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追放された令嬢は、辺境で素材屋を営む  作者: 秋月 もみじ


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3/10

第3話 最初の客は顔が怖い


 開店から三日が過ぎました。

 お客様の数は、依然としてゼロです。


 私はカウンターで、暇つぶしに「マンドラゴラの根」の髭を一本一本、毛抜きで整えていました。

 こうすると薬効が高まるのです。地味ですが、心が安らぐ作業です。


 その時。

 カラン、コロン。

 入り口のドアベルが、どこか重苦しく鳴りました。


「いらっしゃいませ!」


 私は弾かれたように顔を上げました。記念すべき第一号のお客様です。

 しかし、入ってきた人物を見て、私は笑顔を少しだけ引きつらせてしまいました。


 ……大きい。

 身長は百八十センチを優に超えているでしょう。

 全身を黒い革鎧とマントで覆い、顔の半分まで襟を立てています。

 何より、纏っている空気が不穏です。

 獲物を狙う猛獣のような、ピリピリとした威圧感。

 近所の子供なら泣き出してしまいそうな「不審者」オーラ全開の男性でした。


(うーん、やっぱり幽霊屋敷に来るような方は、少し訳ありですね)


 男性は無言で店内を見回すと、カウンターの私に鋭い視線を向けました。

 琥珀色の瞳。

 美しいですが、ものすごく睨まれています。


「……店主はどこだ」

「私ですが、何か?」

「……お前が?」


 男性は眉を寄せ、露骨に疑うような目をしました。

 まあ、元貴族令嬢の私が、こんな辺境の道具屋の店主だとは信じられないでしょう。エプロン姿とはいえ、まだ手つきも華奢に見えるはずです。


「冷やかしならお引き取りを。見ての通り、忙しいので」

「客はいないようだが」

「マンドラゴラの髭抜きという重大な業務中です」


 私が真顔で答えると、男性は呆れたように鼻を鳴らしました。

 そして、マントの下から「ある物」を取り出し、カウンターにドンと置きました。


 黒い鞘に収められた、長剣です。

 ただし、ボロボロです。


「直せるか」


 短い問いかけ。

 私は作業の手を止め、その剣を手に取りました。

 ずしりと重い。

 普通の鋼ではありません。これは「黒魔鋼ダークメタル」。魔力伝導率が極めて高い、希少金属です。

 しかし、鞘から抜いてみると、刀身は死んだように灰色にくすみ、刃こぼれも酷い状態でした。


「……ひどい」


 私は思わず呟きました。

 これは、あまりにも可哀想です。


「王都の鍛冶師には『寿命だ』と言われた。魔力が通らず、ただの鉄屑になったとな」

「鉄屑?」


 男性の言葉に、私はカチンときました。

 私はポーチから愛用の拡大鏡を取り出し、刀身の表面を舐めるように観察しました。

 私の【真眼】が、物質の構造を捉えます。


 刀身の表面を覆う、灰色の膜。

 鑑定レンズを通せば、これはただの「劣化」や「錆」と表示されるでしょう。

 だから王都の職人は匙を投げたのです。

 でも、違います。


「これ、ただ汚れているだけですよ」

「……は?」

「ドラゴンの脂ですね。それも、心臓に近い部分の濃厚な血液が混じった脂。斬った時に浴びて、そのまま放置したでしょう?」


 私が指摘すると、男性の目がわずかに見開かれました。


「……三ヶ月前、赤竜ロードを斬った」

「その時です! ドラゴンの血脂は冷えると絶縁体になるんです。それが何層にも重なって、魔力の通り道を塞いでいるだけ。人間で言えば、毛穴に汚れが詰まって呼吸できていない状態です!」


 私は憤慨しました。

 こんな名剣を、ただの汚れで捨てるなんて。

 道具への愛が足りません。


「直せますか? いえ、直します。私が我慢なりません」

「おい、待て。魔法も使わずにどうやって……」


 男性の制止も聞かず、私はカウンターの下から大きなガラス瓶を取り出しました。

 中に入っているのは、蛍光グリーンのドロドロした液体。

 蓋を開けると、ツンとした刺激臭が漂います。


「特製クレンジング液です。別名、『スライムの胃液(濃縮版)』」

「なっ……!?」


 男性が絶句する前で、私は躊躇なく名剣をドボンと液体に沈めました。

 ジュワワワワワッ!

 派手な音と共に、白い煙が立ち上ります。


「貴様! 俺の剣を溶かす気か!」

「暴れないでください! 今、汚れを浮かせているんです!」


 男性がカウンター越しに身を乗り出してきますが、私は空いた手で彼を制しました。

 見ていてください。

 液体の色が、緑から徐々に黒く濁っていきます。

 それは、刀身にこびりついていた頑固な脂が溶け出した証拠。


 三分後。

 泡立ちが収まったのを見計らって、私はトングで剣を引き上げました。

 そして、中和剤を含ませた布でサッと拭き上げます。


「はい、終了です」


 そこに現れたのは、濡れたような漆黒の刃。

 先ほどまでの灰色が嘘のように、深い闇色の輝きを放っています。

 私が指先で軽く弾くと、キィン……と澄んだ音が店内に響き渡り、剣自体が喜んでいるかのように微弱な魔力を帯びました。


「……馬鹿な」


 男性は剣を受け取ると、信じられないものを見る目で凝視しています。

 軽く魔力を流したのでしょう。刀身がブォンと空気を震わせ、紫電が走りました。

 以前よりも、魔力の通りが良くなっているはずです。


「新品……いや、それ以上の反応だ。鍛え直したわけでもないのに、なぜ……」

「お風呂に入ってサッパリしただけですよ。日々のメンテナンスを怠るからこうなるんです。次からは、使った後に必ず熱湯で油抜きをしてくださいね」


 私が小言を言うと、男性はバツが悪そうに視線を逸らしました。

 あの強面が、先生に怒られた生徒みたいです。

 ふふ、少し可愛いところがありますね。


「……分かった。礼を言う」


 男性は懐から、ジャラリと重そうな革袋を取り出しました。

 中身を確認しなくても分かります。金貨です。それもかなりの枚数。


「相場の倍は払う。これだけの腕だ、釣りはいらん」

「いりません」


 私は即答して、革袋を押し返しました。

 男性が怪訝な顔をします。


「不足か?」

「お金はもう、一生分持っていますので」

「では何を望む」


 私はニッコリと笑い、店の奥の地図を指差しました。

 ここから北へ半日ほどの場所にある、中級ダンジョン。


「このダンジョンの地下三階、湿気の多いエリアに『ヒカリゴケ』という発光する苔が生えていますよね?」

「……ああ。魔除けの松明に使われるやつか」

「あれの『胞子』が欲しいんです。群生地の中心にある、一番大きな苔から取れる胞子。あれ、すごくいい出汁が出るんですよ」

「……出汁?」

「はい。錬金術の触媒として最高なんです。でも、私のような非力な一般人には取りに行けなくて」


 市場では安値で取引されていますが、鮮度が命。

 この男性の装備と、今の剣技を見る限り、彼にとってあのダンジョンは散歩コースでしょう。


 男性はしばらく私を凝視していました。

 金貨数十枚の価値がある仕事を、苔の胞子(市場価格:銅貨数枚)で請け負う変人。

 そう思われている自覚はあります。


「……変わった女だ」

「リリアです。素材屋ですので、素材で支払っていただけると助かります」

「俺はサイラスだ」


 サイラス様。

 彼は黒いマントを翻し、背を向けました。


「明日の朝、持ってくる。……店を開けておけ」

「はい、お待ちしております!」


 カラン、コロン。

 ドアベルの音と共に、嵐のようなお客様は去っていきました。


 私はカウンターに残されたマンドラゴラに向き直り、ふぅと息を吐きました。

 怖そうな方でしたが、剣の扱いを見る限り、悪い人ではなさそうです。

 何より、あんなに素晴らしい「黒魔鋼」を使いこなせるなんて。


(素材の提供元としては、優良物件かもしれません)


 明日、彼が持ってきてくれる苔の胞子が楽しみです。

 もしかしたら、この店も少しずつ賑やかになるかもしれませんね。


 ……その時の私はまだ知りませんでした。

 彼が置いていった「ツケ」が、単なる苔だけでなく、大陸中のSランク冒険者たちを引き寄せる「行列の種」になることを。

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