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リ・ザーネ【79】


 綾原を帰還させた場所――俺が閉じ込められていた神の間を目指して、俺は駆け出していた。

 なんとなくではあるが、道順は覚えている。

 構造の大半の天井を失った神殿内。

 その上空に見える白狼竜の姿。

 黒炎竜の姿が今はない。

 再び静けさを取り戻し、白狼竜が俺を捜している。

 本当に、帰るチャンスがあるとすればこの時だけだ。

 白狼竜に見つからないようにして、俺は物陰の下をかいくぐり、前へと進み続けた。

 角を曲がり、とある部屋の入り口らしき場所を見つける。


 ここだ!


 ようやく俺は跡地となった神の間にたどり着くことができた。

 倒れた柱や壊れた天井や壁の残骸。

 部屋の奥は無数の亀裂や裂け目があるもののなんとか現状を保ち、奇跡的に形を残している。

 完全に部屋が崩れ埋もれた状態ならここで諦めたが、まだ奥が無事ならきっと魔法陣は無事のはずだ。

 そう思い願って、俺は大小の瓦礫が散乱した場所を越えつつ奥へと進んだ。

 これで向こうの世界へ帰れる。そう信じて。

 瓦礫の小山を降りて二等辺三角をかたどった瓦礫の隙間をくぐり、そして


 ――あった。


 帰還魔法陣リ・ザーネ

 元の世界へと帰れる唯一の方法。


 崩れるギリギリ手前の場所に奇跡的に残った魔法陣。

 床に亀裂もなく、形はきれいに残っていた。


 良かった……。

 俺は安堵の息を吐く。

 これで元の世界へ戻れる。やっと。


 歩み寄り、俺は静かに魔法陣の上に立った。

 あとはクトゥルクの魔法で元の世界へ戻ればいいだけだ。

 俺は深呼吸して気持ちを落ち着けてから、意識を集中した。


 ふと。

 前方にある神座の壁の亀裂から、どす黒い油のような液体が流れ込んできているのに気付く。


 いつからだろう?

 俺はその正体に顔をしかめ怪訝に、その場所を見つめた。

 何かが漏れ出しているのだろうか?

 コールタールのような液状の物である。

 その液体はすぐに床に水溜りを作り、そこから何かが生まれ出てくる。


 ――俺は気付く。

 そこから出てきたのは、宝玉を手にしたセディスだった。

 その体に何本の手足を生やしたなんとも異形でおぞましい姿になって。

 顔も茶黒く、まるで何かに呪われたような岩肌になっている。

 セディスは俺を見て穏やかに微笑む。


「こんなところにいたのですか。ずいぶんと捜しましたよ」


 俺の体が恐怖にすくむ。

 コイツから逃げられない。そう直感する。


 セディスは言った。

「その魔法陣を使いたければどうぞ使いなさい。それは私が奈々に教えた魔法陣です。それを取り消す陣はすでに用意してあります。さぁ、使いなさい。何度でもあなたの目の前で取り消してあげましょう」


 複数の腕の中に混ざるようにしてセディスの体から生えた大蛇。その口からはすでに丸呑みにされようとしている人間の足が出ていた。恐らく黒衣からして黒騎士なのだろう。


 複合喰鬼サイエント・ヴァッカル──強い力を喰らい取り込むことで己を強化していく禁忌手法。


 セディスは笑う。原型を失い壊れかけた顔で、

「ようやく巡り合えたクトゥルクの力。世界中が血眼で捜し、どんなに求めようと姿を見せぬ神なる存在。

 闇を切り裂き、光がこの地に降りそそぎし時。白き獣は現れて、戦場の野に立つ敵を全て殲滅し、大地は一瞬にして焦土と化す。

 その力を私に譲ってください。黒騎士を震え上がらせ、あの黒王をも魅了させるその力を。もはやその力に勝るものなど、この世のどこにも存在しないのです」


 たしかにこの力を誰かに譲りたいとは思ったが。

 俺は怯えるように一歩身を引く。


「なぜ逃げるのです? クトゥルクは私にこそ相応しいというのに。

 それに、あなたには言っておいたはずですよ? 光は永遠にこの世界から失ってはならないものだと。闇に怯える人々の気持ちを理解できない異世界人にクトゥルクの力を持つ資格などありません。それなのになぜクトゥルクを持ち去ろうとするのですか? なぜ? 何の権利で? 

 私ならばクトゥルクの力でこの世界を永遠の光に変え、人々の心から恐怖を拭い去るというのに」


 セディスの狂気に圧され、俺はまた一歩足を退いた。

 俺はここで殺されるのか。

 そんな恐怖が胸を埋め尽くす。


 セディスが宝玉の持つ手を差し出すようにして俺に向けてくる。

「どこにも逃がしませんよ。せっかくこの世界に引き込んだクトゥルクの力。あなたはここで喰われ、これから変わる神の礎となるのです」


 宝玉が仄かに光り輝き、そして一筋のヒビが走る。

 それはヒナがかえるかのごとく無数にヒビ割れていき、やがて鋭い牙を持った口が顔をのぞかせた。

 そこから出てきたのは頭ではなく、鋭いサメのような牙を持った口だった。

 割れた宝玉の中から姿を見せた一匹の生き物。頭部が無く、首が鋭い歯に埋め尽くされて口となった恐竜の赤子のような魔物キメラだった。

 サメのような歯をカチ鳴らし、俺を喰おうと首を向けて──


 そいつは断末魔のような奇怪な鳴き声をあげた。


 瞬間、勢いよく俺の喉元に向かって飛びかかってくる。

 反射的に俺は体を避けて、そいつを無我夢中に叩き払い床に落とす。

 そこまでは奇跡的になんとかなった。

 だがそいつはすぐに床を跳ね起きて、再び口を開けて襲い掛かってくる。

 あまりにも対応が早すぎて俺は防御が間に合わず、隙だらけとなる。


 そいつが俺の首元に喰らいつく寸前で。

 音なき一矢が風のように突っ切って、そいつの体を貫いた。


 矢は床に刺さり、串刺しとなっていたそいつは体を微動に痙攣させ、やがてぴくりとも動かなくなった。


 次いで二投目の矢が俺のすぐ足元の床に突き刺さる。


 セディスが怒りに震えた声を出す。

「な、なぜこんなことが──!?」


 飛んできた矢の方向を、セディスと俺は同時に見る。


 まるでリンゴを射抜こうと構えるロビンフットのように。

 大きな瓦礫の小山の上に佇み、三投目となる弓矢を勇ましく構える人物が一人。

 俺はその人物に見覚えがあった。



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