第4話 騎士団の装備崩壊と、聖女の誤算
翌朝。
開店と同時に、サイラス様がやってきました。
昨日と同じ黒ずくめの格好ですが、手には小さな麻袋を持っています。
「約束の品だ」
彼がカウンターに置いた袋を開けると、中にはふわりと青白く発光する微粒子が詰まっていました。
間違いありません。最高品質の「ヒカリゴケの胞子」です。
しかも、湿気で固まらないよう、乾燥した木の葉で包んである気遣いまで。
「素晴らしいです! これだけあれば、一年分の触媒になります!」
「……たかが苔で、大袈裟な」
「いいえ、市場に出回っているのは胞子が潰れた死骸ばかりですから。この鮮度は、ダンジョン直送便でしか手に入りません」
私が拡大鏡で胞子の輝きにうっとりしていると、サイラス様が「ふん」と鼻を鳴らし、カウンターに一枚の紙を広げました。
王都から届いたばかりの新聞です。
「それより、これを見ろ」
「新聞ですか? 辺境の相場情報は……」
「一面だ」
彼の太い指が示した先。
そこには、衝撃的な見出しが躍っていました。
『王国騎士団、ゴブリン討伐でまさかの敗走 〜聖女の祈り届かず、負傷者多数〜』
私は瞬きをして、記事を読み込みました。
場所は王都近郊の森。
出現したのは、騎士団にとっては準備運動レベルの「ゴブリンの群れ」。
ですが、記事には騎士たちの悲痛なコメントが載っています。
『急に鎧が鉛のように重くなった』
『剣が豆腐のように切れなかった』
『聖女様の結界が、なぜか発動しなかった』
結果、騎士団は総崩れ。
幸い死者は出なかったものの、多くの騎士が骨折や打撲を負って撤退したそうです。
団長のジェラルド様は「武器の不具合だ! 業者が不良品を納入した!」と激怒しているとか。
「……なるほど」
私は納得して、顔を上げました。
予想通りです。
いえ、予想よりも少し早いですね。
「原因が分かるか?」
サイラス様が、試すような目で私を見ています。
私は新聞を畳み、手元の胞子をガラス瓶に移し替えながら答えました。
「簡単なことです。『潤滑切れ』と『目詰まり』ですね」
「……詳しく聞こう」
彼は興味津々といった様子で、カウンターの前の丸椅子に座り込みました。
どうやら長話になりそうです。
私は棚から、昨日仕込んだばかりの「ポーションの出がらし茶」を二つ用意しました。
「まず、鎧が重くなった件ですが。彼らの鎧は、防御力を高めるために『ミスリル合金』を多用しています。硬いですが、金属同士の摩擦係数がものすごく高いんです」
「ああ、動くたびにギシギシ鳴るあれか」
「はい。なので私は毎晩、関節部分に特製の『ワイバーンオイル』を塗布していました。ワイバーンの皮下脂肪を精製した、摩擦をほぼゼロにする潤滑油です」
これを塗ると、重装備でも羽のように軽く動けます。
ただし、揮発性が高いのが欠点。
効果は持って一週間。
私が王都を出て、ちょうど一週間が経ちました。
「今頃、彼らの関節は錆びついた扉のように硬くなっているはずです。ゴブリンの素早い動きには、とてもついていけないでしょうね」
「……次。剣が切れなかった理由は?」
「それは昨日、サイラス様の剣を直したのと同じ理屈です。使用後の『脂抜き』をしていませんから。加えて、私が毎朝行っていた『微細研磨』もなくなりましたし」
私は彼らの剣を、毎朝ダイヤモンドダストで磨き上げていました。
肉眼では見えないレベルの刃こぼれを修正し、切れ味を維持していたのです。
それをやめれば、数回の戦闘で刃はボロボロになります。
「最後に、聖女様の結界不発ですが……これが一番お粗末ですね」
私はため息をつきました。
ミア様の聖魔法は強力ですが、燃費が悪いのです。
だから、補助として「光魔石の杖」を使っています。
「魔石というのは、空気中の汚れを吸着しやすいんです。表面が少しでも曇ると、魔力の放出量はガクンと落ちます。私は毎日、専用のクリーナーで魔石を拭いていました」
「……つまり、聖女の祈りが届かなかったのは、信仰心の問題ではなく?」
「単に杖のレンズが汚れていただけです。メガネが曇って前が見えないのと同じですね」
説明を終えると、サイラス様は呆れたように天を仰ぎました。
そして、出されたお茶を一口飲み、渋い顔をします。
「……味はともかく、話は分かった。だが、疑問が残る」
「なんでしょう?」
「なぜ騎士団や聖女は、お前のしていたメンテナンスに気づかなかった? 整備班もいるだろう」
もっともな疑問です。
私は苦笑して、自分のポーチから拡大鏡を取り出しました。
「彼らが見ているのは、これではないからです」
私は、店に置いてある普及品の「鑑定レンズ」を指差しました。
王国の公的機関で採用されている、古代遺物の複製品です。
「あのレンズが表示するのは『攻撃力』や『防御力』といった、カタログスペックだけです。『関節の滑らかさ』や『魔石の透明度』なんて項目はありません」
「……数値に出ない部分は、無視されると?」
「ええ。ジェラルド様はいつも言っていました。『数値は下がっていない、まだ新品同様だ』と。私が夜なべして油を差していることも知らずに」
だから、彼らは今も混乱しているはずです。
鑑定レンズで見れば、鎧も剣も「正常」と表示されるのですから。
「数値は正常なのに、なぜ動かないんだ!」と叫ぶジェラルド様の姿が目に浮かびます。
サイラス様は深く息を吐き、新聞をカウンターに叩きつけました。
「滑稽だな。数値に踊らされ、実態を見ようとしないとは」
「彼らにとって、素材は『最初から完成しているもの』なんです。手入れをして育てるものだとは、思いもしないのでしょう」
私はヒカリゴケの瓶を棚に並べました。
薄暗い店内で、青白い光が蛍のように瞬きます。
綺麗です。
泥を落とし、手間をかければ、どんなものでも輝くのに。
「まあ、私にはもう関係のない話です。手切れ金も頂きましたし、アフターサービスを行う義務はありませんから」
きっぱりと言うと、サイラス様は口元をわずかに緩めました。
初めて見る、微かな笑みでした。
「そうだな。お前はここで、俺の剣を磨いていればいい」
「あ、それとこれとは別料金ですよ? 次はミノタウロスの角をお願いしますね」
「……守銭奴め」
サイラス様は憎まれ口を叩きながらも、その表情はどこか楽しそうでした。
王都の混乱は、まだ始まったばかり。
ジェラルド様たちが「リリアがいない」ことの本当の意味に気づくまで、そう時間はかからないでしょう。
だって、これからもっと大変なことが起きますから。
彼らの装備の「耐久限界」は、とっくに超えているのです。
私は新聞をゴミ箱へ放り込みました。
今は、過去の男の不幸より、目の前の新鮮な胞子の活用法を考える方が、ずっと有意義です。
「さて、サイラス様。この胞子を使った新しい研磨剤、試してみませんか? 剣がピカピカになりますよ」
「……手加減しろよ。溶かすなよ」
平和な辺境の朝。
王都の悲鳴は、ここまでは届きません。
今のところは。




