「人を食う、凶悪な鬼っていうことにしましょう」とゆり子が提案した。
「口から火を吹いて、お尻から毒ガスを出して――」真緒が後を続けた。
それから二人が相談して作り上げたお話は、酷いものだった。
むかしむかし、あるところに、人食い鬼、というとても悪い鬼が住んでいました。
鬼たちは、月に一度村におとずれて、人間を若い順にさらっていき、食べてしまうのです。
鬼たちがやってくると、家々は焼け、毒ガスが蔓延します。
村人は困り果ててしまいました。
そんなある日、おばあさんは、一人の男の子の傭兵を雇いました。
「ぼくが村を救ってみせましょう」
おじいさんとおばあさんは、傭兵の男の子に、三つのだんごを渡しました。そしてこう言います。
「これで、強い動物を仲間にしなさい」
「分かりました」
そうして男の子は、ゴリラ、グリズリー、バッファローを仲間にして、鬼のいる集落を襲撃します。
集落になだれこんだ動物たちは、容赦なく鬼たちに襲いかかりました。ひとたまりもありません。ゴリラが鬼を殴り、グリズリーが鬼に噛みつき、バッファローが鬼の家を次々と倒壊させました。
鬼たちは口から火をふいて、お尻から毒ガスを出して応戦します。しかし、強力な野生動物の前には、なすすべもありません。慌てて口から吹いた火が、お尻の毒ガスに引火してしまい、爆発。たくさんの鬼たちが自爆する始末です。
たまらずに鬼たちが言います。
「くそっ、てめえらなに者だ!」
それに答えたのは、男の子でした。
桃を食べながら一言、
「うるせえくたばれっ!」
満足げな真緒が、どうだ、とばかりに言う。
「これで、『キーワード』は全部使えたよね。ちゃんと勧善懲悪の物語にもなっているし」
「そうね。良いんじゃないかしら。感動的よ」
なにがどう感動したのか、さくらにはさっぱり分からないのだが、ゆり子も納得できたようだった。
さくらは自分の手元にある、支部長からのメッセージを、もう一度だけ読んでみた。
『とにかく、二人のお話を聞いていれば、さくらちゃん、今日、あなたはここでなにをすべきかが分かると思います。決して二人の邪魔はしないように、盗み聞きしていてください』
今、なにをすべきか……。
よく分かった。
しかしそんなこと、言われるまでもないことだった。
さくらにしては珍しく、
本当に珍しいことなのだが、ひたいに青筋をつけていた。しかも机のうえに乗せている両手が、拳の形のままプルプルと震えていた。
怒っていた。
昨日から布団のなかで、「どんな絵本をつくるのかな、あんな絵本になるのかな」などと、わくわくしながら胸を膨らませていたあの期待は、すべて怒りに変わっていた。
今にも爆発しそうになっていたさくらに、能天気な姉、真緒の声がかかる。
「ねえ、さくら、こんな物語でどうだろう?」
さくらは大きな声で答える。
「だめにきまっているでしょう!」
「ひいぃっ」




