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くらげの足跡は瑠璃色の空へと続く。  作者: 深海かや
第二章 波の狭間に見据える未来
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第五話

 学生達は一斉に 夏休みに入ったということもあって、平日だというのに水族館は混んでいた。照明の絞られたその中を、水槽から放たれた青白い光を受け止めながら僕は海月と歩いていた。「ねぇ、あっちに熱帯魚がいるって」と僕の手を引いて途端に駆け出した海月の声は普段よりも幾分高くて、水槽に手を添えたまま展示されている色鮮やかな魚たちを目を輝かせながらみるその姿は子供のようだった。


「これって映画のやつだよね」


 海月の指を指す先にはイソギンチャクに身を隠しながらも時折すいっと出てきては再びそれに隠れるオレンジ色のちいさな魚がいる。生き物の知識は皆無に等しい僕でもみたことがある魚だった。確か、海月の言う通りこの魚がモデルの映画があった。


「たぶんそうじゃないかな」

「うわぁー、可愛すぎるんだけど。ねぇ、写真撮ってよ。静香に送りたい」


 携帯を手渡された時には海月は顔の傍にピースサインを作っていて、青白い光が海月のくっきりとした顔に影を作り、より綺麗にみえた。チェック柄のブラウスシャツに白いスカート、腰には黒のベルトを合わせた海月の服装はモデルさんのようで、黒シャツにジーンズというカジュアル過ぎる格好で来てしまったことが申し訳なくなる。そのうえ、この服を決めるのにも随分時間がかかってしまい、十時の待ち合わせに十五分も遅刻してしまった。平謝りする僕に「私もさっき着いたばかりだから大丈夫。それに、なんとなく響は遅刻する気がしてたから私も集合時間から少し遅れるように合わせて家を出たからほんとに気にしないで」と笑って許してくれた。


「おっけ、送った」


 海月がそう言ってから程なくして、僕の携帯が震えた。先程撮った写真が貼り付けられている。僕と海月、それから拓馬、静香という四人だけのグループLINEがあり、海月はそこに送ったようだった。


[ニモじゃん!かわいい…!]


 すぐに静香から返信があった。


[デートどう? 楽しんでる?]


 続けざまに静香からLINEが送られてくる。


「幸せだよ。めちゃくちゃ楽しい」


 海月の送った文面がその下に続く。僕は海月の隣にいながらそれを読み、なんだか途端に胸がこそばゆくなった。


「ねぇ、隣に響もいるんでしょ?w  その近距離でのろけんのやめてよw」


 静香から送られてきたそのLINEを最後に僕は携帯を閉じた。もう、これ以上はみていられない。顔が熱を持ち始めているのが自分でもよく分かり、館内が薄暗くて良かったと、ここにきてから一時間以上は経つのに今になって感謝した。


「あっくらげだ!」


 そう言って海月は奥の通路へと走っていく。壁には進行方向を教えてくれる矢印があり、僕たちはそれに沿って館内を進んでいた。ちいさな子供を連れた女の人や僕たちと同じ年くらいの学生達、家族連れ、大学生くらいのカップルの追い越した先に水槽に手を添えたまま立ち尽くす海月がいた。「海月館内は走ったら危ないよ。子供にみられてたし」と声をかけるが、海月からの返事はなかった。


「くらげ綺麗だね」


 筒状のガラス製の水槽の中には、かさを動かしながらふわふわとそれの中を揺蕩(たゆた)うくらげがいた。透明なその身体が、青や紫といった照明のひかりを吸い込んで水の中で花弁を開いているみたいだった。


「なんか、花みたいだ」

「うん」

「綺麗だね」

「うん」


 海月は、悲しげな、それでいて幸せそうな不思議な笑みを浮かべて言った。


 「くらげはさ、生と死の境界線が曖昧なんだって。理由は別にあるんだけど、それだけじゃなくて透明なその身体が私達にそう思わせるのかもね。生きているのか、死んでいるのか分からない。でも、みてよ」と海月はそれに目を向ける。


「確かに生きてる。生きてるんだよ」


 か細く、ちいさな声だった。寸前まで子供のようにはしゃいでいた海月が、その存在や身体の輪郭がいつの間にかぼやけてしまうような、消えて霧散してしまうような、儚さを纏っている。それは、まるで目の前にいるくらげのようだった。


「もういこっか」


 先へと歩むを進めた海月を僕は追いかけていった。それから一時間程かけて水族館を見て回り、館内にあるご飯屋さんで昼食をとった。一歩外に出ると熱されたアスファルトから放たれた温もった空気の塊に一瞬にして覆いかぶさられたかのようだった。頭上には抜けるような空が広がっており、降り注ぐ日の光で身体が熱を持ち始める。


「外はやっぱり暑いね」


 眉より少し上の辺りに手をかざしながら、蝉のあげる産声の中に海月が声を混じえた。


「あの中は涼しかったもんね。今から入っていく人たちが羨ましいよ」


 夏休みの水族館は大盛況のようで入口の自動ドアがひっきりなしに動いている。


「あれ、ラーメン被ってた方が良かったかもね。今頃冷えてるだろうし逆に涼めたかもよ」


 海月がいたずらっぽく笑みを浮かべる。昼食をとっていた時、僕の座っていた席にトレイを手にしていた店員さんがラーメンを溢してしまったのだ。幸い、その数分前に海月が隣に座って一緒に食べようと言ってくれたおかげで事なきを得たのだ。


「そんな訳ないだろ? あれでラーメンなんか被ってたら、油まみれになった身体に我慢出来なくて水族館の動物用のシャワー室に飛び込んでたかもしれない」

「なにそれ。動物用のシャワー室ってそんなのあるの?」

「ごめん、適当に言った。あったらいいなっていう希望的観測」

「響って時々難しい言葉使うよね。それ、余計意味分かんなくなるからやめて」


 他愛もない話をしながら入口のすぐ傍で二人笑い合っていると、僕と海月のちょうど間をすり抜けるようにしてちいさな女の子が駆けていった。ドット柄のワンピースを身に纏い、ツインテールの髪が揺れている。くらげをみたいと言って足早に駆けていった海月を追いかけていた時に、館内ですれ違った女の子だった。女の子が駆けていった先には駐車場があり、ちょうど車のエンジン音が鼓膜に触れた。大丈夫なのだろうかと目を向けると赤いカバンを肩から下げた女性が「こらっ、ママを置いて走っていかないの」と女の子の手を掴んだ。ほっと胸を撫で下ろした僕はこれからどうしようかと頭の中で考えを巡らせた。今日は、水族館に行くという事以外何も決めていなかった。時刻はお昼の一時くらいだし、解散するには早い気もする。


「海月、今からどうする?」


 顔を向けた時には、隣にはいなかった。寸前までそこにいた海月は足早に歩みを進めていった。その先には先程の女性と女の子がいる。それから女性の前で立ち止まると、海月は「この子をちゃんとみていてあげて下さい」と言った。知り合いなのだろうかと一瞬思ったが、女性の表情からそうではないのだとすぐに分かった。


「なんですか、あなた」

「だからこの子をちゃんとみていてあげて下さい」


 女性は目を大きく見開いたまま丸くし、女の子は不思議そうな顔で海月を見上げていた。海月とその女性の間に満ちる空気は和やかなものではないとすぐに分かり、僕は咄嗟に駆け寄った。


「確かにこの子が水族館から駆け出していったのは、目を離してしまった私の責任です。でも、見ず知らずのあなたにそんな剣幕で言われる筋合いはないと思いますけど」

「見ず知らずだとか、知り合いだとか、そんな事はどうでもいいんです。自分の子供を守ってあげるのは親としての責任なんじゃないですか?」


 海月は言葉尻を丁寧に取り繕いながらも、じりじりと女性との距離を詰めていく。その眼差しはとてもつめたくて、そんな表情を纏っている海月を僕は初めてみた。


「海月、ちょっと落ち着いて」


 肩に手を添えながら言った。確かにあのまま女の子が駐車場の中にまで入っていたら危なかったかもしれない。だが、その手前で女性はちゃんと女の子の手を掴んでいた。女性の言うようにそんな剣幕で言うようなことだろうか。他人の子供の為に、その小さなミス一つを見ず知らずの人間に詰め寄ることが出来るものなのだろうか。少なくとも、僕には出来ない。海月は正義感がかなり強いのかもしれないと考えていると「あなたは甘いです」と更に吐き捨てるように女性に言った。


「どんな日常にも危険は潜んでます。今みたいに子供は無鉄砲にどんな所にだって走っていきますよ? 子供は見るもの全てが新鮮で、感性が研ぎ澄まされているんです。そんな子供を危険から遠ざけるのが親の務めだと私は思いますけど」

「そんな事は、私だって分かっています。あなたのような若い子に言われるまでもないです。あなた、何歳? みたところ十代にみえるけど、よくも抜け抜けと大人に向かってそんな偉そうな事言えるわね」

「私が若いかどうかは関係ありません。響、ごめん。ちょっと待ってて」


 肩に添えていた手を降ろされて、僕はかける言葉を見失った。


「とにかく、この子が大人になるまで絶対に目を離さないであげて下さい」

「本当にしつこいわね。分かったわ。今回の事は私が悪かった。もう、いいかしら?」


 疑問で問い掛けながらも女性は既に僕たちから背を向けていた。肩から伸びた手は女の子の手を掴んでいる。その背に、先程よりも声量をあげて海月が「待ってっ!」と声を放った。


「子供に及ぶ可能性のある危険は車だけではありません。たとえば、人。誘拐される可能性だってあるんです。その子から、絶対に目を離さないで」


 女性は一瞬だけ足を止めたが振り返ることなく再び歩みを進め、駐車場の向こうへと消えていった。海月は、その姿がみえなくなるまでずっと視線を貼り付けていた。

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