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くらげの足跡は瑠璃色の空へと続く。  作者: 深海かや
第二章 波の狭間に見据える未来
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第七話

 海月の家は、僕の家から徒歩で十五分程の距離にある。民家沿いを直進に進み、昔ながらの駄菓子屋さんや理髪店などの店が立ち並ぶ商店街を通り抜けると、大通りが広がる。横断歩道を渡り小道を抜けた先にある閑静な住宅街の中の一つが海月の家だ。


 門構えから立派で全体的に白や黒といったモノトーンを基調としながらも、現代的な作りのお家はどの角度からみても洗練された立派な建物にみえる。確か海月のお父さんは僕たちの通う高校のすぐ近くで開業医をしていると、以前海月が言っていたことを思い出した。そうであれば、この立派なお家にも納得だ。


 門扉には三日月を抱きかかえる人魚があしらわれており、ステンレス製の表式にはローマ字表記で冬村の名が刻まれている。その隣にあるインターホンを前にして、僕は一度大きく深呼吸をした。もうここまできたらやるしかない。それに、海月のお母さんに海月の気持ちを伝えてあげると言ったのは、僕だから。


「ただいま」


 玄関に入るなり海月が家の中へと声を放つと、すぐに以前学校で会った女性が扉の向こうから出てきた。海月のお母さんだ。おかえりなさい、と海月をみるなり、すぐにその視線が僕に向けられる。


「あら、またあなたなのね。海月、どういうこと? 今日は静香ちゃんと遊ぶんじゃなかったの?」


 その瞬間、僕は初めて海月が嘘をついて家を出てきていることを知った。そういう事は前もって言っといてよと思いながらも、笑みを作る。


「こんにちは。あの、今日は僕たちと静香と三人で遊んでたんですけど、静香はその別の予定があるのでさっき解散したんです」

「そう。まあ、わざわざいらしてくれたのにこのまま帰すわけにもいかないわね。粗末な家ですけど良ければどうぞ」


 僕の家の三倍はあるのではないかという程の玄関で立ち尽くしていた僕に、来客用のスリッパを差し出してくれる。それを履き、リビングに通されて僕は息を呑んだ。天井の高いその空間は僕の家のどの部屋よりも広く、中央にはL字型のソファが、その奥には無駄に広いシステムキッチンがあり、壁際にはおしゃれな絵かけられ、至る所にその存在を秘かに主張する観葉植物が置かれている。さながらモデルルームのようだった。


「海月、先に今日の報告を済ませちゃいなさい」


 海月と二人横並びになってソファに座っていると、海月のお母さんが長方形型の小さな機械を手渡した。海月は小さく頷いてから部屋を出ていき、それから程なくして声が聴こえてきた。


「私は今日水族館に行きました。徒歩で駅に向かい、それから電車で。話した人は、響と静香と、それから子供を連れた女性。その内容を、まずは響から話します──」


 扉の奥から聴こえてくる海月の声を聞きながら、僕は全身の毛穴が粟立っていくのを感じた。あの機械は、声を録音するものだと分かったのだ。日記のように、毎日こんな事をさせられているのだろうか。おかしい。どう考えだって、こんなのおかしい。海月の親は過保護なのだと思っていたが違う。これは、行き過ぎてる。


「良ければどうぞ」


 トレイの上に置かれたティーカップを手にした海月のお母さんは僕の目の前の置くと、ちょうど僕の正面にあたる位置にサイドチェアを置き、腰をおろした。レースのカーテンの隙間から溢れた陽の光が海月のお母さんの身体を半分に割くように照らしている。以前も思ったが、いつみても綺麗な人だ。目鼻立ちがくっきりとしている感じや顔の輪郭まで海月と似ている。どう切り出そうかと考えていると、かたちの良い唇がゆっくりと開き、「響さん」と声をかけられた。


「海月とは、どういうおつもりですか?」

「どういうっていうのはその」


 先に切り出すつもりだったのに、それをこされてしまいどのように言葉を紡げばいいのか分からなくなった。


「そのままの意味です。以前、主人からお伝えしたはずですよ。海月とは深い関係を築かないで頂きたいと。何も遊ぶなって言っているのではありません。でも、学生ならば学校で遊べばいいでしょう? こんな風に外に連れ出されることが続くようでは困るんです」


 膝の上に綺麗に整列させていた手のひらを、僕は気付けば拳に作り変えていた。


「ましてや不特定多数の人間が行き交う水族館なんてもっての他です。今朝は、海月からそれを聞かされて、海月がどこかに行きたいと口にしたのは高校に入ってから初めてのことだったので私も親心で許してしまいましたが、それは間違いでした。学生の本分は勉強でしょう? それをおざなりにしてまで遊ぶ事に時間を費やして……それに、誰かに写真を撮られてSNSにでもあげられていたらどうするんです? まさかあなた達はあげてないと思いますけど」


 僕が口を引き結んでいると、あげてないですよね? と再度確認してくる。扉の向こうからは未だに海月が機械に吹き込んでいる声が聴こてくる。僕と今日一日を通して話した内容、それから今に至ってはそこにいなかった静香とのやり取りまで口にしている。架空の出来事を作り上げ、架空のやり取りをあたかもあったかのように話し続けている。こんな事を毎日続けていれば、心がすり減ってしまってもなんら不思議ではない。実の娘に、どうしてこんな事をさせるんだ。愛しているなら、大切に思っているなら、こんな事させるべきじゃない。子供の僕にだって分かるのに、なんで、なんで。


「一体何を恐れているんですか?」


 ふつふつと湧き上がってきた怒りが、僕の喉元を通り、気付けばそう口にしていた。海月の日々の行動や心、人生全てを管理し、以前にも違和感を感じたが海月の両親は執拗にSNSにあげるなと口にしていた。それは、愛なんかじゃない。そう思った先で、ふいに頭に浮かんだ。この二人は、何かを恐れていると。


「海月さんも僕も法的に言えば確かに子供なのかもしれませんけど、いつまでも子供じゃありませんよ。自分で考え、行動し、自分の人生を好きなように生きていいはずだ」


 海月のお母さんが大きく目を見開いたが、構わず続ける。


「もう一度聞きますよ。一体、何を恐れているんですか? 海月が自分達の元から巣立っていくことですか? それって、そんなに怖いことなんですか? 僕にはむしろ」

「黙りなさい」


 部屋の中に、つめたい声が転がった。僕はサイドチェアから立ち上がった海月のお母さんを見上げていた。その目に怒りの感情を孕んだ色がみえ、怖気つきそうになる。だが、海月のことを大切に想う気持ちが、僕のことを突き動かした。


「黙りませんよ。黙って欲しいなら、海月さんのことを、その気持ちを、ちゃんと考えてあげて下さい。もし道をそれるようなことがあれば、その時にあなたが親として軌道修正してあげればいい。それまでは、海月さんの人生は海月さんのものです。あなた達二人のものじゃない」

「いい加減にしてっ!」


 室内に響き渡る程の大きな声を聞きつけたのか、海月が部屋に入ってきた。


「お母さん、どうしたの?」


 海月のお母さんは一瞬だけ海月に目をやり、すぐに僕に視線滑らせてくる。その目には、先程と違ってうっすらと涙の膜が張っているようにみえた。


「全てを知ったような口を、私に聞かないで。響さん、あなたは海月のことを何も分かってない。あなたが今みている海月は、そのほんの一部でしかないの。私が、私達夫婦が、どんな想いで海月に接しているのか、その気持ちも知らないで、知った風な口を聞かないでっ!」


 時折声を詰まらせながらも、そう言って声を張り上げた。目尻からはらりと涙がこぼれ落ちたのと同時に、もう帰って下さい、と言われた。


「お邪魔しました」


 ソファから立ち上がり、リビングから玄関へと繋がる扉の前で海月とすれ違った。「……響」と声を掛けられて、僕はごめんと呟くことしか出来なかった。





 今日みたいに辛い日は、頭の中から記憶を引き抜いて欲しいと思ってしまう。私の大切な人と大切な人が私の目の前で心を引き裂きあっているのを見てしまった。それも、きっかけは私のせいだ。


 やっぱり、言わなければ良かった。響の事が好きだから、私の全部を知って欲しいと思ってしまった。私の抱える孤独も、苦痛も、全部、全部。まだ、全てを話した訳じゃない。こんな事になるなら話さなくて良かったと、今になって思う。話すべきじゃ無かったんだ。私が抱える全てのものは、私が抱えていればいい。そのまま消えたら、それすらも無くなる。誰に知られることもない。そんなこと少し考えたら分かることなのに、私は大馬鹿だ。


 響から何度も謝りのLINEがくる。私はもういいよって、お母さんも響さんに言い過ぎた、声を荒げてしまってごめんなさいって、言ってたよってその度に言ってるのに何度もくる。響だってきっと傷付いてるのに。それも、私の為に。


 人は群れをなして生きていく生き物だ。どんな綺麗事を並べたって、人は人と関わらなければ生きていけない。でも、その一人一人にはちゃんと心もあって、誰かを思う気持ちや何気ないひとことが、時に呪いになったり救いになったりするものだと、私は知った。生きることって、しんどいし、難しい。でも、だからこそ人は生きる意味みたいなものを見つけた時に心が大きく波を打ち、そのかたちのないものを、感情を、愛する人を、大切にしようと思えるのじゃないだろうか。


 くらげになりたい私が、今になってそんなことに気付いた。なんか、笑える。 


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