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1 材木街道

 ほとんど頭の真上にある南中の太陽が、オレを容赦なく照らす。南の山脈を越えた先では、もう紅葉がはじまっていたというのに、この荒野にはまだ夏が居座っている。

 次の宿場はまだ先だ。もう勘弁してくれと言わんばかりにオレはあごを引き、前かがみになって歩く。額の汗が鼻へと伝わり、大きな滴になって地面に落ちた。その染みは、オレの影より黒々と地面に横たわる。染みを置き去りにして、オレは歩く。

 材木街道は草木も生えぬ荒野を、南北に一直線に貫いている。オレはそこをただひたすら北へ向かって歩いていた。目指すは街道の終着点、三つの尖塔と日干し煉瓦の壁の都。今日中にそこにたどり着こうと、オレは道中の宿場をふたつ素通りして、こうして焦熱地獄の中を歩き続けているのだが、どうやら無謀だった様だ。どうせ急ぐ旅でも無し、せめて日が傾くまで前の宿場に留まればよかった。

「見通し甘くば、後悔は苦い」

 因果教の聖句の一節をつぶやき、舌をめぐらしてかさかさに乾いた唇を湿らせようとしたが、口の中まで乾いているせいで、ほとんど効果がない。舌先が汗に触れた。

「……そして、汗はしょっぱい」

 そんな聖句はない。オレは前かがみをやめて顔を上げた。水筒を取り出し、温い水を一口飲む。飲んだ分だけ汗が吹き出た。水筒をしまい、汗を拭いもせず、フードを目深にかぶりなおす。

 身を休める影はないかと周囲を見回すが、そんなものはどこにもない。雲一つない群青の空の下、赤茶けた大地はどこまでも広がる。街道の先、行く手の地平線の上に次の宿場が見えている。だが、とぼとぼと歩き続けても一向にたどり着かない。蜃気楼。いや、まさか。

 この影も無く起伏も無い荒野の街道は、この国、黄金の獅子国の第二の大動脈だ。前の宿場の門から行く手を見れば、次の宿場が地平線の上に小さく見える。街道上の宿場はそういう間隔で整備されている。

 見えているぐらいだから、すぐにたどり着けるだろう。そう思って、やめておけという宿の主人の忠告も聞かず、オレは前の宿場を出た。

「聖句と宿の親父の言うことは、常に正しい」

 "忌々しいことに"。唾と一緒に、続けてそう吐き捨てようとしたが、すでに口の中は渇きはじめていた。せっかくの水分を吐き出すわけにはいかない。仕方がないので唾は飲み込み、叫びは胸の中にとどめ、オレは足を引きずるように歩みを再開した。


 あたりに動くものの姿はない。少なくとも動物に襲われる心配は無いわけだ。ここで倒れればどこも齧られることなく、五体揃ったきれいなミイラになれるだろう。

 ふと後ろを振り返り、太陽を仰ぎ見た。さっきから少しも動いていない気がする。たぶん、オレが倒れるまであそこから動く気がないんだろう。オレは再び視線を地面に落として歩き出す。

 どうして日の高い間に宿場を出てしまったのか。どうして歩いても歩いても次の宿場が近づいてこないのか。だいたい、どうしてオレはこの街道を選んでしまったのか。緑の鳥国から離れるためなら、他にも道はあっただろう。

 足元に落ちるずんぐりとしたオレの影が、自分に降りかかる黒い汗を舐めながら答える。ああ、あったとも。海路がな。東風の帝国まで、お前の嫌いな船に乗って、15日だ。三角に逆立つ白い波、木の葉のように揺れる船。嵐に巻き込まれれば海の藻屑さ。ああ、まったく。そうなったほうがよかったな。水だけはいくらでも飲める。

 ……嫌味を言うなよ、オレ。そうさ、歩いていくならどのみち、この道しかない。しかしじゃあ、そもそもどうして、国を離れる羽目になっちまったのか。

 おいおい、それを忘れたのか? なんてこった。お前、日差しに相当頭をやられてるぞ。

 頭? 頭……。ああ、そうだ。頭が痛い。

 オレはオレの影と会話しながら、自分の意識と肉体が切り離れそうになっていることに気づいた。その途端、再びその二つはオレの上で焦点を結ぶ。オレは頭痛に気づいた。熱射病だ。

「くそっ」

 水を大事にしすぎたか。体がだるい。吐き気がする。立ち止まって水筒を取り出し、太陽が目に入らないよう目を閉じて、上を向き一気にがぶ飲みする。オレは太陽が嫌いだ。

 フードが後ろにずり落ちる。日差しが顔と頭にまともに当たる。オレの黒い髪がチリチリと音を立て、瞬時に熱を吸収する。目蓋を閉じていても、強い光は目を灼いた。

 その体勢のまま、せっかく飲んだ水を戻さないよう、息もつかずに口を固く閉じる。水筒には、もう一滴も残っていない。

 しくじったな。もっと計画的に水を飲むべきだった。次の宿場までどれだけあるかは知らないが、もう歩けそうにない。これでオレも明日にはミイラか。溺れて死ぬのと、渇いて死ぬの、いったいどっちがマシだったろうか。

 覚悟を決めてオレはゆっくりと目を開き、視線を行く手に向ける。そこに見えた。地平線の上に、寄り添ってきらきらと輝く、三つの明かり。まるで陸の灯台のよう。

 あれこそ、この街道の終点、三つの尖塔と日干し煉瓦の壁の都の、その名の元にもなった、三基の高い高い尖塔に違いない。もっとも、光っているのは尖塔自体ではなく、そのそれぞれの塔の頂点に立っている、黄金で出来た太陽教のシンボル――渦巻――が、太陽の光を反射しているらしいのだが。


 前にも後ろにも太陽か。挟み撃ちだな。そう思った途端、吐き気に耐えられずすべて戻した。

 反吐まみれになった影を引き連れて、オレは歩き出す。

 いつの間にか、次の宿場はもう目の前にあった。

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