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第九話 暗闇に沈む御苑 ☆

 老婆が菌紙(きんし)に描き出したのは、歯車機械の設計図だった。

 大きな螺旋機を中心に描かれた設計図だ。どうやら中央に大きく描かれたこの螺旋機械が動力の起動点になっているようだ。そこから生み出される動力は、損失の少ない効率のよい歯車たちを繋いで外へと伝達している。

 夙夜ははっとした。

「これはもしかして、永久機関の図面?」

「かなり簡易だが、そうだ」

 さほど複雑でない図面になったのは、永久機関が理解しやすい構造をしているからではない。この老婆が完璧にこの機関の構造を理解しているからこそ簡略化できるのだ。

 こんな機会は二度とないかもしれない。

 夙夜はその図に喰いついた。

「この螺旋機は、もしかすると流体の原動機? ならここが起点だね、たぶん。だとしたら、永久機関の動力の元は液体、もしくは気体の流動ってことになるね。じゃあ、この流体に動きを与えてるのはどこだろ」

 すらすらと内部構造を解読していく夙夜に、末恐ろしい坊主だ、と老婆は笑う。

 そして、しばらく構造を指で辿っていた夙夜は、ぴたりとその指を止めた。

「ねえ、お婆さん。この管はどこへ繋がるの?」

 螺旋機に続く一本の管。

 迷いなくその場所を指さした夙夜に、老婆は悪だくみを思わせる笑みで返した。

「地下だ。地下深く、私らの感覚など及びもつかんほど深くまでその管は続いている」

「それは、もしかして……」

 夙夜はそこで、少し迷った。

 さすがにこの先を口に出すのは憚られたからだ。姶良の街を支える永久機関とそれを管理する宗主一族――その考え方自体をひっくり返すような事実だったから。

「いい、お前の考えを言ってみろ、坊主」

 老婆の言葉に、少し悩んだ夙夜はいつもと同じのんびりとした口調で尋ねた。

「もしかして、永久機関が永久じゃない(・・・・・)のと関係ある?」

 その瞬間、老婆は大きく目を見開いた。皺の奥に隠れていた、月白種族特有の大きな光彩が顕わになるほどにまじまじと夙夜を見た。

 その様子を見て、確信する。

 この機関が、永久に動力を生み出すものではないと。

「やっぱり、この管の先に熱源があるんだね。永久と言ってもいいような、大きな熱源が」

「ああ、そうだ――この機械は永久に動力を生み出す機関ではない」

 老婆ははっきりと言い切った。

 その真実は、老婆をこの場所に縛り付けている理由であり、二十年前の友人との約束であり、老婆自身の誓いでもあった。永久機関を一人で管理する、誰も知らぬたった一つの理由であったのだ。

 老婆の事を師匠と慕う、二人の少年さえも知らぬ理由。

 そして、老婆はしゃんと伸ばしていた腰を折り、力が抜けたように椅子に沈みこんだ。

 急激に老け込んだようなその顔は、どこかほっとしたような様子だった。例えるなら、自分一人で抱えていた秘密を、ようやく外に出したような。

「本当に勘のいい坊主だな。私がその結論にたどり着くまで、軽く数年はかけたぞ」

「あの水蒸気を見た時からおかしいなって思ってたんだ。永久を謳いながらあれだけ熱量を無駄に、それも熱伝導率の低い水に対して熱を送り込む理由なんてどこにもないもんね」

 夙夜はそう言って、うんうん、と頷いた。

「よっぽど奇想天外な機関じゃない限り、僕の知ってる世界の理論に合致してるはずだし、物理法則からは逃れられないはずだもん」

「そうだ。あれは、多少使っても減らないほどの大きな地下の熱源から、少しずつ熱量を借りて、歯車の動力に変換しているに過ぎん。それも見て分かる通り、あの効率の悪さだ……いや、作られた当初はもっとよかったのだろうが、経年劣化で今はあの(ザマ)だ。見ただろう、塗装された鋼鉄が錆びついていく様を。ぼろぼろになった鋼鉄版を、鉄柵を、そしてこの本体も……もう限界だ。もはや惰性で動いているに過ぎん。多少の補修で何とかやりくりしてきたが、それももう限界だろうな」

 老婆はため息と共にそう言い、永久機関の制御盤に目を移した。

「お前が此処へ辿り着いたのも、何かの契機かもしれんな」

 一瞬の沈黙がその場を充たした。

 老婆がその一瞬で廻ったのは、これまでの半生か、これからの余生か。それがなんにせよ、次の瞬間には何かを決心したように椅子から立ち上がった。

「よし、これから最後の整備だ。終わったらここを出るぞ」

「えっ? 永久機関を置いて?」

「当たり前だ。もう止まりかけの機関だぞ? 私が此処にいる間に停止してみろ、すべての責任は私のものだ。それだけは避けるべきだろう」

 そして挑発するように笑いながら、夙夜に指を突きつけた。

「手伝え、坊主。永久機関に触らせてやる」

「本当!」

 目を輝かせた夙夜。

「ああ、嘘は言わん。その代わり、一蓮托生だ。整備が終わったら、私をここから連れ出して樹海まで連れて行ってもらおう」

「永久機関に触れるのなら、そのくらいいくらでも! ありがとう、お婆さん!」

 小躍りしそうな夙夜を見て、老婆は再び笑う。

 何年か前、この場所に出入りしていた二人の少年を思い出しながら。

 夙夜があの少年らと繋がっているのも、奇縁だろうか。

「私の名は天路(あまじ)だ。お婆さんではなくそう呼べ。もしくは、朔坊のように『師匠』と呼んでもらっても構わんぞ」

「師匠?」

 夙夜の中で、ようやく何かが結びつく。

「師匠! お婆さんは、朔のお師匠さんだったの! あの輸送機を作った!」

「ああ、確かに輸送機を作ったのは私だが……朔坊から聞いていたのか」

 天路(あまじ)と名乗った老婆は、夙夜を連れて制御盤へ向かった。制御盤と外を隔てる透明な壁をすり抜け――何のことはない、一部が透明な壁と同じ素材の引き戸になっていただけだ――制御盤の前に立つ。

「この制御盤がそのまま永久機関の各部位に直結している。例えば、この部分」

 天路は制御盤の一角を指差した。

 そこにずらりと黒色の突起が並んでいる。ぱちんぱちん、と音をさせながら、天路はその突起の向きを変えた。所謂、転換機(スイッチ)

 ぶぅん、と空気の流れが変わる。

「外へ出てみろ。蒸気の流れが変わっているはずだ」

 そう言われて外に出た夙夜は、永久機関から吐き出される水蒸気が、確かに先ほどまでと変化している事を確認した。

「水蒸気が減ってたよ!」

「そうだ。今触ったのは、地下から送られる熱量を調節する部位だ。幾つも同じ転換機(スイッチ)があるのは、段階的に切り替えられるためだ。ちなみに、その辺りの突起をすべて下に落とすとほぼ停止状態になる」

「へえ~」

「今からいったんこれをすべて落とす。それから、永久機関の内部に入って簡単に清掃とバルブの調節を行う。それを8つ分、鐘までに終わらせるつもりだが、ついてくるか?」

「中に入れるの! もちろん行くよ!」

 即答した夙夜。

 天路は唇の端で笑い、転換機(スイッチ)をすべて落とした。

「さあ、一つ目だ。行くぞ、ついて来い坊主」

「僕も、坊主じゃなくて夙夜(しゅくや)だよ。覚えてよ、師匠」

 小賢しいなと吐き捨てながら、天路は夙夜を連れて永久機関の内部へと入って行った。



◇◆◇◆◇



 望楼の頂、鐘楼の影に身を隠していた朔とカリン。

 程なくして、吊るされていた鐘が高らかに打ち鳴らされた。耳元で鳴り響き、脳髄まで響き渡る鐘に、カリンは思わず耳を抑えた。

 一日の始まりの鐘が鳴る。姶良の街が、再び動き出す。官営工房は炉に火をいれ、街に人々が行き交いだす。街中に吊られた雪洞にいっせいに灯りが燈り、先ほどまでの淡い夜光蟲のような灯りから華やぐ街に姿を変える。

 御苑も例にもれず、外壁の灯に火をいれる。こちらも歯車式なのだろう、火を点けて回る人もいないのに次々と燈っていく。

 白壁の御苑が常闇に浮かび、一日の始まりを告げる。

 この灯りは、カリンたち月白種族にとって明るすぎる。カリンは着物の裾で顔を庇った。

「行こう、朔。今行かないと、明るくなると人が多くなって街を抜けづらくなる」

「分かった」

 歪んだ左手の動作を確かめるように強く握りしめてから、準備運動のように軽く腕を伸ばす。最後に屈伸して、気合を入れてから鐘楼の縁に足をかけた。

 いつの間にか、四方を囲まれているようだ。正面からも背後からも、菌糸を使って登ってくる護衛部隊の姿がある。

 カリンは眩い光に目を細めながらざっと見渡した。

「朔、あっちの方が手薄だと思う。あの辺りに破裂蟲をまき散らすから、その後を突破して」

「承知した」

 朔は慣れたように右腕でカリンを抱え上げ、左手をぐっと握りしめた。

 覚悟を決め、一点突破。

 二人がそろって決意した瞬間だった。


――唐突に、御苑の灯りが落ちた。


 一斉に点灯した燈籠があっという間に光を失い、辺りが闇に包まれた。

 本来の闇に包まれた御苑。街の灯りは変化がないようだが、宗主一族の力を示すために御苑は常に姶良の街で最も明るいのだ。その灯りが一斉に落ちたという事は、何か抜き差しならない事態が起きているとしか考えられない。

 朔は愕然と御苑を見下ろした。

「何だ……?! 何が起きたのだ?!」

「分からない。もしかしたら、永久機関に行った夙夜が何か余計な事をしたのかもしれない。それとも、別の何かが原因かもしれない」

 カリンはこれを好機と見た。

 宗主一族である朔には見えない暗闇も、カリンにはよく見えている。護衛部隊が驚き慌て、動きを止めた様子までくっきりと。いま、この暗闇では月白種族のカリンだけ、周囲の様子が見えている。護衛部隊の目が闇に慣れる前に、突破してしまう事が出来るなら。

「目を逸らすなよ、朔。行くぞ」

「だが、これでは何も見えないぞ?!」

「大丈夫。あたしは見える。指示するから、その通りに降りるんだ。護衛部隊は気にするな。あたしが道を拓くから」

 カリンは朔の首に回していた右手を放し、その掌に夜光蟲を止まらせた。指の上を滑るように歩く夜光蟲が、行く道を指し示す。

 朔は、夜光蟲の灯りを見て、次に常闇に一瞬視線を落とした。

 逡巡は一瞬。

「分かった。頼んだぞ、カリン」

「任せろ」

 カリンの返答と共に、夜光蟲の示した方向へと思いきり飛び出した。


挿絵(By みてみん)

挿絵:himmelさま(http://1432.mitemin.net/)


 何も見えぬ闇に向かって飛び出すというのは、言うほど簡単ではない。そこには、生物の根源に関わる恐怖がある。視覚は防衛機能だ。自らの生命を脅かす存在を知覚する、最も大きな防衛機能。

 闇によってその機能を奪われるという事は、並ならぬ恐怖に襲われるという事だ。

 しかし、それを押しても飛び出した朔は、恐怖を感情で押さえつけた。

 カリンを信頼するというただそれだけの感情で。

「そのまま降下だ」

 柘榴石(ガーネット)の瞳をしっかりと見開き、カリンは人差し指の先にとまった夜光蟲を一点に向けた。

 菌糸のみで支えた身体は闇に向かって急降下していく。風圧に耐えながら、カリンは反対の手で破裂蟲を一匹、弾いて放り投げた。

 暗闇からぱあん、と破裂音が響き渡る。

 暗闇の中、壁に張り付いていた護衛部隊の隊士が破裂の衝撃で壁から手を離し、落ちていく。カリンは朔の首に捕まったまま接着蟲(せっちゃくちゅう)を投げて、破裂蟲の衝撃で落下しそうな護衛部隊の隊士を壁に貼り付けておいた。落下して怪我、もしくは命を落とされでもしたら寝覚めが悪い。

 立て続けに暗闇から鳴り響く破裂音。闇の中、視界が効かず、何が起きているか分からない者からすれば恐怖を煽る音だろう。

 事実、カリンを支える朔の手も一瞬強張った。

「大丈夫だ、朔」

 視界が在れど難しい壁下りを、朔は完全なる闇の中で行っているのだ。その精神状態はカリンとて理解しているつもりだ。どれほどの恐怖を握りつぶして今、こうして菌糸を操っているのか。どれだけの理性で以て、カリンを信用してくれたのか。

 次の瞬間に壁に激突するかもしれないという恐怖の中で。

「あと少し」

 頑張れ、と口にしたりはしないけれど。

 夜光蟲の指差す方向を少し変える。

 見覚えのある欄干は、最初に飛び出した厨房近くの広庇(ひろびさし)だった。

 カリンはその場所に向かって、輝光蟲(きこうちゅう)を一匹、落とした。一瞬目を細めるほど明るい光を放つ輝光蟲(きこうちゅう)は狙い通り、開いた窓から廊下へ転がり込んだ。

 明るいあの光は、到達点の目印だ。

「朔、あの場所に入るんだ。そうしたら、階段までは中を通ろう」

「分かった!」

 明確な着地点が見えた事で、朔の声にも力が戻る。

 最後は一足飛びに廊下へと転がり込んだ。

 周囲に護衛部隊の姿は見当たらない。この暗闇だ。個々、下手に動かないのが吉だという選択をしたのだろう。

 お陰でやりやすい。

 しかし、廊下に放った輝光蟲のお陰で廊下の突き当たりのこの場所だけが明るすぎる。あまり目立つと、さすがに護衛部隊にも気づかれてしまうかもしれない。

 輝光蟲を仕舞おうと手を伸ばした手を朔が掴んで止めた。

「どうした、朔?」

「すまないカリン、少し落ち着くまでその灯りを出しておいてくれないか?」

 カリンの腕を掴んだ右手が小刻みに震えている。

 暗闇の恐怖と、失敗すれば命はないという極度の緊張。暗闇の強硬突破は、朔の精神を削り取ったようだ。膝をついて荒い息を整えながら胸に手を当てているのも、恐怖と戦ったせいだろう。

 カリンは輝光蟲へ伸ばした手を引っ込めた。

 代わりに、朔の手を取って両手で包み込んだ。天蓋の上から帰ったカリンが、夢見悪く眠れない時に兄の日輪がそうしてくれたように。

「大丈夫だ、朔。もう、怖くない」

「カ、カリン?」

 驚いた朔の声。

 逃れようと右手に力が籠ったが、カリンは逃さなかった。

「兄さんがよく、あたしや夙夜にこうしてくれたんだ。人に手を握ってもらうと落ち着くから」

 そう言うと、朔は抵抗を止めた。

 落ち着いたのかな、とカリンが見上げると、朔はいつかのように赤くなった頬を歪んでしまった左手で抑えて、こちらから目を逸らしていた。

 また、照れている。

 おかしいだろ。自分はいくらでも触れるくせに、触れられると照れるのか。

 勝手な人だ。

 カリンは困惑して眉根を寄せた。


 しばらくそうしていると、暗闇の廊下から足音が近づいてきた。

「誰か来る」

 カリンは手を離し、警戒して袂から破裂蟲と灼熱蟲を取り出した。

 迎撃態勢に入ると、朔がそれを制した。

「大丈夫だ。護衛部隊ではない」

 近づいてくるのは、すり足の衣擦れの音。軽い足音は女性だろうか。

 やがて、闇から灯りの円へと足を踏み入れてきたのは、先程厨房で見た給仕の女性だった。おそらく朔の知り合いなのだろう。その女性は、光の輪の中に朔の姿を見つけてほっとした様子を見せた。

「朔坊ちゃん。急に灯りが落ちたのですが、何が起きたのか分かります? この場所だけ明るかったものですから、とりあえず来てはみたのですが……もしかしてこの暗闇、朔坊ちゃんが何かしたんですか?」

加耶(かや)殿、勘弁してくれ。これは俺の所為ではない」

 行動に信用はないが言葉に信用はあるようで、加耶(かや)と呼ばれた給仕の女性は朔の言い分に納得したようだ。それ以上の追及はせず、自らがやって来た暗闇を指した。

「どちらにしても、この暗さじゃ誰も動けないんです。そのうち戻るとは思うんですけど、差し当たりどうにかなりませんかね、朔坊ちゃん」

 そう言われて、朔はカリンを振り返る。

 カリンは肩を竦めた。

「何とかできない事もないけど……逃げなくていいのか?」

「逃げる前に何とかせねばならんだろう。皆が月白種族のように暗闇で見えるわけではないのだ。皆、困っているのだろう?」

 当たり前のように言う朔に、カリンはため息。

「分かった。じゃあ、輝光蟲(きこうちゅう)籠灯(かごあか)りを作るから、手伝ってくれ」

 カリンは袂から何匹かの輝光蟲と蛛網蟲(ちゅもうむし)を取り出した。

 最初に、昇降機にも使っている蛛網蟲(ちゅもうむし)の粘着質な菌糸を引っ張り出す。その菌糸の端を朔と加耶(かや)に一本ずつ渡した。

「菌糸を網の目状に編んでくれ。その中央に、輝光蟲をくっ付ける。手にくっつくから、網の外側にだけ破裂蟲の胞子をまぶして。壁に貼り付けるから粘着力は残しておいてほしいけど、持ち手に布を撒いておけば持ち歩きやすいから」

 加耶(かや)は言われるがまま、菌糸を編み出した。もとが器用なようで、破裂蟲の胞子をはたはたとうまくはたきながらあっという間に籠を作った。

 朔はべたべたとくっつく菌糸に苦労しているようだ。どうやら、運動は得意でもこういった細かい作業は苦手らしい……左手が歪んでいる事を差し引いても。

 朔はほぼ役に立たず、カリンと加耶(かや)の二人だけで10個ほどの(あかり)を作り出した。

 加耶は、出来上がった籠灯(かごあか)りを見てほう、と感心のため息をついた。

「すごいですね、これは月白種族の知恵ですか?」

「そうだよ。行政区と違って、動力のない高架下ではこれが当たり前に光源だから」

 そう言うと、加耶(かや)は微妙な表情で黙り込んだ。月白種族の扱いが、彼女の中で決まっていないせいだろう。同情するのか、当たり前と切り捨てるのか。

 どちらかに偏るには、まだ普通の人から月白種族への忌避感は強い。

 よくある事なので、カリンはさほど気にしていない。むしろ、朔の母親のように忌避するのが普通で、朔や官営工房のハゲ親父のように親交を深めているほうがおかしいのだ。

 そう言った意味で言えば、厨房の親父殿や衣裳部屋の人達はカリンを見ても普通に接していたのは、小さいころから歩き回っていたという日輪の功績だろう。

「朔、樹海を越えたいならこのくらい出来るようになってくれ。前に樹海を越えた時は、夙夜と凪がこれを量産してくれたから、進むのがすごく早かったんだぞ」

「樹海を越える?」

 給仕の加耶(かや)が首を傾げた。

「そうだ、俺は樹海を越えて天の上を見に行くのだ。だから、家出したのだ」

 ふんぞり返った朔を見て、加耶はころころと笑う。

「坊ちゃんはまだ、夢をお持ちなのですね。小さい頃から変わりませんね」

 夢。

 そうかもしれない。

 きっと、樹海を越えるのも、天蓋の上を見たという事も、姶良の住人にとっては夢物語なんだろう。ましてや、朔の考えるような仮説は、恐ろしく異端なのだ。

 不器用に菌糸と格闘する朔は、とてもそんな異端を唱える人間には見えなかったけれど。



 壁に輝光蟲の籠灯(かごあか)りを張り付けながら、御苑の廊下を巡り歩いた。

 途中何度か闇の中蹲る人々に出会ったが、護衛部隊の姿は全く見なかった。人員を万遍なく配置できておらず、全員が上にいた朔に向かって殺到していたのだろう。包囲網としては最悪だが、おそらく護衛部隊を纏める弓弦が動けなかったせいで、うまく指令が動いていないせいだと思われる。最初に頭を叩くのは基本だ。

 最後の(あかり)をつけ終えると、あちらこちらの部屋から廊下を伺う人影が見えた。

 皆、暗がりの中でじっとしていたのだろう。

 が、カリンたちが灯をつけてまわった事で、恐る恐る廊下に出てきたようだ。

「皆、無事か? 暗闇で怪我をした者はおらんか?」

 朔が大きな声で問う。

 返答はなかったが、目が合った女性がふるふると首を横に振ったのが見えた。

「怪我がなければ、よい。今、(のぞむ)姉さまが動いているはずだ。じきに原因は明らかになり、すぐに戻るだろう」

 朔はそう言い、カリンに向かって静かに問う。

「カリン、このまま放っておくわけにはいかぬ。復旧するか、弓弦姉さまが復活して護衛部隊が追ってくるまでは、少し留まってもよいか?」

「……朔はそうしてると本当に宗主一族みたいだな」

「何を言っている。俺は最初から宗主一族だったぞ?」

 暗闇の中で人々が不安になっている中、きちんと指示を出せる。朔自身も不安だろうに、そんな感情をおくびにも出さない。

 自由奔放だったり、勉強家だったり、母親に弱かったり、それなのに変なところで人に頼られていたり。

 本当に、朔の事がよく分からなくなる。

「……いいよ。いつ御苑を出るかは朔が決めて。あたしはそれに従う」

「ありがとう、カリン」

 しかし、もしこの動力停止が本当に永久機関に向かった幼馴染の所為だとすると、一度叱らざるを得ない。普通にありそうなところがまた怖い。

 カリンがお仕置きの内容を考え始めた時、ふっと暗闇の中を動く影が視界の隅を横切った。

「何だ?」

 カリンがそちらに目を向ける。

 御苑の中央は、十階以上に及ぶ吹き抜けが貫いている。それは、御苑の断崖と同じように鋼鉄の歯車が連なっており、御苑内の動力を伝えているものだ。そのため、

 灯りには数に限りがあったため、中央部の吹き抜け部分は照らしきれなかったのだ。

 どうやら、影はその付近を蠢いているようだった。

 嫌な予感がする。

「カリン、どうした?」

 胞子の匂い。

 樹海の気配。

 カリンは敏感に察知していた。

「朔、気を付けろ。動力伝達路に何かいる」

 危険だと勘が告げていた。

 カリンは慎重にそちらへ向かう。

 岩壁を目にした時と同じ、そそり立つ歯車の塔の上部。黒々とした何かが蠢いている。数階分の吹き抜け、はるか上空で蠢く姿。

 いや、違う。黒ではないあの色は――

 それを視認した時、カリンの背筋を冷たいモノがさっと通り抜けた。

 あの形には見覚えがある。

「何であれがここに……」

 いっそのこと、夙夜の所為ならよかったのだ。それなら、叱るだけで済んだのだから。

「どうしたカリン、何が見える?」

 朔が急かす。

 カリンは呆然と、その名を呟いた。

蝕蟲(しょくちゅう)だ……!」


挿絵はhimmelさま(http://1432.mitemin.net/)にいただきました。

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