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くらげの足跡は瑠璃色の空へと続く。  作者: 深海かや
第三章 夜空に咲く花、赤く乱れて、青く散って。。
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第四話

 家のすぐ傍にある小さな犬小屋は同じ材木で作られているのか、家と同じ色をしている。その中にいる小太郎はつぶらな瞳を僕に向け、大きく口を開けてあくびをした。


 海月とおばあちゃんは一体どんな話をしているんだろう?

 僕には話せないような内容なのだろうか?

 きっと僕よりも遥かに人生経験も豊富なおばあちゃんなら解決出来ると判断したのだろう。もしかしたら女性にしか分かり得ない悩みを打ち明けているのかもしれない。


 そう考えた僕は家の傍にいるのは気が引けて、小屋に結ばれていたリードを外した。そして、右手に括り付けたあと小太郎を連れて少しばかり家からの距離をとった。


 小太郎は僕の前でしゃがみ込むと、鼻をひくひくと動かしている。森の匂いを嗅いでいるようだった。


 家の小窓の向こうでは海月とおばあちゃんの姿がみえた。ここからだと声は聞こえない。何を話しているのかはまるで分からなかった。でも、海月の顔が悲痛に歪んでいるのはわかった。おばあちゃんは一切口を開かず、ただ黙って海月の話しを聞いているようだ。


 やがて、海月が両手で顔を覆い、おばあちゃんはゆっくりと海月に歩み寄ると背中に手を回した。


 僕はどうすればいいんだと胸の中がもどかしい気持ちで一杯になった。話してる内容が分からなくても、海月の表情や動作で悲しみや辛さを感じていることは理解できる。今すぐにでも海月に寄り添ってあげたい。僕なんかに何が出来るか分からないけど、海月の痛みや悲しみを少しでも受け止めてあげたい。そう思ったのだ。


 森のアーチから差し込む木漏れ日が僕の身体を照らす。夏の日差しとは思えない程に絹のように柔らかく優しげな温もりを感じた。僕はゆっくりと腰を下ろし、小窓に視線を置きながら小太郎の頭を撫でた。


 海月が出てきたのは、そのすぐ後だった。真っ赤に染まった目からは、どれだけの涙を再び流したのかが(うかが)える。それでも未だに枯れることのない涙を拭いながら、海月はとぼとぼと歩いてきた。


「……海月。」


 どう声を掛ければいいのか分からなかった。ただ寄り添ってあげたい。その気持ちだけを胸に名前を呼んだ。


 海月はそんな僕の肩にそっと手を乗せて、「大切にしてあげてね。」と、ぽつりと呟く。


 僕には、海月が何の話しをしているのか分からなかった。


「ごめん…何を?」


 だから、思ったままの疑問を咄嗟に口にする。


「おばあちゃんから話しがあるわ。聞いてあげて。」


 そう言い残すと、海月は走り去っていった。追いかけようとした時、後ろの方から扉の開く音が聞こえた。振り返ると、そこにはおばあちゃんが立っていた。


「響くん、ちょっといいかい?」


 森の中に静かな声が灯り、僕は思わずぎょっとしてしまう。おばあちゃんに名前を呼ばれたのは初めてのことだったからだ。いつもはうるさいの、あんた、それが僕の名前を指していた。


 ベンチに腰を下ろしたおばあちゃんは、空いている部分を指で叩いて乾いた音を鳴らす。僕は促されるままに、そこに腰を下ろした。


「で、おばあちゃん話しって何?」

「頼みがあるんだよ。まだ知り合って間もないが、あたしも無駄に年を重ねた訳じゃない。あんたは友達思いで、誰よりも優しい心を持ってる。そんなあんたを見込んで小太郎を頼まれてくれるかい?」


 暗がりで日向の場所よりは、はっきりとした表情はみえなくても、おばあちゃんの顔は優しげな微笑みを浮かべているのがよく分かる。


 でも、僕は困惑してしまった。

 一体どうして大事な愛犬を知り合ったばかりの僕に、おばあちゃんからみたらほんの幼い子供のような僕に、小太郎を託すのだろう。


「ど…どういうこと?小太郎を僕に託すって……。何日か面倒をみてくれてって事だよね?」


 僕の投げかけた問いにおばあちゃんは静かに首を横に振る。


「なんでいきなりそんなこと言うんだよ。小太郎だっておばあちゃんと離れたら寂しいはずだよ。」


 僕がそう訴えかけると、おばあちゃんは僕の膝の上にそっと手を乗せた。足元ですーすーっと寝息を立てる小太郎に向ける眼差しは、お昼寝をしている我が子に向ける愛の溢れた母親のそれだった。


「それは分かってるよ。あたしだって出来ることなら小太郎を見送ってあげたかった。でもね、残念ながらあたしの方がお迎えは早いみたいだからねぇ。だから、このままだとあいつはひとりぼっちになってしまう。無理なことを言ってるのは百も承知だよ。でも、老婆がこの世に残す最後の頼みだと思って受け入れて頂戴な。」


 静かな口調から放れた言葉が少しずつ僕の胸を打つ。

 私の方がお迎えは早い?この世に残す最後の頼み?

 それじゃあまるで。まるで、もうすぐ死んじゃうみたいじゃないか。


 胸の中からふつふつと湧き上がる気持ちで鼻の奥がつんとした。目の中が湿っぽくなり僕は慌てて空を仰ぐ。溢れないように、溢さないように。


 ふわりとそよいだ風が葉を揺らし、幾重にも重なりながら茂る葉や枝を下から見上げると、無数の鳥が羽ばたいているようにみえた。


 一体どうしておばあちゃんは突然そんなことを言うんだ。頭に浮かんだ疑問を解きほぐそうとしていると、さっきの海月とおばあちゃんがやり取りしている姿が頭に浮かんだ。悲痛な表情を浮かべる海月の顔も。


「……おばあちゃん、海月と一体どんな話しをしてたの?」


 二人のやり取りを聞いてはいけないと思っていたが、もう聞かずにはいられなかった。


「それは言えない。あの子にはまだ心の準備が出来ていないみたいだから。でも、前にも言ったようにあの子は何かを抱えてる。常人には到底理解出来ないそれを包み込んであげられるのはあんた達三人だけだよ。だから、今はただ傍にいておやり。」

「常人には理解できない…。」


 僕はおばあちゃんの言葉を繰り返す。海月は一体何を抱えているんだ。それに、一体おばあちゃんは海月とどんな話しをしたっていうんだ。


 疑問だけが膨らんでいくばかりで、僕はそれを立ち尽くしただ呆然と眺めているかのようだった。自分の無力さに、不甲斐なさに音が鳴る程に奥歯を噛みしめる。


「じゃあね、それだけだ。小太郎の事を宜しく頼んだよ。」

 おばあちゃんはよっこらせと呟くと同時に立ち上がり、小太郎の首から伸びるリードを犬小屋に結び付けていた。


「待っておばあちゃん!僕は、まだ返事もしてないし…。それに、やっぱり小太郎はおばあちゃんの傍にいたいはずだよ!」


 おばあちゃんはゆっくりと足を進め、ドアノブに手をかけた。それから、僕に背を向けたまま、静かな口調で言った。


「言っただろ?私にはお迎えがくるんだよ。あんたが受け入れてくれるって事もさっきの反応をみて分かった。明後日だ。いいね、明日は用事があるからね絶対に来るんじゃないよ。明後日、小太郎を迎えにきておくれ。」


 最後に、それじゃあねと呟いて、乾いた音と共にドアは閉まった。途端に蝉の鳴き声が、鳥のさえずりが、川のせせらぎが鼓膜に触れる。


 誰も居なくなった森の中で、僕はただ立ち尽くすことしか出来なかった。

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