第2話 辺境の幽霊物件と「黒い石ころ」
王都を出てから一週間。
乗り継いだ乗合馬車が最後に到着したのは、赤土と岩肌が剥き出しの荒野でした。
ここが大陸東の果て、辺境都市ベルフォート。
王法の加護が薄く、代わりに冒険者ギルドの掟が全てを支配する、実力主義の街です。
「お嬢ちゃん、本当にここでいいのか? この物件は……その、出るぞ」
不動産屋の店主が、引きつった顔で鍵を渡してきました。
私が購入したのは、大通りから一本入った裏路地にある、石造りの二階建て店舗。
元は道具屋だったそうですが、前の持ち主が発狂して逃げ出して以来、十年以上も放置されていた「幽霊物件」です。
おかげで、価格は王都のワンルーム家賃の三ヶ月分。
ジェラルド様から巻き上げた手切れ金の、ほんの一部で買えてしまいました。
「構いません。静かな場所が好きですので」
私は笑顔で鍵を受け取り、店へと向かいました。
重厚な木の扉には、「立ち入り禁止」の札と、魔除けの護符がベタベタと貼られています。
どれも魔力が切れていて、ただの紙屑になっていますが。
ギィ、と重い音を立てて扉を開けます。
途端に、カビと錆、そして淀んだ空気の臭いが鼻をつきました。
「……うわぁ」
店内は、まさにゴミ屋敷でした。
床が見えないほど散らばった鉄屑。割れた瓶。天井から垂れ下がる蜘蛛の巣。
そして、部屋の隅には黒い靄もやのようなものが漂っています。
不動産屋が言っていた「幽霊」の正体でしょう。
普通の人なら悲鳴を上げて逃げ出す光景です。
でも、私は思わずポーチから拡大鏡を取り出し、その「ゴミ」の一つを覗き込みました。
「これ……『古代ミリング鋼』じゃないですか!」
足元に転がっていた赤茶けた鉄屑。
表面はボロボロに錆びていますが、私の【真眼】には見えます。
錆の層の下で眠る、現代の製鉄技術では再現不可能な、強靭でしなやかな結晶構造が。
隣に転がっているカビた小瓶はどうでしょう。
恐る恐るラベルの汚れを拭ってみると、瓶底に残った黒い液体がゆらりと揺れました。
「こっちは『ポーションの原液』!? しかも五十年熟成もの……!」
ポーションは古くなると腐るのが常識ですが、特定の条件下で発酵が進むと、一滴で瀕死の重傷を治す「霊薬エリクサー」に近い成分へと変化します。
この強烈な異臭は、その変化の証。
私は震える手で口元を押さえました。
恐怖ではありません。歓喜です。
「なんてこと……ここはゴミ屋敷なんかじゃありません。宝の山です!」
前の店主さんは、どれだけお宝を溜め込んでいたのでしょうか。
もしかして、価値が分からなくて放置していたのでしょうか。
だとしたら、あまりに贅沢で、そして勿体無い話です。
「すみませーん! ギルドの者だけど!」
私が夢中で鉄屑を拾い集めていると、開けっ放しの扉から声がしました。
振り返ると、革鎧を着た強面の男性が立っています。ギルドの職員証を下げていました。
「あんた、ここの新しい持ち主か? 悪いことは言わねえ、すぐに引き返せ。ここは『呪い』が溜まりすぎて、近寄るだけで体調を崩すって噂だ」
彼は顔色を悪くして、一歩も中に入ろうとしません。
確かに、部屋の隅の黒い靄は、一般の人には「呪い」として作用するでしょう。
高濃度の魔力が循環せずに滞留し、腐敗して瘴気しょうきになっている状態です。
「ご忠告ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
私はエプロンのポケットから、空のガラス瓶を取り出しました。
そして、黒い靄の方へ歩み寄ります。
「お、おい! 触ると死ぬぞ!」
「いいえ、ただの魔力詰まりです。換気扇の油汚れみたいなものですね」
私は瓶の蓋を開け、靄の中心にある「核」のような淀みを、ピンセットでひょいと摘まみました。
それを瓶に入れて蓋を閉めると、部屋中に充満していた重苦しい空気が、嘘のように晴れていきます。
「……は?」
職員さんが口をあんぐりと開けています。
瓶の中で黒い靄は暴れていますが、これは後で薄めて肥料にすれば、素晴らしい栄養剤になります。捨てるところなんてありません。
「さあ、掃除の続きをしないと。商品にするには、少し手間がかかりそうですから」
私は呆然とする職員さんに会釈をして、扉を閉めました。
これからが本番です。
私は徹夜で作業に没頭しました。
錆びた剣を特殊な酸に漬け込み、腐ったような液体を蒸留し、泥だらけの鉱石を磨き上げる。
王都の屋敷では「汚いからやめなさい」と禁止されていた作業の数々。
それが今、誰にも邪魔されずにできるのです。
翌朝。
朝日が差し込む店内は、見違えるように整頓されていました。
棚には新品同様に輝く剣や、澄んだ色の液体が入った瓶が並んでいます。
そして、カウンターの一番目立つ場所には、例の「石ころ」を飾りました。
一週間かけて泥とカルシウムの被膜を溶かし、丁寧に研磨したその姿。
もはや石ころではありません。
直径五センチほどの、深い緑色の宝玉。
その中心には、爬虫類を思わせる縦長の瞳孔が、黄金色に輝いています。
Sランク素材「ドラゴンの瞳」。
ただそこにあるだけで、周囲の空気をピリリと震わせるほどの魔力。
これを加工できる職人は、今の王国には私以外にいないでしょう。
「うん、いい眺め」
私は満足げに頷き、店の看板を書き上げました。
『アークライト素材店』。
なんのひねりもない名前ですが、中身で勝負です。
私は扉を開け、看板を表に掛けました。
通りの向こうで、昨日の職員さんがこちらを見て、また驚いた顔をしています。
さあ、開店です。
王都ではゴミ扱いされた私が、自分の価値を証明するための戦場。
……そう意気込んだものの。
「いらっしゃいませー……」
お昼になっても、夕方になっても。
お客様は、一人も来ませんでした。
……まあ、そうですよね。
十年以上も「幽霊屋敷」と呼ばれていた場所に、いきなり入ってくる物好きなんて、そうそういるはずがありません。
私はカウンターで頬杖をつき、美しく磨き上げたドラゴンの瞳を見つめました。
「君の価値が分かる人、どこかにいないかしらね」
その言葉がフラグになったことに気づくのは、もう少し先の話です。




