2 猫の木館
材木街道上の宿場は人工の街だ。元々人が住んでいた地を街道が結んだのではない。まず都と都を結ぶ街道が作られ、その上に宿場が作られたのだ。……と、いくつか前に通り過ぎた宿場の、宿の親父が言っていた。だからなのか、これまで通り過ぎてきたどの宿場も同じ作りをしていた。開きっぱなしの関門を境にして、街道の両脇に宿や厩が立ち並ぶ。大きな宿もあれば小さな宿もある。旅人や商人は、その中から懐具合に応じた宿を選ぶことが出来た。その中に一軒、国営の厩があり、これが駅家になっている。民間人が利用することは出来ないが、危急の際は使者や伝令がここで乗り物を乗り継ぐのだ。立派な駅馬、駅駱駝、そして駅竜がそれぞれ三匹ずつ繋がれているというのも、どこの宿場でも同じ光景だった。
だが今のオレはそんなものには目もくれず、関門から最も近い宿へと向かった。心は逸るが足元はふらついていて、這うように宿に辿り着いたと同時に床に倒れこむ。ようやく辿り着いた日陰の石床は涼しく気持ちよかったが、頭痛は去ってくれそうに無かった。
「ちょっとちょっとお客さん。そんなところで寝られちゃ困るよ」
迷惑そうな顔をした宿の主人がカウンター越しに声をかけてくるが、返事をする元気もない。そうこうしているうちに、主人が木のコップに入った水を持って来た。
「言っとくけど、タダじゃないからね?」
オレは決死の思いで半身を起こすと、返事もせずにそれをひったくり、一息に飲み干した。
「……もっとくれ」
「あいよ」
オレが掠れた声でそういうのがわかっていたように、ニヤニヤ笑いの主人が小ぶりの甕に入った水を持ってきた。オレは手にしたコップを甕に突っ込んでは、何杯も水を飲む。
「こっちもどうだい?」
「サービスがいいな」
次に主人がいくつか持ってきたのは、親指の先ほどの大きさのピンクがかった白い石のようなもの――岩塩の欠片をひとつ受け取って頬張る。甘い。
「もちろん、こっちもタダじゃないよ?」
ニヤニヤと笑う主人に、わかってると首を縦に振って、俺は立ち上がろうとした。
「ああ、いいよ。しばらくそこで寝ときな。そこが一番風通しがいいからな」
いつの間にかカウンターの向こうに戻っていた主人がそう言った。
「どうせ、この季節は旅人も少ないんだ。そこで寝転んでても邪魔になりゃしないよ」
「そうか。で、ここに寝転ぶのはタダかい?」
主人がぷっと吹き出した。
「ははっ。ま、そういうことにしてやろう。だが、夜は上の部屋で泊まってくれよ? サービス満点の宿、猫の木館へようこそ」
そう言って、主人は小粋に礼をした。
日が暮れ、宿場の宿々に明かりが灯る頃まで、オレは猫の木館の入り口に寝転がり、見るともなしに表の街道を見ていた。
猫の木館のニヤニヤ主人の言うとおり、季節が悪いのか、街道を通る一人の旅人も商人も見かけなかった。
「これで商売になるのかい?」
「時々、馬鹿な旅人が熱射病になって、割高な水と塩を買ってくれるからね」
振り返らずとも、主人がニヤニヤ笑いながらそう言ったのがわかった。
「まあ、ここしばらくは季節のせいだけじゃないがね。巡察官がうろついてるからな」
「巡察?」
聞き慣れない言葉に振り向くと、ニヤニヤ主人がカウンターの向こうでしかめ面をしていた。
「そんな顔も出来るんだな」
「何のことだ?」
「気にするな。それで、巡察官って?」
ため息を一つついて、主人が話しはじめた。
「夏冬の二回、街道の治安維持と状況確認のために、都から役人が派遣されて宿場を回る。そいつらが巡察官」
「なんでそいつらがうろつくと旅人が減るんだ?」
「名目通り、街道の治安維持と状況確認のために働いてくれるんならいいんだがな。実際のところはゴロツキと変わらん。ちょっとしたことで強請り、たかり。あいつらがいる時期のほうが治安が悪くなるってもんさ」
「ふーん」
権力を傘に着ると、そういう人間も出てくるだろう。
だが、オレはこれまでの街道上でそういう人間を見かけなかったので、素直に疑問をぶつけた。
「ここまでそんな奴ら見なかったけどな?」
「ああ、あんた鳥のほうから来たんだろ? 今はもう夏の巡察も終わりごろだ。都へ帰ったのさ。最後の巡察官も昨日、ここから獅子側に移ったからな」
「なるほど。それじゃあここは、冬までは安心というわけか?」
主人の顔にニヤニヤ笑いが戻った。
「まあな。だが、あんたは急いでこの先に進むと、巡察に絡まれるかも知れんぞ。だから、今日はここで泊まっていきな」
「商売上手だな」
苦笑いをしつつ、オレは猫の木館に入って以来はじめて立ち上がった。
「部屋に案内してくれ」
「一番いい部屋が空いてますよ」
安い部屋でいいよ、と言おうとしたが、どうせどの部屋を選んでも割高な宿賃を取られるんだろうと思い直し、結局なにも言わずに案内された部屋に落ち着くことにした。