第十四話
「こんな事面と向かって言うの凄く恥ずかしいんだけどさ、今日はほんとにありがとね。響がずっと傍にいてくれたから静香に謝る勇気を貰えた気がする」
「大丈夫だって言ったろ? 海月はちょっと繊細なのかもね。気にしすぎなところがあるかも。でも、今日は本当に良かったよ」
「うん」
夜の帳が降りる中、僕は海月と二人で歩いていた。前日の謝罪の為、放課後に三人でおばあちゃんの家を訪れたが、話が盛り上がりすぎて気付いた頃にはすっかり日が沈んでしまっていた。静香は迎えに来た母親とご飯を食べに行くらしく駅前で別れた。時間も時間なので、女の子一人で帰るのは危ないだろうと思い、僕は海月に「送っていくよ」と言った。
考えてみれば、海月と横並びになって二人で帰るのは初めてだった。夜が溶け落ちた道なりを、等間隔に並んだ街灯が道しるべのように照らしてくれてる。その両端には明かりの灯る民家が並び、テレビの音や人の声と共に家から漏れ出た音が鼓膜に触れる。至る所から食べ物の香りがして、今晩の夕飯は何だろうと思わず考えてしまったりした。
人気のない道を僕たちが足を進める度に生まれた足音が、遠慮気味に小さく鳴る。何を話せばいいのか分からなかった。こういう時、拓馬なら話題に事欠くことはないのだろうなと頭に浮かぶ。
「拓馬、バイト受かったかな?」
ちらりと隣を歩く海月をみると、静かに揺れる髪からのぞく高い鼻梁が目にとまる。横顔までこんなに綺麗なんだと思うと、心がふわふわとした。
「たぶん受かるよ。拓馬ってさ人当たりもいいし見た目も悪くないから海の家なら即戦力になるんじゃない?」
うっすらと笑みを浮かべた海月はすっと視線を前に向けた。夜の闇が、灯る光が、僕たちの制服を白から黒へ、黒から飴色へと染め上げていく。
「ねぇ、響にお願いがあるんだけど」
海月がぴたりと足を止めた。唇が開き何かを言い出そうとはしているが、その度に口が結ばれる。言葉を呑み込んでいるような気がして、僕は「何でも言って」と海月をみつめた。
「あの、ね。もし良かったら、今年の夏休みは出来るだけ毎日一緒にいて欲しいの。勿論、響にも予定があるだろし、無理な日は無理って言ってくれていいから」
唐突に投げ掛けられた言葉に僕は心臓が止まりそうになった。僕の方こそ、この夏の間は海月とずっと一緒にいたいと思っていたのだ。
「全然いいよ。夏休みの予定もないし、むしろ僕の方からお願いしたいくらいだよ」
緊張で上手く舌が回らない。自分の気持ちを正直に伝えようとするとこんなにも平常心を失ってしまうのか。
「ほんと?嬉しい!」
夜を灯す程の眩い笑顔を咲かせた海月は、僕の手を取って子供のようにはしゃいでる。その笑顔をみていると、導かれるように僕の顔からも笑顔が溢れた。
こんなにも変わるものなのかと思った。
ただ民家沿いを歩いているだけなのに、海月といればその時間はかけがえのない大切なものだと思えた。退屈だった毎日は、時が止まっているかのように思えた人生は、今は一瞬ですら惜しい。
何だか胸の辺りがそわそわとし、思わず右手を胸に添える。鼓動がいつもより早い。それは、人生で初めての感覚だった。きゅっと胸が締め付けられ、自然と顔が綻んでしまう程の高揚感で胸の中が一杯だった。不思議な気持ちだと思ったその瞬間、僕はやっと自覚することが出来た。拓馬や静香に言われても今ひとつ腑に落ちなかった事が、今になってやっと胸の中にすとんと落ちた。
僕は、海月に恋をしているんだ、と。
海月の事が好きだ。全てを知りたい。まだ知りあって間もない僕は、海月の事をほとんど知らない。僕たちと出会う前までどんな生活を送ってきたのか、好きな食べ物、好きな飲み物、どんな男の人が好きなのか、何をしている時が一番楽しいのか、何故死のうとしていたのか、僕には見当もつかない。でも、海月にどんな過去があったとしても、二度とあんなことをしようと考えつかないくらい幸せにしてあげたいと思った。
これが、人を好きになるということ。
テレビや漫画、友達との会話で今までに何度も見聞きした話はどれも僕には半信半疑だった。何故なら僕には経験がなかったから。人を好きになったことがなかったからだ。女の子を綺麗や可愛いと思ったことは何度もあった。でも、それ以上はない。好きになるという感覚が分からなかった。でも、僕は今日やっとそれを知ることが出来たのだ。
いつか。
いつか、ちゃんと。
僕の抱いている気持ちを海月に伝えよう。
夜空に浮かぶ月を見上げ、そう決意した。
○
人のことを好きになった時、心の中にもう一人の自分が生まれたような感じがする。私じゃない、もう一人の私は、ただ求めて、欲して、抑えがきかない。その恋が終わる時、乾きに耐えきれず死ぬのだけれど、それまでは、ただ欲望のままに、考え、行動し、私の身体を支配する。
今朝の私は、まさに私であって私じゃなかったように、思う。たどたどしくも、一生懸命に私を慰めてくれる響をみて、きゅっと胸が締め付けられるような気持ちに駆られた。そのあと、触れたいと思った。響の手に。少しだけでもいいから触れたくなった。
そう思った刹那には、私は響の手に触れていた。自分でもびっくりした。男の子の手に自ら積極的に触りにいくなんて、普段の私なら考えつきもしない。響の手は温かった。その手の温もりを胸の中に閉じ込めて、大切にしまって、あぁ私は響のことが好きなんだって思った。
響は私のことをどう思ってくれているんだろう?
出来れば私と同じくらい好きになってくれたら嬉しいな。実ることはない恋だけど、気持ちが通じ合うことって、奇跡みたいなものだと思うから、最期に私はその奇跡を起こしてみたい。




