第7話 入植線引き──耕作と鍛冶のルート
朝の鍵を胸の前で回す。世界の紙が音もなく剥がれ、倉庫が肩口からすべるように寄ってくる。
《在庫:生成スロット 本日1/1
候補:号令板(旗信号・遠距離合図)/当番札ケース(紛失減少・列速度+4%)/測界縄(境界可視化・流路最適化・踏圧予測)》
――測界縄。
今日やるべきことに、これ以上の候補はない。僕はうなずき、指先で歯を撫でると、棚の奥から細長い木箱が滑り出た。蓋の裏には、簡潔な刻字。
測界縄:縄を張り、舌を半目起こせば、人と水の流れが淡光で見える。
効果:境界線の納得形成/路線の踏圧分散/水はけの改善
副作用:長時間の直視で目まい(特に高地)
中には、麻色の縄が二条。ところどころに透き通った珠が嵌め込まれている。端には小さな金具の舌。握ると、手の中で微かな振動が走った。
箱の底には、薄い板が一枚。「境界の作法」。線は引くためでなく、共有するために引く――と、最初に書いてある。僕はその一文が気に入った。
在庫ログ#0007:測界縄・二条配備
目的:入植の線引き/畑路・鍛冶路の最適化/衝突回避
手順:四隅に杭→縄を張る→舌1/2→淡光の流れを確認→公開帳簿へ図化
副作用:目まい(高地・連続注視)
責任者:リオ/共同責任者:ガロン・マーグ
◇
砦の中庭に板を広げ、公開帳簿の下に「入植台帳」の紙を増やす。左に名、右に希望地、さらに右に役――耕す、鍛つ、繕う、見張る、運ぶ。読めない者には横で読み書き盤を当てる。
ガロンは棒で砂地に大きな四角を描いた。「ここが谷の腹。北は水路、南は墓地。風下はここ。鍛冶は風下に置け。畑は上手の緩い斜面」
マーグが手を挙げる。「牛は?」
「牛路は畑の外。踏圧は敵だ。測界縄で見える。見えるものは避けられる」
縄の端を四人で持ち、北の斜面へ。
僕は舌を半目起こし、縄を張る。淡い光が、珠から珠へゆっくり走る。
――地面の上に、薄い流れが見えた。人が通う道は濃く、子どもが遊ぶ輪は細く、牛が曲がる角は丸い。未来の踏み跡が、まだ誰も踏んでいない土の上に浮かんでいる。
リロが目を丸くした。「道が先にある……」
「踏圧予測。この縄は、地の癖と人の癖を拾う。線は、癖を無理に曲げず、受けて引く」
畑路はふた筋。鍛冶路は風下の低い筋へ。住宅は騒がしさから半刻歩いた高台に網目で。市への主動線は灯の縫い目と合うように。
僕は板に図を写し、公開帳簿の隣に釘で打つ。
ガロンが短く頷いた。「列は主動線に沿う。曲がれの号令は標ごと」
マーグは腕を組みながら、畑の角で帽子を外した。「ここに井戸をもう一つ掘りたい」
「水脈は?」
「昔、父が耳で聞いたと言っていた。土の音でわかったって」
僕は縄を井戸候補の周りで小さく円にしてみる。珠の光が、一点で留まる。
――ここだ。
「土が響いてる」
マーグは帽子を深くかぶり直し、声を少しだけ低くした。「なあ、リオ。お前さんの縄、争いを呼ばないか」
「呼ぶこともある。だから作法が先だ」
僕は箱の板を取り出し、みんなに見せた。
1)線を引く前に見る(縄で流れを)。2)引くときは言葉で(号令で)。3)引いた後は書く(公開帳簿へ)。4)揉めたら秤へ(口閉じの秤)。5)異議の期限を切る(今日なら日暮れまで)。
ミナの隊商の若い衆まで、身を乗り出して頷いた。
◇
昼前、最初の異議が来た。
谷の外れで炭を焼いて暮らしているらしい男が、帽子のつばを深く下ろして現れた。肩は細いが目の骨が硬い。
「鍛冶を風下に置くなら、俺の窯が煙を被る」
ガロンが一歩出る。「鍛冶は風の下に」「炭は風の底に」。
男は鼻を鳴らした。「風は日と季節で違う」
「――秤に乗せよう」
僕は口閉じの秤を台に据え、ひとつの皿に鍛冶の図、もう一方に炭窯の位置と風向の図を置く。
舌は、わずかに傾いた。
「季節風を見落としてる。冬は谷風が逆だ。鍛冶を半刻分、西に出す」
再計。舌が静まる。
男は肩をわずかに落とし、「なら、冬は窯の火を落とす代わりに、薪の札を多めに」と言った。
「等価で刻む」
僕は盤に薪の欄を作り、刻印穴を二つ多く空けた。男は帽子のつばを指で上げ、目の骨の硬さを少しだけ緩めた。
◇
午後、鍛冶路の線引き。
風下の筋を曲がりながら、土の硬さを足の裏で確かめる。タイトが「ここは泥だ」と指先で掬う。人の流れが重なると、じきに滑る。
僕は縄の舌を少し上げ、珠の光を速める。流れは泥の手前でうっすら避け、自然に石の出た筋へ寄った。
「石畳にする計画まで、書いておこう。札の使い道を見せるために」
「見せるのは悪党の餌にならないか?」ガロンが問う。
「公開は防具。『見えている』ことは、餌にはならない。餌は『隠れている』ところに集まる」
鍛冶場の位置は、市から半刻。煙が市にかからず、水路に灰が落ちない高さ。風鈴の音が届き、灯の縫い目が夜道を繋ぐ距離。
マーグが「火の道も要る」と言う。
「火急のときの直線だ。棒で列を外し、空ける合図」「号令板がいるな」ガロンが旗を見上げる。
僕は鍵を指で撫でた。候補にあった。だが今日は縄を出している。明日の生成で出そう。
◇
住宅の区は網目で。家は正方の箱ではなく、風と水に斜める。
リロが手を挙げる。「家の前に小さな畑、していい?」
「いい。けれど、家の後ろは空ける。逃げ道と、風の道と、物流の道」
読み書き盤の線をなぞる子どもたちが、家の模型に指で矢印をつける。「前」「後」「右」「左」。
ミナの若い衆が荷車を押して試しに通る。角で止め、棒で角度を指す。荷車の輪が一度で曲がる。二度なら渋滞だ。
ガロンが声を短く飛ばす。「曲がれ!」
輪が鳴り、曲がった。列は切れない。
僕は公開帳簿に追加する。《住宅区:奥行二間/逃げの筋は一間/前畑は半間まで/火の壺は二つ(水と砂)》
書けば、約束になる。約束は、在庫に変わる。
◇
日暮れ前。
入植台帳の名が増えた。読み書き盤の線で名前を書けるようになった子は、目を輝かせて札盤の横に立った。
「私、繕う」
「俺、運ぶ」
「夜の鳴らし手」
当番札のケースが欲しくなる頃合いだ。落としたり、濡らしたり、焼いたりしないように。僕は倉庫の候補を思い出し、明日の生成に回すことにした。
――そのとき。
谷の北の見張りが、旗を振った。右・右・止。
侵入、右から、停止の合図。ガロンが旗の布を握り、号令を短く三つ。「列、右、止!」
棒の列が畑路の端で形を作る。灯の舌を一目盛り起こす。影の濃淡が浅くなる。
風鈴が低く二度、鳴った。
北の斜面から、三騎。馬上の布は粗い。鎧は不統一。けれど、馬の足は揃っている。
先頭の男が手を上げた。手綱を短く持ち、口は笑う形だが、目は測っている。
「路銭だ」
短い声。命令の声だ。
マーグが鼻を鳴らし、ガロンが一歩出る。
僕は秤を前に押し出し、台の上に紙を置いた。公開する数字。
《税:入市、札片一/隊商:道普請で代替可/徴収は市のみ/路銭禁止》
僕は秤の皿に、路銭の主張と、公開帳簿の条を置いた。
舌は、はっきりと傾いた。
「ここは市だ。道は倉旗の列が守る。路銭は在庫にならない」
先頭の男は笑みをそのままに、鞭の先を小さく揺らした。「札の穴、増やしてやるって言ってるんだ」
僕は盤の穴を指で弾き、音を聞かせる。木みたいに乾いた、良い音。
「穴は、働くと増える。奪うと減る」
男の目がわずかに細くなる。
ガロンが棒を置いた。馬の脚の前、半歩先に。
馬は賢い。置かれた約束に、前脚を出さない。歩幅が濁る。
列の後ろで、リロが読み書き盤を子どもたちに抱かせる。「止、止、止」
灯の縫い目が、馬の目の高さで揺れる。
風鈴が一音。チリン。
先頭の男は短く舌打ちし、鞭を戻した。「……市で話そう」
「秤が待ってます」
彼らは馬を返し、市の縁で降り、秤の前で言葉を並べた。
“路銭”の主張は、公開の前で形を失う。舌は水平にならない。
代わりに、彼らは「護衛」の労で札を刻んだ。列の外周を半刻、回る。
帰り際、先頭の男がひとことだけ聞いた。「倉旗の旗は、誰の許しで立ってる」
ガロンが答える。「在庫の許しだ」
男は何も言わず、馬を返した。わずかに敬礼に似た手の動き。
――敵ではない。測っている。
◇
日暮れ。
入植の線は、見える形を得た。畑路は曲がり、鍛冶路は風下へ流れ、住宅の網目が灯の縫い目に重なる。逃げの筋、火の直線、牛路の輪。
公開帳簿の下に、今日のまとめを書く。
《入植#0001:測界縄で境界合意(異議1→補正・成立)/畑路二筋/鍛冶路風下/住宅網目(前畑半間)/井戸候補1/火急直線設定
市:流通札57/道普請延べ14人
接触:騎馬3(路銭主張→秤で差戻→護衛労へ転換)
事故:0
補正案:号令板導入/当番札ケース/石畳化計画の図示/鍛冶場の無煙風箱(候補検討)》
倉庫の鏡面に、薄い文字が寄ってくる。
《在庫ログ#0007:終了。副作用:目まい2(休息済)。
候補:号令板(視覚号令・旗信号)/当番札ケース(紛失減少)/無煙風箱(鍛冶用・煤低減・肺負担-)》
――無煙風箱。鍛冶場の煙を、在庫で軽くする道具。明日は鍛冶場を起こす。列と灯と風で守られた火を。
ガロンが棒の先に旗を結び直し、マーグが井戸の杭に印を付け、リロが当番札を紐で束ねる。
タイトが肩で息をしながら笑った。「道ができると、腹が減るな」
「腹が減るのは良い兆し。明日の在庫を食べる資格だ」
ミナが塩の壺を叩いて「明日は肉を少し回す」と言った。
子どもたちは読み書き盤の線をなぞり、名を指で書き足す。家の前に、小さな畑の絵。
風鈴が、短く鳴った。
灯の舌が落ち、夜の濃淡が戻る。眠らぬ街路灯の根元で、誰かの足音が一拍、合った。
鍵を握る。歯はまた一つ、角を増やしている。説明は歯になる。歯は、次の噛み合わせを待っている。
――明日、鍛冶を起こそう。無煙の風で、火を在庫に。
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