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第十三話

「うーん。この、人の心に触れたいと思ったのは、人の笑顔をみたいと思ったのはいつ以来だったろうか。少なくとも季節を幾つか遡らなければ、その記憶には辿り着けない。ってのは、たぶん俺たちと出会う前のことを言ってるんだよな?」


 僕が文章から海月の考えや次の行き先を割り出そうと提案してから、三人それぞれの携帯に視線を送り続けている。おばあちゃんの家の前は明かりがなく暗すぎたので、石畳の階段を降りきった所で僕たちは腰を下ろした。


「あー分かんねぇ。何でよりにもよって詩で書くんだよ。言いたいことがあるならふつうに書いてくれよ。俺、国語嫌いなのに」

「ちょっと拓馬うるさい!集中出来ないでしょ?黙って読んでよ!」


 僕の隣に座る拓馬は先程からずっと小言を言っていたが、僕の耳にはどこか遠くで話しているかのように聞こえていた。拓馬を叱りつける静香の声も同様だった。それくらい集中しているのかもしれない。一文、一文、海月がどんな気持ちでこの文章を書いたのか思考を巡らせながら丁寧に読んでいた。


 何度も、何度も、読み進めていたが、毎回目を止めてしまう気になる部分があった。


『人はいつかは死ぬ。産声をあげた瞬間から運命(さだめ)の道を歩いている。


 その長い道を、歩けるのは、何故だろう。

 きっとそれは、希望があるからだ。


 今を刻んでいく未来に、ひかりがあると信じているからだ。


 でも、その先に、ひかりがないことを、道が途絶えてしまっていることを、先にみえてしまった人間にそれはない。』


 この一連の文の内、『その先に、ひかりがないことを、道が途絶えてしまっていることを、先にみえてしまった人間にそれはない。』という部分だけが何度読んでも違和感を感じる。


 ひかりがないことを、先にみえてしまった人間というのは一体どういうことなんだ?


 文字通りの意味なら、未来がみえた人間ということだろうか?


 心の中でそう呟いた時、前にもこの違和感を抱いたことを思い出した。


 海月が両親へとあてた手紙を読んだ時だ。


『九月三日、私は膵臓がんのステージ4だと宣告されます。』


 一週間も先の日付けで、何故未来形の言葉で綴られているのかずっと疑問に思っていた。最初は、海月のお母さんや拓馬や静香が言ったように姿を消す口実としてそう書いた思っていた。だが、よくよく考えてみるとそれにも違和感を感じた。わざわざ一週間も先の日付けで、病気になるから、もう助からないから私は消えます、というようなニュアンスで親への最後の手紙を出鱈目な内容で書くものなのだろうか。もし本当に二度と戻るつもりがないのなら、真実を書くものではないだろうか。少なくとも、僕ならそうする。携帯に目を落としながら頭を悩ませていると、突如として画面が切り替わった。そこには海月のお母さんと表示されており、僕はすぐに指を滑らせてから耳に押し当てた。


「もしもし」

「響さんのお電話で合ってますか?」


 今日、海月の家を出る前に何か分かったら連絡を下さいと海月のお母さんには僕の番号を教えていたのだ。


「はい、あの何か分かりましたか?」


 電話口に向ける自分の声が以前よりも柔らかくなっているのが自分でも分かった。海月のお母さんは、少なくとも海月のことを大切に思っている。今日、面と向かって話してみてそれが分かった。


「先程、警察から連絡がありました」

「えっ? はい、それで何か分かったんですか?」

「響さん、少女の誘拐事件に匿名の通報をしたのは海月さんですか?と私に聞いてきましたよね?」

「はい」

「あれは、海月だったようです」


 やっぱり、とは思ったが、それでも衝撃を抑えきれず、ごくりと喉が鳴った。


「被害者のご家族が娘を救われたお礼を伝えたいという旨を警察におっしゃって下さったようで、警察も捜査の過程で匿名の通報の発信履歴を調べ、それは海月の携帯の端末だと判明しました。ですが、連絡が付かなかった為にその親である私の方に連絡してきたようです」

「そうですか……あの、一つ確認なんですけど、その誘拐されていた女の子と海月は本当に以前から関わりがあった訳ではないんですよね?」

「はい、私もネットで記事を読み、それからその女の子のお顔を拝見しましたけど、海月とはかなり歳が離れていますし見たこともないです」


 だとしたら、やはりあの女の子と海月は以前訪れた水族館で偶然に出会い、その時が初対面だったという事なのだろう。実際に僕もその場にいた。以前から知り合いだったという素振りは微塵も感じなかった。


「分かりました。僕の方でも友人二人と一緒に海月を探しています。わざわざ報告して下さりありがとうございました」


 会話に区切りをつけ、電話を切ろうとしたその時だった。電話口から「待って、響さん」と呼び止められる。


「本当にありがとう」


 続けざまにそう言われ、胸が熱くなった。電話を手にしている手と反対の手を握りしめながら「海月を必ずみつけます。そして、お母さんの元へと連れて帰ります」と溢れかえった感情を言葉にした。程なくして、電話が切れた。ポケットに携帯を仕舞い込むと、顔を覗き込むようにして「誰と話してたの?」静香と拓馬が問い掛けてくる。海月のお母さん、と言いながら僕は必死に頭を働かせた。


 あの女の子と海月は、水族館で出会うまでは全く関わりがなかった。その女の子が誘拐されたと匿名の通報をしたのは海月。そうなると、たった一度会っただけの女の子の為にわざわざ県外まで出向き、その女の子が誘拐されていると通報したのだろうか。正義感が強いのかもしれない、と思いかけて以前にもそう感じたことを思い出した。


──どんな日常にも危険は潜んでます。今みたいに子供は無鉄砲にどんな所にだって走っていきますよ? 子供は見るもの全てが新鮮で、感性が研ぎ澄まされているんです。そんな子供を危険から遠ざけるのが親の務めだと私は思いますけど。


 あの日、駐車場へと飛び出していった女の子の母親に海月はそう言った。


──子供に及ぶ可能性のある危険は車だけではありません。たとえば、人。誘拐される可能性だってあるんです。その子から、絶対に目を離さないで。


 そして、立ち去ろうとする女の子のお母さんを呼び止めてまで海月はそう口にした。そして、それから数週間後に実際に女の子は誘拐された。それを通報したのは海月。誘拐という言葉が頭の中で熱を持ち始める。正義感が強いのだろうか? それとも、危機管理能力が強いのだろうか? 何故あの女の子が誘拐されるかもしれないと、わざわざ母親に告げる必要があった? 子供は目にみえるもの全てが新鮮でどこにでもいく。だから、母親であるあなたがちゃんと見ていて下さい。言ってることは正論だ。その通りだ。だが、あの場で、しかも初対面の人間にそこまで言う必要があったのだろうか? あの時の海月は、まるで予めにその女の子が誘拐されると知っているかのように強い口調だった。


 僕の中で少しずつその違和感が強くなった時、頭の中で欠けていた何かが、かちりとハマった音がした。だが、僕は自分が導き出そうとしている答えに頭を抱える。そんなことがあり得るのだろうか?そんな人間がこの世に存在しているのだろうか?


 けれど、そう考えると他にも思い当たる節が幾つかある。


 僕は、遡るようにして頭の中で記憶を巡った。


 おばあちゃんが亡くなる二日前。 

 海月はおばあちゃんに何かを話していた。その直前に大きく目を見開き、虚無に堕ちたかのような目をしていたことを、僕は未だに忘れられない。


 そして、海月は「大切にしてあげてね」という言葉を残し僕の前から去り、おばあちゃんは突然、小太郎を託したいと言ってきた。


 もし、あの時に海月がおばあちゃんは翌日に亡くなってしまうということを涙ながらに伝えていたのだとしたら?


 何かが爆ぜたように当時の記憶が頭の中に鮮明に広がった。あの日、おばあちゃんが亡くなったと知った日だって、誰よりも取り乱していたのは海月だった。棺を前に、膝から崩れ落ち泣き叫んでいた。


 ──ごめんね。おばあちゃん、本当に、ごめんね。………何も、何も出来なかった。ごめん、なさい。


 後ろからみる海月の肩が震えていて、あまりにも痛々しいその姿をただみている事は出来ず、僕は海月の元へと咄嗟に歩み寄った。


 ──海月、落ち着いて。

 ──いやっ、離して!おばあ……ちゃんに、私は謝らないと駄目なのっ!!


 当時の僕は、もし自分がおばあちゃんの家を訪ねていたら救急車を呼べたかもしれない、助かっていたかもしれない、という罪悪感に駆られているのだと思っていた。でも、もし海月が予めおばあちゃんが亡くなることを知り、それを止めることも助けることも出来なくて、責任を感じていたのだとしたら?


 おばあちゃんも言っていた。

 あの子は常人にはない悩みを抱えていると。


──あんた、変わった匂いがするね。


 海月と初めて会った日、おばあちゃんはそうも言っていた。


 おばあちゃんは海月から普通の人とは違う何かを感じ取っていたのかもしれない。


 いや、それだけじゃない。


 あの日、海月と二人で水族館へと遊びに行った時も同じような違和感があった。時刻はお昼時になり、僕たちは水族館の中に併設されているごはん屋さんで昼食を取ることにした。小さなテーブルで向かい合い他愛もない話しをしながら、ひとときの幸せを噛み締めていると、海月は突然「響、隣に座って!横並びで一緒に食べたい!」と言ってきた。


 従業員の方がトレイに載せたラーメンを椅子に躓き溢したのは、それから数十秒後のことだった。僕が直前まで腰を下ろしていた椅子はラーメンの汁でびしょ濡れになり、その時の僕はただ単純についてると思った。でも、今になって思えばあれは僕がついていた訳じゃない。僕は、ただ海月に促され席を移動しただけなのだから。


 まるで、その出来事をあらかじめに知っていたかのように。


 この夏の間、海月が発した言葉、時折みせる切なげな表情が、僕の行き着いた答えを後押しし、確信した。


 あり得ない。そんな人間なんているはずがない。という言葉で片付けるのは容易いだろう。


 でも、僕にはそうとしか考えられなかった。


 海月、君は未来がみえるんだね。


 そして、自分が病気で死ぬ未来をみた。

 だから、その前に死のうとしているのか。


 やっと分かった気がした。

 海月の考えが。海月の抱える苦悩や悲しみが。勿論、全てではない。僕とは比べものにならない程のものを、海月はずっと抱えていたのだろう。僕たちと過ごしていた夏の間もずっと。


「僕は、本当に……大馬鹿だ」


 ぽつりと呟き、目の淵から溢れた一筋の涙が頬を伝った。最初の涙が小さな雫となり、頬から地面へと流れ落ちると、次々とそれに続いた。込み上げた感情で涙を止めることが出来なかった。


 何が誰よりも海月を理解しているだ。

 僕は、分かった気になっていただけじゃないか。ずっと傍にいたのに、これっぽっちも支えることが出来なかった。


「海月、ごめん。ほん、とに、ごめんな」


 奥歯を噛み締めながら漏れ出た声が、涙と共に地面を湿らせた。

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