第四話
瞼を開けると強い光が差し込んできた。
目覚まし用にと開けていたが肌を突き刺すような日差しは寝起きの身体には余計に煩わしく思い、僕はまだぼぅっとする頭でカーテンのブラインドを急いで閉めた。途端に部屋の中は薄暗くなる。
今日は海月と二人で水族館へと遊びにいくことになっている。楽しみだったはずなのに、心の中は少しだけ雲っていた。昨日のおばあちゃんの言葉がずっと胸の中に残っていたからだ。
僕はどうしたらいいんだろう。
海月のことが好きだ。人としても、異性としても。だからこそ、もし海月が何かで悩んでいるなら力になりたいがその方法が思い浮かばない。
もやもやとした気持ちを抱えながら胸元までかけていたブランケットを足元に落とし、一階のリビングへと降りた。
テーブルの上には、既に僕の分の朝食が並べられており、向かいの席ではコーヒーを啜りながら新聞を読む父の姿があった。おはようと声をかけると、新聞の上からちらりと顔を覗かせた。眼鏡がよく似合う父は新聞が愛読書だ。
ぼぅっとしながらトーストを咀嚼する。丸皿に添えられたバターを乗せて一緒に食べると、ふわりと甘みのある油の味が広がった。
「あら、どうしたの?」
シンクを片付けていた母がコーヒーを片手に父の隣に腰を下ろした。
「え、何が?」
「あなた最近ずっと楽しそうにしてたのに、また暗い顔をしてるから。何か悩み事?」
僕は目を丸くして、つくづく母親というものは恐ろしいなと思った。ぱっと顔をみただけで僕に悩みがある事を一瞬で見抜いてきた。それに、楽しそうにしていたというのはいつからだろうか。海月と出会ってからなのか。
隠し事なんて出来たものじゃないなと僕は思った。手にしていたトーストを丸皿の上に置く。伏し目がちに、母とトーストとを交互に視線を彷徨わせながら、小さな声で問いかけた。
「いや……僕がって言うよりかは、友達なんだけど。もし友達が悩みを抱えていることを知ってて、しかもそれを聞きだしたらいけない状況の時、お母さんならどうする?」
「そんなの簡単よ」
僕の問い掛けに間髪入れずに返す母に再び意表を突かれた。そんなに簡単なものなのだろうか。僕には、この問いの答えがさっぱり分からなかったのに。柔らかな笑みを浮かべた母は僕を真っ直ぐにみつめる。
「その子が男の子なのか女の子かお母さんは知らないけどね、答えは同じよ。ただ傍にいてあげるの」
「傍に……いてあげる」
母の言った言葉を噛みしめるように僕は繰り返した。
「そう。その子が抱えている悩みもその大きさもその子にしか分からない。だから、あなたがその子のことを大切に思っていて、同じ分だけその子もあなたのことを思ってくれているなら、いつか必ず話してくれるわ。だから、それまでは何も言わず傍にいる」
リビングから流れていたはずのテレビの音が一瞬消えたように感じた。いや、それだけじゃない。僕の視界が一瞬にして広がり、窓辺に差し込む陽の光が一層明るくなった気すらした。
母の言葉は温かくて、深みがあって、まるでそっと小包に包んで託されたかのようだった。
「父さんも、お母さんの意見に賛成だな」
新聞を折りたたんだ父が母に目をやったあと僕をみる。同じように陽だまりのような笑顔を浮かべて。
すっと、胸のつかえが取れた気がした。
そうなると居ても立っても居られず、トーストを口に突っ込んで、「行ってきます」と二人に言った。
「気を付けていくのよ。」という声を背中で受け止めて、僕は玄関で足早に靴を履き、外へと駆け出した。
ふと顔を上げると、抜けるような空が広がっていた。まるで僕の心の中を表すかのように。




