噓つきな魔法使い
風が熱砂を巻き上げる。この乾いた砂漠の町に、一人の冷淡な宝石商が住んでいる。
男の名はラティフ。砂粒の海から次々と煌めく鉱脈を見つけ出す才能を持っていた。その優れた嗅覚のために、「石ころを魔法で宝石に変えている」とまで囁かれていた。
ラティフは人を愛したことがない。彼にとって他人は利益をもたらすか否かの二種類だ。
そんな彼が鉄格子の檻の中にいた少女に目を留めたのは、単なる気まぐれのはずだった。
一際視線を惹きつけたのは燃えるような緑眼だ。
(美しい。彼女の瞳に比べれば最高級のエメラルドすら恥じて曇ってしまうだろう)
この地域では珍しい、砂塵よりも細かな金の髪。襤褸切れを纏いながらも華奢な体には気高い活力が満ちている。
「旦那、お目が高い。こいつは予言の力を持つ異国の魔法使いですよ」
下卑た笑みを浮かべた奴隷商人がラティフに擦り寄る。
少女は檻の中で立ち上がり、町の北西を指差した。
「あちらに半日進んだ先、朝陽に伸びる岩の影に『白き女神の吐息』がある。そこに向かいなさい」
「ほう。俺に予言をくれるというわけか」
「貴方は王をも凌ぐ財宝を得るでしょう」」
「お前、名は?」
「私に名はありません」
彼女の瞳に射抜かれた瞬間、ラティフの胸の内でこれまで一度も稼働したことのない歯車が鈍い音を立てて回転を始めた。
檻に触れる。屋敷にあるすべての宝石を手放しても彼女を買い受けるには至らない。
だが、ラティフはなんとしても彼女を手に入れたかった。
馬を走らせること半日。ちょうど朝陽が影を射した先の峡谷を抜けると、ラティフの眼前に小さな白い湖が広がっていた。
未だ誰にも見つかっていない塩湖だ。まさしく白き女神の吐息、水の貴重なこの町で、塩は宝石よりも高値で取引される至宝であった。
(これだけの塩があれば……)
ラティフは密かに真白の結晶を屋敷へ運び、町の富豪に、商店に、訪れたキャラバンに売り捌いて一夜で莫大な財産を築いた。
そして金貨袋を仲買人に叩きつけ、買い受けた少女に「サフル」と名をつけて屋敷に連れ帰る。
あの冷血商人ラティフが奴隷市場で全財産をスッたらしい。そんな噂が町を駆け巡った翌日、ラティフは自身の執務室で頭を抱えていた。
「旦那様?」
サフルが首を傾げると、ラティフは慌てて真顔を作ってみせた。
「……勘違いするな。俺はお前を労働力として買ったわけではない」
「はあ」
「ただ、そこに置いておきたかっただけだ。観賞用として」
(何を言っているんだ俺は! 変態か!)
内心の叫びを押し殺し、彼は震える手で背後に隠していたものを突き出した。塩湖の帰りに見つけたアデニウムの株だった。
不思議そうな顔をしたままサフルは株を受け取ろうとしない。
「これは?」
「砂漠の薔薇と呼ばれている。お前のような者でも愛でやすいだろう」
ただようこそ我が家へと言いたかっただけなのに、使い慣れない優しい言葉がうまく口から出てこない。
しかし、サフルはそんな彼を見てふわりと表情を和らげる。
「ありがとうございます、旦那様。大切に育てます」
ラティフの心臓が早鐘を打った。やがて咲く花も君の美しさには敵わないだろう。内心の賛辞はやはり言葉にならなかった。
一方、アデニウムを受け取ったサフルの内心はといえば。
(何なの、この男。冷血商人って聞いてたのにチョロすぎ)
サフルの正体は遠い異国のしがない占い師だった。旅の最中に砂漠で主人とはぐれ、行き倒れていたところを奴隷商人に拾われたのだ。
彼女の予言は奴隷商人が適当にこしらえた売り文句に過ぎない。ラティフが塩湖に辿り着いたのは、単なる偶然であり、一目惚れが成した奇跡でもあった。
(適当な金持ちに買い受けさせて、檻から出たらさっさとトンズラする計画だったけど。まさか全財産を注ぎ込むとはね)
とんだ色好きだと呆れながらも、サフルは健気な奴隷のように微笑んでみせるのだった。
それから二人の生活が始まった。
ラティフは生まれて初めてできた「愛する者」への振舞い方が分からず四苦八苦していた。
「サフル、お前の食事だ」
乱暴に置かれるのは最高級の羊肉と新鮮な果物。
「風邪など引かれたらお前の価値が下がるじゃないか」
肩にかけられるのは軽くも温かい最高級の毛布。
まるで初恋に落ちた少年のような不器用さにサフルもつい毒気を抜かれてしまう。
(……一向に予言を頼んでくる様子がないわね)
サフルは戸惑っていた。扱いが良いのはラティフが自分を本当に「予言の宝石」だと思っているから。そう考えていた。なのにラティフはただ妻を娶った夫のように彼女に接するのだった。
ある酷暑の昼下がり、アデニウムに水をやりながら、暑さに耐えかねたサフルは雨を求めて天気を占った。
(あ。雨季でもないのに雨が続きそうだわ。あの男に伝えてあげたほうがいいかしら)
雨水を溜めるべく使用人を集めて屋敷中の壷や瓶を庭に出していると、商談から帰ってきたラティフが慌てて近づいてくる。
「サフル、お前がそんな力仕事をする必要はない!」
「ねえ、旦那様。明日から雨が降りますわ」
「何? ……確かに、言われてみれば雨の匂いがするな」
「皆で塩を部屋に運び入れておきましょう」
「分かった。お前たち、頼むぞ」
「は、はい。承知いたしました、ご主人様」
他者を顧みることなく冷淡で知られたラティフが、素直に奥方の言うことを聞き入れて、あまつさえ「頼む」などと宣うとは。あまりの変貌ぶりに使用人たちも困惑するほどだった。
総出で庭に保管していた塩を屋敷の中に運び入れた翌朝、サフルの予言通り砂漠に豪雨が降り注いだ。
塩商人たちの庭では天日干しをしていた塩が溶け、ラティフが見つけた塩湖も雨水の底に沈んでしまう。
この突然の大雨によって、ラティフが一帯の塩の需要を一手に握ることとなったのだ。サフルを買うために使った以上の財産が彼の懐を潤した。
ラティフは興奮してサフルを抱きしめる。
「お前は俺の幸運の女神だ!」
「あ、あはは……そうですね、よかったですね」
(私が予言者じゃないって、バレたら殺されるんじゃないかしら)
その晩、サフルは脱走のチャンスを伺っていた。旅の資金をくすねるためにラティフの執務室に忍び込む。
預かっていた鍵で抽斗を開けようとして、しかし彼女の目に留まったのは題のない書類の束だ。それはどうもラティフの個人的な日記のようだった。
“サフルは東国の果物が好きらしい。次の取引で手配しよう”
“サフルに出会ってからすべての宝石がクズ石に見える。鉱脈が見つからなくなってしまった”
“サフルが笑うと心臓が痛い。病でなければいいのだが”
“サフルが雨を予言してくれるおかげで塩が豊作だ”
“サフルに仕立てた服の肌触りが悪かった気がする。もっと柔らかい絹を扱う商人を探さねば”
“サフルは故郷に帰りたがるかもしれない。せめて俺の贈った花を共に持って行ってくれたら――”
市場で出会って以来、すべてのページに彼女の名前があった。
蒼白い月明かりの下でもなお、サフルの頬は赤く染まっていた。
「バカじゃないの……」
***
砂漠の商人と、嘘つきな魔法使いのお話。双子のアミルとアミラは母親を見上げて緑の瞳を輝かせた。
「おかあさん。まほうつかいはにげちゃったの?」
「二人は結局、幸せに暮らしたそうよ」
「まほうつかいはしょうにんがすきだったの?」
「それはね、」
母親の言葉を遮るように扉が開かれて、不愛想な壮年の男が部屋に入ってくる。
「二人とも、まだ起きてるのか。そろそろ部屋に帰りなさい」
「はぁい」
「おとうさんってば、おかあさんをひとりじめしたいんだよ」
「アミラ!」
くすくすと笑いながら駆けてゆく双子にため息を吐きつつ、父親は照れくさそうに妻を見る。
「何の話をしてたんだ?」
窓際に飾ったアデニウムの花束を手にとる。古くはすでに枯れて色褪せた花、この春に咲いたばかりの鮮やかな花、年月と共に数を増やし、大きくなった彼女の宝物。
「……それはね、私だけが知ってる秘密のお話」
顔を近づければ嗅ぎ取れる微かで優しく甘い香りを感じながら、サフルは嬉しそうに微笑みを見せるのだった。




