表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
くらげの足跡は瑠璃色の空へと続く。  作者: 深海かや
第三章 夜空に咲く花、赤く乱れて、青く散って。。
26/68

第一話

 夏休みが始まってから早くも二週間が過ぎた。拓馬は変わらず週に三回程海の家で働いている。以前、四人で集まった時に二次募集するらしいよという事を拓馬が話すと、今すぐ電話してと静香が食い下がり、三日程前から静香も拓馬と同じ店で働き始めることになった。そのせいで、最近は毎日海月と二人で過ごしている。海に行くときもあれば、商業施設やカラオケ、以前とは別の水族館に行ったりもした。海月と過ごす時間は勿論幸せだ。でも、夏休みに入るまでは四人でいることが当たり前だったこともあり、ほんの少し寂しさを感じる。


 今日の予定も既に決まっていた。待ちあわせ場所はいつものホームでということになっていた。ちらりと壁に掛けられた時計に視線を送ると、そろそろ家を出なければならない時間だ。身支度を急いで済ませ、僕は家をあとにした。


 5分程ホームで待っていると、カーキ色のワンピースに身を包んだ海月が姿を現した。右手には本を抱えている。


「おはよう、新しい本?」


 なんとなく以前読んでいた本の装丁と違った気がした。


「そうなの!この作家さんの言葉の()て方とか表現が凄い好きなんだよね!」


 海月は、目を煌めかせ、身体を前のめりにして僕に本の魅力を話し始める。海月は本の話をしている時は本当に幸せそうだ。


「ねぇ、そう言えばさ、さっき人生で初めて署名してきちゃった」


 ホームに入ってきた電車の走行音に、海月の放った声が溶けていく。僕は何とかそれを拾い集めて「何の?」と問い掛けた。


「安楽死法案に賛成しますっていう署名」


 僕は海月の放ったその言葉に目を見開いてしまった。海月が賛成派なのだと初めて知ったからだ。以前からその法案に対する意見は真っ二つに分かれていた為に、反対だと抗議する人たちもいれば、その法案を通すお力添えをお願いしますと訴えかける人たちもいた。確かに券売機のすぐ傍で僕も署名を求められたなと思い出す。


「海月は賛成派なんだ」


 扉の開閉音が鼓膜に触れ、中から年配の人たちや僕たちと同じくらいの年の子たちが降りてくる。その人達が降りるのを待ってから、僕たちは車内に足を踏み入れた。「私はずっと賛成派だよ」と椅子に腰を下ろすなり、海月が言った。


「どうして?」

「響はどっちなの?」


 質問に質問で返され答えに詰まった。それに、僕は元からそのどちらでもない。答えを出すことが出来なかった。


「分からないんだ。前にお母さんにも同じ質問をされたことがあるんだけど、その時も答えられなかった」

「そっか、まあ難しい問題だよね」

「海月はどうして、その、なんで賛成なの?」

「人間が持つ傲慢な考えを、もういい加減正してもらいたいから」


 海月は窓の向こうで移り変わる景色をみながら、川の流れのように淀みなく言った。けれど、僕には海月が何を言っているのか理解が出来なかった。


「ごめん、ちょっと言ってる意味が分からないんだけど。もう少し分かりやすく説明して貰えるかな」

「ごめん、伝わらなかった? うーん、分かりやすく言うとね、人は常に自由を求め、そうあるべきだって皆言うでしょ? 何かに抑制されたり、制御されている人やものをみた時、大多数の人間は可哀想だなとか自由にしてあげたいなって思うじゃん?」


 未だに海月が何を言おうとしてるのか分からなかったが、曖昧に頷いた。


「でも、死だけは許されない。生きることが正義で尊いことだって大多数の人間が考えているから死を望むことは許されないし、それを口にすると批判されてきた。確かにこの世で生を授かることはとんでもない奇跡の確率で、美しいことだとは私も思う。それに、嫌なことがあったり、何か大きな理由があって人生を投げ出したくなった人たちに向けて、それは駄目だとか、頑張って生きてって言うならまだ分かる。でも、それは身体が健康な人に限る話だと私は思うの。たとえば脳に重い障害を負って植物状態になってしまった人、たとえば余命宣告を受けた人、その人たちに向かって同じ言葉を掛けるのは間違ってる。勿論、その人たちが生きたいと望んでいるなら話は別だよ? でも、早く苦痛から解放されたいと願っている人たちに向けて、それでも頑張って生きてって言うのは傲慢以外の何ものでもないでしょ? 立場が同じ人が言葉を掛けるのはまだいい。でも、身体が健康な人が、もう肉体の終わりを迎えようとしているうえに早くその苦しみから解放されたいと願っている人たちに向けてその言葉を投げかけるのは間違ってる。そんなこと、絶対間違ってる。自由を唱えるなら、その人たちの自由だって尊重してあげて欲しいの。これが、私があの法案に賛成する理由」


 まるで世界から切り離されていたかのようだった。海月が話し終えてからじわじわと現実が僕を引き戻そうとしてくる。電車の走行音や人の話し声、窓の向こうで移りゆく景色。波打ち際に寄せる波みたいに少しずつ、ほんの少しずつ、僕は現実を現実として認識していった。それ程までに聞き入ってしまっていた。海月の考えは特殊なもので、世間一般的にみれば、すぐに受け入れられるものではないと思う。でも僕の心には、その考えが和紙に水を浸したみたいにすっと染み込んでいった。


 電車を降りたあと、駅から先は二人で他愛もない話しをしながら歩き、石畳の階段を登りきった。大きく息を吸いこむと、ひんやりとした森の香りを孕んだ空気が肺の中へと満ちていく。


「おや、今日は二人かい?」

「こんにちは!」


 おばあちゃんは緩やかに目元を下げ口元の両端を持ちあげた。手招きしながら椅子に腰を下ろした姿をみて僕たちも続く。


「夏休みはどうだい?」

「もう最高だよ!今年は今までの人生で一番の夏休みになりそう!」 


 自然と声が大きくなる。心の底からそう思っているからだろう。海月と静香と拓馬、この三人がいてくれるおかげで今年の夏は人生最高の夏だ。


「そうかい。それなら良かった」


 おばあちゃんは目を細め優しげな笑みを浮かべる。そのあと、テーブルの真ん中に置かれた急須へと視線が向けられ、手を伸ばすと、ゆらゆらと揺らした。


「あれ、もう空だね。お茶をいれましょうかね」


 テーブルの上に皺の入った手のひらをつき、ゆっくりと立ち上がったおばあちゃんの姿をみて、海月が慌てたように立ち上がる。


「おばあちゃん、いいよいいよ。お茶くらい私も作れるから座ってて」

「そうかい?そりゃ助かるよ」


 おばあちゃんは嬉しそうにポットに水を注ぐ海月をみつめてる。その姿を見ているだけで僕も自然と笑みが溢れる。僕たちがおばあちゃんと知り合って3.4カ月が経った。きっと今年の夏が人生最高のものになったのは、おばあちゃんのお蔭でもあるのだろう。


「おばあちゃん、ありがとう」


 この気持ちを口にしたいと思った。一瞬一瞬を大切にして生きなさいと言ってくれたおばあちゃんに、僕は抱いている気持ちを、今、伝えたい。


「何だい?急に改まって」

「ここに来ると心が安らぐんだ。知り合ったばかりの僕たちに良くしてくれて本当に感謝してる。僕だけじゃなくてみんなおばあちゃんに感謝してるよ」 


 キッチンにいる海月も微笑みを浮かべながら頷いていた。


「そんなことを言って貰えると嬉しいねぇ。あんた達がくると家の中がうるさくて仕方ないけど、その何倍もあたしも嬉しいんだよ。ありがとうね」


 おばあちゃんはそう言葉を切ると、机の上に置いていた手を僕に向かって伸ばしてきた。僕たちの何倍も長い時を生きてきたその手は、皺が入り指先は細くなっていた。でも、その手をそっと包むと、柔らかくて温かかった。

  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ