セディスの執念【80】
倒壊してできた大きな瓦礫の上に佇み、三投目となる矢を勇ましく構えるケンタウロスの姿。
俺は内心で喜びの声をあげた。
おぉ! なんか見返したぞ、ケンタウロス!
勇者のごとくして現れたケンタウロス。その姿は今の俺の目にはすごくカッコよく見えた。
――が。
ケンウロスが真面目な顔してぼそりと何かを呟く。
「もしかしたら三投目はケイを射抜いてしまうかもしれない……」
俺の顔が無言で引きつる。
そしてたどるようにして、俺の足元に突き刺さった矢に視線を落とした。
奴ならきっとマジで俺を殺るかもしれない。
ケンタウロスは静かに構えた弓を解いた。またぼそりと呟く。
「三投目はやめておこう。当たるだろうと考えていたら本気で当ててしまうかもしれない……」
俺はケンタウロスに憤慨に指を突きつけ、内心で怒鳴った。
考えるなよ! ってか、なんで俺を狙ってマジ撃ちしてきてんだ!
心当たりがないわけではないのだが。
――ふと。
セディスのクツクツとした笑い声が聞こえてくる。
振り向けば、セディスが壊れたように笑っていた。
彼の足元で矢に射抜かれ死んでいるキメラを何度も何度も踏み潰しながら。
「とんだ失敗作でしたよ。まったく。クフフ」
彼の精神が完全にイカレている。
俺は真顔になってセディスを見つめた。
セディスはぶつぶつと尚も独り言のように呟き続ける。
「この世界には馬鹿が多すぎる。どいつもこいつも本当に馬鹿ばかりだ。世界を救おうとする私を、なぜこうまでして邪魔をするのでしょう? 私はこの世界から人々を救いたいと、その一心で研究を続けてきたというのに。
なぜ? どうして? なぜ誰も私の研究を理解してくれないのでしょう? わかりません。もうわかりませんよ、私には。この世には神が必要だというのに。クトゥルクがなければ生きられないというのに……くふ、クフフフ」
セディス……。
俺には同情の目でしかセディスを見られなくなっていた。
十年前に殺された狂人研究者。それは本当に、純粋に人々を救おうとしてやっていただけなのかもしれない。でもその研究はけして正しいものではなかった。先の命ばかりを考え、かえって目の前の尊い命を奪っただけに過ぎなかった。十年前も、そして今も。罪の無い人々の命を犠牲にしてきたように。
気が済んだのか、セディスは踏み潰す行為を止め、そして一本だけ動く手の平──宝玉を持っていた手――に視線を移す。物悲しそうに手の平を見つめて、
「私にはもう何もなくなってしまいました。今まで積み上げてきた研究は、十年も捧げてきたこの時間は、いったい何だったのでしょう……?」
セディスは視線を変える。大蛇と化した自分の片腕を。
食べられていた人の姿はそこにはもうない。
どうやら完全に飲み込まれてしまったようだ。
セディスは異形の片腕に優しく話しかける。
「喰らいは私の命を繋ぎとめる。故に喰らっても喰らっても力を渇望し、永遠にその空腹が満たされることはない。それが複合喰鬼。死ぬことさえ許されぬ悲しき罰。クトゥルクの代わりに私が求めた呪われし力。
――でもこれでいいのです」
完全に精神のイったセディスの目が、俺へと向く。
「クトゥルクの力ならきっと、私のこの空腹を満たしてくれることでしょう」
飢えた獣のような目で、異形の片腕を俺に向けて構えてくる。
「宝玉がなくなったのなら仕方ありません。
ならばその力――私が喰らうまでです!」
セディスの異形の片腕が大きく口を開けて俺を丸呑みにしようと襲い掛かってくる。
迫り来る真っ赤な口内と鋭い歯に、俺はただ怯えその場に佇むことしかできなかった。
喰らわれようとするまさにその瞬間――。
俺の背後で銃声が鳴り響いた。
一発、二発と。
排出される二つの空薬莢が床に舞い落ち、音を立てる。
弾丸を浴びて、セディスはよろめき大蛇の口は動きを止めた。
銃声はそのまま立て続けに聞こえてくる。
一人の足音とともに。
喰らおうとしていた大蛇の口が、萎えしぼむようにして俺の足元へと落ちていく。
血に染まる体でふらつくセディス。
尚も弾丸はセディスの体に撃ち込まれ続けた。
神殿兵はその歩みを止めることなく拳銃でセディスを撃つ。
弾丸を浴びながらもセディスは倒れなかった。
傷は深くなっていく。
だがセディスは尚求めるように人間の形を残した手を俺に伸ばし、歩み寄ろうとする。
「やっと……手に入る……クトゥルクを……」
血まみれた体を引き摺るように、一歩、二歩と、懸命に踏み出してくる。
苦しそうに呼吸を繰り返し、セディスは必死になって俺に手を伸ばし続けた。
そんなセディスを前にして、俺はその場から動けなかった。
恐怖というよりも、瀕死になりながらもクトゥルクを求めてくるセディスの執念が、俺をそこに縛り付けていたのかもしれない。
銃声が止み、神殿兵が俺の隣で足を止めた。
無言で、神殿兵は銃口をセディスの頭部に向けて構える。
同時に後ろからそっと俺の視界を片手で覆い隠した。
その後、ためらいも無く。
一発の銃声が鳴り響いた。
その一発だけ……。
俺の視界を覆ったままで、おっちゃんが俺に言ってくる。
『覚えとけ、坊主。これがこの世界の戦いであり、戦場だ。戦いをためらえば、あっという間に大事なモンを失ってしまう。俺がイナを撃てなかったようにな。
犠牲のない戦い方なんて俺は知らない。もしあるとしたら、それは神の成せる業だ。この世界では戦いが全て。戦いに勝てない奴は──死ぬだけだ』
覆われた視界の中で、俺は無言で一筋の涙を流した。




