第3話 最初の客は顔が怖い
開店から三日が過ぎました。
お客様の数は、依然としてゼロです。
私はカウンターで、暇つぶしに「マンドラゴラの根」の髭を一本一本、毛抜きで整えていました。
こうすると薬効が高まるのです。地味ですが、心が安らぐ作業です。
その時。
カラン、コロン。
入り口のドアベルが、どこか重苦しく鳴りました。
「いらっしゃいませ!」
私は弾かれたように顔を上げました。記念すべき第一号のお客様です。
しかし、入ってきた人物を見て、私は笑顔を少しだけ引きつらせてしまいました。
……大きい。
身長は百八十センチを優に超えているでしょう。
全身を黒い革鎧とマントで覆い、顔の半分まで襟を立てています。
何より、纏っている空気が不穏です。
獲物を狙う猛獣のような、ピリピリとした威圧感。
近所の子供なら泣き出してしまいそうな「不審者」オーラ全開の男性でした。
(うーん、やっぱり幽霊屋敷に来るような方は、少し訳ありですね)
男性は無言で店内を見回すと、カウンターの私に鋭い視線を向けました。
琥珀色の瞳。
美しいですが、ものすごく睨まれています。
「……店主はどこだ」
「私ですが、何か?」
「……お前が?」
男性は眉を寄せ、露骨に疑うような目をしました。
まあ、元貴族令嬢の私が、こんな辺境の道具屋の店主だとは信じられないでしょう。エプロン姿とはいえ、まだ手つきも華奢に見えるはずです。
「冷やかしならお引き取りを。見ての通り、忙しいので」
「客はいないようだが」
「マンドラゴラの髭抜きという重大な業務中です」
私が真顔で答えると、男性は呆れたように鼻を鳴らしました。
そして、マントの下から「ある物」を取り出し、カウンターにドンと置きました。
黒い鞘に収められた、長剣です。
ただし、ボロボロです。
「直せるか」
短い問いかけ。
私は作業の手を止め、その剣を手に取りました。
ずしりと重い。
普通の鋼ではありません。これは「黒魔鋼ダークメタル」。魔力伝導率が極めて高い、希少金属です。
しかし、鞘から抜いてみると、刀身は死んだように灰色にくすみ、刃こぼれも酷い状態でした。
「……ひどい」
私は思わず呟きました。
これは、あまりにも可哀想です。
「王都の鍛冶師には『寿命だ』と言われた。魔力が通らず、ただの鉄屑になったとな」
「鉄屑?」
男性の言葉に、私はカチンときました。
私はポーチから愛用の拡大鏡を取り出し、刀身の表面を舐めるように観察しました。
私の【真眼】が、物質の構造を捉えます。
刀身の表面を覆う、灰色の膜。
鑑定レンズを通せば、これはただの「劣化」や「錆」と表示されるでしょう。
だから王都の職人は匙を投げたのです。
でも、違います。
「これ、ただ汚れているだけですよ」
「……は?」
「ドラゴンの脂ですね。それも、心臓に近い部分の濃厚な血液が混じった脂。斬った時に浴びて、そのまま放置したでしょう?」
私が指摘すると、男性の目がわずかに見開かれました。
「……三ヶ月前、赤竜ロードを斬った」
「その時です! ドラゴンの血脂は冷えると絶縁体になるんです。それが何層にも重なって、魔力の通り道を塞いでいるだけ。人間で言えば、毛穴に汚れが詰まって呼吸できていない状態です!」
私は憤慨しました。
こんな名剣を、ただの汚れで捨てるなんて。
道具への愛が足りません。
「直せますか? いえ、直します。私が我慢なりません」
「おい、待て。魔法も使わずにどうやって……」
男性の制止も聞かず、私はカウンターの下から大きなガラス瓶を取り出しました。
中に入っているのは、蛍光グリーンのドロドロした液体。
蓋を開けると、ツンとした刺激臭が漂います。
「特製クレンジング液です。別名、『スライムの胃液(濃縮版)』」
「なっ……!?」
男性が絶句する前で、私は躊躇なく名剣をドボンと液体に沈めました。
ジュワワワワワッ!
派手な音と共に、白い煙が立ち上ります。
「貴様! 俺の剣を溶かす気か!」
「暴れないでください! 今、汚れを浮かせているんです!」
男性がカウンター越しに身を乗り出してきますが、私は空いた手で彼を制しました。
見ていてください。
液体の色が、緑から徐々に黒く濁っていきます。
それは、刀身にこびりついていた頑固な脂が溶け出した証拠。
三分後。
泡立ちが収まったのを見計らって、私はトングで剣を引き上げました。
そして、中和剤を含ませた布でサッと拭き上げます。
「はい、終了です」
そこに現れたのは、濡れたような漆黒の刃。
先ほどまでの灰色が嘘のように、深い闇色の輝きを放っています。
私が指先で軽く弾くと、キィン……と澄んだ音が店内に響き渡り、剣自体が喜んでいるかのように微弱な魔力を帯びました。
「……馬鹿な」
男性は剣を受け取ると、信じられないものを見る目で凝視しています。
軽く魔力を流したのでしょう。刀身がブォンと空気を震わせ、紫電が走りました。
以前よりも、魔力の通りが良くなっているはずです。
「新品……いや、それ以上の反応だ。鍛え直したわけでもないのに、なぜ……」
「お風呂に入ってサッパリしただけですよ。日々のメンテナンスを怠るからこうなるんです。次からは、使った後に必ず熱湯で油抜きをしてくださいね」
私が小言を言うと、男性はバツが悪そうに視線を逸らしました。
あの強面が、先生に怒られた生徒みたいです。
ふふ、少し可愛いところがありますね。
「……分かった。礼を言う」
男性は懐から、ジャラリと重そうな革袋を取り出しました。
中身を確認しなくても分かります。金貨です。それもかなりの枚数。
「相場の倍は払う。これだけの腕だ、釣りはいらん」
「いりません」
私は即答して、革袋を押し返しました。
男性が怪訝な顔をします。
「不足か?」
「お金はもう、一生分持っていますので」
「では何を望む」
私はニッコリと笑い、店の奥の地図を指差しました。
ここから北へ半日ほどの場所にある、中級ダンジョン。
「このダンジョンの地下三階、湿気の多いエリアに『ヒカリゴケ』という発光する苔が生えていますよね?」
「……ああ。魔除けの松明に使われるやつか」
「あれの『胞子』が欲しいんです。群生地の中心にある、一番大きな苔から取れる胞子。あれ、すごくいい出汁が出るんですよ」
「……出汁?」
「はい。錬金術の触媒として最高なんです。でも、私のような非力な一般人には取りに行けなくて」
市場では安値で取引されていますが、鮮度が命。
この男性の装備と、今の剣技を見る限り、彼にとってあのダンジョンは散歩コースでしょう。
男性はしばらく私を凝視していました。
金貨数十枚の価値がある仕事を、苔の胞子(市場価格:銅貨数枚)で請け負う変人。
そう思われている自覚はあります。
「……変わった女だ」
「リリアです。素材屋ですので、素材で支払っていただけると助かります」
「俺はサイラスだ」
サイラス様。
彼は黒いマントを翻し、背を向けました。
「明日の朝、持ってくる。……店を開けておけ」
「はい、お待ちしております!」
カラン、コロン。
ドアベルの音と共に、嵐のようなお客様は去っていきました。
私はカウンターに残されたマンドラゴラに向き直り、ふぅと息を吐きました。
怖そうな方でしたが、剣の扱いを見る限り、悪い人ではなさそうです。
何より、あんなに素晴らしい「黒魔鋼」を使いこなせるなんて。
(素材の提供元としては、優良物件かもしれません)
明日、彼が持ってきてくれる苔の胞子が楽しみです。
もしかしたら、この店も少しずつ賑やかになるかもしれませんね。
……その時の私はまだ知りませんでした。
彼が置いていった「ツケ」が、単なる苔だけでなく、大陸中のSランク冒険者たちを引き寄せる「行列の種」になることを。




